前編
「授業参観日の案内、みんなちゃんと親御さんにプリント渡したわねー?」
金曜日の授業早く終われ、と念じながらそれまでノートの端にぼんやりと落書きをしていただけの俺は、弾けるように顔を上げた。
クラスの担任、自称「永遠の十六歳乙女」こと高宮先生の言葉が耳朶を打ち、その意味は遅れて脳に届いた。
「……じゅぎょうさんかん?」
俺はバカみたいに復唱した。すると隣の席の女子が愛らしい顔を俺に向けた。ピンク色のヘアピン二個で前髪を横分けに留めているのが彼女のトレードマークだ。
窓際席の俺にとっての唯一のお隣さんが、このクラスで二番目に可愛い四之宮 優花ちゃんなのは運以外のなにものでもない。いや、前回の席替えはあみだくじだったから実際に運だけど。
「わすれてたの? 来週だよ」
「あ、あー、うん、そうだったな」
「そうだよー」
真っ直ぐな黒髪を揺らして首を傾げ、優花ちゃんはおっとりと返事をする。俺は適当に笑うだけにした。
(授業参観って、そういえばこの学校は毎年こんな時期だっけ)
今年で五年生になるのだからいい加減覚えていて当然な情報だが、生憎とうちの親は一度も来れたためしが無いので、記憶に残らないのである。今年だって、絶対に来たりはしないだろう。
何故なら――――
*
「ただいま、千夜」
「おや、おかえり白夜」
鍵を開け、一見すると誰も居ないワンルームのアパートに入り、俺は普段どおりに挨拶をする。そして誰も居なさそうな空間から、頭に直接響く不思議な声が返った。
敢えて言うなら、「声」は部屋の奥の押入れからしてきたように思う。いつものことなので驚きはしない。
――俺の親は人前には出ない。更に言えば、出られない。
別にそれは仕方がないことだから俺も怒ったり悲しんだりはしないけど、コイツが俺の為を想って密かに気にしているのはわかっている。だからできることなら学校行事の類は知らせないようにしていた。
「今日は早かったね。お友達と公園で遊んでいかなかったのかい」
「そんな気分じゃなかったんだよ……千夜こそ、夕方前に起きてるなんて珍しいじゃん」
「何故かわからないけど早く目が覚めてしまってね」
しゅるしゅると音を立てて、押入れの引き戸が開かれる。隙間からうねり出す細長い生き物に面して俺は自然と頬を緩ませた。
「夜行性のくせに、無理すんなよ」
「君を出迎えるのに無理も何も無いよ」
鮮やかなピンク色の舌先がはねる。オレンジっぽいとも言える赤茶色と黒の鱗に覆われた身体に、黒くつぶらな瞳。平たく言えば俺は爬虫類と会話をしている訳なのだが、これでも俺は紛れもなく正気だ。
俺の養父は生物学的には、台湾・中国・ベトナムなどに生息する紅斑蛇と呼ばれる種類の蛇の姿をしている。インターネットによるとその蛇は最長で1.6メートルの長さに達するらしいが、千夜は3メートルぐらいの長さがある。
千夜という名はある時から自分で名乗るようになったらしい。中秋の名月の輝きを千回浴びて強い妖力を得たからだと本人は言う。
まあ信じるしか無いだろう。それは俺が生まれるずっと以前に起きたので、確かめようが無いのだから。
かつて千夜がどこぞの草原をふらついていた時、河辺に身一つで捨てられていた赤ん坊が俺だった。養父は当時は人間に化ける力を持っていたため、人型になってまで拾って育てたらしい。ちなみに俺のことは自分の名前になぞって百夜と名付けたかったけど、字面が気に入らなくて「白夜」にしたそうだ。
今となってはこの名前は二人して気に入っている。いつか、北極で本物の白夜を一緒に見に行きたいとさえ思う。
「それで、学校はどうだった? 何か面白いことはあったかい」
手を差し伸べてやると、千夜は何気なく俺の腕を伝って肩に巻きついた。冷たい肌触りが気持ち良い。
昔は重さに押し潰れやしないだろうかとコイツもしおらしく遠慮していたものだ。それがいつの間にかこれのおかげで、俺は「インドア派のくせに隠れ力持ち」みたいなことになっている。
「普通だよ」
少し不自然なくらいに即答してしまった。授業参観の件を思い出したからだ。
俺の心の動きを敏感に読み取り、千夜は不服そうに小さな頭を揺らした。
「息子よ、隠し事は感心しないね」
「別に何も隠してねーし」
「いいや、隠している。お父さんは悲しい。悩み事がある度にすぐ私に泣きついていた頃の可愛いびゃっ君はもう居ないのだね。男の子の成長はやはり速いものだね」
拗ねたように千夜は俺の肩からちゃぶ台の方へ下りていく。ちゃぶ台の上には俺の勉強道具や漫画が積み上がってるけど、それを崩さないように器用に合間を縫っている。
「びゃっ君に限って反抗期は無いと思ってたのに……」
「ちょ、恥ずかしいからその呼び方ヤメロ! あと拗ねるの反則!」
「君が話してくれるまで私は起きないから」
二度寝します宣言を残して、千夜は押入れの中に戻ろうとしている。千年以上生きた大妖怪のくせに繊細な奴だ。
「千夜! 俺が悪かったから!」
何とか呼び止める材料を探す。食べ物で機嫌を取るのは難しい。千夜は通常の蛇以下の頻度――三週間にマウス一匹程度あれば十分――にしか餌を必要としないし、あとは月光にでも当たっていれば平気な奴だ。
突然、ぴたりと紅斑蛇の動きが止まった。何かを探るように舌をちろちろさせている。
「おや」
「な、なんだよ」
「複数近付いてくるよ。なんだか若い人間の匂いだね」
「若い人間って、なんつー言い方だよ」
ほどなくして俺にも足音が聴こえてきた。確かに複数だ。このアパートに続く外の階段を誰かが上る音だ。騒々しくも若々しい、何やら子供の駆ける音のような――
「びゃくやー!」
と、小学生くらいの男子の声が玄関からした。クラスメートまたは友達の一人だ。
続いて呼び出し鈴が大きく鳴る。
「来ちゃったよ白夜君」
次いで女子の声――って、優花ちゃんじゃないか!
(はああああ!?)
俺はショックで仰け反った。
(待て待て待て、何が起きてる!)
金曜日の放課後、いつもの調子で蛇とくつろぎながらお菓子を食べていただけなのに、この展開は一体なんなんだ。俺はサッと部屋を見回した。
我ながらひどい散らかりようだ。キッチンやトイレの掃除は欠かさないくせに、くつろぐスペースは別物としている。布団の上には脱ぎ捨てられた服が乱雑に重なり、テレビの前にはやりかけのゲームの箱があちこちに落ちていて、ちゃぶ台の下には飽きてしまったプラモデルが無造作に横たわっている。
だがゴミは必ずゴミ箱に入れてあり、これは絶対に守るべき人としてのルールだと俺は常日頃から心がけて――
(って、問題はそういうことじゃなくてだな!)
俺は押入れの隙間から頭をのぞかせている養父と目を合わせた。こういう時のコイツは何を考えているのかわからないのでムカつく。何一つ顔に出ない爬虫類が羨ましい。
だから俺はコイツをどうすればいいんだ。押入れの中に隠したところで、餌の関係とかで独特の臭いは隠し切れない。
いっそ、実は蛇を飼ってるんです、って完全に嘘ともいえない事実をカミングアウトしてしまおうか。
(ダメだ。アイツらだけならともかく、女子が居るのに蛇はダメだろ!)
しかも、自慢だがうちの蛇は結構非凡な外見をしている。長さも大したことながら、色合いがカッコイイんだ。頭の形は可愛い方だけど、この赤と黒の模様がいかにも強そうに見えるだろ?
そんな俺からすればカッコイイ見た目でも、おしとやかな四之宮優花ちゃんからすれば、卒倒するかもしれない。
俺は押入れの戸をバンッと勢いよく閉じた。千夜は「やれやれ」と奥に身を引っ込めている――と信じたい。
「あのね。白夜君、今日元気ないなと思って。先生が授業参観の話をした後からずっと……」
なかなか返事をしない俺に、優花ちゃんの心配げな声がかかる。
「ご両親いつも忙しくて行事に来れないんだよね? きっと今も独りなのかなって思って心配になったの」
そう、うちは親が共働きで忙しいという設定になっている。色々不自然な点は残るだろうに、そこから先は千夜が洗脳みたいな妖術で補っている。それもたくさんの人間に使うのは大変だから、担任の先生やご近所の方々が主なターゲットだ。
つまり、いきなりこんな大勢が家に押しかけてきても、対応は俺一人でどうにかしなければならない。
扉越しに励ます声が連なった。
「びゃくやー、落ち込んでんのか? らしくないなー」
「元気出せよ。公園寄らずにサッサと帰りやがってさー、クエストやろうぜー」
「いらなくなったガ○プラ1/100ちょうだい」
一番よくつるんでいる友達三人衆の言葉に、たまらなくなって叫んだ。
「……落ち込んでねーし! あと途中からなんか違うぞお前ら! 1/100はただではやらん!」
「じゃあ友達割引」
「うるさい! 今開けるから待ってろ!」
俺は旋風に負けない速さで部屋を座る場所ができる程度に片付けてから玄関へ走った。
息も切れ切れにチェーンやロックを外し、扉を開けた。
「し、四之宮さん、いらっしゃい……汚いトコでごめん」俺は花のように可愛い彼女に精一杯の笑顔を、そして残る三人に白けた視線を向けた。「加賀、青木、榎本、お前らは別に帰ってもいいぞ」
「そう言うなよ。四之宮サンにお前んちの場所教えてやったのは誰だと思ってんだー?」
平均的小学生よりずば抜けて背が高くてガタイの良い加賀がニヤニヤ笑う。
「ハァ? 感謝なんかしてやると思ってんじゃねーだろな」
大きな秘密を抱えている以上、俺は知り合いだろうがクラスメートだろうが友達だろうが誰も部屋に上げたことが無い。親戚は、捨て子だった俺には当然居ないので論外。
アパートの正確な場所というか部屋の番号も誰にも教えてないはずなのに――
「お前らこそどうやって場所わかったんだよ」
疑問に思って俺は訊ねた。
「そんなのあとをつけたに決まってるじゃないか」
「ハァ!?」
よく食べる割に運動しない、眼鏡をかけた丸い奴の丸い顎を俺は右手で掴んだ。そのまま頬と頬をぎゅーっとぺちゃんこに引き寄せる。
「逮捕させっぞこの野郎」
「いひゃいよ、ぐももも」
「まーまー。榎本を責めるな、言いだしっぺはオレだしぃ?」
得意げに自分の胸を親指で指す青木。コイツはロックな兄貴を持っている影響で、ある日ピアスが開いてたり髪が染まってたりする奴だ。校則が緩いのもあるが、担任の高宮先生が青木兄のバンドのファンな所為もあって、逆立った茶髪をした小学生が野放しにされている。成績は優秀で中身も割と純粋な良い奴なのが救いだが。
悪戯好きな一面があって、それが俺には一番面倒臭い。
胸倉掴んで色々と文句を浴びせてやろうかと思った俺の目の端に、困惑気味の優花ちゃんの表情が入った。
「迷惑、だったかな……? 帰った方が良い?」
「え? 迷惑なわけないよ、わざわざ来てくれて嬉しいし」
思わず口調が和らぐ。頼むから泣かないでくれと心の中で懇願した。女の子泣かせたりしたらきっと俺は立ち直れない。
「本当? 本当に、白夜君、気を遣ってたりしない?」
うっ、上目遣いが可愛い。唇にかかった髪が、ていうかぷるんとしたピンクの唇もやばい。
絶滅危惧種のヤマトナデシコとはこの子のことか。たとえこれが演技だったとしても、俺は優花ちゃんに振り回されれば本望だ。
「ホントだって。どうぞ上がって、大したもの出せないけど」
「じゃあ、お邪魔します」
天使の笑顔に一瞬目がくらっとした。
「チッ、お前らもここまで来たんだから入れば」
そう言ってやると、加賀・青木・榎本は順に「えっちぃ本落ちてないかなー」、「勿論最初から上がるつもりだぜ」、「わーい。ガ○プラ見せてよー」、と答えて靴を脱いだ。全く、殴りたい。と言ってもコイツらのおかげで優花ちゃんが家に来ているのもまた事実だった。
本当は短編で投稿したかったんですが、長くなってきたので前後編に分けることにしました。全く何も考えないで読んで下さい。ノリは以前投稿した「コンセント」と通ずるものがあります。
大昔に妄想していた妖怪系シリーズにも、蛇に育てられた少年の話がありました。あれと同じにするのは嫌だからお父さんをトカゲ系にしようかと一度は考えたものの、蛇への愛がどうしても捨てられなくてこの通り。舞台も最初はアメリカ南西部とかにしていたのですが、しっくり来なくて台湾の蛇になりました。やっぱり蛇は扱いやすい…
余談ですが、グンマのスネークセンターはいいものです。千円で色々な蛇が観れるし触れ合えるので、みなさん機会があったら是非行ってみてね!
(後編に続く)