ママ
“ブスだらけ”
カナトの不安を察知したのか、オーバは何も言わずに階段に向かって歩き出した。オーバの少し後ろを、警戒しながら付いていく。
外観と同じく、煉瓦造りの階段を登る。階段には光源は無く、路地に入る僅かな太陽の光を頼りに一段一段注意しながら進む。
二階に着くと、左右に長い廊下が続いている。廊下には、いくつもの扉があり、どの扉の近くにも店の名前を示す看板が立てかけられていた。看板にはそれぞれ個性的な装飾が施されていたが、共通点もあった。どの看板も、等しく派手。現実での、中高年が背負い込んだ物を一時だけ忘れる為の場所を連想させる、そんな看板達だった。
「オーバ...この雰囲気、よくテレビや漫画に出てくる場所っぽいんだけど」
「そうだね。現実のスナック街に似てるよね」
「...大人の社交場ってもしかして...」
「うん。worldの中ではこういった店は総称して“酒場”って言われてるけど、ここは現実のスナックっぽい雰囲気の店が集まってるんだよ。その中の一軒に新人君をご招待するよ」
「いや、未成年PCって、酒場に入っていいの?」
「...新人君。さては冊子をちゃんと読んでないな?新人だって酒場で美味しい料理や飲み物に舌鼓を打つ権利はちゃんとあるよ。安心して」
「......」
新人でも酒場に入れるのか!良かった!あー楽しみ!!
...とはならなかった。オーバの好意は素直に嬉しい。本当に心からカナトの事を想って、この場所に連れてきてくれたという事が、笑顔や態度から分かる。ただ、そんなオーバの好意をもってしてもカナトの不安を拭えない理由が看板にあった。
“ブスだらけ”
路地から見た看板に負けず劣らず、扉の近くに立てかけてある看板も中々に派手である。ピンク色に塗り上げられた土台に、達筆な力強い文字で“ブスだらけ”と書いてある。
ブスだらけとは?文字通りブスがたくさんいるのか?そのブス達は客に対して何をするのか?
様々なハテナマークがカナトの脳内を縦横無尽に駆け回っていた。そんな不安をよそに、オーバは慣れた様子で扉を開けた。
「どうもー。店開いてるー?」
「はーい開いてるわよ〜♪ってオーバちゃん!!何よ〜最近すっかりご無沙汰だったじゃない!!他の店に浮気してたんじゃないの〜?」
「いやいや。色々と忙しかっただけだよ。ママ、今日は連れがいるんだ。いいかな?」
「あーん!!オーバちゃんのお連れさんなら大歓迎よ♪まだ女の子達は来てないんだけど、それでも良かったらどうぞ♪」
「新人君。大丈夫みたいだから入ろっか」
オーバに促され、カナトは恐る恐る店内に入る。カナトの目に大人の社交場の全容が飛び込んで来る。煌びやかな装飾が施されたシャンデリアに、重厚感があり白色の毛皮が掛かったピンク色のソファ、壁はこれまたピンク色。
「やーん可愛い!!オーバちゃんのお連れさんって新人ちゃんなのね〜♪」
ママと呼ばれた人物はカウンターの向こうに立ってカナト達を出迎えてくれた。ママは店の雰囲気に合わせた狩りには不向きそうな派手な軽装をしている。まつ毛も長く、瞳が大きく見えるような化粧をしていた。首には視線を奪う赤色の宝石がはめ込まれたネックレス。指には飲み物を提供するのに邪魔にならない程度の指環をはめていた。
そしてカナトよりも2回り程大きな体格に、逞しい腕。化粧をしているが、顎の部分だけはうっすらと青い。
このような人物を現す言葉は一つしかない。
「......オカマ...」
口に出した後で、しまったと思い右手を口元に当てる。テレビ等で見た事はあるが、このような人物と対峙するのはカナトにとって初めての出来事であった。目の前にいるオカマとの衝撃的な出逢いにより、頭で思った事をつい口に出してしまった。
カナトのオカマ発言を受け、オカマは一瞬きょとんとした表情を見せるが、すぐに男らしい声で笑い声をあげた。10秒ほど笑うと落ち着いたのか、笑い涙を拭いながら話し始めた。
「あ〜面白〜い♪私も永い事この商売やってるけど、こんなストレートにオカマなんていう新人ちゃんには会った事ないわ〜♪」
「そうだよ新人君。オカマなんて言ったらレディに失礼だよ」
「あら〜いいのよオーバちゃん♪私、バカ正直な子は嫌いじゃないのよ〜♪」
「ご、ごめん!」
「いいのいいの♪嫌味じゃないのよ?本当に正直だな〜♪って思って可笑しくなっちゃったのよ♪」
そう言うとオカマは思い出したかのようにプッっと吹き出し、嬉しそうに笑った。
「新人ちゃんの“言っちゃった!”みたいな表情が可愛くって、思い出しただけでも面白いわ〜♪この半年の中で1番面白かったかも〜♪」
「いや。失礼な事言って本当にごめん」
「もー!いいって言ってるでしょ〜♪はい、この話はお終い!さ、2人とも座って〜♪あ、オーバちゃん今日はいつものカウンターにする?お連れさんがいるからボックスの方がいいかしら?」
「カウンターにしようかな。新人君、カウンターでもいいかな?」
「うん。任せるよ」
「じゃあママ、カウンターにするね」
「は〜い♪オーバちゃんはいつものでいいのよね?」
「うん、よろしく。新人君にはメニュー出してくれる?」
「は〜い♪」
会話をしながらオーバとカナトはカウンター席に並んで座った。男が2人でカウンター席に腰掛けるという事が、カナトにはとても大人な事のように思えた。
「は〜い♪オーバちゃんどうぞ♪新人ちゃんにはメニューをどうぞ♪」
「ありがとう。新人君、遠慮せずに頼みなよ。ここは飲み物も料理も、ママも一流店に負けないからね」
「いや〜ん♪オーバちゃんったらお上手♪やめとけ〜♪」
渡されたメニューを眺める。まずは飲み物から頼もうと思ったが、ドリンクだけでも様々な種類があり、さらにメニューの書き方に拘りがあり過ぎて内容が理解出来なかった。
☆朝からゲンキング☆
☆夕暮れ時のジュワー☆
☆隣の教室のパンッパンッ☆
☆バイバイアナグラ☆
☆兄弟の味〜竿だけ♪〜☆
☆ジムトレーナーの憂鬱☆
.........etc
なんとか内容を理解出来るドリンクは無いかと探すが、探せば探すほどに正解が分からなくなる。とりあえず身体に害が無い物を。そうしてカナトは答えを導き出した。
「おれにもオーバと同じ物をお願い。...ママさん」
「は〜い♪すぐに2人分お持ちするわね〜♪」
流石にオカマさんとは呼べない。“ママさん”と呼ぶには少しこそばゆい感じがしたが、同時に大人の仲間入りをしたようで少し心臓が脈打つのが早くなった。
ママは手際よくインベントリからコップと白い飲み物が入った容器とバレーボール程の氷を取り出した。氷を客側からは見えないカウンター部分に置き、ベルトの背中側の鞘に収めてある短刀をぬいた。氷に短刀をあてがうと、生ハムを切り取るように氷が削げた。削げ落ちた氷を手際よく丸めてコップに入れ、飲み物を注いだ。
「は〜い♪いつものお待ちどうさま♪」
オーバとカナトの前に、表面に水滴が付いたコップが置かれる。水滴の感じから、中身が良い具合に冷えているのが分かった。白い飲み物は鼻を近づけなくてもほのかに甘い香りがしており、カナトは思わず喉が鳴った。
「ありがとう。新人君、これは本当に美味しくてオススメだよ」
「“いつもの”で通じる程飲んでるんだもんね。ちなみにこの飲み物って何?」
「これは☆裸の付き合い☆だよ」
中身の情報を知りたかったのだが、オーバがカナトに伝えたのは中身ではなくメニュー名だった。
白い飲み物のメニュー名が裸の付き合い。店の雰囲気も相まって、あまりよろしく無い想像に駆られた。その想像を振り払うように、再度オーバに問いかける。
「メニュー名じゃなくて、この飲み物が何なのかを知りたいんだけど」
「あぁ!ごめんごめん。これは現実でいう所の牛乳だよ」
冷静になってみれば確かに牛乳に見える。いや、牛乳にしか見えなかった。名ずる事の魔力に驚かされる。
「確かに言われてみれば牛乳にしか見えないね」
「ただ、今までに飲んだ事の無いほどの絶品だよ。ブスだらけの牛乳は、ママ自ら25階層まで仕入れに行ってるんだよ。これを飲んだら現実で牛乳を飲めなくなっちゃうよ」
オーバの話しを聞き、またしても喉が鳴った。思えばログインして狩りをしたり露店でトラブルが起きたりしたが、一度も水分を摂っていなかった。
「...じゃあ新人君。乾杯」
「乾杯」
グラスとグラスを優しく打つ一種の儀式を行い、口元に運ぶ。グラスが顔に近づくと、甘くも爽やかでもある香りが鼻に抜けた。そして口の中に牛乳が入る。驚く程の旨味が、一口分の牛乳の中に凝縮されている。甘くもあり、爽やかでもある。真夏の昼下がり、炎天下の下でもゴクゴクと飲めるような、そんな味だった。
「...!!うまい!!」
「うまいでしょ」
カナトの心からの感想に、オーバは嬉しそうに笑った。
「こんなに美味しいなら、毎日でも飲みたいな」
「そんなに気に入ってくれたんだね。でも毎日は新人君にはまだ無理かな」
「毎日は無理?」
不思議に思うカナトに対し、オーバはメニュー表の値段の部分を指さした。
☆裸の付き合い☆ 3000z
「......3000z!?いや、本当に美味しいんだけど、これ一杯で!?」
「そう。大人の社交場だからね」
「オーバちゃんは何してるのか分からないけど、たくさん稼いでるもんねー♪」
ママはカウンターから嬉しそうに言った。カナトにとっては飲み物が一杯3000zというのは衝撃的だった。3000zという事は、3000円という事である。現実ではスーパーに行けば、これと同じ量の飲み物が30本は買える値段である。が、オーバはそんなカナトの衝撃を予期していたようで、理由を話し始める。
「さっきも言ったけど、これはママ自ら25階層まで仕入れに行ってるんだよ。仕入れるって言っても、店で買うわけじゃないよ?その階層にいる幻牛モーウモーウってMOBを討伐して、ドロップ品として手に入れて来てるんだよ。この幻牛ってのがそりゃもう強いの。強いんだけど、食料系のドロップ品しか落とさないから、あまり人気があるMOBでは無いんだよ。だから、world広しと言えど、この飲み物を常時置いてある酒場はここ“ブスだらけ”だけなんだよ。だからブスだらけには、この飲み物を求めて常連客が集まって来るんだよ」
「ちょっとオーバちゃん!!飲み物だけじゃなくてママ目当てのお客さんもいるんだからね〜♪」
「ごめんごめん。おれもママとの会話は楽しいよ。ママは情報通だからね」
「いや〜ん♪もっと褒めて♪」
オーバに褒められて、ママは嬉しそうに腰をクネクネと揺らしている。オーバの説明を聞くと、確かにこの飲み物には3000zの価値があるという事が理解出来た。そしてこの飲み物を提供してくれている“ブスだらけ”に連れてきて貰った事への感謝を改めて感じていた。
同時に、分かった事がある。このママは強い。
ふざけた口調ではあるが、相当に腕がたつ事がオーバの話しから分かった。新人のカナトからすると、25階層というのは遥か先の話しである。そんな25階層にいるMOBを1人で討伐出来る強さが、ママにはあるという事だ。
「ママさんって強いんだね」
「新人ちゃんも褒めてくれるのね〜♪嬉しいわ♪そうね〜♪ふらっと入ってきた一見さんに『化け物!!』って言われてもめげない位には強いわ〜♪って誰が化け物じゃ!!!」
「ママ。誰も言ってないよ」
「あ、あらやだわ〜♪私ったら♪」
一瞬ママから放たれた殺気に、オーバは冷静に対処し、カナトは肝を冷やした。先ほど、初めてママを見たときに脳裏に浮かんだ言葉が『オカマ』と『化け物』だったからである。
無意識のうちに『オカマ』と発していた自分自身を褒めてあげたい気分だった。
「本当にこの新人ちゃんは良い子で可愛いわ〜♪オーバちゃん、良い子見つけたわね〜♪」
「うん。とっても良い子だよ。ママ、おれ共々宜しくね」
「もちろんよ〜♪新人ちゃん、新人のうちはzが無いのは当たり前よ!私だってそうだったんだから♪でも、遠慮しないで遊びに来てね♪何か美味しい物でも食べさせてあげる♪」
「ありがとう。ママさん」
「そうよそうよ〜♪たくさん遊びに来て頂戴ね♪店の女の子達も絶対に新人ちゃんの事気にいると思うわ〜♪あ、新人ちゃん♪フレンド登録しましょうか♪」
「うん。ありがとう」
『宗吉郎からフレンド申請が来ました。承認しますか?』
恐らくママの名前だろう。しかし、見た目に違い随分と男らしいPCネームである。
「......宗吉郎ってママさんだよね?」
「いや〜ん♪お店にいる間はママさんって呼んで〜!!」
「分かった。宜しくね、ママさん」
「新人ちゃんは“カナト”って言うのね♪カナトちゃんって呼んでもいいかしら?」
“カナトちゃん”と呼ばれ、幼き日の記憶がフラッシュバックした。ジャイアントアキオに名前をからかわれ、どうする事も出来なかった弱い自分を。レイに助けて貰う事しか出来なかった自分自身の弱さを。レイにこの話をした時は冷静に話せていたが、思い出しながら話すのと、当時の視点で記憶がフラッシュバックするのとでは、己の無力感が全く違っていた。
「...君...新人君。大丈夫?」
「え、ああ。ごめん。ぼーっとしちゃってた」
オーバの呼びかけで、意識が体に戻った。額にじんわりと汗をかいていた。
「ビックリしたわ〜!急に黙っちゃうんだもの〜!何か気に障ったかしら〜?」
「いや、大丈夫。ごめんね」
ママもカウンターから身を乗り出し、心配そうにカナトを見つめていた。
「なら良かったわ〜♪じゃあ改めて、カナトちゃんって呼んでもいいかしら?♪」
「もちろん!」
「いや〜ん♪笑顔もそ〜きゅ〜とぅ♪!!!」
カナトに笑顔を向けられ、ママはまたしても腰をクネクネさせて喜んだ。そんなママの反応を見て、オーバも嬉しそうにカナトに話しかけた。
「新人君。worldってワクワクするでしょ?」
「うん。これから今日みたいに色々な事が待っているかと思うと、凄くワクワクする」
「その気持ちを忘れないようにね」
「もちろん!」
「いや〜ん♪クネクネしてる間に私置いてけぼり〜♪やめとけ〜♪」
ママの発言に、カナトとオーバは同時に笑い出した。
ママのお陰で楽しい時間を過ごせた。☆裸の付き合い☆を飲み終えた後にはママお勧めの飲み物を飲んでみたり、オーバお勧めの食べ物に舌鼓を打ったりした。料理を食べている途中にママ自慢の女の子達(注 男性)が出勤し、店に活気が溢れ、宴のような時間だった。
この宴は、カナトがログアウトする時間になるまで、盛り下がること無く3時間程は続いた。
ログイン初日は狩りの時間が1時間半足らずで、レベリングに関しては他の新人に大きく遅れをとったが、レベリングでは決して得る事の出来ない物をいくつも得られた1日だった。




