夫婦
「お見事でした、勇者殿」
学園長が傍らにそっと立ち、体を支えてくれている。
「何とか洗浄勇者としての責務は果たせたかな」
「もちろんですとも。貴方を選んで本当によかった……」
目の隅に輝くものが見えたが、黙っておこう。飄々(ひょうひょう)として掴みどころのない学園長が、ここまで感極まっている姿を見られる日がくるとはね。
そういや、学園長以外は誰一人として近くに寄って来ない。少し間をおいた距離を守っている。皆、突然現れた洗浄勇者に、どう対応していいのか戸惑っているようだ。
憧れの存在とはいえ、急すぎて本物の洗浄勇者がいる現状に頭も体も順応できてないのだろう。そりゃ、物語の人物が目の前に現れたらリアクションに困るよな。
よく見ると取り囲む人々の中に、いつもの四人の姿がある。
うわぁ、ルイスの目が光り輝いているよ。誇張ではなく本当に輝いて見える。今までの人生で経験がなかったが、これが尊敬の眼差しを向けられる感覚なのか。町中で汚生魔獣を倒した時も似たような反応があったが、今、周囲から注がれる視線はその時とは比べ物にならない程の、何というか……上手く言えないのだが想いの強さ? のようなものを感じる。
その隣に立つメッツがルイスの脇腹をつついているな。キーガは相変わらず何を考えているかわからない表情だ。少しだけ顔が赤く見えるのは柄にもなく興奮しているのだろうか。
意外なのがメイラだ。顔は地面の方を向いているのだが、ちら、ちらっとこっちを見ては慌てて目を伏せている。てっきり「うおおおっ、勇者様だー」とか言いながら突進してくるかと思っていた。
もしかして、照れているのだろうか?
戦闘後の疲労と周囲からの視線にさらされるという精神的プレッシャー……さすがに疲れる。早く宿舎に帰って何も考えずに眠りたい気分だ。
魔力を消耗するというのは、こういう感じなのか。マスクも外したいが、それも人気がない場所まで移動しないと駄目なわけで。どうにかして、この場を離れるしかない。
学園長に頼んで人払いをしてもらおうと顔を向けると――いきなり押し倒された。
全身に力が入らない俺は、学園長に覆い被される形で地面へと倒れ込む。
おい、まて、俺にそっちの趣味はないと言ったはずだ! 弱ったところを襲うとはっ!
疲れ果てている脳がとんでもない思考を始めたが、それは無論……間違いだった。さっきまで自分の頭があった位置を細長いガラスの板のようなものが通り過ぎ、地面に突き刺さる。
伏兵がいたのか!?
「大丈夫ですか勇者殿! まだ他に敵がいる! 周囲を調べろ!」
学園長の号令で清掃員や兵士が浮かれた表情を引き締め、一斉に動き出そうとした。
『その必要はないわ』
一羽の透き通った体をした――カラスを一回り大きくしたような鳥が舞い降りてきた。生物としてあり得ない体をしている。ガラス細工に生命が与えられたら、こうなるのではないだろうか。
怪しい生き物と俺の間にルイスたち四人と学園長が割って入り、俺をその背に隠している。本来ならそれは勇者の役目なのだが、まともに動くことすらできない今の俺は、ただの役立たずだ。
『まさか、あの人が倒されるとはね』
鳥の口から女性の声が響く。二十代とも三十代とも取れる声質。
ゼリオロスをあの人と呼ぶこの声は、状況から判断してマースリンで間違いないだろう。
『正直、自己中だし、ナルシストだから一緒にいて気持ち悪かったのよね。過保護すぎて鬱陶しかったし。それに信じられる? あの人潔癖症で服なんて同じデザインの物を毎日五回は着替えているのよ。おまけに異様なまでに束縛するから窮屈でしかたなかったわ。死んだら清々すると、ずっと思っていたのだけれど』
俺に対して恨み言の一つでも言うのかと思えば、奥さんが急に愚痴を言い始めた。こちらとしてもどういった反応を返せばよいのか戸惑う。
『でもね、あの人の最後を見て……妻として仇ぐらいはとってあげるべきかなって。今なら、自ら出向いて弱っている勇者を倒すのは容易なことだけど、やっぱり家を出るのは面倒だから、うちの可愛い汚生魔獣たちに頑張ってもらうわね』
本物の引きこもりかい! 手を上げてツッコミを入れたかったが、その余力もなければ、そういう雰囲気でもない。それに今は相手を刺激しない方がいいだろう。
今、襲われたらろくに体を動かせない俺には為す術がない。ゼリオロスより力は劣るとしても、汚生魔人の強さは底がしれない。ここにいる全員でかかっても勝てるかどうか。
となると、こちらにとってこの流れは幸運なのか。マースリンと直接戦うより、汚生魔獣を相手にした方がこちらに勝算はあるのではないか。
『じゃあ、今から号令だして、うちの子たち全てそっちに向かわすから。だいたい二時間ぐらいで着くかな。それじゃあ、お相手よろしくね』
透明の鳥は両羽を広げ、片方の羽を胸元に添え優雅に一礼した。そして、そのポーズのまま溶けて消えた。
まさかの連戦か。指一本動かすことさえ困難な今、俺は戦力にならないだろう。
だが、洗浄勇者として戦線に立つことに意味がある。それだけで仲間の士気が上がるのは間違いない。学園長が支えてくれている手を振り払おうと腕を上げようとしたのだが、その腕を力強く学園長が握りしめる。
「今は体を休めてください。我々は勇者殿が思う程、弱くはありませんよ」
そう言って、片目をつぶって見せた。
「ポリッシャー隊は敵が通るであろう、東側街道の閉鎖と陣の配置をお願いします!」
メイラを含む数名の若者が学園長の前で敬礼し、足早に去っていく。
「外回り担当は敵の動向と戦力を調べてきてください」
返事はなかったが、学園長を取り囲む人垣から何人かの気配が消える。
「下級生、中級生は町の住民を学園内に避難誘導。その後、学園内で待機」
「はい!」
元気のいい返事と共に慌ただしく立ち去る幾つもの足音。
「残りの兵士、上級生、清掃員は必要な物資の移動、手が足りない各所の手伝いをお願いします。最低一時間後には集合ポイントに集まること」
残りの人々が思い思いの方向に散っていく。
最後まで処刑台の上から動かなかったゼフルーは、その場に座り込んでいる。長年恨み憎んできた相手の消滅に感情が追い付かないのだろうか、無表情で前方を眺めている。
その姿は喜怒哀楽の全てを失ったかのようだ。
兵士に両脇を抱えられ運ばれていく姿は、糸の切れた操り人形のようだった。
ゼリオロスが消滅したことにより、ゼフルーは喜ぶのかと思っていたのだが、心中は複雑なようだ。今はまだ、心の整理が付いていないだけで、いずれ元気になってくれると信じたい。
その場に残っていたのは、学園長と自分だけかと思っていたのだが、髪を振り乱し駆け寄る二人の姿があった。
「ソウさん! 大丈夫ですか」
「元気出して……」
俺の元に飛び込んできたのは、シャムレイ、ミュルの二人だった。
今にも泣きそうな顔をしている二人に微笑んでみせる。顔にすら力が入らないので、上手く笑えているといいのだけど。
「二人とも、命令違反ですよ」
ハッとした表情になる二人。俺を心配するあまり、そのことが完全に頭から抜け落ちていたのだろう、顔を見合わせて肩をすくめている。
そこまでこの身を案じてくれるなんて、ありがとうシャムレイ、ミュル。
「まったく、罰として……勇者殿の付き添いをお願いしますね。無茶をしないように、創魔学園の保健室にでも縛り上げておいてください」
おい。そんな余裕はないだろ。休んでいる暇などないはずだ。戦場へいち早く向かって、体勢を整えないと。
「わかりました! 学園長のご命令とあらば、しっかりと見張っておきます」
「看病、看病」
二人が両脇に回り逃げられないように、しっかりと腕を組まれた。
ミュルもシャムレイも何処となく楽しそうに見えるのは、気のせいなのだろうか。
「い、いや、二人とも休んでいる時間は……」
「駄目です! ソウさんは疲れ切っているじゃないですか。ここは心を鬼にしてベッドに放り込みます!」
「無理、無駄、無謀」
「いや、あのね。確かに疲労困憊で動けない状態だけど、これは少し休憩すれば直ぐに治るか――」
「だったら、保健室で休憩してください。看病は任せてください!」
「回復系の創魔なら少しは使える」
話を聞いてくれません。何を言おうが頑として聞き入れない。それでも、なだめすかして説得してみたのだが徒労に終わった。
引っ張られ、歩みは遅いが創魔学園へ連れていかれていく。少女二人の力にすらまともに抵抗できない――こんな状態では足を引っ張るだけか。
学園長がそんな俺を見て、満面の笑みで手を振っている。
「わかったよ。一時間だけ休ませてもらうから。その代わり、一時間たったら絶対に起こすこと。いいね?」
結局折れた俺が出した妥協案への答えは、ほっと胸を撫で下ろし、二人の安心した笑顔だった。




