洗浄勇者の冒険
目が覚めると、そこは牢屋だった。
……訳がわからん。何で牢屋にいる? 意識を失ったのは覚えているが……良くあるパターンだと、汚生魔人を倒し用済みとなった勇者の強大な力に恐れ閉じ込められたとか。
ごそごそと布切れが擦れた音がして、目の端で何かが動いた気がする。
まあ、それはいい、続きを考えよう。他にありそうな話だと……魔力を使いすぎて能力が制御できなくなり、我を失い暴れているところを取り押さえられて、牢屋に放り込まれたなんてどうだろうか。
最低なストーリーだと、実はただの犯罪者が見た幻覚なんてオチなら死ねるな。目覚めが牢屋な時点で最悪だが。
仰向けで寝転んでいたのだが、ちょっと背中がむず痒かったので体を横に向けると、気持ち良さそうに眠っているゼフルーの幼い顔があった。
おう、意味がワカラナイデース。牢屋にゼフルーがいるのは理解できる。だが、そこに俺がいる理由が無いはずなのだが。さっきの適当な想像のどれかが実は正解なのか!
しかし、無防備な幸せそうな顔をしているな。よく見ると頬がぷにぷにしていて柔らかそうだ。突いてみたいな。
そんな邪な願望が相手に届いたのか、ゼフルーが小さく伸びをした。タイミング悪く目覚めたようだ。寝起きの焦点の定まっていない目と至近距離から見つめ合う。
ぼーっとした如何にも寝起きといった顔をしていたが、何度もまばたきをして少しずつ目が覚めてきたのだろう、眉間にしわを寄せこっちを凝視している。
「おはよう。良く眠れたかな?」
こういうシチュエーションでの定番の台詞を言ってみた。意味ありげな笑みも浮かべておく。
「おおおおっ」
顔が見る見るうちに真っ赤になっていく。こういう場面では自分の動揺は表に出さず、相手を恥ずかしがらせることにより、自分が落ち着くという技が有効だったりする。
「ええと、状況を説明してもらえると嬉しいのだけど」
「お、おはよう!」
至近距離からの大声が頭に響く。
「あ、あのだね、怪我した、あなたを、持って、運ばれたのデスヨ」
キミは何処の人だ。動揺しすぎて言葉遣いが片言になっているぞ。
「まずは落ち着いて。息を吸ってー吐いて―」
「すうー、はぁー」
素直に従ってくれている。そんなに無防備だとからかいたくなる。
「吸ってー吐いて―吸ってー吸ってー吸ってー」
「すうー、はぁー、すうーすうー、ごほごほごほっ」
こう簡単に引っかかってくれるとは、素直で純粋な子だ。
慌てて、むせて咳き込むゼフルーの背を撫でた。
「な、なにやらすんだよ! ぶっ殺すぞ」
「ごめん、ごめん。少しは落ち着いたかな」
「あ、うん」
照れてもじもじする姿が可愛らしい。娘をあやしている父親というのはこんな感じなのだろうか。父性が疼くな。
「ええとだな。気を失ったお前を安全な場所に連れて行こうと思ったのだけど、ここしか思い浮かばなくて、連れてきた」
自由の身になったというのに、わざわざ牢屋にとんぼ返りしたというのか。
ああ、そうか……ゼフルーが帰る場所はここだけ。こんな殺風景な牢屋が家代わりなんて悲惨過ぎる。後で住む場所を一緒に探してあげないと。
「そうか、ありがとう。あれから、どれくらい経ったかわかる?」
「ええと、丸二日かな。ずっと寝ていて起きないから心配したぞ!」
二日か、そこまで妄想日記に書いた通りなのか。
実はあの時に放った最終奥義にも無駄に設定が詰め込まれている。最終奥義ときいて、まず考えたのは協力無比な威力。だが、それを無条件に発動できるのは強すぎて面白くない。
そこで発動条件を付け加えることにした。
当時、かなり格闘マンガや格闘ゲームにはまっていたので、主人公が血を流し激痛に耐えながら大技を放つシチュエーションに憧れがあった。その設定を全て混ぜ合わせ、敵にのみダメージを与え、味方の傷を癒すという性能まで付け加えた。
つまり、あの最終奥義は敵を一掃できる威力でありながら、味方を癒す力もある。最終奥義と呼んで差支えない、戦闘バランスを考えない壊れた性能をしている。
ただし、先に述べた通り発動条件がある。
まず、残りの魔力量が最大値の四分の一以下であること。
詠唱が必要で、発動中は死んだ方がましな程度の激痛に襲われ血まみれになる。
足りない魔力を補うために生命力を魔力に変換する。……確か一回につき寿命十年だったか……こ、これはさすがに実装してないだろ。学園長も気を利かせて、そこの記述は避けてくれている筈だ。うん、そうだと思いたい!
あと、使用後は二日間眠り続ける。という呪いでもかかっていそうな設定の技だった。
あの頃の自分はどうかしていたに違いない。素直に強いだけの技を作ってくれていたなら、こんなに苦労せずに済んだものを。
あの技、絶対に二度と使わないと断言できる。寿命はともかく、痛みが尋常ではない。思い出しただけでも寒気がする痛みに、気を失わずに、よく耐えきれたものだと我ながら感心するぐらいだ。
「それより、体はもう大丈夫なのか?痛くないか?」
ゼフルーは気の使える優しい子になったな。むしろ、元々優しい子だったのが汚生魔人らしくあらねばと、無理して悪ぶっていただけなのかもしれない。
子ども扱いするなと怒られそうだが、無意識のうちにまたゼフルーの頭を撫でていた。今度は始めから何も言わず、目を閉じ黙っている。
「あー、洗浄勇者様、起きたのですね!」
「起きたら教えるって約束したのに……」
牢屋に不釣り合いな明るい声が反響する。ミュルとシャムレイの二人が牢屋に雪崩れ込んできた。
「お前ら、いたのか。今起きたとこなんだって」
「嘘だー。独り占めしようとしてたんじゃないのー」
「独占欲いくない」
いつの間に、この三人は仲良くなったのだろう。意識を失っていた二日の間に打ち解けたのか。若い子はちょっとしたきっかけで急に仲良くなったりするのが羨ましい。大人になると物事はそう単純じゃなくなるから。何にせよ、友達ができて良かったよゼフルー。
「勇者殿お目覚めですかー。お元気そうで何よりです。学生との不純異性行為は今回だけは見逃してあげましょう!」
黙れ。仮にも学園長だろ、お前。
あのにやけた笑顔。寝起きに嫌なものを見てしまった。
「最近は自由な校風が流行りですから」
無駄に大袈裟な動作で腕を広げ、決め顔をするな。
「校風はどうでもいいが、あの後どうなった?」
敵を壊滅したのはいいが、まだマースリンが残っている。ヤツが使役する汚生魔獣を倒しただけであって根源であるマースリンを倒さないことには、永遠に汚生魔獣を召喚され続けるだけだ。
「それがですね。諜報部隊に敵の本拠地であろう場所に潜入させたのですよ。あれ程の汚生魔獣を召喚して使役するだけでも大量の魔力を消費するはずですから、今なら隙を付けるのではないかと考えまして」
確かにそうだな。大型一体召喚し使役するだけでも魔力の消費は激しいという話だ。それが五体もいて更にあれ程の中型小型汚生魔獣も操るなんて、汚生魔人といえども魔力が尽きてもおかしくないはず。
「本拠地は予め目星をつけていたので、潜入は簡単にいきました。屋敷には本来なら汚生魔獣が徘徊していたのでしょうが、全て戦いへ参加していたので警備が手薄どころか、何もなかったそうです」
本当に全ての戦力を投入していたのか。
「そして、屋敷の中心部、大広間に汚生魔人の姿を発見したのですが……」
そこで一旦、話を区切った学園長が、眉をひそめて、大きくため息をついている。
「そこにあった一際豪華な椅子に力なく座っていたのです」
「よくそんな近くまで寄ることができたな」
汚生魔人相手にそこまで近づけるとは、よほど優秀な諜報員だったのか。
「いやまあ、簡単だったと思いますよ。既に亡くなっていたそうですから」
「死んで……いた?」
「はい、外傷もなく眠るように死んでいたそうです」
どういうことだ。引きこもりで外に出ることは無かったという話だったが、実は持病があって病状が悪化したとか。それとも別の要因があるのか。
この場にいる全員が同じことを考えたようだ。一番マースリンを知っているであろう人物に視線が集中する。
「ん? 見つめられてもな」
ゼフルーが頬を指で掻いている。いや、照れなくていいから。
「体が弱かったとか、急死するような原因に心当たりはない?」
俺の質問でようやく理解したようで、天井を見上げ頭をぐるぐる回し、唸っている。
「体が強くはないという説明を、嫌と言うほどゼリオロスから聞かされていた。体術は殆ど出来ない代わりに莫大な魔力の持ち主だったらしいし。あー、そういや、関係あるかわからないけど、あのとき戦った汚生魔獣がいつもより強かった気がする」
「もしかして、強化の術をかけたのかも知れませんな。限界まで召喚した汚生魔獣の制御に加え創魔による身体強化。それで体に負担がかかり、急死する羽目になった――なんていうのは出来過ぎですかねー」
どうだろう。死ぬことがわかった上で創魔を行使したのかもしれないな。
「実は素っ気ない態度を取っていながらも、それは素直になれないだけで、本当は夫を心から愛していて、命を懸けて仇を取ろうとした……なんて、ありえませんか!」
乙女な意見だ。目を輝かせ鼻息荒く言い切ったミュルは、意外とロマンチストなのか。
「ないない。ゼリオロスはぞっこんだったが、マースリンはいつも冷たくあしらっていたそうだぞ。酔っ払ったゼリオロスがよく愚痴っていたから。何で別れないのか不思議でならなかったよ」
夫婦の絆は当人たち以外、理解できないものだからね。
仲良く見える夫婦が結婚後すぐに離婚したり、いつも喧嘩ばかりしている夫婦が長持ちしたりするのは良くある話。
俺の両親も、親父が生きている頃はそんなに仲がいいように見えなかったが、死んでから母がかなり落ち込んでいて、兄と母の変わりように驚いたものだ。
案外、ミュルの意見は的を射ているのかも。
「何はともあれ、これで我が国を覆う脅威は消え去りました。勇者殿、貴方のおかげです。国民を代表して、改めてお礼を述べさせていただきます。本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる学園長を見て、シャムレイとミュルも同じように頭を下げた。
「頭を上げてくれ。この戦いは俺の為にもなったから」
――全て終わったのか。子供の頃、心に描いた夢物語が終わりを告げる。ぱっとしない人生を送っていた俺が、本人も忘れていた憧れの勇者になれたのだ。こんなに嬉しいことは無い。昼間やっていた清掃業は元の世界と変わらなかったけど、それでも素晴らしい日々を過ごさせてもらった。
お礼を言うのはこちらの方だよ。
「学園長今までありがとう。色々あったけど楽しい日々だったよ」
差し出した手を両手で強く握り返してきた。
「ミュル、シャムレイ。これからも二人仲良く、素敵な創魔使いになれることを願っているよ」
二人が胸に飛び込んできた。
「ソウさん。少しの間だけど、一緒に入れて嬉しかったです。また、会えますよね!」
「ずっと、ここに居てほしい。ここで暮らしたらいい」
涙目で見上げる二人が愛おしくなり、強く抱きしめた。
こんな短期間にこれ程まで懐いてくれるとは。今まで結婚願望は殆ど無かったのだが、この子たちを見ていると結婚して自分の娘を持つのもいいなと思わせてくれる。
「おい、お前、何処かに行くのか」
ゼフルーが今にも消え入りそうな声を出した。
「ああ、俺は異世界の勇者だからね。この国を救うために呼び出された。その目的が果たされた今、元の世界に帰るだけだよ」
「そんな……行くなよ! ここで住めばいいだろ! 私は、私は……」
ゼフルーは唇をかみしめ耐えようと頑張っていたが、こらえきれなかった涙が石床にポタポタと落ちる。
泣かないでゼフルー。可愛い顔が涙でぐしゃぐしゃじゃないか。汚生魔人であり普通の人では太刀打ちできないほどの力を持つゼフルーだから忘れそうになるが、この子は小さな女の子。愛情に飢えたまだ幼い子供なのだ。
だけど、大丈夫だよな。ミュルとシャムレイ、二人の友達もできたし、今回の活躍で罰を軽減してくれる筈だ。何なら俺の報酬代わりにそれを学園長に願い出てもいい。
しんみりとした空気になってしまった。最後は笑って別れるつもりだったのだが、失敗したな。俺もつられて涙目になってきたよ。
「勇者殿、勇者殿」
この空気をぶち壊す能天気な声で学園長が話しかけてくる。もう少しこの状況に浸っていたかったので無視していたのだが「勇者殿、勇者殿」としつこい。
「ああもう、なんだ」
「勇者殿は元の世界に戻られるので?」
「そりゃそうだろう。洗浄勇者の冒険でも語られていたよな。国を救った勇者は元の世界に帰る。俺の冒険はここで終わりだ」
全てが解決した今、もうここにいる理由はない。
少々、いや、かなり名残惜しいが、何も告げずにこの世界に来てしまい、心配している人たちも向こうにいる。何とか自分を誤魔化していたが、やはり帰れるなら帰るべきだと思う。
「どうやって、戻るのですか?」
おいおい、何を言っているんだ。その方法は本に載っているだろ?
学園長は耳元に口を近づけると、
「いえ、召喚方法は書かれていましたが、特に帰還方法の描写なかったですよね」
小声でとんでもないことを口にした。そういや、書いた覚えは無いな……。
「可能性としては、続編を出版して帰還方法の細かい描写を載せるか。もしくは――」
もしくは?
「依頼を完遂するかですね。本の中では、その国を平和へと導くと勇者は光に包まれて、元の世界に戻るという流れでしたから」
「平和になっただろ。汚生魔人も倒したし」
学園長は小首を傾げ、いぶかしげにこちらを見ている。
「いや、終わっていませんよ?」
さも当然のように言った。
「……え?」
「ですから、この国まだ完全に救われていませんし。依頼は完遂されていませんよ?」
何を馬鹿な事を。この国を狙っていた汚生魔人は三体で、ゼフルーはこうして味方になったし残りの二体は倒したじゃないか。
「確かに今この国を狙っていた汚生魔人は倒されましたが、それは一時的なものですからね。倒されたと知れば、本国から別の汚生魔人がやってくるに決まっています。近隣諸国の同盟国も戦況は芳しくないですから、助けに行かねばなりませんし」
言われてみれば、その通りだが――なら俺は、
「どうすれば終わりになる? あんたはどうして欲しいんだ」
「そんな決まりきったことを聞かないでくださいよ」
学園長は意地悪く笑い、この場にいる全員と顔を見合わせ頷いた。
「「「この世界を救ってほしいのです!」」」
ハッピーエンドを迎えたと思っていたのだが、どうやら、まだプロローグが終ったところだったようだ。妄想日記に続きがあるのなら、こんな風に書かれるのだろうか。
壮大な物語は今から幕を開ける。
遅れてきた勇者は、無駄に過ごした時間を取り戻す旅に出る。
夢を抱いていた過去の自分を仲間に。




