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歴史

 光が消え閉じていた瞼を開けると、そこは廃墟っぽかった。

 どうやら円形の部屋の中心部に立っているようだ。直径二十メートルぐらいか。清掃するとなると、石床だからワックスも必要なさそうだし家具も見当たらない。㎡はそれなりだが、ポリッシャーとバキュームがあれば一人でも充分いける。

 足元には光り輝く円と四角が混ざり合った図形に、無数のアルファベットの筆記体を焦って書いたような、全く読めない文字のようなものが書き込まれている。

 とても、魔方陣っぽいな。

 天井が異様に高く円錐状になっているようだ。窓は一つだけあるようだが、何故か板のようなものが打ち付けられている。

 足元の光のおかげで周囲が見えているのかと思っていたのだが、天井付近にぶら下がっている光る球が照らしてくれているようだ。

 さてと、問題はここからだ。目の前のフード女性が二人、フードの下の表情は見えないのだが、こっちをじっと見つめている視線のようなものを感じる。


「ええと、説明してもらっても?」


 俺の問いかけに、二人は目深に被っていたフードを外す。そこには、美少女と呼ぶに相応しい少女が二人いた。両方ともアイドルや女優したら大人気間違いなしだな。

 背の高い方は茶色の髪色で短髪。健康的に日焼けした褐色の肌に、目鼻立ちがくっきりした顔。瞳を輝かせ見るからに活発そうな顔をしている。

 もう一人は頭一つ分低く、白い透き通るような肌に、艶のある黒髪を背中に流している。顔に浮かぶ表情には感情が見られず、無表情と呼ぶに相応しい。

 何というか対照的な二人だ。陽と陰といった感じか。両方とも美少女であるのは確かだが。


「あ、はい、失礼しました! 洗浄勇者様、お初におめめにかかります!」


「ミュルちゃん、おめめじゃない。お目に」


「シャムレイ、こういう場面ではスルーするのが優しさでしょ!」


 なるほど、小柄な黒髪の方がシャムレイで、活発そうな茶髪がミュルというのか。二人とも見た感じ十五、六に見えるな。

 しかし、マントの下からチラチラ見える二人の格好が、日本の学生服としか思えないのだが。それもブレザーではなくセーラー服っぽい。うちの中学校で採用されていた制服に感じが似ている……結構スカートの丈が短いようだが、大丈夫なのかね。

 正直、学生服の上からマントを羽織った、魔女のコスプレをしている女学生にしか見えない。


「こほんっ、失礼しました。では改めて、洗浄勇者、ソウジ様。お会いできて光栄です。よくぞ、呼びかけに答えこの世界に参られた。心からの感謝を」


 待て、今この子なんて言った。俺の事をソウジと言ったよな。俺はこの世界に来てから一度たりともソウジだなんて名乗っていないぞ。

 まさか、ピンポイントで俺を狙って召喚したのか? ただの清掃員である俺を……いや、相手は洗浄勇者と言っているんだ。勘違いしているのは間違いない筈、だったら何故。


「この世界は三百年前に突如現れた汚生魔人により、窮地に陥っております。洗浄勇者であるソウジ様の力を是非お貸し願いたいのです!」


「ちょっ、ちょっと待ってくれるかな。申し訳ないが、俺は洗浄勇者なんてものじゃない。床野宗次という、ただの清掃員だ」


 期待させておいて心苦しいが、俺は勇者なんて大層な人間ではない。

 まともに会社も維持できなかった、情けないただの男だ。

 少し混乱している俺の言い分など聞こえていないかのように、ミュルと呼ばれた少女は話を続ける。


「はい、承知しております、床野宗次様。我が国は危機に瀕しています。もう百年も汚生魔人からの侵略を辛うじて防いでいる状態です。我々人類は二百年前にも一度、力あるもの召喚の儀式を行ったのですが……残念ながら力及ばず、一冊の書物を召喚したのみでした」


 そう言って差し出された一冊の書物を俺は手に取り、まじまじと見つめた。

 一冊の書物というか、これ……バインダーだよな。中に納まっているのもルーズリーフのようだ。これは日本と言うか地球にあるバインダーで間違いない。端に製造元のマークが付いているが、文房具で有名なメーカーのものだ。

 表紙には、マジックで書かれた掠れた文字が見える。黒……だけは読めるが、あとは消えかかっていて読むことができない。日本語で三文字のようだが。


「ちょっと待ってくれ。二百年前に召喚されたのは洗浄勇者なんだろ? このバインダー……書類は?」


 話が矛盾している。召喚されたのは洗浄勇者と呼ばれた男であって、こんな書類ではない。ゴルの言っていたことに間違いがないのであれば。


「この世界に広まっている話の事ですね。それは事実ではないのです。私たちもつい先日まで知らなかったのですが、学園長から真実を聞かされました。二百年前に召喚されたのは、この書物のみです。それを、まるで本当に勇者が召喚されたかのように話を創り上げ、今は勇者様が実際に存在したという説が世界中に浸透しています」


 つまり、誰かが情報を操作して架空の洗浄勇者をでっち上げたというわけか。


「詳しい説明は、その書物に目を通してから。学園長がそれを見れば、勇者様なら直ぐに理解すると仰っていましたので」


 もう一度手元のバインダーに視線を落す。

 やはり、表紙には黒という文字しか見えず、他の文字は掠れて……いや、削られたような跡があるな。目を凝らしてみるが、んー、次の文字は、の、か? 最後は漢字だな。これは読み取り不可能なレベルだ。しかし、二百年も経っているのにバインダーに古さを感じない。時間を止める創魔とかが掛かっているのかもしれないな。

 じゃあ、中を開くか――そこには日本語で『勇者ソウジの日記』と書かれていた。

 この文字が目に飛び込んできた瞬間、脳を鷲掴みにされ揺さぶられたような感覚に襲われる。

 胃液が一気にのど元まで逆流してきた。吐きそうだ……。

 動悸、息切れ、目まい、吐き気が一気に襲ってくる。何だこの不快感は。


「この文字に見覚えが……」


 暑くもないのに嫌な汗がダラダラと全身を流れ落ちる。嫌な予感が止まらない。さっきから脳内で警報が鳴り響いている。


 こ の 先 を 見 る ん じ ゃ な い


 心が叫び、魂が何かを拒絶しているのが理解できる。だが、震える手で次のページをめくってしまった。


『今日から日記を付けようと思う。でもこれは、普通の日記ではない。

 誰にも言えない、自分の秘密をここに書き留めておく。いつ命を落とすかもしれないからね。まずは自己紹介だ。僕の名は、床野 宗次。ごく平凡な中学二年生ということになっている。

 事実、この世界では出来るだけ目立たないように心がけているのだから、周囲からそう思われているのは当たり前だ。だが、実際はそうではない。

 いや、この世界では真実か。でも、本当の自分は違う。自分の能力を隠さなくていい、別の世界では』


 静かにバインダーを閉じる。ゆっくりと深呼吸をしてみる。首をぐりぐりと一回転して天を仰ぐ。

 この部屋天井高いなー。最近根を詰めて仕事していたから疲れているのかなー。

 目頭を押さえ、もう一度大きく深呼吸をしたのちに、もう一度バインダーを開く。


『僕はあらゆる異世界を渡り歩き、全ての世界を清浄へと導く勇者だ。

 誰がそう呼び始めたのかは知る由もないが、人は僕の事を尊敬と畏怖を込めてこう呼ぶ 、洗浄勇者と』


 ああ、うん、この作者知っている。


 俺だ。

 

 

 


 いやいやいやいやいや、ちょっと、ちょっと待て!

 何で中学生の頃に書いた覚えのある、妄想日記『黒の書』がここにあるんだ!?

 異世界を渡り歩いた清浄へ導く勇者って誰だよ! いや、俺だけど!

 おかしいだろ、ネーミングセンス! 当時中学生だったとしても、痛い、痛すぎる!

 完全に忘れていたけど、色々と思い出してきたぞ……。


 人の記憶はどれだけ些細な出来事であろうと、失われることは無い。忘れた記憶は、ただ心の奥底に眠っているだけ。そこ記憶に繋がる何かに触れた時、記憶が一気に蘇ることがあるらしい。

 どれだけ忘れ去ろうと努力し、心の奥底に封印していた記憶であろうと。


 ――って、冷静な振りをしても無理だあああっ!

 洗浄勇者という単語を聞いたとき胸に渦巻いた、表現しがたい気持ち悪さはこれだったのか……。

 しかし、どういうことだ、訳がわからない。何で中学生時代の痛い黒歴史の産物が異世界なんかにある?

 二百年前に召喚されたと言っていたが、これ書いたのは十年前ぐらいだぞ。

 地球とこっちでは時の流れが違うのか。と、ともかく、早急にこの『黒の書』を没収して闇に葬らねば。


「この日記は、確かに自分が書いた物のようですね」


 若干口調が棒読みで、頬が引きつっていた気もするが、極力動揺を表に現さずにすんだ。と思う。

 今は恥など捨て去り、バインダーを回収した後に焼却処分をすることが最優先事項だ。こんなもの人の目に触れさせていいものではない。

 というか、昔の自分を全力で殴りたい。


「やはり、勇者様でしたか! 貴方を一目見た時から間違いないと確信していました!」


 ミュルが目を輝かせ、感動のあまり今にも飛び跳ねそうな勢いで喜んでいる。隣では黒髪のシャムレイと呼ばれていた少女が優しい瞳で彼女を見つめていた。感情の薄い子かと思っていたのだが、そうでもないみたいだな。


「でも、よく洗浄勇者が俺だって見抜けたね。この作品の洗浄勇者はもっと若いし、あの小説に書かれていた表紙の主人公はもっと良い男だった。別人だとは思わなかったのかい?」


 そんな当たり前の疑問を口にしたのだが、何故か二人は小首を傾げ、眉根を寄せ不可解な表情をしている。


「何を仰っているのです? ソウジ様から漂う気品と、その聖装陽具を見れば一目瞭然じゃないですか。洗浄勇者の証である黒の作業服を見れば誰だってわかります」


 確かに、黒の作業服は勇者の色だからやめておけと、あの村の衛兵にも注意されたな。


「その者はけがれを防ぐ黒き衣を身にまとう。その衣には異次元へと繋がる幾つもの収納袋が存在し、勇者の手助けとなる道具が無数に詰め込まれている」


 シャムレイが、少し光悦とした表情で歌うように声を発した。

 黒き衣って、この黒の作業服のことだよな。幾つもの収納袋というのはポケットのことか。作業服だから上下に九つもポケットはあるが。


「額には強大すぎる魔力を封じた法具が巻き付けられ、その封印を解くことは叶わず」


 そういや、仕事中に汗が垂れてこないように額に白いタオル巻いたままだった。


「そして、洗浄勇者最強の武器であり最高の相棒である聖想陽具、ポリッシャーが何よりの証拠です!」


 突き出された人差し指は、俺の隣を指している。釣られてその方向に目をやると、そこには相棒のポリッシャーがある。

 お前もちゃんと、こっちに転移できたか。非現実的な状況で、手に馴染むこの感触が俺に冷静さを取り戻させてくれる。頼もしい存在だよ。


「これだけの証拠があれば間違いようがありません。それに口調や雰囲気も、洗浄勇者の冒険第一巻に書かれていた内容とそっくりです!」


 静かな子だと思っていたのだが、どうやら興奮するとテンションが上がるタイプのようだ。鼻息も荒く、顔が上気している。


「確かに間違いようがないで……ん、あっ!? 洗浄勇者の冒険!」


 そうだすっかり忘れていたが、この『黒の書』という名の妄想日記って――


「すみません、説明の途中でした! この書物を呼び出したその後、どうにか文章を解読し、その内容に感動した当時の創魔使いが、汚生魔の影響で心も体も疲労していた国民を勇気づけるために、勇者様の日記を我々の言葉で翻訳し、一般の人々も読めるような本にして売り出したのです!」


 あ、うん、知っている。ゴルから散々聞いたからさ……。


「それが、もう大ヒットしまして! この国で洗浄勇者様の名を知らぬものなど、何処にもいませんよ!」


 そうなんだ、へー。ということは、あれだよね。


「つまり、国中の人が俺の書いた、この日記(妄想)の内容を……知っているということだよね?」


「「はい!」」


 よっし、死ぬか!

 ぐ、ぐっ……ぐうおおおおおおおおおおおおおおっ!

 国中の人々が俺の痛い過去の汚点を把握しているって、どれだけ大掛かりな羞恥プレイだよっ! 夢だったという安易なオチでいいから、早く目覚めて!

 俺もう二十も半ば過ぎているのですけど! ほんと勘弁してくださいっ!

 そんなキラキラした純粋な目で俺を見ないで!

 今すぐ、この場から消え去りたい。いっそ誰か俺を殺して楽にしてくれないか!

 頭を抱え「現実に戻れ、戻れ」と願いを込め唱えながら、頭を何度も石床にぶつけてみたが、良い音がするのに痛みが殆どない。


 思春期に書いた普通の日記を見られただけでも、人は恥ずかしいと思うはずだ。それが夢見がちな中学生時代に書いた、本人でさえ二度と見たくないと脳内から完全消去しようとしていた妄想が、ふんだんに詰め込まれた日記だとしたら、どうだろう。死にたくもなる。

 この瞬間。頭の中でとても大切な何かが弾けた音が響き、頭の中に漂っていた靄が晴れた気がした。

 異世界にいるという事実。自分が洗浄勇者だと思われている事。そんなことがもう、どうでもよくなっている自分がここにいる。本当に単純に簡潔に今の心理状態を表現してみるとこの一言に尽きるだろう。


 終わった。


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