学園長
昨日、何とかゼフルーを撃退した後、二人に連れられて瓦礫寸前の部屋を出た。
どうやら自分がいた場所は円柱型の塔のような建物で、扉からまっすぐ石造りの渡り廊下が伸びている。壁も屋根もない屋外の石橋で、横に二人並ぶのが精一杯程度の幅しかない。
橋の端から下を覗き込んでみるが、地面まで結構な高さがある。落ちたら打ち所が悪くなくても軽く死ねそうだ……な。
足が小刻みに震えている。まだ、慣れないか不安定な高所は。異世界で勇者になっても苦手は克服されていない。そんなに都合よくはいかないよな。
「勇者様どうしましたか? まさか、戦闘で怪我を!」
「何でもないよ。大丈夫だから」
駆け寄ってこようとした二人を手で制すと、下を見ないように心掛けて一歩踏み出す。
普通の人なら足がすくみそうな細い通路を、二人は平然と横並びで前を進んでいる。
周囲を見渡すと、四方を高い壁で囲まれている場所のようだ。自分のいた塔は周りを取り囲む壁の片隅に建てられていたようで、そこから真っ直ぐ延びる石橋が、塔へ繋がる唯一の道らしい。
そもそも、何で地面に接した場所に入り口がないんだ。こんな地面から離れた場所にしか出入り口がないなんて不便だろうに。通路も狭いし。せめて、高さ半分にしてくれないかな。
この通路の先には巨大な建造物。無骨ながらもシンプルな石造りの西洋の城――と呼ぶには飾り気が無い。要塞と表現した方がしっくりくる外観をしている。
なんなんだろうな、この建物。創魔学園とか言ってはいたが、勇者召喚なんてことを考える一団なのだから、やはり城なのだろうか。
だけど、創魔学園と名乗るぐらいなのだから学校という線も考えられる。
しかし、場の勢いで勇者っぽいことをやってしまったが、思い返してみると……
『ここからは俺がお相手しよう』
『フローリングウォッシャー!』
『清掃――完了』
あ、死にたい。目も当てらないような決め顔もしていたのだろうな――違うんだ、あれは社会人のマナーとして、場の空気を読んだだけで、決して、決っして、少し気持ち良かったなんて思っていない!
頭を抱えてその場にうずくまりそうになる体を、気力を振り絞りどうにか抵抗すると、落ち着くために大きく深呼吸をした。
吸い込んだ空気に味があるような気がする。一応、都会在住なので、自然を滅多に感じられることがなかったが、濃い自然の香りを久々に味わった。
心が落ち着いてくると遠くの景色を見る余裕もでてきた。まだ早朝だったようで、右手の方向から朝日が差し込んでいる。
「ほぅ……」
山々に囲まれ自然が溢れている。空気が澄んでいるせいか、風景の色彩が鮮やかに見える。この建物はかなり高い位置にあるようで、時折、吹き付ける強い風が心地いい。
遠くの方に町並みが見える。あちらの日常で目にする景観とは似つかない、レンガ造りの壁や色彩豊かな屋根が眼下に広がっていた。
日本では屋根は地味な色が殆どで、おまけに屋根の上にはソーラーパネルが乗っている家が増えてきている。 やはり、ここは日本じゃないのだな。日本どころじゃ地球でもないのだろうけど。
異世界か。それに洗浄勇者ね。中学時代の俺なら涙を流して喜んでいた状況だろうな。
「勇者様、申し訳ありませんが学園長の元に着くまで、このマントを羽織っていただけませんか?」
ミュルが申し訳なさそうに、おずおずとマントを差し出してきた。
シャムレイが彼女の背後に隠れてちらちらとこっち見ている。照れているようだが、洗浄勇者を語っている時の饒舌は何処にいった。
「す、姿を見られないように連れてきて欲しいと、言われていますので、す、すみません」
シャムレイが怯えた子猫に見えてきた。むしろ、子犬か。
またも状況がつかめないが従っておこう。たぶん、質問攻めにしたところでこの子たちも良くわかってないのだろう。学園長とやらに訊くのが手っ取り早く確実な手段な筈だ。
マントを肩にかけフードを目深に被った。このマント良い匂いがする。さすが女の子の着ていた……って変態か俺は。
「どうかしましたか?」
フードを被っているため自分の顔が見えないのだろう、覗きこんできたミュルの顔が近い。大きな瞳に自分の姿が映っている。
さすがにこの状況は照れる。そういや、かなりの年齢差とはいえ自分より年下の女性と交わした会話なんて、この数年殆どなかったな。清掃現場は年上の方ばかりなので、会話をする相手と言えば、管理人のおばちゃんや、パートで毎日清掃に来ている熟女の方々ばかり。十代の美少女と一緒という現状に慣れていないだけだ。決して特殊な嗜好の持ち主ではない。
「いや、えー、ああ、そうだ。君たちの格好って創魔学園? の制服なのかな」
取りあえず話題をふって、この状況から逃れよう。少し気になっていたのは事実だから不自然でもないはず。
「は、はい、そうで、す」
シャムレイは、ミュルの肩越しに半分だけ顔を覗かせ、恥ずかしそうにしている。やはり子犬だな。
「その制服、何処かで見たことがあるような」
初めて見た時にも思ったことなのだが、母校である中学校の制服に似ている気がする。
「気づかれましたか! この制服は虚構絵師様の戦闘服をモチーフに作られているのです」
嬉しそうにミュルがその場で一回転する。スカートの丈が短すぎる点や詳細は少し違うがベースはうちの制服と一緒だ。
今、スルーしそうになったが、虚構絵師って言ったよな。それって、妄想日記の挿絵を引き受けたアイツが自分をモチーフにして作ったキャラのことか。洗浄勇者の仲間として制作したのだっけ。なら、制服が似ているのにも納得だよ。
アイツもまさか異世界で自分の絵が具現化しているとは思わないだろう。もし、アイツがこっちの世界に来たら年甲斐もなく、はしゃぎそうだ。
「洗浄勇者様、少し楽しそうですね?」
知らないうちに口元に笑みを浮かべていたようだ。
「そうだね。少し気分が和らいだかな」
歩みを止めることなく会話を続けていたのだが、ようやく通路が終ろうとしていた。見るからに頑丈な年代を感じさせる両開きの鉄扉があり、シャムレイが扉の前で何かを呟くと自然に扉が開いた。
二人の少女に導かれるまま、目深に被ったフードに気を付けながら廊下を進む。時折、二人と同じ年齢と思われる、少年少女の声が聞こえるが、どうやら階下や屋外から響いてきているようだ。
何人かとすれ違い、二人が小声で何かを話しているようだが、俺は顔を見られないように俯いているので、相手の姿を確認することができない。
辛うじて見える足元の映像のみで判断するなら、地味な色のロングスカートか、ローブのようなものが見えるので、ここが学校であるなら先生、城や要塞なら職員や軍のお偉いさんという可能性もある。
誰も引き留めようとはしないようで、通り過ぎた後に背後から視線は感じるが、敵意があるようではないようだ。って、見えないのに何でそんな風に思ったのだろう。どうも、ゼフルーと名乗った汚生魔人と戦ってから、あらゆる感覚が鋭敏になっている気がする。
「ソウジ様。学園長はこちらにいらっしゃいます」
どうやら目的地に着いたようで、顔を上げるとそこには、木製でシンプルな造りの片開きの扉があった。扉には学園長と書かれたプレートが取り付けられている。
ミュルがドアノブに手を添え開くと、先に入るように促される。ここまで来て、躊躇う理由もないので、学園長の部屋へと足を踏み入れた。
清掃の仕事で、この絨毯を洗う依頼を受けたら緊張するだろうな。足裏から伝わってくる踏み心地だけで、この部屋に敷き詰められた絨毯の高級さがうかがえる。
部屋自体はさほど大きくもなくインテリアもシンプルで必要最低限の物しか揃っていない。だが、どの家具も年代と気品が感じられる。以前、元請けの手伝いで行ったことがある大企業の社長室に似ている。
その部屋の窓際に一人の男が座っている。顔だけで判断するなら四十代ぐらいだろうか。一見穏やかそうに見えるが、眼光の鋭さが半端ない。口元は微笑んではいるが目が一切笑っていない。
雰囲気が二木川さんに似ているな。性格まで似ていたらかなりの食わせ者なのだが、どうだろうか。
「よくぞ、いらっしゃいました。洗浄勇者ソウジ殿」
男は白髪交じりの髪を右手で軽く撫で、立ち上がると頭を下げた。
やはり、この男が学園長か。痩せ形で少し頼りなさそうに見えるが、第一印象だけで判断すると痛い目にあいそうだ。ここは地球ではない。汚生魔人といい自分の今まで培ってきた常識や憶測で決めつけないようにしよう。
「シャムレイ、ミュル、ご苦労だったね。勇者殿と話があるので、しばらく席を外してもらえるかな」
二人は顔を見合わせ何か呟いた後に学園長に向き直り、深々と頭を下げ部屋を出ていった。
「さて、勇者殿。私に訊きたいことがあるのでは」
余裕が感じられる落ち着きのある態度だな。もちろん、質問は幾つもある。
「まず、あれを召喚して翻訳したのはあんたか?」
この男には丁寧な口調で接しなくてもいいはずだ――予想が当たっているなら。
男がにやりと笑う。心底、楽しそうに見えるのは気のせいではなさそうだ。
「その通りです。おかげさまでベストセラー作家の仲間入りをさせて頂きました。勇者殿のおかげで印税生活をエンジョイさせていただいています」
やはり、こいつが妄想日記『黒の書』を広めた元凶か……軽く殺意が湧くがここは抑えこめ。もっと重要な質問がある。
「となると、何処まで俺の事を知っている」
回答により今後の方針が決まる。
「もちろん、全部知っていますよ」
笑みが消え失せ、鋭い眼光をぶつけてくる学園長がいた。
「あなたが普通の人だということも。あの書物が妄想を書き留めただけの日記だということも全て理解しています」
――知っているのか。それなら余計に疑問が募る。
「何故、俺を勇者に仕立て上げた? それに、日記に書いた力が何で使える? それにここは何処だ」
「やれやれ、勇者殿は質問の多いお方だ。どれから話しましょうか。まず、全ての始まりから語ることにしましょう」
肩をすくめ、頭を振ると、やれやれという身振り。舞台の役者がやりそうな大げさな演技にしか見えない。
「あの子たちが話したかもしれませんが、二百年前、私は勇者召喚を試みました。ですが、それは失敗に終わり……代わりに一冊の書物が現れたのです」
二百年前……見た目は四十代だが、この男二百歳以上なのか。これも、魔力や創魔が関係しているのだろうか。そこの疑問はまた今度にしておこう。
それにしても、やはり時間の流れが違うのか。俺がこの妄想日記を書いたのは約十年前。そこを、たずねたところで異世界なのだから、と言われてしまえばそれまでだな。
「それが、俺の日記だったと」
「はい。当時はそれが何なのかも理解できませんでした。ですが、その書物の材質が見たこともない素材だったので、何か貴重な物である可能性が高いと独自に調べ上げたのですよ」
目の前で大きくため息をつく。いちいち動作が大げさだ。
「その書物は手記風であったにも関わらず、何故か最後の方に小さい子供に向けたような言葉の書き方や意味、挿絵付きで説明のようなものまでありましたので、とてもありがたかったですよ」
ああ、俺とアイツが悪乗りして、これが異世界の人に読まれた時の為に、子供や外人に向けた日本語の参考本を元にして、作ったやつだなそれ。
そうか、それが役に立ったのか……余計な事をやってくれたな、過去の自分よ……。
「それでも、大変苦労しました。ただでさえ見たこともない言語の上に、同じ文字でも形が異なっていたり、言葉の流れに統一性がなかったりと、完全に解読するまで二十年の月日が流れたのです」
悪かったな、字が汚くて。
「それでも何とか解読を終えたときの失望感がわかりますか。途中までは伝説の勇者の手記で、勇者を召喚する手掛かりになると信じていたのですが、どうも内容が胡散臭いというか――はっきり言ってしまえば、ご都合主義過ぎたのです」
そりゃ中学生が書いた妄想だからな。辻褄や細かい設定って何ですか? といった内容だった気がする。
「挿絵も丁寧に描かれていたのですが、幼さと未熟さが見えました。それに、ノートの端や所々に『ここはもっとカッコよく』『敵が弱すぎる、もっと強さを強調すること』『ヒロインの可愛さが足りない』とのメモ書きがありましたからね……」
学園長が額に手を当て、大きく肩を落とした。その仕草だけは大げさに見えないのは、当時の苦労が本物だったからだろうか。勝手に期待して勝手に絶望しただけの話で、俺が悪いわけではないはずなのだが――申し訳ない気持ちになるな。
「もうね、わかります? 二十年分の苦労が徒労だったとわかった時の気持ちが」
なんか……ごめん。
「ですが、私はへこたれませんでした! 同時期に、この世界の魔法についてある仮説を立てていまして。こう見えて当時の私は、この世界でトップの魔法使いでしたからね。昼間は仕事をこなし夜は翻訳と魔力を上げる訓練と勉学に励む、天才でありながら努力も惜しまないというミスターパーフェクトマンでしたから」
完全に自慢話へと移行している。正直鬱陶しいが、そこをつっこむと話の脱線具合が悪化しそうなのでスルーしておこう。
自慢げに胸を逸らした状態で、ちら、ちらっとこちらを見ている。無視するのが正解だったようだな。