ゼリオロス
『開け』
その言葉とほぼ同時に闇が人々を押し潰した――ように見えただろう。ゼリオロスはその光景を疑いもしていなかったに違いない。自らが放った一撃による爆発に巻き込まれないよう、更に上空へ離れたのがその証拠だ。
だが、いつまでたっても爆発が起こらない現状を理解できているのだろうか。
闇が俺の頭上で停滞している。それだけではなく塊は徐々に小さくなっている。
完全に人々を覆い尽くしていた規模の闇が一回り二回りと小さくなり、更に加速度的に縮小されていく。そして、瞬く間に闇の塊は消滅した。
「な、なんだと……何が起こった! 人間よ何をした!」
遙か上空に居たはずのゼリオロスが地上付近まで下りてきている。目の前の光景が信じられないのだろうか。自分の目で確認しようと一気に下降してきたようだ。
汚生魔人の姿に周囲の人々は悲鳴すら上げる時間すら惜しいとばかりに、一斉に逃げ去る。人々が去った後には……俺がいるだけだ。
先ほどまでの優雅さは何処にもなく、取り乱し血走った目がこちらを睨み付ける。
その瞳は人々が集まる中心部にいるマスクを装着した俺と、隣に並んで置いてある四角い形のコレを凝視している。
「貴様か、それで何をした!」
わざわざ答えてやる義理は無いのだが、ここは教えてやろう。
状況の説明は、洗浄勇者である俺の義務のようなものだ。人々の理想を演じるならば。
「これは聖想陽具の一つ、バキュームだよ」
水でも砂利でも構わず吸い込む、業務用掃除機バキュームの上部をポンポンと軽く叩く。
「聖想陽具……聞いたことがあるぞ、暇つぶしに少しだけ読んだ、この国の馬鹿げた物語にあった――まさか、実在したのかっ!?」
すっと右手を上げ素早くその手を肩付近まで振り下ろし、そのまま横へ伸ばした。
「俺か――俺は洗浄勇者。世界を覆う汚れを洗い流し、清き世界へと導くものだ!」
こんなにも大勢の人前で、ポーズも決め台詞も完全再現してやったぞ!
これで文句はないよな、学園長!
戦隊ものに出ている役者さんとか声優さんを、今なら心から尊敬できそうだ!
羞恥心が限界を超え、頬と口元が痙攣しているのを自覚できるが、マスクがあって助かった。ありがとう、黒マスク!
「そうか、ゼフルーから届いていた、何かを召喚する準備がされていると書いてあった報告書は嘘ではなかったという事か。適当に読み飛ばすべきではなかったようだ」
納得してくれたようで何よりだが、お前が何を思い出そうが知ったことではない。
「貴様の創魔は俺には通じないぞ。このバキュームはどんな創魔も吸い取る聖想陽具だからな」
この説明は嘘ではないのだが、聖想陽具としてのバキュームの能力には制限がある。確かに強大な創魔を吸い込むことができる。ただし、その吸い込める容量には限界がある。能力を考えた中学時代に「あまりに強すぎる力は何か制限とかルール決めないと駄目だな。話がつまらなくなる」なんて無駄なこだわりを見せ、設定をつけたのだ……余計な事を。
そして、今現在バキュームの容量は限界ギリギリ。あと一回、軽めの創魔でも吸い込んだら容量オーバー間違いなし。実際の清掃で汚水を処分するように、中身を空にしなければ次を吸い込むことはできない。
「人間ごときが調子に乗るなよ。創魔を防いだところで、貴様一人倒すことなど容易い!」
地上に降り立ったゼリオロスが両手を胸の前で交差させた。伸ばした指を揃えた手から、闇の刃が伸びる。肘から闇の刃の先端まで一体化しているようだ。
目論見どおり強大な創魔を放ち一気に殲滅する気は無くなったようだな。とはいえ、膨大な魔力により身体能力が向上している汚生魔人と接近戦をするには分が悪い。
意識を集中し、視覚だけではなく全感覚を研ぎ澄まし、相手動きを注視していると、風上に立つゼリオロスの方向から、甘い香りが漂ってくる。
こいつ男のクセに香水をつけているのか。結構距離が離れているというのにこれだけ臭うなんて、香水つけすぎだろ。
鼻につく強烈な臭いを振り払うように頭を振った。あまりに臭すぎて集中力が乱れそうだ。大きく深呼吸をし、新鮮な空気を吸い込み、右肩のポケットからポリッシャーを呼び出し構える。
さて、次の手を打たせてもらおう。
パッドを回転させ右から左へと振る。その瞬間、青い網が半球状に周囲を取り囲んだ。
処刑を見学していた住民の数名が懐から青い球を出し、次々に地面へ叩きつけている。
俺の合図に呼応して、市民に扮していた清掃員の結界担当部隊と創魔学園の創魔使いが協力し、周りに結界を張った。
元々この場には一般市民など始めからいなかったのだ。この処刑場も学園長の演説も全ては、ゼフルーを囮にしてゼリオロスを誘き寄せる罠。
自意識過剰なゼリオロスなら身に来ると見込んで、大々的に市民へ通知した甲斐があったというものだ。
「小賢しい真似を、俺を逃がさぬつもりか。まあいい、貴様を倒した後、結界ごと周りの人間も吹き飛ばしてくれる」
結界など歯牙にもかけず、歩み寄る。
少し余裕を取り戻してきているか。集中しろ――相手の動作を見逃すな。一瞬の油断が死に繋がる。様子を見るなんて考えずに全開でいくぞ。まだ、相手から十歩は距離がある。あと二歩進んだら、こちらから仕掛ける。
……一歩、二っ、いない? 一瞬たりとも目は逸らしていない。だというのに目の前から姿が消えた。迷えば死ぬ! こういう状況での定番は、後ろか!
振り向いた眼前にゼリオロスの顔があった。その顔が邪悪に歪む。咄嗟に右レバーを握り、パッド部分から聖剤波を撒き散らした。
「チッ」
「くうぅっ!」
ゼリオロスは舌打ちを残し飛び退る――置き土産に左脇腹への一撃を置いていくとは律儀なヤツだ。聖想陽具である作業着の防御力に助けられ貫通はしていないが、それでも呼吸が止まり苦痛に顔が歪むほどの打撃。
「ふむ、少しだけ体が思うように動かないな。この結界、汚生魔人の力を減少させる効果でもあるのか?」
右腕を振り、肩を回し違和感がどれ程のものか確かめているようだ。
「まあ、この程度なら問題はあるまい」
汚生魔獣なら指先一つも動かせない強力な結界だという話はどうなった。相手の力が強すぎて効果があまり発揮されていないのか。
くそっ、ここまで策を練ってもまだ足りないのか。この戦いに加勢を頼もうにも力の差がありすぎて、遠距離攻撃で集中を削ぐ程度の攻撃しか望めない。それですら、反撃で一瞬にして肉塊に返られる姿しか想像できない。
破壊力は期待できるメイラたちポリッシャー隊が近づいて戦うには危険すぎる相手だ。
つまり、この場で戦えるのは俺一人というわけか。
「考え事は終わったかな?」
相手から目を逸らさずに集中していたにも関わらず、またも姿が消える。
ゼフルーの圧倒的なスピードやルイスのフェイント等とは違い、完全に姿が消えたとしか思えない。
何処だ! 目だけに頼らず全身から魔力を放出し、何処から敵がきても対応できるようにセンサーを巡らす。見える範囲に敵はいない。もし高速で動いているなら、音が聞こえるはずだ。だがその音すら聞こえない。
周囲を見回していると、何があったわけでもないのに全身から冷たい汗が噴き出してきた。見えも感じもしないが、本能に従い左前方に飛び込む!
さっきまでいた場所の地面が十字に切り裂かれていた。完全に勘で動いたのだが、どうやら正解だったようだ。動いていなければ今頃どうなっていたことやら。
「伊達や酔狂で洗浄勇者をやっていないようだな。本気でいったのだがまさか避けられるとは。威力を落として速度でも上げてみるか」
今でさえ目で捕らえることが不可能だというのに、更に速度が上がるというのか。声は聞こえるのだが、一切姿が見えない。
これは……高速で動いているというのは、ブラフじゃないのか? もしかして、単純に姿が見えなくなる創魔が存在してそれを使っているだけでは。それにしては、気配は消すことができるとしても、移動する音すら聞こえなくなるものだろうか。
どうすればいい。勘で避けるには限界だろう。何か前触れのようなものはないのか。空気の流れが変わるとか、汚生魔臭がするなんてことはない……ん? 臭い。え、そういえばさっきから、
「ぐあっ!」
鈍い音と衝撃が左脇腹から伝わってくる。考え事のせいで避けきれなかったか。
続けて、右肩、左足に痛みが走る。くそっ、第六感は完全に売り切れたか。相も変わらず姿は一切見えないので、どう避けていいかさっぱりわからん!
体の方は――かなり、やばいな。痛みが尋常じゃない。折れてはないと信じたいが、動くのに支障は……ありまくる。
衝撃で倒れそうになる体を支えるために、踏ん張った左足から脳天に衝撃が突き抜けた。
「おや、この攻撃にも耐えられるというのか。今の攻撃で、手足の一本はもげる算段だったのだが。ふむ、破壊力には自信があったのだが、それをも上回る防御力とは」
普通ならやられているさ。だが、作業服の防御力と――予め、全身に塗っておいたワックスが、攻撃を和らげてくれている。
勇者聖想陽具の一つ、ワックス缶。このワックスを塗ることにより、透明の被膜が全身を覆い、あらゆる攻撃のダメージを緩和させる。
ワックスにしろバキュームにしろ、聖想陽具の能力は実際の性能を参考にして作られている。ワックスの能力も床を被膜する効果からイメージしたものだ。
「がああっ」
体が半回転しそうになる勢いで、左肩に容赦のない追撃が加えられた。
遠慮も優しさもないやつだ。でも、俺は死んでいない。まだ、手も足も動く。
今の攻撃を食らって感じたのだが、さっきよりも威力が落ちている気がする……手を抜いているのか。いや、いたぶって楽しんでいるだけか。
反撃の対策どころか立っているのが精一杯だ。……もう、限界が近い。
「さて、次はどの部位がお好みかな? 片方の足は残しておかないと倒れてしまうからね。となると頭か。でも、それだと終わってしまって楽しめない。難しいところだ」
楽しそうだな、ゼリオロスさんよ。敵のとどめを刺さずに余裕を見せるなんて三流のすることだぞ。そういうのは俺の世界では負けフラグっていうのだよ!
――なんて格好をつけたいが、完全に手詰まりだ。せめて相手の姿が見えない理由が分かれば対策を練れるのだが。




