正しい能力の上げ方
この世界にきてから一週間があっという間に過ぎ去り、現在、創魔学園内を清掃中。
創魔学園は掃除が行き届いているな。
床の隅や窓枠にも埃が残っていない。口煩い姑のような感想だが、これは職業病のようなものだから勘弁してほしい。
床や窓を見ると汚れていないかチェックをするのも、床面積から割り出した清掃の金額を計算してしまうのも癖になってしまっている。もっとも今は清掃の仕事中なので、場違いな考えではないだろう。
「ソウさん、そこ終ったら次は階段清掃に回ってください」
同僚の言葉に振り返ると、女性にしては高身長――170は軽く超えているメイラが見下ろしていた。長い髪を作業の邪魔にならないように後ろで束ねている。最近ポニーテールの人をあまり見かけなくなったので、ポニーテール好きとしては嬉しい。
服装は自分と同じように下は作業服のズボンなのだが、上の作業服を脱ぎ、袖をベルトのようにして腰に巻いている。作業服の色は俺と違い真っ白だ。
シャツ一枚で働いているが寒くないのだろうか。この世界の季節は初春らしいのだが、薄着一枚では少し肌寒いだろうに。
その格好のせいで上半身の体つきが際立つのだが、かなり凶悪な女性の武器を所有していらっしゃる。
メイラを見ていると目のやり場に困るな。仕事に集中しよう。
しゃがんで廊下隅の汚れを手持ちの清掃道具で擦り落とし、納得できるぐらい綺麗になったので雑巾で拭きとり立ち上がった。
メイラは逆に見上げる状態になったのが少し不満だったのだろうか、不機嫌になったように見える。目鼻立ちがはっきりしているので、感情が顔に出やすく見ていてわかりやすい。
「何か悔しいな。私より大きいなんて」
「身長だけは人並み以上なので、両親に感謝ですよ」
年齢は二十前後だろうか。自分より若いはずだが、仕事場では先輩にあたるので言葉遣いは気を付けなければ。
当たり前のことだが俺は新入りなので、ここの清掃員は全員先輩にあたる。
この職場、不思議なことに年上の清掃員は殆どいない。見た目だけでの判断なので憶測にすぎないが。良く知らない女性に「幾つですか?」と訊くほど常識のない男ではないつもりだ。
「でも、この時期にその年齢でここに来るなんて変わっているわよね」
「たまたま学園長と知り合いで、職を失って困っていたところを拾ってもらいました」
予め用意しておいた模範解答を口にし、モップとバケツを持ち上げ階段へと向かう。
途中で何度も女生徒たちとすれ違ったが、全員が律儀に会釈をしてくれる。それも、ただ礼儀として規則的にやっているのではなく、感謝の気持ちが込められているように感じるのは都合のいい勘違いなのだろうか。
「ここの生徒は礼儀正しいですね。ただの清掃員相手に挨拶もしっかりしている」
「え、何言ってるのソウさん。清掃員といえば憧れの職業じゃない。私もなるのにどれだけ苦労したことか。でも、この憧れの作業服に袖を通した瞬間に今までの苦労が吹き飛んだのを覚えてる!」
立派な部分を更に強調するかのように胸を張る。
無意識にそこへ視線が集中しそうになるが、今、大事なのはそこじゃない。
清掃員が憧れの職業。ゴルたちが言っていたことは誇張ではなく、本当だったのか。
「清掃員って人気ありますね」
「ソウさんって変な事ばかり言うね。当たり前じゃないの。勇者ソウジがやっていた職業なのよ、皆の憧れになるに決まっているでしょ」
いつの間にかメイラの言葉が敬語では無くなっている。無理して丁寧に話そうと頑張ってくれていたようだが、あきらめたのか自然に口調が戻っている。
妄想日記がここまで影響を及ぼしているとは。この世界の人々には申し訳ないが、清掃業を営んでいた俺としては理想の世界になっている。
そういや、学園長から提示された毎月の給料は驚くほど高額だった。それは、勇者としての活躍も含めてだと思っていたのだが、実は清掃員として貰える一般的な金額だったのだろうか。そうだとしたら、依頼料が下がり続けている向こうの世界とは、まさに別世界。
現金な話だがこれだけ貰えるなら、仕事にも身が入るってものだ。
この創魔学園校舎の造りは、殆ど元の世界と変わらないので清掃もやりやすい。半年に一回、定期の仕事で私立高校の校舎内清掃があったので、要領よくやれるはずだ。
階段を一段一段、洗剤を付けたブラシで丁寧に擦る。階段の清掃は踊り場以外ポリッシャーが回せないから、基本手作業になる。
ここの階段はワックスが塗ってあるので床用の洗剤とブラシで洗うよりも、ハクリを薄めた液体でやった方が早いのだけど……前も思ったがこの世界に剥離剤はあるのだろうか。ワックスがあるのだから剥離剤もありそうなものだが、後で倉庫を調べてみるか。
あるのなら清掃がかなり楽になるのに。ただ、剥離剤を塗った後は時間が経つと、ワックスが溶けて足元が滑りやすくなるので、通行禁止の看板立てておいた方がいいな。
いや、まてよ。別にこの世界になくても剥離剤なら何とかなるか。この世界での自分の立ち位置を忘れすぎだな、俺は。
清掃のやり方について思案していると、不意に元気な声が響いた。
「ゆ、じゃない。ソウさん。お疲れ様です。今、お仕事中のようですね、頑張ってください!」
顔を確認しなくてもわかる、この声はミュルだな。
「ソウさん……ファイト」
姿は見えていないが、きっとミュルの背後に隠れているのだろうな、シャムレイは。
あれから、シャムレイは俺に慣れてきたらしく照れてどもったりする話し方はしなくなった。その代わり、感情の起伏がないような話し方になったので不思議度が上がった。
「ありがとう。二人は授業終わりかい」
手を止め、体を起こす。もう二、三段で階段が終るところまで進んでいたので、最後まで終わらせたかったが、彼女たちを無視するわけにもいかない。
声は階段上部から聞こえたので顔をそちらの方へ向ける。踊り場で元気に手を振るミュルと、その陰から小さく手を振るシャムレイがいた。
まず彼女たちに言わなければならないことがある。
「スカートの中が見えそうだよ」
慌ててスカートを抑えている。顔が真っ赤だな。初々しくて可愛らしい反応だ。友人のアイツだったら見られたところで気にもしないのだろうな。いや、「タダで見られたと思うなよ。さあ、昼飯を奢れ」なんて言ってきそうだ。
「いきなり痴漢行為で退職かー」
「メイラさん。無職は勘弁してください。心に突き刺さるものがあるので」
この場から離れていたメイラがいつの間にか戻ってきていたようだ。
「あ、メイラさん! お久しぶりです」
明るく挨拶するミュルの隣で軽く頭を下げるだけのシャムレイ。二人ともメイラと知り合いのようだ。
「二人はいつも一緒ね。あなたたち、ソウさんと知り合いなの?」
「はい、ソウさんは、頼れるお兄さんのような存在ですから!」
「うん」
……お兄さん。お兄さんか。うん、悪くないな。兄しかいなかったから、妹とか欲しかったんだよな。それがこんなに可愛く、性格もいい妹なら何の不満もない。
「へー、ソウさんモテモテだね。お邪魔したら悪いから私は退散しようかなー。使った清掃道具は掃除用具置き場に片付けておくから、ソウさんはゆっくり戻ってきたらいいからね。お疲れ様でしたー」
両手に掃除道具を抱え、鼻歌交じりに走り去っていく。
変に気を使ってくれたようだが、冗談とはいえ知らない人が聞いたら勘違いされそうだ。
清掃員と生徒の恋。犯罪の臭いしかしないな。
「ソウさん、と呼ぶのは、未だに言いにくいですね」
「うん、洗浄勇者様の方がいい」
階段を駆け下り側にまで寄って、周囲を気にしながら囁く二人。
「それは仕方ないよ。学園長の指示だからね」
学園長が取り決めたルールの一つ。勇者であることを黙っておく。偽名として宗治ではなく、ソウと名乗る。これは身の安全を考え、正体をばらさない方が良いだろうと判断した――ことになっているが、それは二人を納得させるための詭弁だ。本当の理由は……酷いものだ。
あの時の、学園長との話し合いは誰にも聞かせたくない内容だった。
あの日、俺が洗浄勇者としてこの世界に留まることを決めると、学園長はほっとした表情で、俺に菓子や飲み物を勧めてきた。
この世界に来てから一切食べ物を口にしていなかったので、それはとても美味しく感じられ、俺は警戒心を置き去りにし、次々と頬張ってしまう。
そんな俺を黙って嬉しそうに見つめていた学園長は、開口一番、予想外過ぎる言葉を吐いた。
「洗浄勇者様の力を強化するには、人々に洗浄勇者様の姿を見せてはなりません」
「え、どういうことだ?」
「洗浄勇者として強くなるには二つの方法があります。まず一つ目はソウジ殿が体を鍛え、技を磨き、戦いに慣れること」
それはわかる。強くなるための基本中の基本。当たり前の事だ。
「そして、もう一つは。国民に洗浄勇者への憧れを強めることです。人々の想いが強くなればなるほど、ソウジ殿の魔力が増加していきます。魔力が上がれば身体能力も向上しますので。ぶっちゃけ、ソウジ殿が体を鍛えるより、こっちの方が能力増強として遥かに優秀でしょうな」
「それもわかるが、だとしたら変じゃないか? 人々の想いの力を強めたければ、実際に姿を晒し、洗浄勇者が現れたと公表した方がいいはずじゃ」
学園長はしかめ面になり顎に手を当て、深く悩んでいるようだ。俺の目には芝居にしか見えないが。
「勇者の存在を知らしめるのは、間違いなく効果的でしょう。ですが、それには問題があります、とても大きな……非常に言い辛いのですが」
何故、目を逸らす。何でそんなに言いにくそうにしている。
「いえ、実は……怒らないで聞いてください。日記を翻訳したときに、ちょっと脚色したのです。物語を盛り上げるためには、少し大げさに表現するのは基本! ですよね?」
回りくどいな、脚色したからどうだというのだ。
「はっきり言ってもらえるかな?」
「つ、つまり。勇者殿の容姿を美化させてもらいまして……いや、ほんのちょっとですよ! 目鼻立ちが整っている描写を入れて、読者に夢を持ってもらおうかと」
ほう。勝手に改変したと。だから、市販されていた小説の表紙に描かれていた洗浄勇者がイケメンだったわけだ。
あの妄想日記、自分の容姿については全く書いていなかったはずだ。言動は格好よくしてはいるが、さすがに自分の顔を二枚目設定にする度胸は無かった。
「そ、れ、で。洗浄勇者の顔を美形にしたことと、正体を明らかにしないことの理由がどう繋がるのかな?」
満面の笑みで学園長に語りかける。
「あの、そのですね。洗浄勇者の冒険を読んだ殆どの国民は――特に女性ですが洗浄勇者殿をかなりの美青年と想い込んでいるわけです。そこで、現在の姿を見てしまうと、あ、いえ、決して見た目が悪いと言っているわけではないのですよ。ですが、年齢の関係もありますので……抱いていた夢が、木端微塵に打ち砕かれてしまう可能性が……」
そっか。急にこの学園長の胡散臭い顔を丹念に掃除してあげたくなってきたぞ。
「ゆ、勇者殿。何故、ポリッシャーを持ってこちらに近づいて来ているのでしょうか」
無言でレバーを握りしめる。
「回ってる! パッドが回っていますよ!」
思い出しただけでも腹が立つ。思い描いていたバラ色の生活は何処に旅立った。
これでは、元いた世界の生活となんら変わりない――違うか、向こうでは女っ気が全くなかったからな。女性と会話する機会なんて、パートの同業者か現場の管理人や従業員ぐらい。殆どが年上のご婦人だった。
それも会話といっても軽く頭を下げる程度か、清掃内容の説明か挨拶ぐらい。雑談なんてした覚えがない。たまに入る銀行のホール清掃や、公的施設の清掃だと若い女性もいて、少しだけ嬉しかったな。
それと比べると周りが若い女性だらけの環境に贅沢を言っては罰が当たる。
――ん? いや、何かおかしくないか。俺は楽しい職場環境を提供してもらえる住み込み清掃の仕事依頼で、この世界に来たのではない。掃除をしていると、ここが異世界であることも忘れそうになる。
一応洗浄勇者の肩書でここに存在しているのだった。しっかりしろ、俺。