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8.覚悟しろ、もう遠慮はしない


 風で雲が流され、すっかり晴れた星空。

 燦々と瞬く星々は淡い星灯りで私たちを照らしている。

「言いたくないのに教えてくれてありがとう。なんでこんなこと聞いたのかっていうとね」

 アンリが例の人物だと把捉した私は、話の本腰に移ることにした。

 帰るのか、帰らないのか、諦めさせるのか、受け入れるのか。先の事はまだ分からないが、まず私たちは話し合わなければならない。

 ここでなあなあにしてしまえば、確実に一つの機会を逃すであろう。

(……何から言ったらいいんだろ)

 事のあらましをいかに伝えれば良いか逡巡したが、とりあえず一番重要なものを出してみる。

「えーっと。私、明日日本に帰ることになってたけど、帰れなくなっちゃったの。神様が──主神ゼファーダイン様がね、私を故郷に戻すのやめたんだって」

 なんだか飄々とした口調になってしまったけど、決して軽い内容ではない。非常に重大である。私の帰還はこちらに来た当初──六ヶ月前から決まっていたことなのだから。

「……は?」

 目つきの悪い三白眼を瞠り、アンリは口を半開きにした。星の光が差し込んだ鋭い双眸は、いつもより瞳の色を増している。へそ曲がりにはもったいないくらい、透き通った青の瞳。

「最初っから言うと、一週間前の第五聖堂。そこであんたが私に帰って欲しくないって祈ったか思ったかして、それが強かったもんだから愛の女神のアルディナ様に届いて、アルディナ様はあんたの思いを叶えてあげようとしたんだって」

 声振りこそさっぱりとしているが、私は緊張していた。

 今夜、この場で、何かが動く。何かが変わる。良くも悪くも、私とアンリに変転が訪れるのだ。

 私たちは「選択」しなければならない。

 アンリは私の話を聞いて、引き止めてくるのだろうか、それとも諦めるのだろうか。

 もしもアンリに引き止められたら、私は留まるのだろうか、それとも振り切るのだろうか。

「でも、私の送還はゼファーダイン様がずっと前に決めてた事だから、アルディナ様だけではどうにもならなくって──アルディナ様はゼファーダイン様に頼んだんだって。そしたら、ゼファーダイン様がコロッと心変わりしたわけよ。で、今回の送還がナシになって、私は明日帰れなくなった、って感じ。あ、ゼファーダイン様ってアルディナ様に弱いらしいよ。神様も娘のお願いには甘いんだねー」

「だって」とか「らしい」とか、曖昧な語尾が目立つのはいたしかたない。これらは全てポチから聞いたことで、私は神々のやり取りを直接見たわけではなかった。自分の事を話しているはずなのに、何やら噂話をしている感覚だ。

「……なんの冗談だよ」

 口を真一文字に結び、瞠目していたアンリが掠れた声を出す。

(そうだね、私も初めポチから聞いた時は同じ感想を持ったよ)

 ──だけど。

「冗談じゃないよ。私はこの話をポチから聞いた。ポチがこんな嘘をつくと思う?」

 これは冗談でも悪ふざけでもない。

 間髪いれず、きっぱり「事実」だと断言する。耳介を打った自分の声音が真剣なものになっていた。

「全部本当。明日の送還の儀は失敗するんだ。失敗っていうか……まあ、そこはいいか。とにかく、私は明日、日本に帰れないの」

 涼やかな風が静かにそよぐ。

 ガゼボには私とアンリの二人だけ。お互いが口を閉ざし、静寂が世界を支配したかのようだった。

 黙ったままじっとこちらに視線を向けているアンリを見つめ返していると、薄い唇がゆっくりと動く。毒が出るか鬼が出るか、アンリはどう反応するのだろう。

「……お前、元の世界に帰れなくなったわけ?」

(──あれ?)

 妙な違和感が生じる。

 私の知るアンリは、へそ曲がりで、無愛想で、いつも強気で、態度が悪くて──根は良い癖に、どうしようもないくらい横柄な奴だった。

 それなのに、今私の目の前いる人間は、ひどく弱々しい空気を纏っていて。

(もしかして、自分のせいだと思ってる? 罪悪感が芽生えちゃってるとか?)

「いや、あの、まあ帰れなくなったんだけど、別にアンリのせいじゃ」

 混迷しつつもアンリを庇う。確かに私の帰郷がおじゃんになったのはアンリの思いが原因だが、それを糾弾しようという気はない。私自身、日本に帰るべきか否か迷っているのだから。

「今の話聞く限り俺のせいだろ」

 頬杖をといたアンリは、渋い顔をしていて。

「や、アンリのせいというかなんというか、でも責めてるつもりはないからね」

 言い終わらないうちにアンリはゆらりと立ち上がる。眉間に皺を寄せ、痛々しいほどに唇を噛み締め、私に背を向けようとした。

「ちょっとアンリ、どこ行くの」

 慌てて聞けば、「第五聖堂」と短い答えが返ってきた。

「はあ? なんで──」

「お前が帰れるように女神に祈ってくる」

「えっ何それ! ちょっ、待ちなさいってば!」

(んもー! なんでこいつは毎回毎回一方的なの!?)

 自分を責めてか、アンリは私が明日日本に帰れるよう祈りに行くと言う。

 私はすくっと立ち上がり、一人で突っ走り気味なアンリの服の裾を掴んで引き止める。アンリは私の手を振り払いはしなかったが、「離せよ」と荒立った声をあげた。

「なんであんたは毎回毎回一方的なの!? 私の話聞いてた? そりゃ自分のせいって思うかもしれないけど、私はあんたを責めるつもりで言ったんじゃないの!」

 上等な生地に皺がつくのもかまわず、私は裾を握る手に力を入れた。絶対に行かせるものか。私の話、ちゃんと聞け!

「だいたい、『帰れるように』とか言うけど、私がいつ日本に帰りたいって言った? そんなこと一言も言ってないでしょーが!」

 鋭い瞳が訝しげな視線を送ってきている。私はそれを真っ向から受けた。

(どうしたらいいのか分かんないのに、本気で日本に戻りたいのか分かんないのに)

 帰りたいのか、帰りたくないのか、迷う心が澱んで蠢く。

「……元々帰んなきゃいけないって決まってたからそのつもりでいたけど、いざ帰れなくなってみて、自分がどうしたいのか分からなくなったの」

 口から漏れた声は少し力が抜けていた。ああ、今日は感情が高ぶってばっかりだ。思いのほかエネルギーを消費していたのかもしれない。

「思えば、自分のことなのに神様任せにしてたんだよね。だからこうなってみて良かったのかも。これからどこで生きるのか自分でよーく考えるキッカケになったから」

 微動だにしないアンリへ、私の内側に渦巻く思いを伝えていく。ポチ以外にここまで話すのはアンリが初めてだ。

「私は今後の生き場所を考えないといけない。すごく大事なことだからすぐには答えが出ないかもしれないけど」

 一旦言葉を切ってアンリの青い瞳を見上げる。そうだ。こいつ、私のことが好きなんだ。しかも私は不本意ながらもこいつに抱きしめられてキスまでされてしまっている。

 間近に迫ったアンリの顔。首元と指の付け根を優しく撫でた繊細かつ雄々しい指先。押し当てられた柔らかい唇。私を捕らえた硬い胸板。それらが鮮明に蘇る。

 考えたり会話したりするのに必死で失念しかけていたが、アンリは私に惚れているのである。急展開過ぎてあまり実感はないものの、意識すると急に恥ずかしくなってきた。

「え、ええと……それで、生き場所を考えるうえで私に帰って欲しくないって祈った人ともちゃんと話をしたいって思ってたの。神様に思いが届くくらい好きになってもらったのはちょっと嬉しかったし」

 頬に熱が昇る。今が夜で良かった。星の灯りがあるとはいえ、闇は濃い。頬の色までは見えないだろう。

 アンリは仏頂面のまま静止している。もう第五聖堂へ独走することはなさそうだ。

(こ、これからどうしよう。私の言いたいことは言ったし……)

 アンリの出方は分からないが、もしも告白されたら(へそ曲がりが告白してくるとは思えないけど)しばらく考えさせてもらおう。即答はできない。

 涼やかな風が一陣吹き、はたと自分がアンリの服の袖をしっかり握ったままであることに気付く。

 みるみる気恥かしくなり、パッと手を離す。目的を失った私の手は星の重力に従い緩やかに下へおりていった。──しかしそれは途中で阻まれた。

「!」

 男にしては細い、けれどガッシリとしている手が私の手首を掴む。

「アンリ」

 驚いて名を呼べば、アンリは眉間の皺をこれでもかというほど濃くし、ゆっくりと口を開いた。

「お前、自分が何言ってるか分かってんの?」

 低く刺々しい声に一瞬戸惑う。アンリが何を言わんとしているのか分からない。

「どういうこと? 私なんか変なこと言った? そりゃまあ、信じられないような話したとは思うけど……全部本当、本気、マジなんだからね」

 ムッとして聞き返すと、手首を握る力が強くなった。ぐい、と引っ張られ、咄嗟に抵抗する。

「な、何? 何してんのスケベ、やめてよっ」

 四肢を踏ん張り力に逆らう。ここで力を抜くとたちまち捕まってしまうような気がした。

「おわっ」

 グンと体が傾く。勢いをつけて思いっきり引っ張られ、歴然とした腕力の差もあり私は呆気なくアンリの胸元に捕えられてしまった。細身のくせに鍛えてんなこいつ。

「ア、アンリ! ちょ、嫌、やめてってば!」

 腕を掴んで引き離そうとしても、腰や胸板を押して引き離そうとしてもアンリはびくともしない。かといって私も大人しくなるようなタマではなく、ジタバタ身じろぎをして精一杯の抵抗を試みていた。

 そんな私の頭に頬をくっつけ、アンリは「うるせー」と呟く。至近距離から降ってきた吐息に心臓がどくんと跳ねた。

「お前、覚悟しろよ」

 ギュウと抱きしめられ、熱を帯びた不遜な言葉を浴びせられる。

「はあ!? 何覚悟って!」

 焦り、慌て、恥じらい、喚くように声を出すことしかできない自分が情けない。青春真っ盛りの高校時代はとうに過ぎたというのに、こんな、ちょっとした色恋沙汰で取り乱すなんて。

 私の問いには答えもせず、腕の力を増すアンリ。完全に捕縛されてしまった。

「そういうことなら、諦めんの止めた」

 耳に近い場所で呻くように呟かれ、ぞわぞわする。なんだか、アンリの声がどんどん色っぽくなっていっている気がした。

「そういうことなら」って──私が「日本に戻りたいのか分からなくなった」「生き場所を考えたい」「祈った人とも話し合いたい」とか言ったからだろうか。あ、これってもしかしてもしかしなくともアンリにチャンスを与えたようなもんじゃ。

 脳が警鐘を鳴らし、喉の奥がヒヤリとする。本能的な危機感を覚え懸命に体を離そうとするが、アンリは少しも力を緩めてくれない。

「ア、アンリ! 落ち着いて。落ち着いて、うん。話し合おう」

 ペシペシと私を捕まえている腕を叩くと、「クッ」と低い笑いが奴の口から漏れた。

(耳に息がー!)

 ぞわぞわぞわぞわ。思わず身震いしそうになる。

「俺、もう我慢しねーから」

「うぐっ」

 これでもか! というほどに抱き締められ、カエルの潰れたような声が息と一緒に出てきた。内蔵が苦しんでますよアンリさん!

「アンリ、苦しい、苦しい!」

 可愛げの欠片もないしゃがれ声を出しながら必死にもがく。呼吸が絶え絶えになった頃、ようやくアンリは腕の力を抜いてくれた。……私が逃げられない程の力は残っているが。憎らしい。

 息を整えつつ、文句の一つ二つでも言ってやろうと思っていると、背中と腰に回されている手がゆっくりと動き出した。薄い寝間着越しに伝わってくる感触は、やけに情欲的で。

「ぎゃっ、やらしいアンリ! ちょ、やめてよ」

 手のひら全体で、時に指先で。肩甲骨をなぞられたり、背筋を下から上に擦られたり──手つきがひどくいやらしい。こいつ、絶対下心持ってる。……そりゃそうか、私のこと、好きなんだもんな。

 だがしかし。されるがままというのは我慢ならん。アンリの気持ちは分かったが、それに答えるだけの感情は私にない。

「いーや!」

 喰われてなるものかと若干ヒヤヒヤしていた私は、思っきりアンリの腕を抓ってやった。アンリは「った」と痛そうな声を出し、背を這う手の動きを止めた。

「あ?」

 不満気な口ぶりのアンリ。ダメだ、開き直ってるわこいつ。

「あ? じゃないでしょうが! あんたが私の事好きなのは分かったけど、私はそうじゃないっていうか返事したワケでもないっていうか」

 恥ずかしさを抑え、アンリを睨むように見上げる。

「ちょっと、考えさせてくれない?」

 あんたの気持ちは十分分かりました。でもね、私は「恋愛」という意味合いであんたのことを好きでも嫌いでもないんです。とりあえず状況整理もしたいし、今日の所はここらで解散しませんか。

 仏頂面の三白眼をじーっと見つめ、「さあ、離せ」と目で訴える。

「……うるせー」

 しかし、目の前の男は離れるどころかどんどん顔を近付けてきた。

(ぎやああああああああああああああああ!)

「アンリ、だめ。だめだめだめだめ、節度を持って!」

 マジでヤバイと感じた私は、降ってくる唇を阻止しようと両手でアンリの顔を押さえつけた。奴が痛かろうが顔が歪もうが気にしていられない。私は全力を出した。

「いーやー! やーめーてー!」

 アンリもアンリで躍起になっており、私の手首を荒々しく掴んで自身の顔から引き剥がす。青い三白眼がギラギラと眼光を放っていた。さながら獣だ。喰われる。

「アンリ、深呼吸深呼吸! 落ち着いて落ち着いて」

 私の両手は制された。だが、それはこいつも同じこと。アンリは私の両手を封じるために己の両手を使っている。

「力づくでそんなことするなんて、男の風上にも置けない! 最低、ひどい! スケベー!」

 説得しようとしたり、罵ったりと、私は始終ぎゃあぎゃあ喚いた。見張りをしている神殿騎士の誰か、助けに来てくれー!

 私より力の強いアンリにじりじり押され、私のお尻にガゼボの柵が当たる。これ以上後退することはできない。……追い詰められた。

「アンリ、アンリ! 返事はまた後でするから、とりあえず今日はもう帰ろう? 夜も遅いしね!」

 ぐぐぐぐぐぐぐ……。話す間も攻防戦は続く。やがてやっと諦めたのか、アンリの手から徐々に力がなくなっていった。

 私もほっとして、体の筋肉を弛緩させる。──それが命取りになった。

「!」

 突然ぐいっと引っ張られ、あっという間に至近距離に逆戻り。咄嗟に顔だけは背けたが、代わりに頬が犠牲になった。

「……避けんな、バーカ」

 頬から離れた唇が不服を漏らす。その声音はいつもの如くつっけんどんなのに、どこか甘い。

「避けるわよ、馬鹿!」

 あらん限りに首を反らし、正面を向かないようにして言い返す私。

「おわっ、ちょっ、ちょっと」

 熱い吐息を頬が感じ、柔らかな唇がそれに続く。場所を変えて何度も何度も行われる頬への口づけに、私は情けない声で牽制の言葉をかけることしかできず。

 次第に音を立てて大胆になってゆくアンリの唇は頬だけでは飽き足らないようで、耳や顎、首筋など、届く範囲を狙い始めた。

「や、やめ、んっ、……っアンリ! それ以上したら絶交する! 日本に帰る!」

 喉から際どい声を出しながらも、私ははっきりとアンリに告げた。アンリは徐ろに動きを止め、不敵に「クッ」と笑う。いやあ、楽しそうですね。ふざけんな!

「絶交とか、関係ねーし」

 ようやっと私から体を離したアンリは、面白そうに口を歪め私を見下ろしている。そんな奴をキッと睨み、逃げる体勢をとった私に向かい、アンリがすっと口を開いた。

「それに」

 薄い唇が綺麗な弧を描く。

「言っただろ。追いかけてきたら返さねーって」

 獲物を狙う、獣の眼。有無を言わさぬ絶対的な口調。

 どうやら私は、とんでもない奴に好かれてしまったらしい。


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