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6.見送れる自信などあるはずもなく


 大神官のお付きや、神殿の料理長、庭師、小間使いの長、神官たち──様々な人が声をかけてくれ、私はそれぞれに別れの挨拶をした。とはいっても、状況が変わらなければ帰れないので、表面だけのものになるが。

 これまで世話になった事への謝意も伝え、いろんな人と飲んで、食べて、笑って……私はとても満たされていた。口元はニヤケっぱなし、ちょっとした言葉でも嬉しさが溢れ、話す人話す人一人ひとりが愛おしい。胸がいっぱいとは、正にこういうことだ。

 リリーとエメリアは働き者で、私と同じテーブルについていても皿を下げたり料理を運んだりくるくる動いていた。二人とも良い嫁になるだろうなあ。私が男なら求婚してるわ。エメリアにはもう旦那さんがいるんだけどね。赤が輪を描くエメリアの首元を見る度、眠る自分に贈られた赤いチョーカーを思い出してしまう。

 数刻が経ち、私の元へ訪れる人も随分減った。各々、思い思いに談笑したり、食事をしたりしている。リリーとエメリアが席を離れテーブルに一人となった私は、満ち足りた気分でぼんやりと人の群れを眺めていた。

「ナデシコ様」

 不意に後ろから呼びかけられ、首をひねって振り向くと。

「楽しくやってますかい?」

 私の護衛がずらりと並んでそこに居た。五人揃うのは珍しい。いつぶりだろうか。

「皆さんも来てくれたんですね。はい、すごく楽しませてもらってます」

 少し遠くに居る五人の中からバーナードさんが進み出てきて、私に手を差し出してくる。

「そいつは良かったです。裏でコトを進めた甲斐があったというもんです」

 私はバーナードさんのゴツゴツとした手を取り、固く握った。握手文化は日本と同じくシーバマメに存在している。

「あー……その、ナンです。私はナデシコ様の護衛の任務に就くことができて、そのー、楽しかったです。私と嫁の仲にも気を遣ってくれて助かりました。ありがとうございやす」

 刈り上げ頭を片手でガシガシ掻きながら、照れくさそうに笑うバーナードさん。彼の後方には他の四人の護衛が黙って控えている。どうやら、一人ずつ挨拶をしてくれるようだ。モモとアンリはそっぽ向いてるけど。

「私の方こそ、ありがとうございました。バーナードさんはどんな時でもどっしり構えていて、一緒にいると安心します。歳が離れているせいか、バーナードさんに父の面影を重ねることもありました。いつも気さくに話かけてくれて嬉しかったです。末永く奥さんと仲良くしてくださいね」

 丸い茶色の瞳を見据えて言うと、バーナードさんは「湿っぽいのは苦手なんで、笑わせてもらいやす」と、大きな声でガハガハ笑った。目尻にうっすら光るものが見えたが、そこはつっこまないでおこう。彼の気持ちに水をさすようなことはしたくない。

 ギュッと互いに力を込めたのち、私とバーナードさんは握手を解いた。「ほんじゃあ、失礼しやす」と踵を返すバーナードさんは、がっしりとした大男。……それなのに、なんだか今は背中が小さく見えた。

「ナデシコ様、あの、どうも」

 バーナードさんが後ろに引っ込み次に出てきたのは、若き神殿騎士、コリンだった。

「こんにちはコリン。元気?」

「は、はい。僕は元気です。そうじゃなくて、えと、ナデシコ様」

 くりくりとした茶色の目を落ち着かなく彷徨わせ、コリンは困ったような顔をする。

「僕みたいな若輩者がナデシコ様の護衛につけるなんて、思ってもみなかったです。頼りなかっただろうけど、最後まで護衛を務めさせていただいてありがとうございました」

 自分に自信がないコリン。確かに彼は若い。けれど、実力があるから選ばれたのだと大神官は言っていた。事実、コリンの剣さばきは素人の眼で見ても見事なものだった。

「ねえ、覚えてる? ずっと前、コリンが虫から私を守ってくれた時のこと。急に虫が飛んできたかと思ったら、キラッて剣が閃いて……私が瞬きする間にコリンが退治しちゃったんだよね」

「あ、はい……」

「すごく早くて驚いた。それに、あんなに小さい虫に細い剣を当てるなんて、相当なものだと思うよ。コリンは全然頼りなくなんかない」

 照れたのか少し頬を染めたコリンへ、満面の笑みを送る。

「あ、ありがとうございます」

「あの調子でリリーも守ってね。リリー、しっかりしてるけどやっぱり女の子だからさ。あーあ、二人の結婚式に出席できないのが心残りになるなあ」

 ふふ、と短い笑い声を漏らせば、コリンはみるみる真っ赤になって。

「ナ、ナデシコ様っ!」

「あはは、頑張りなよ青少年」おばちゃん、応援しとります。

 こちらから手を差し出すと、コリンは顔を赤らめたままゆっくり手を伸ばしてきた。ぎゅう、と固く握手をし、コリンはシーバマメ式の礼をして下がっていく。まだ赤い頬がなんとも可愛らしい。

(さてさて、お次は誰かな)

 五人の護衛に視線を走らせると、ヒューズくんがモモにアイコンタクトを取った。これは、「ダックス、行ってこい」という合図かもしれない。

 モモは僅かに眉を顰めた後、何かを諦めた様子で前に歩み出てきた。ちょっと、なんで眉を顰めるわけ。めんどくさそうな顔しやがって。

「……別に、言うことなんてないんだけど」

 近づくなりそう言ったモモは、居心地悪そうに黒い瞳を斜め下に向ける。もう、素直じゃないなあ。

「私はあるよ。今までありがとう、モモ。不真面目だったけど、肝心なときにはいつも側にいてくれたよね。まだ若いのに力の抜き加減を分かってるなって感心した」

 環境にまだ慣れず、迷子になりかけていたところにひょっこり現れたり、城の貴族とやらに絡まれていたときにどこからともなくやって来たり。いつもいいタイミングで助けてくれる、少しひねくれた男の子。

「偶然でしょ。それって褒めてるわけ?」

「偶然だとしても、私は助かってたよ。もちろん、褒めてる」

 そう言うと、モモは唇を尖らせ「変な女」と呟いた。モモが唇を尖らせるのは、照れている証拠だ。ほら、耳がほんのり赤くなってる。ほっぺは赤くならないから、分かりにくいんだよね。

「あと、モモは私に敬語も使わないし、へりくだった態度もとらないじゃん? それがね、嬉しかったんだ。気楽に話せて息抜きができてさ」

「……」

 依然目を合わせようとしないモモは、何も言わない。

「サボリはあんまり良くないけど、バレないように上手いことやりなね。不真面目過ぎるとヒューズくんに怒られちゃうよ。はい、握手! お世話になりました」

 モモの目線の先にずずいと手を出す。「別にしなくていいし」とぼやきながらも、モモは私の手を取った。モモよ、唇尖ったまんまですぞ。そう恥ずかしがりなさんな。

 もしも例の人物がモモだったとしたら、と逡巡したが、モモは握手を終えると「まあ、向こうでも元気でやりなよ」と言い残して下がっていった。モモではないのか、はたまた、「見送る」ことが答えなのか。私には知る由もない。

(……あとは、ヒューズくんとアンリか)

「失礼します。ナデシコ様」

 キビキビと進み出てきたヒューズくん。今日も綺麗なオールバックだ。

「エヴェニー様の大事なご友人であるあなたをお守りすることができて、光栄でした。至らぬ点は多々あったかと思いますが、己を省み、今後に繋げ精進してゆく所存です。故郷に戻られましても、どうかお健やかにお過ごし下さい」

 簡潔、明瞭、折り目高。相変わらず、ヒューズくんは真面目だなあ。モモと話した直後だから余計にそう感じる。

 すっと差し出されて手を取って、私は口を開く。

「五人の護衛の中で、ヒューズくんが一番ひたむきで真面目だった。仕事以外でも親切にしてくれてありがとう。この国に来て分からないことばかりだったけど、植物の名前はたくさん覚えられたよ」

 ポチがお勤めに出ている際、神殿の探索に飽きた私は暇を持て余していた。ぼうっと一日を過ごす私に絵本や植物の観察を提案してくれたのは、何を隠そうヒューズくんである。

 あれから私の異世界生活が色鮮やかになった。「緑を愛でる会」を発足して、二人で中庭の草や花を図鑑片手に眺めたり、押し花を作ったり。仕事に関係のないことも、ヒューズくんは一つも嫌がらずに付き合ってくれた。

「ヒューズくんは真面目で面倒見がいいから、損な役回りになってしんどくなることもあると思う。根を詰め過ぎずにお仕事頑張ってね」

 凛とした表情が微かに崩れ、ヒューズくんは口元を緩めた。淡いグリーンの双眸が深い優しさを湛えている。

「損な役回り──……っふ、そうかもしれませんね。神殿騎士には厄介な方が多いですから」

「えっ、そうなの? モモとアンリくらいかと思ってた」

「他にもいますよ。規律を守らない上司や、時間に大雑把な同僚、根性のない新人……」

「うわー……大変そうだね」

 ヒューズくん、私が想像していたよりも苦労してそうだ。ストレス溜め込まないか心配。ていうか、今さり気なくモモとアンリが厄介って認めたよね。

 何か色恋関連のアクションはないかと少し構えてみたが、「務め甲斐のある職場です。それでは失礼します」と特に何もなくヒューズくんは他の四人の元へ戻っていった。わりとあっさりしてるなあ。ヒューズくんでもないのか?

(モモもヒューズくんも「バイバイ」って感じだったよね。残るはアンリだけど……こいつはまずなさそうだしなー)

 結局のところ、人の心などその人にしか分からない。私は例の人物が出した答えを相手が伝えてくるまで、待つしかないのだ。タイムリミットがタイムリミットなだけに、いつそうなるのか気がかりではあるが。

 ヒューズくんがアンリに何か話しかけ、アンリが思いっきり顔を歪めて私の方を向いた。なんて心底ウザそうな顔……やっぱり、こいつだけは絶対ない。

 動かないアンリにヒューズくんだけでなく、コリンやモモ、バーナードさんも何やら声をかけ出した。立ち並んだ護衛たちとはそれなりに距離があり、周囲が賑やかなのもあってなんと言っているのか聞こえないが、おおよそ「最後なんだからお前も挨拶しとけ」ってアンリを説得してるのだろう。

 ほどなくして、目つきの悪い三白眼を細めたアンリがやってきた。口がへの字にひん曲がっている。そんなに私に挨拶するのが嫌か!

「アンリ」

 仏頂面のアンリにつられ、思わず私もむすっとしてしまう。こいつの名前を呼んだ声が心なしか低かった。

「あいつらが話してこい話してこいうるせーから来た」

「だろうね。分かってますよーだ」

 拗ねた様に返すと、アンリはじっと黙り込む。

「どうしたの?」

 いつまで経っても何も言わないのを見かね、声をかければ。

「うるせー。お前なんかとっとと帰っちまえ」

(うわっ、ひどい!)

「アーンーリー……それはないんじゃないの? 最後なんだし、嘘でも別れを惜しみなさいよー」

「惜しんだところでどうなるんだよ。お前、向こうに帰るの止めんの?」

「止めないけど、もう、そういうことじゃなくってさあ」

 アンリはやはりアンリだ。平常運転過ぎて溜息が出る。

「……まあ、あんたらしいか。ツンケンするのは勝手だけど、大神官様が困らないよう大概にしときなさいよ」

「あ?」

(「あ?」じゃないよ「あ?」じゃ)

 呆れたが、いつもと同じ調子のアンリにほっとしてしまう自分がいた。ここでしおらしくなられても、それはそれで困るわな。うん、これでいいんだ。

「ムカつくことが多かったけど、あんたと居る時は気を遣わなくて楽だった。なんだかんだ護衛もちゃんとしてくれてたし、ホントはいい奴なんだよね」

 言動こそ悪いが、アンリの根っこは腐っちゃいない。半年の付き合いだけど、それはちゃーんと知っている。文句を言いつつも私の行く先々に付いてきてくれ、怪我をすれば手当てを手伝ってくれ、暇なときは話し相手になってくれ──思えば、よく面倒を見てもらったなあ。

 腕を組んでムッスーっとしているアンリへ手を突き出す。

「色々、ありがとう。……元気でね。はい、さよならの握手!」

 自然に笑顔が出た。表向きはこれが最後ということなので、明るく行こう。

 と、思っていたのに。

「しねーよ。バーカ」

(は?)

 吐き捨ててツカツカ去りゆくアンリ。呆気にとられた私は引き止めることもできず、人ごみに消えゆく背中をポカンと見送った。

 私たちのそんなやり取りを知ってか知らずか、ヒューズくんたちは一礼したのちアンリの後を追う。

 場に取り残された私に沸々とわいたのは、「なんつー奴だ」というアンリへの憤り。

 差し出したのに握られなかった右手が、無性に淋しかった。


 *


 空が茜色に染まった頃、再び来場した大神官が閉会の挨拶を行い、私のお別れ会は騒々しいまま幕を閉じた。

 後片付けの手伝いを申し出てみても、リリーとエメリアに「なりません」と一蹴された。更には他の小間使いや神官にも「ナデシコ様は残り僅かな時間を有意義にお使いください」なんて深々頭を下げられて、私は部屋へ戻らざるを得なくなった。取り付くシマもない。

 明日、帰れないんだよなあ。申し訳ないなあ。と、罪悪感を抱きつつ中庭をあとにした私は、昨夜出来上がったお礼の品を渡して回ることにした。ポチは神様と話があるとかなんとかで聖殿に篭っており、リリーとエメリアは片付けでいないので、護衛担当のバーナードさんと一緒に。

 明日の送還のフリは午前十時からなので、儀式前に配る時間はないだろう。贈り物は何せ五十個ある。「渡しておいてくれ」と人に頼めばいいのかもしれないが、せっかく丹精込めて作ったのだから自分で手渡したい。王様とか大神官とか、気軽に会えない人はともかく。

 一番最初に匂い袋を渡したのは、今日の護衛として付き添ってくれているバーナードさんだ。彼は私から匂い袋を受け取るなり、しげしげとそれを眺め──何をもらったのか分かっていない様子だった。

「匂い袋です。お世話になったささやかなお礼です」と言えば、「そうですかい! いやあ、すんません。ありがたく頂戴しやす。こういう香りもの、嫁が好きなんですよ」とガハガハ笑うバーナードさん。おいおい、それはあんたの嫁にじゃなくてあんたにプレゼントしたんですよ。まあ、バーナードさんらしいな、と笑って許してしまったんだけど。だって、一応喜んでくれたわけだし。

 大回廊を通り、マメ大神殿に隣接している城へ向かう。煌びやかで仰々しく、張り詰めた空気の漂うそこはなんだか苦手で普段行かないのだが、今日は贈り物を渡すために気を引き締めて入城した。

 城も神殿も静かなことには変わりない。しかし、「静かさ」の種類が違うというか……うまく言い表せないけど、私は神殿の方が落ち着くのだ。逆に城は落ち着かない。ただ単に、自分のテリトリーを出ているから、というだけなのかもしれないが。

 すれ違う人々へ挨拶をし、広間へ行く。だだっ広いそこは受付となっており、城や国に用事のある者が訪れる初めの窓口だ。この城は王族が住むためだけのものではなく、役所のような用途も果たしていた。

「マメ大神殿でご厄介になっているナデシコ・サトリです。明日、故郷へ帰りますので、ご厚意を頂いたシェパルド王に是非お礼の品を贈りたいのですが」

 神獣ポチの友人として、できるだけ丁寧な言行を心がける。予想外の来訪者に受付のお姉さんはハッと息を飲み、「直接のお渡しをご希望ですか?」とこわごわ聞いてきた。

 王様の時間が許すならできるだけ手渡ししたい旨を伝えると、お姉さんは一旦奥に引っ込み、しばらくして「確認中ですので掛けてお待ちください」としなやかに体を左に傾けた。

 ずらりと並ぶ長椅子の一画にバーナードさんと座り、他愛のない話をしながら周囲を観察する。夕刻であるにもかかわらず、人の数は多い。バーナードさんは「昼間はもっと多いですぜ」と言っていた。

 二メートル間隔で壁際を飾っている城の兵士、城の外からやって来たであろう農民の親子、ごてごてに盛装したひらひらドレスのお貴族様──城の広間には様々な人がいて、眺めるにも飽きがこない。

「──ナデシコ・サトリ様」

 やがて、受付のお姉さんが綺麗な声で私の名を呼ぶ。「はい」と大きめに返事をすれば、広間の人々が一瞬私に視線を向け、束の間居心地悪くなる。が、集中した視線はすぐに散らばり、何事もなかったかのようにそれぞれの用に戻っていった。

「お待たせ致しました。十八時より五分の間であれば謁見可能とのことです。如何致しましょうか」

 再び受付に行くと、色よい返事がもらえた。夕食時にはなるが、自分の食事は少しくらい遅れても構わない。忙しいから王様には直接渡せないだろうと踏んでいたので、五分だけでもありがたかった。

「ありがとうございます。お願いしてもよろしいでしょうか」

「はい。承りました。それでは十七時四十五分に案内の者が来ますので、その時間には広間にいらっしゃるようお願いします」

 広間の中央にある大きな古時計は十六時四十分を指している。あと一時間ここで待つのも時間がなあ。

 片手に下げた麻袋をちらりと見れば、たくさんの匂い袋が顔を覗かせている。お世話になった人々へのお礼の品。バーナードさんにしか渡せていないので、まだ四十九個もある。

(……他の人に先に配ろうかな)

 パパッと頭の中で計算を始める。神殿の厨房や小間使いの部屋、神殿騎士の兵舎までの距離、移動時間──色々算段し、私は王様に会うまでの間神殿を回ることにした。連れ回してしまってバーナードさんに申し訳ない。奥様が迎えに来るまでには必ず解放します。

 バーナードさんに一言侘び、せかせか早歩きで神殿に戻る。まず厨房に行き、料理長と副料理長、それと話をする機会の多かった食堂のおばちゃんに匂い袋を渡す。お世話になったお礼も伝え、立ち話もそこそこに次の場所へ向かった。

 小間使いの休憩室に訪れるも、小間使いの長はいなかった。けれど、気を利かせた一人の小間使いが長を呼んできてくれ、私は無事に匂い袋を渡し、お礼を言うことができた。

「……リリーが寂しがるでしょうが、あの子は強い。ナデシコ様との別れも必ずや乗り越え、成長の糧にするでしょう。将来、立派な小間使いになります」

 口ひげの立派な小間使いの長はそう言って、優しく笑う。彼は厳しくとも部下思いで評判だ。リリーからも長についてよく話を聞いている。

 いやあ、このままだと明日お別れにはならないんですよねー。と、心中でたじろぎながら「リリーをよろしくお願いします」と口にする。なんだか自分が悪女に思えてきた。

 帰還が叶わぬという真実を伏せお別れ会を開いてもらい、さも「最後」であるかのように挨拶回りやお礼の品を配る私。そんなつもりはないんだけど、この国の人たちを騙しているようで、胸がチクチク疼く。

 仕方がない事だと、ポチと相談して決めた事だと己に重々言い聞かせ、罪悪感を押しやった。そうして庭師のおじいさんや交流のある神官、リリー繋がりで知り合った若い小間使いなど、世話になったもしくは交友関係にある人々へ贈り物を渡していく。

 なかなかに良いペースで、しかも運良く目当ての人たちに巡り会え、匂い袋は順調に減っていった。大神官は夕の祈りを捧げているとのことだったので他の神官伝いに渡してもらうことにしたが、私は目標通り大半を手渡しできていた。

 王様にはこれから渡しに行くとして、あとは兵舎に寄って、神殿騎士を束ねる総長と補佐に当たる副総長、バーナードさんを除く四人の護衛に渡せばほぼ終わりだ。リリーとエメリアには夕食で会えるので、その時に渡すつもり。で、最後の一個はポチにサプライズでプレゼントする予定。ポチ、驚くだろうなー。

 約束の時間が差し迫ってきたので、大急ぎで大回廊を抜け城へ向かう。息一つ乱さないバーナードさんとは対照的に、私はぜえはあぜえはあと情けなく喘いでいた。「運動不足じゃないですかい」と悪戯っぽく言われ、「返す言葉もありません」と私は苦笑いをするしかなかった。

 城の広間に着いたのは、五時四十五分かっきり。あれほどひしめいていた国民はほとんど姿を消している。受付のお姉さんが「ナデシコ・サトリ様」とよく通る綺麗な声を放ち、受付に行くと四人の城兵が私を待ち構えていた。

 軽い身体検査を受けたのち、四人の城兵に四方を囲まれ城の廊下を進んで行く。護衛のバーナードさんとはしばしお別れ。心細いし、身が縮こまる思いだ。王様に会いに行くにはやはり手間暇かかる。まあ、そりゃそうか。王様だもの。

 白い絨毯の敷かれた廊下、長くて幅の広い階段を越え、謁見の間に到着。歩きっぱなしでそろそろ足が痛くなってきた。

 広間よりは少し狭く、それでも十分広壮としている謁見の間。ここに来るのは何度目だろうか。十回以内に収まっているとは思うのだけれど、しかしまあ、城兵の数が夥しい。

「よくぞ参られた、ナデシコ殿。そなたが城に出向くとは珍しい。それも私に用があるとは……さあ、どのような用件だろうか。人払いが必要であれば遠慮なく言って欲しい」

(ありゃ? 受付のお姉さん、私の用事がなんなのか伝えなかったのかな)

 王様の言動に私の用件の中身を知っているようなものはなく、疑問が生じた。もしや、サプライズのお膳立てしてくれたのだろうか。そうであるなら、あのお姉さんはなんと粋な計らいをしてくれのだ。

 シーバマメ式の敬礼をし、私はすうっと息を吸い込む。

「急なご拝謁、申し訳ありません。本日は私のためにあのような素晴らしい会を催していただき、本当にありがとうございました」

 玉座から立ち上がっている王様との距離は遠い。腹から声を出し、麻の袋から贈り物を取り出す。

「こちらに来てからこの方、シェパルド王の数々のご温情にて不自由なく、またとても楽しく過ごすことができました。心ばかりではありますが、お礼の品を贈らせていただきたいと思い参った次第にございます」

「何? それは真か」

 凛とした声が響き、側に控えていた二人の兵を連れ王様がこちらへ降りてくる。ガチャガチャという鎧の擦れる音が生々しい。

「はい。よろしければお受け取り下さい」

 近くまで来た王様へ匂い袋を差し出すと、城兵の一人が「中身の確認を」と横から手を出してきた。すると王様は銀色の瞳を光らせ、その手を制す。

「よい。ナデシコ殿は神獣エヴェニーの友人だ。国を守る神獣の友である人間が、シーバマメに害を齎すはずがない」

 言い切って、私から匂い袋をとる王様。ヒヤヒヤしたが無事に渡せて良かった。

「……んん、良い香りだ。リグレの花、だろうか」

「はい。神殿の外れに咲いていたものを使いました」

 匂い袋に顔を寄せる様は、一枚の絵のように気品に溢れていて。王様がもう十歳若くて、彼に思う人がいなければ、王道ロマンスが発動していたかもしれない。私のストライクゾーンは案外狭いのよ。五歳以上の年の差と、人様のモノには興味がないのさ。

 王様と少しだけ言葉を交わし、私は謁見の間をあとにした。別れ際に「上手くいくといいな」と言われ、それは私が日本へ帰ることなのか、それとも例の祈り人とくっつくことなのかと、なんだか複雑な気持ちになった。


 *


 兵舎へは夕食後に行こうと思い、王様に匂い袋を渡せた私は部屋に帰る。バーナードさんの勤務はここで終了。兵舎は神殿の奥にあり、私が一人歩きしても良い場所の一つなので、護衛がなくとも大丈夫だ。

 夕食が済み、片付けに来ていたリリーへエメリアを呼んできてもらった。贈り物を渡すと、二人とも大感激してくれた。作った当人としてはすごく嬉しい。

 ただ、「もう明日の夜はこうして話すこともできないのですね」とホロホロと涙を零す姉妹を見て少々罪悪感に駆られた。ごめんリリー、エメリア。私明日の夜も普通に居るかもしんないわ。

 三人でギュッと抱き合い、三十分ほど話をした。二人が私のお付きになってくれた日のこと、初めてお茶会を開いた日のこと、私が二人に丁寧語を使わなくなった日のこと──話題は尽きなかったが、リリーもエメリアも自分の仕事があるので、おしゃべりは程ほどに切り上げた。

「ナデシコ様のことは一生忘れません」「肌身離さず持ち歩きます」と言ってくれた二人と固く握手をし、私は彼女たちを部屋の外まで見送った。なんだか本当にこれが最後な気がして、涙が出そうになった。

 麻袋にある匂い袋も、残り十を切った。神殿騎士の総長や副総長、護衛たちに渡すべく、早く兵舎に行かなくては。八時に勤務交代なので、みんな帰ってしまう。

 寂しさの幻影を払い、扉から廊下に出る。と、ちょうどポチが廊下の向こうからこちらに歩いてきていた。聞けば、神様との話が終わって帰ってきたところらしい。

「おぬしは何をしておるのじゃ」と問われ、兵舎にお礼の品を渡しに行くのだと応える。するとポチは「ふむ」と鼻を鳴らし、「気張ってこい」と妙な応援をされた。裏を感じて何かあるのか尋ねてみるも、ポチは「さあのう」と私の開けた扉をさっとくぐっていく。

 追いかけようか逡巡したが、今は時間が惜しい。匂い袋を届けた後に追及しよう。ポチが話してくれるかは置いといて。まあ、なんとなく予測はつく。おそらく例の人物絡みだ。

 あの三人のうちの誰かが、いよいよアクションを起こしてくるのだろうか。

 少し緊張しつつ、早歩きで兵舎に向かう。陽が暮れた神殿内はほの暗いが、等間隔に設置されている松明のおかげで行先に迷いはない。

 滞りなく兵舎に着いた私は、近くの神殿騎士に声をかける。まずは総長と副総長だ。

「夜分にすみません。総長様と副総長様はお出ででしょうか。お渡ししたいものがあるので、可能であればお会いしたいのですが……」

 そう言うと、神殿騎士は「確認して参ります! しばしお待ちを!」と、伝令を走らせる。まだ幼さの残る若い伝令はキビキビと動き、一分と経たないうちに戻ってきた。

 伝令が神殿騎士に耳打ちをすると、神殿騎士はビシッと体を左に傾ける。やっぱり面白いね、それ。日本じゃお辞儀は真正面にするものだからさあ。

「ナデシコ様、どうぞこちらへ」

 どうやら総長たちに会えるようだ。直接関わったことはあんまりないんだけど、私の護衛をしてくれている五人の上司だもんねえ。礼儀、礼儀。

 兵舎の奥に案内してもらい、ある一室に入る。そこには熊のような大男と、キリンのような細長い男がいた。彼らこそ、数百といる神殿騎士をまとめ上げる者。大男が総長で、ひょろ長いのが副総長である。

「ややっ、ナデシコ様! こんなむさ苦しい場所に何用ですかな?」

 総長が机に身を乗り出すと、ギシギシ音が聞こえた。やめて、机のライフポイントは──ってそんなこと考えてる場合じゃなくて。

 今までお世話になったお礼の品を持ってきたこと、良かったら受け取って欲しいことを簡潔に伝え、匂い袋を二つ取り出す。

「神殿騎士の皆さんのおかげで安心して毎日を送ることができました。いつも堅い警護をありがとうございます」

 礼を述べ、贈り物を差し出す。総長は満面の笑顔で、副総長は真顔で受け取ってくれた。モモ曰く、副総長はいついかなる時も表情を変えない鉄面皮なんだとか。アンリに至っては血の色が緑だとか青だとか、ひどいことを言っていた。

 退室の挨拶をして部屋を出ようとすると、そんな副総長に声をかけられる。

「ナデシコ様。護衛たちにはこれからお会いに?」

「はい。まだ兵舎に居てくれればいいのですが」

「心配はご無用です。皆、夕の訓練を終えたあたりでしょう。既に伝令をやっているので、直にこちらへ来るはずです」

 今後の私の行動を読んでいた副総長は、素早いことに護衛のみんなと会えるように手配をしてくれていたみたいで。副総長の言った通り、時を待たずしてノックの音が転がった。

「来たようだな。それじゃあナデシコ様、私らはこれで。イイ物をありがとうございました」

 ずんずんとドデカイ体躯を揺らし、ドアへ歩く総長。ヒューズくんよりも大きく、バーナードさんよりも体格が良い彼は、正しく「熊」だ。

「私も失礼致します。どうぞこの応接間をお使いください」

 総長に続き、副総長もドアへ足先を向けた。あら、ここは応接間でしたか。てっきり総長の部屋かと思ってました。

 林檎を二個ほど掴めそうな手でドアノブを握り、総長がドアを開く。「おうおう、遅いぞお前ら。ナデシコ様を待たすんじゃねえよ。ささ、入った入った」と野太い声が促せば、三人の男が入室する。

 入れ替わりで総長と副総長が出て行き、私がまず思ったのは。

「あれ、アンリは?」

 アンリがいない。応接間に入ってきたのは、コリン、モモ、ヒューズくんの三人だけだった。

「アンリ様は──どこかで油を売っているようで」

 歯切れの悪い返事をするヒューズくん。うんうん、君は悪くない。私がアポなしで勝手に来ちゃったからね。

「あ、いいのいいの。いきなりだったからさ。ごめんね訓練中に呼び出したりなんかして。みんなに渡したいものがあるんだー」

 明るい声音で言ってみたが、アンリが揃っていないのが残念だ。あいつにどうやって渡そう。部屋まで届けるにもアンリは官舎暮らしだからなー……変な噂が立つとヤだからそこまではしたくないし。

「渡したいもの、ですか?」

 コリンが首をかしげ、キョトンとする。可愛いのう。

「うん。今日のお別れ会でも言ったんだけど、私、みんなにすごく良くしてもらったよね。それで、ちょっとした物なんだけど何かお礼にってことで──」

 手元の麻袋をまさぐり、匂い袋を取り出そうと指先を動かす。

(ええと、これはモモ用、こっちはポチ用……あったあった)

 順位をつけようとしたわけではないけれど、特別親しかった人たちのものは包み方を少し変えてある。袋に刺繍なんかもしちゃったりして。

「──はいっ」

 ウサギの刺繍の入った匂い袋を差し出すと、コリンは茶色のくりくりした目を瞬かせた。

「受け取ってくれないの?」

 じっと突っ立っているコリンにもう一度声をかけると、コリンは慌てて腕を伸ばし、匂い袋を手にとった。

「あ、ありがとうございます。いいんですか? 僕がもらっても」

「いいの。それはコリン用に作ったんだから、コリンがもらってくれないと廃棄処分になっちゃうよ」

 脅すようなことを言えば、コリンは血相を変えて「いただきます!」と匂い袋を胸元に寄せた。うむ、それでよい。

「はい、モモも」

 お次はモモ用、犬の刺繍を入れた匂い袋。ちなみに、犬は犬でもダックスフント。これはモモの名前にかけている。ダックス・モモだから──って、ちょっと安直?

 ずずいとモモの前に持っていくと、モモは唇を尖らせ匂い袋をじろじろ見た。

「これもモモ用で個別に作ったんだから、モモがもらってくれないなら廃棄処分」

 コリンと同じ手でいくも、モモはやっぱり素直じゃなくて。

「……捨てるくらいならもらっておく」

 なんて、そっぽ向いて受け取った。ふふ、耳が少し赤いですよ。

 素直じゃないけど、そこが可愛いなあと思ってしまった。ほら、なんだかんだ両手で持ってるし。あれならちゃんと大事にしてくれそうだな。

「はい、ヒューズくんに」

 差し出した匂い袋には、植物好きなヒューズくんが喜んでくれるかなあと思い、リグレの花の刺繍を入れている。

「ありがとうございます。お礼の品など、私は職務に努めたまでであるのに──身に余る光栄です」

 シーバマメ式の礼をし、恭しく受け取るヒューズくん。こんな時でも真面目なのね。

「……これは、リグレの香りですね」

「うん、当たり。さすがヒューズくん。よく分かったね」

「特徴のある香りですから。それに、リグレはナデシコ様の好きな花、ですので」

「あ、覚えててくれたんだ?」

「はい。もちろんです」

 淡いグリーンの目を細め、ヒューズくんは優しく微笑む。……あれ、これってなんかいい雰囲気じゃない? まさか、ヒューズくんが?

 私の祈り人が不意に脳裏をちらつき、少し構えてしまう。

 ──が。

「そういえば、アンリ様への贈り物は……?」

 突如、話題がガラッと変わった。拍子抜けしながらも、私は動揺を隠して声を出す。変な汗掻いたわ。

「ああ、アンリのもあるよ。でも、肝心のアンリがどこにいるか分からないから」

 肩をすくめると、コリンとヒューズくんが同時に口を開いた。

「探して参りましょうか」

「探してきます」

 無意識のハモリでちょっと気まずそうな二人に苦笑し、私は「うーん」と一つ唸る。

「あー……まあ、明日会えるかもしれないし、いいよいいよ。もし儀式までに会えなかったら、その時は誰かに託すし」

 握手を断りやがったアンリのことだ。せっかくの贈り物も、最悪「いらねー」の一言で終わってしまう可能性もある。ま、そんなことはさせないんだけどね。意地でも受け取らせてやるわ。

 三人の護衛は互いの顔を見やり、何やら微妙な沈黙が流れる。アンリ如きで嫌な雰囲気にしたくないので、明るくバイバイしようか──と、思うやいなや。

「この時間帯であれば、まだ官舎には戻っていないかと思います。私たちのうちの誰かがアンリ様に会うことができれば、ナデシコ様の部屋に行くよう伝えましょう。同じ内容を言伝ことづてた伝令も出しておきます」

 ヒューズくんが声を放ち、隣でコリンがうんうん頷いている。モモは黙ってヒューズくんを見つめ、一つ溜息を吐いた。

「え、いいよいいよ。ほんと、大したものでもないし」

(明日お別れになるかも分かんないし)

 そこまでさせるのは悪いと考え、首を振って断ったのだが、ヒューズくんはよしとしない。

「いえ。これも護衛の勤めです。それでは失礼します。コリン、ナデシコ様を部屋までお送りしろ」

 有無を言わさぬヒューズくんは足早に立ち去ってゆき、私はコリンに連れられ半ば追いやられるよう兵舎を出た。ああ、そんなつもりじゃなかったのに。

 コリンに「余計な気を遣わせちゃってごめん」と謝ると、へったくそなフォローをされた。肘鉄を食らわせ、やいやい文句を言ったりからかったりしているうちに、部屋についてしまった。

 ポチが含みを持たすような事を言ったので気を張っていたのに、結局それらしきコトは何もなかったじゃないか。どういうことか問い詰めてやる。──その後で、ポチへのサプライズをしよう。

 そんな事を考えた私は、若干もやもやしつつゆっくり扉を開けたのであった。


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