牢獄
あれから何度も塔の地下に投獄されているゼフルーに会いに行っている。
汚生魔人についての情報収集も兼ねているのだが、今は純粋に素直ではない彼女との会話を楽しんでいる気がする。
学園祭のお土産は「はっ、別にいらねえが食い物は悪くないからな」と文句を言いながらも全部綺麗に平らげてくれた。
あれから何度もゼフルーと面会し、言葉を交わし、打ち解けてきた彼女を見ていて思う。ずっと苦境に身を置き、信じられる者が誰もいない状況で過ごしてきた彼女は、愛情に飢えているのではないかと。
本人は今も敵として振舞おうとしているようだが、強気な態度も見下したような言動も、今では子供が背伸びをして無理をしている様にしか見えない。
面談も五回を超えると表情も和らいできて、相手から話しかけてくることも増えてきている。
扉の前でゼフルーに話しかけ、姿見えない状態で面会の許可を本人に取るときは、寝起きなのだろうか、物静かな声で丁寧な口調で返ってくることもあった。
最近は様々な側面も見えてきて、少しだけゼフルーという存在が理解できた気がする。
「あんた、洗浄勇者であることを隠しているって本当か?」
ベッドに腰掛けながら牢屋の鉄格子を挟み、俺を正面から見つめながらそんなことを切りだしてきた。
「そうだよ。正体を知っているのは、学園長と塔で一緒にいたミュルとシャムレイだけだね」
「じゃあ、俺がその事を暴露したらお前は困るんだな」
そう言うと、ゼフルーは口元を歪め邪悪な笑みを見せる。
だが、それは本心ではなく素直になれない悪戯心だとわかっているので、真面目に取り合うことは無い。
「うんうん、そうだね。でも、他にキミに会いに来る人はいないから、ばらされる心配はないような」
「はっ、そういえばそうかっ……」
そこまで考えていなかったようで、腕を組み他に何か話題は無いかと考えているように見える。
何度か会話を交わし、性格がある程度掴めてきたのだが、彼女は同族や人との接点が殆どなかったので自分から話題を振ることが苦手のようだ。
世間が狭く、この学園に入り込んだ当初もかなり苦労したらしい。
「しかし、この学園によく忍び込めたよね」
「ここは、創魔の実力があり試験さえ通れば、身元はあまり重要視されないからな。魔力は人並み外れている私なら、何も問題はない!」
おー自慢げに胸を張っている。小柄で幼く見えるゼフルーなので、そんな仕草も背伸びしている可愛い子供にしか見えない。
「入学してからまだ一か月だったかな?」
「うむ、そうだな。ここではフルーゼと名乗り大人しい内気な少女を演じていた。無口で照れ屋を演じるのは結構苦労したぞ」
いや、それはある意味、彼女の地ではないかと思っている。こうやって、上から目線で高圧的に話したりもするが、全く知らない人を相手と対等な立場で話す場合、おどおどするタイプと見ている。
「あ、読みたがっていた新説・洗浄勇者の冒険の新刊持ってきたよ」
「おおっ! サンキューなっ!」
格子の隙間から本を差し入れると、かなり楽しみにしていたのだろう、本を奪い取ると瞳を輝かせながら、ページをめくり始めた。
よく見ると牢獄の床が小説や差し入れのゴミで埋まってきている。
牢屋の格子から手を出せば、捨てられるゴミ箱が備え付けられているというのに、全く利用していない。
布団のシーツや枕カバーはちゃんと交換しているようだが、床の汚れ具合が非常に気になる。清掃員として我慢できないレベルで、床が汚れている。
「んー、ゼフルーちょっといいかな」
「なんだー」
本から目を逸らさず、気のない返事が戻ってきた。
「牢屋の中、掃除していいかい?」
「ああいいぞ……ええええっ、て無理だろ! 牢屋の鍵締まっているんだぞ」
確かに、牢屋には強固な鍵が取りつけられていて、相当な怪力であろうが抜け出すことが不可能な造りをしている。
「まあ、鍵持っているからね」
作業服胸元のポケットから、タグの付いた牢屋の鍵を取り出す。
ちなみに学園長からの許可をもらって借りている鍵だ。
「いや、おまえ、牢屋の鍵開けて入るつもりか? 馬鹿なのか? 俺は敵で汚生魔人だぞ? 牢屋の鍵が空いたら逃げると思わないのか?」
矢継ぎ早に質問が投げつけられてくる。自分から逃げる可能性を示唆してくる相手が、逃げるとは思えないんだけどな。
「大丈夫だよ。ここはもう一つ入り口の扉があるだろ。あの扉は想具になっていて、契約した者しか開けられない仕組みになっているからね。それに地下は創魔が扱えないし、魔力も封印されている身体能力も低い状態で何をするというのかな?」
そう言うと、ゼフルーは拗ねたように頬を膨らませ、こっちを睨んできた。
「じゃあ、清掃するから牢屋から出た出た」
あっさりと鍵を外し、鉄格子を開け放った俺と牢屋の中を交互に見比べ、おずおずと牢屋の外へと足を踏み出した。と言っても、扉に外に行けるわけでもなく、面談する相手がいつもいる何もないスペースに移動しただけなのだが。
それでも、やはり格子に囲まれているより開放感があるようで、うろうろと辺りを歩き回っている。その姿を横目で確認しながら作業服右肩のポケットに左手を添える。
『開け』
何もない空間に突如現れた、相棒であるポリッシャーのハンドルを握り締め、パッド部分を地面へと下ろす。
「おい、何でそれが取り出せるんだ? ここは魔法が使えない筈だろ」
「ああ、これ? 学園長に地下の設定を変えてもらって、俺だけは使えるようになっているんだよ」
だからこそ鍵も渡され、開ける権限もあるのだが。
「あとは『開け』バキュームも出しておこう」
今度は左脇腹のポケットに手を当て、バキュームも予め召喚しておく。
業務用掃除機であるバキュームは砂利も汚水も吸い込める優れもので、ポリッシャーで床を洗う場合、洗剤を含んだ水を吹き出し洗浄するのでどうしても汚水が出てしまう。
なのでポリッシャー使用するときは、汚水を吸い込むバキュームは必須となる。
「お、それって小説出てきたバキュームか! すげえな本物初めて見たぜ」
この牢獄に閉じ込められてから、娯楽は小説ぐらいしかないので洗浄勇者関連の小説を読み漁ったらしく、立派な洗浄勇者マニアが出来上がってしまった。
ちなみにこのバキューム、ポリッシャーと同じく聖想陽具と化しているので、普通の清掃機器としての能力も上がっている。それだけではなく、戦いに使える特殊能力も備わっている。バキュームの基本能力から創造した力なのだが――使う機会があるのだろうか。
「なあ、なあ、そのバキューム動かしていいか?」
「いいよ。じゃあ手伝って貰おうかな」
そんな風に目を輝かせて言われたら、嫌とは言えないよ。
あれからゼフルーは興味深げに、そして楽しそうに掃除をしている。
まず二人で床に散らばったゴミを拾いまとめ、次にベッドや机など動かせる家具を、全て牢屋の外に出した。
「先にポリッシャーで洗うから、その後、隅の方をその掻き取りで集めてから、バキュームで吸ってくれるかな」
掻き取りというのは、ドライワイパーや汚水取り、水切りとも呼ばれている清掃用具で、モップの先端が汚水をかき集めるのに適したゴム製のパーツが付いている。
わかりやすく例えるなら……野球でグランドをならすのに使われるトンボを小型化し、地面に接する部分にゴムを取りつけた感じだろうか。
「お、おう、こんな感じかな」
おっかなびっくりといった感じで、隅の方の汚水を掻き集めると、何故か少し怯えた感じでこちらを見上げている。
「お、上手くできているね。じゃあ、あとはバキュームで吸ってくれるかな」
「うんっ!」
少し不安そうにしていた顔をほころばせ、嬉しそうに笑い、鼻歌交じりにバキュームを動かし始めた。
あの反応……今まで苦労してきた人生で、自分の行いをまともに褒められた経験が少ない……もしくは、全くないのかもしれない。
本当に楽しそうに掃除をしている。幸の薄い人生を歩んできた彼女――ゼフルーを何とかしてやれないだろうか。
初めは少しの憐れみだった。それは否定しない。
だが今は、心底彼女を救いたいと考えている。今までの面談で彼女から聞き出した情報によると、今まで人を殺したことが一度もないそうだ。
それは汚生魔人としては未熟者と馬鹿にされることらしいが、虐待の日々を過ごしてきたゼフルーは、弱い物を蹂躙し殺すという行為に抵抗があるらしい。
「ゼフルーは何かしたいことはないかい?」
「んー、別にないぞ。今、幸せだしな」
「えっ」
屈託のない笑顔で、この状況を幸せと言い放った。その言葉に俺は絶句してしまった。
牢屋に閉じ込められて、何もすることが無い牢獄での生活をゼフルーは楽しいと言ったのだ。
「ゼフルー何とかここから解放されるように持ちかけてみるよ」
「お前さ、ほんとお人好しだな。だけど……いいって。俺は汚生魔人だ。人間に嫌われる存在で、汚生魔人の中にも戻れない半端者。もう、人生は終わったようなもんだから」
強がってそんなことを言っているゼフルーの頭に手を置き、ゆっくりと何度も撫でた。
手が頭に触れた瞬間、体を上下に揺らし身を縮ませたゼフルーだったが、怒られるのではないことを知ると目を細め、されるがまま身をゆだねている。
それ以上何も言わなかったが、決心は揺るぎないものへと変化した。
周囲が納得しなくても、俺が活躍すれば発言力も増すだろう。それに、いざとなれば洗浄勇者として説得するという手も使える。
これからも洗浄勇者として汚生魔獣を倒し、最終的に汚生魔人であるゼリオロスとマースリンから国を守り打ち倒せば、彼女への温情を得ることぐらいは可能な筈だ。
そう俺は――この時、何の根拠もなく信じていた。この望んだ未来が現実になることを。




