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2.好きであるが故に


 想定外の出来事にソワソワしていた私は、一人物思いに耽っていた。

 新緑の葉をつけた木々に囲まれたガゼボは、神殿探検で見つけた私のお気に入りの場所だった。地面には様々な花が咲き乱れ、いつ来ても私の目や鼻を楽しませてくれる。

 ひんやりとした石造りの椅子に座り、もんもんと、ひたすらに見えない答えを探す。

 神様は私の帰還を取りやめた。私を日本へ帰したくないと祈った人がいて。

 誰が、何のために?

 まずは理由を考えてみよう。

 採算合わせや金銭のためというのは有り得ない。この国において私は非生産者。むしろタダ飯食らいの無賃宿泊を続ける、どうしようもない消費者だ。そんな私をこのまま国に置いて、経済的な利益が生まれるわけがない。

 宗教的な利用? いや、それもないわ。こちらの世界ではポチはありがたーい「神獣」様で、崇め讃えられる神聖な存在。けど、ポチとともに異世界を渡ったものの、私自身に特別な力はなく。肩書きだって「ポチの友人」だ。聖女とか巫女とかそういった類にはなっていないし、なれやしない。

 ──もしかして、ポチを制御するため? 「神獣エヴェニー」は国民を平等に扱うが、「愛犬ポチ」は違う。私にとってのポチが特別であるように、ポチにとってもまた、私は特別だった。

 もしも、万が一……ポチが国民の願いを聞かないようなことがあったら。もちろん、それはきっと無茶な願いなのだろうけど。そしてその時、ポチと親しい私が人質にされたり、脅しの材料になってしまったら。

 ……ダメだ。疑心暗鬼になり過ぎている。シーバマメ神国の人々は、とてもポチを敬愛し、崇拝しているじゃないの。

 この国の人たちは、ポチを大切にしてくれている。私はこの六ヶ月間、色んな場面でそれを目の当たりにしているというのに。

 しかも、神の御使いであるポチをコントロールしようとするなんて、神様が許すわけないじゃない。

 頭を冷やすように、ゴツンと石柱へぶつける。痛い。痛かった。

 誰が、なんの目的で?

 振り出しに戻り、赤や黄色の花々をぼんやり眺めながら再考する。

 私を日本に帰したくない。神に祈るほど、そう思うのは。

 ──私に帰って欲しくないだけ、とか?

 私がこの世界を離れる事に寂しさを感じるように、この国の「誰か」もそうだとしたら。その誰かが、神様に祈るくらいの、それも神様が考えを変えるほどの強い気持ちを持っているとしたら。

 恋愛、友情、家族愛……どれに当てはまるのかは分からないが、単純に私に帰って欲しくなかっただけ、という理由もあるかもしれないと思った。

 その線でいくならば、誰が該当するだろう。私に好意を抱いていそうな人物を思い浮かべていこうとしたところで、草を踏みしめる足音が聞こえた。

 そちらを見やると、まばらに茂った木の葉の間に知り合いの顔があった。

「モモ」

 名を呟けば、気だるそうに頭に手をやる青年。

「ここに居たの?」

 私のいるガゼボまでやって来た彼は、神殿騎士のダックス・モモ。今日の護衛担当だ。苗字の方が可愛いので、私は「モモ」と呼んでいる。

「まあね」

 ひらひら手を振り、生返事を返す。モモは面倒くさそうに私の隣に座り、溜息を吐いた。

「ナデシコさあ、あんまりフラフラしないでよね。仕事サボってると思われるでしょ」

「十分サボってるでしょーが。ちょっとはヒューズくんを見習いなさい」

 モモはわりと不真面目である。いつでもどこでも張り付いてくるヒューズくんとは違い、知らないうちに側にいたり、いなくなっていたりと、のらりくらりとした感じで。でも、一人の時間ができるので、私としては気が楽だった。

 それに、この国に来て半年経つが、不届きものに襲われた事は一度もない。だから、別に四六時中護衛が付いていなくてもいいんじゃないかなあ、と自分では思っていたりする。

「ほっといてよ」

 ムスっと顔を顰めるモモに、思わず苦笑する。

 モモは私に対して全然丁寧な振舞いをしない。

 この国を守る神獣の友人として迎賓されている私は、それなりの礼遇を受けていた。歳上の人にも敬語を使われたり、神殿で働く人には畏まられたり。

『偉いのはポチであって私ではないので、あまり恭しくしないでください』

 何度もそう言ったのだが、みんながみんな遠慮して。私も相手に合わせてできるだけ礼儀正しくしているんだけど、ちょっと窮屈である。結局、私と関わりのある人のほとんどはへりくだった態度のままだ。

 だけど、モモは違う。

「なんなの……何見てるの?」

「べっつにー」

 ニヤニヤしながらモモを見つめる。モモは神殿の中で肩肘張らず話のできる貴重な子だ。けっこう年下なので、男の後輩ができた気分。

「モモはモモだなーって思ってただけ」

 ニッと笑えば、「変な女」と怪訝そうに漏らすモモ。

 しばらく他愛のない話をしていたが、途中でモモがサボリに走ってしまったのでまた私は一人になった。

(まさかモモが祈ったんじゃないよね)

 一瞬、神に祈ったのはモモではないかという考えが頭を過ぎった。しかし、その考えはすぐに消えた。

 私はモモに何らかの恩恵を与えているわけではない。また、モモと私はそこまで仲が良いわけではないし、風の噂でモモには好きな人がいるということを知っていた。

 爽やかな陽射しの中、私は再び脳を滾らせる。

 誰が、何のために?

 午後の時間を模索に費やしてみたけれど、ピンとくる答えは出てこなくて。

 小間使いのリリーが夕飯に呼びに来るまで、私は一人ガゼボでだらだらしていた。


 *


 部屋に用意された夕飯をポチと済ませ、ポチは夜のお勤めに出かけて行った。いよいよ神様に聞いてもらえるのだ。何か情報が教えてもらえるようになるといいんだけど。やっぱり気になるし。

「ナデシコ様、失礼します」

「ありがとう。ごめんね、いつも片付けしてもらっちゃって。せめて運びやすいように食器をまとめてみたんだけど」

 テーブルの食器を片付けに来てくれたリリーへそう言うと、彼女は「とんでもない!」と可愛らしく首を振る。

 リリーは私のお付きの小間使いちゃん。姉のエメリアと一緒に私の身の回りの世話を焼いてくれている。二人ともとてもいい子だ。妹がいたらこんな感じだったのかなあとたまに思う。

 あんまりなんでもかんでもしてもらうのも気が引けて、「私がやるよ」と言うのだけど、鬼のような形相で「とんでもない!」と毎度言われてしまっていた。

 リリーとエメリアは皿洗いも洗濯も調理も掃除も、絶対にさせてくれない。……私、異世界滞在中に絶対家事の腕落ちただろうな。たまにリリーたちに内緒で台所を借りてお菓子や食事を作ってみるのだけど、明らかに手際が悪くなっている。

「もう、ナデシコ様は大事なお客様なのです! 雑事は私がしますから、ゆっくり寛いでください」

 頬を膨らませて言う様は、本当に愛嬌があって可愛い。だけどその可愛い顔は、みるみる萎れていってしまった。

「……ナデシコ様がこちらにいらっしゃるのも、あと六日なのですから」

 可愛いリリー。この子は私との別れを惜しんでくれている。

「あと何日」「あと何週間」という言葉を薔薇色の唇から零されると、私も寂しくなってしまう。

 でも。

(帰れなくなっちゃったんだよねえー)

 そう告げれば、リリーは喜ぶだろうか。

「リリー」

 短い茶色のショートヘアを撫でると、リリーは口をキュッと結ぶ。

(神様に口止めされてる事だから、まだ他の人には言わない方がいいよね)

 言おうか言わまいか逡巡したが、ポチが神様から箝口されていることを考慮し、言わないことにした。ポチが帰ってきたら口外してもいいのか聞いてみよう。リリーやエメリアなら相談に乗ってくれそうだし。

 もしかして、祈ったのはリリー? ふと思うが、それはないだろう。リリーは迫り来る私との別れを悲しんでいるが、私の帰還を引き止めるような言動はしたことがない。

「……すみません。ナデシコ様が故郷に戻られることなんて、最初から分かっていたことなのに」

 無理やり作られた笑顔に、胸が締め付けられるような寂寞を感じた。同時に、リリーへの親愛の情が込み上げてきて。

「リリー、大好き」

 食器を持ったままのリリーを、横からそっと抱きしめる。彼女の身長は低く、逆に私は背が高いので、リリーは私の胸元にすっぽり収まった。

「……私もです。それに、姉も」

 こちらを見上げるリリーと目が合い、私たちは小さく微笑みあった。


 *


 リリーによって夕食の後片付けがされた部屋で、私は一人絵本を眺めていた。

 ポチの力によってこの国の人々の言葉を理解することはできるが、文字はそうではない。タメになりそうな本や、面白そうな歴史書などを読むことができないのだ。もっぱらの暇潰しは、絵本や挿絵付きの図鑑である。

 ポチが帰ってくるまで気を紛らわそうと今読んでいるのは、子供向けの神話絵本。神の誕生から世界の創造までが描かれており、大神官オススメの一冊だ。

 丹念に描写された絵を一枚一枚じっくり眺めていると。

 コッ、コン! コッ、コン!

 妙なリズムで扉がノックされる。このノックの仕方がシーバマメ神国のオーソドックスなスタイルらしい。初めの頃は心霊現象かと身を強ばらせていたが、今はもう慣れた。

「はいっ」

 ささっと本を閉じ、返事をしながら扉へ駆け寄る。

 誰かな? 要所要所に配置された見張りの神殿騎士が通すくらいなので、不審者ではないのだろうけど。護衛の時間はとうに過ぎているから、モモでないことは確かだ。

 重く大きな扉を開ければ、淡いグリーンの瞳が私を見下ろしていた。

「ヒューズくん」

 生真面目で一本気な神殿騎士、ヒューズ・サルーキ。私の護衛の一人である。ちなみに護衛は日中のみの日替わりで、合計五人いる。ヒューズくんはその五人の中で一番背が高い。ざっと百九十はあるんじゃなかろうか。

「突然の訪問、申し訳ありません」

 朽葉色の髪は彼の性格のようにピシリとオールバックになでつけられていて、寝癖なんて見たことない。

「いいよいいよ。ポチが仕事中でどうせ暇だったし。どうしたの?」

「はい。以前、ナデシコ様が読みたいとおっしゃっていた本が手に入ったので、お持ち致しました」

「ええっ?」

 ヒューズくんがおもむろに差し出したのは、一冊の絵本。装丁が新しい。もしや、私のために新品を購入したのだろうか。

「もしかして、買った?」

「いいえ。城の書庫で見つけたものです」

 手を繋いだ男女が描かれている表紙の絵本の内容は、きっと恋愛ものだ。いつぞや護衛に付いてくれたヒューズくんへ、「文字が分からないので恋愛小説が読めない。恋愛ものの絵本があればいいのに」と嘆きを漏らしたことがある。ああ、あの時は同じ部屋にいたアンリに散々馬鹿にされたなー。

 パラパラと捲ってみると、仲良さそうな男女や喧嘩をしている男女の絵が目に入った。

「わざわざ探してくれたの?」

 ヒューズくんが真面目な顔して恋愛ものの絵本を探す光景を浮かべ、似合わないなあと可笑しく思ってしまう。

「──それは」

 言いよどむヒューズくんを見て、彼が探してくれたであろうことを確信した。素直に嬉しい。

「ありがとう。読みたかったんだー。手間かけさせてごめんね」

 ヒューズくんは本当に真面目だ。会話の弾みで出た私のぼやきを聞き、ちっぽけで重要性のないそれに沿おうとしてくれるのだから。

「喜んでいただけて光栄です。それでは、私はこれで」

 体を左横にきっかり四十五度曲げ、回れ右するヒューズくん。あの左に傾く動作は、シーバマメ神国でのお辞儀である。こればっかりは見る度に滑稽だなあと感じてしまう。失礼だけど。

(……ヒューズくんも、違うよね)

 廊下の奥に遠ざかってゆく背中を見送り、考える。

 モモと同じで、私はヒューズくんの利益になるような人間ではない。私に対して親切ではあるが、それは彼が真面目だからだ。私の帰還についても特に何も言わないので、私への執着はないだろう。

 受け取った絵本をじっと見つめ、私は静かに扉を閉めた。


 *


 ヒューズくんから借りた絵本を一通り読み、私は早めに風呂に入ることにした。午後をずっと屋外で過ごしたせいか、うっすら汗ばんだ体がベタベタして気持ち悪い。

 シーバマメ神国に四季はない。ずっと初夏のような爽やかな暑さの気候で、降雨の少ない国だった。だからポチが現れるまで、ひどい日照りや干ばつに人々が苦しんでいたのだ。

 今は定期的にポチが雨を降らしているので、シーバマメの大地は潤っている。お手やおかわり、死んだふり、伏せ、お座り──ポチはもともと芸達者だったが、雨降らしができるなんて、もう犬じゃないよね。や、実際「神獣」だから犬じゃないんだけど。

 良い匂いのする石鹸で体を洗いながら、こうやってお湯を使えるのもポチのおかげなんだなあとしみじみ思った。無駄遣いしないよう、お湯は桶に汲んで使っている。この国に来て水のありがたみを痛感したので、日本に帰ったら節水を心がけよう。……帰れる、のかな?

 最後にサブーン! とお湯を上から被り、お風呂道具を持って脱衣所へ向かう。昼間にリリーが用意してくれた肌触りの良い寝巻きに着替え、部屋に戻ると。

「……」

 ソファーに寝転がり、先ほどヒューズくんが持ってきてくれた絵本を読んでいる奴がいた。

「……何やってんの」

 アンリ・ワイラルロット。大神官のお孫さんで、神殿騎士。こいつも私の護衛の一人だ。

「本読んでる。見りゃ分かるだろ、バーカ」

 分かるよ! 分かりますとも! あんたがそこで何をしてるかくらい、見れば分かりますよ!

 つっけんどんな返事にイラっとした。せっかくお風呂でさっぱりしたのに、気分台無し。

「あのねえ、それは分かってるわよ。私が言いたいのは、なんで人の部屋に勝手に上がり込んで人の本を読んでるのかってこと」

 吸水性のよい厚い布で髪を拭きつつ、そいつの手から絵本を取り上げる。切れ長の青い三白眼がギロリと私を見上げた。相変わらず目つき悪いなー。

 不満そうなそいつを放っておき、絵本をベッドへそっと置く。うん、避難完了。

「つまんねー本だな」

 私が言ったことへの答えを返さず絵本を侮辱したそいつは、ソファーに仰向けになったまま足を組み替えた。

「そんなことない。楽しかったもん」

「……はあ? どこが」

「んー……お互いが好きになっていく過程がすごく良かった。いいよね、恋愛って」

「……気持ち悪い。めでてー頭だな」

「うるさい。悪かったわね」

 モモと同じく、アンリの私への接し方は丁寧でない。しかし、モモと違って遠慮がなさすぎるのだ。アンリは毒舌で、自分の言いたいことを平然と口にする。

 出会った当初はそうでもなかったのだが、いつだったか──急に態度がガラッと変わった。それまでは、ほどほどに礼儀正しかったのに。愛想は悪かったけど。

 アンリがあんな調子なので、私もついつい素を出してしまっている。気を遣わないでいいけど、こいつと話すとムカつくことが多い。モモは可愛いのにな。

(にしてもアンリ、どうやって部屋に入ったんだろ)

 疑問に思い、ハッとする。

 そうだ。そういえばヒューズくんが訪れた後、例の考え事のせいで鍵を閉めるのをすっかり忘れていた。

「ほらほら、嫌味言いに来たなら帰んなさいよ。私も暇じゃないの」

 しっしっと手を振るも、アンリはソファーから動かない。暇じゃない、というのは嘘である。アンリを追い払う口実だ。

「他にどこが面白かったわけ?」

 んもー、人の話聞かないんだから。

「ちょっと、私の話聞いてよね! ……んーそうだなあ」

 怒りつつもアンリの質問に答えてしまうのは、こいつとのこんな応酬に慣れてしまっているからだろう。

「えーと、二人が結ばれて終わるとこ。恋愛話は幸せな結末に限るよね」

 絵本の最後は、恋に落ちた二人が結婚しているページだった。私はこういう、ハッピーエンドな物語が大好きだ。

 ガシガシ髪を拭いていると、ギシッとソファーの軋む音が聞こえた。チラリと見れば、アンリがソファーから起き上がっていた。

「……ふーん。ほんっとめでてー頭」

 言い捨てて、扉の方へ進んでいくアンリ。今絶対馬鹿にしたな。

「いいでしょ別に。ほっといてよね」

 茜色のオカッパ頭に吠えてみたけど、アンリは返事をしなければ、振り向きもせず部屋を出て行く。

 こうやって、一ヶ月に一、二回の頻度でアンリはふらりと私の部屋へ来る。何をするでもなく、今のように刺を投げつけて気まぐれに帰っていくもんだから、こっちとしてはたまったもんじゃない。

 なんで来るのよ。と、一度聞いたことがあるが、「暇潰し以外の何があんだよ。妙な勘違いすんな気持ち悪い」と一蹴された。どんな暇潰しだよ。

(アンリは……ないよね)

 ここでまた、思考ロジックが立ち上がっていく。

 この国での私は非生産者だ。モモとヒューズくん同様、私がアンリへ与えているものは何もない。そして、私が日本へ帰ることに対しても「さっさと帰れ。せいせいする」って言うくらいなので、引き止める気持ちなどこれっぽっちもないだろう。アンリは私の事、ストレス発散人形としか思ってなさそうだし。

 考えれば考えるほど、誰なのか、何のためなのか、答えが分からなくなる。

 乾きかけの髪をぐしゃぐしゃ掻き回し、私は「うーん」と大きく呻いた。


 *


 カリカリと、外から扉を引っ掻く音がする。

「撫子、帰ったぞ」

 夜のお勤めを終えて私の部屋にやって来たポチを、私はベッドの上で正座をして待っていた。

「お、おかえり」

 慌てて扉に飛んでゆき、そそくさと開けてやる。事の次第が気になるあまり、少しどもってしまった。

「うむ」

 ポチはふさふさの毛皮を揺らし、優雅に室内に入る。ボスンとベッドに飛び乗って、器用なことにそのままお座りの体勢をとった。

 私もベッドへよじり、ポチの隣に腰を下ろす。キングサイズのベッドなので、私とポチが乗っても全く窮屈でない。

「で、どうだった?」

 アイスブルーの瞳を覗き込み、短く尋ねてみると。

「うむ……全てとはいかんが、いくつかおぬしに伝えても良いと許しを得た」

「マジで!?」

 朗報に探究心が震え、興奮した私はくわっと刮目した。

「じゃあ、言ってもいいとこまでは私に教えてくれるんだよね?」

 期待に満ち溢れた眼差しを送ると、ポチはゆっくり頷く。

「もちろんじゃ。じゃが……」

 語尾を濁し、じーっと私を見つめてくるポチ。なんだろう。何か悪い事を言うつもりなのだろうか。

「……何?」

 一抹の不安を感じながら、話を促す。返ってきたのは、私を試すような言葉だった。

「おぬしは今より悩むやもしれぬ。それでもよいか?」

 真剣な眼差しに射抜かれ、くっと息を呑む。

 ポチを廻る陰謀説が急浮上し、心がざわめいた。

「そんなにおおごとなの? この国の不幸に関わる、とか」

 おずおずと聞いた私に、ポチはゆるゆる首を横に振る。

「いや、シーバマメとは無関係じゃ。撫子が思うておるような凶事はない。しかし……おぬしの人生を左右するものでの」 

「……何それ」

「言葉通りじゃ。おぬしを日本へ帰したくないと祈った者の目的は、この国や世界を揺るがすような禍々しいものではない。じゃが、おぬしの人生に強く関係する」

 この国やポチ絡みじゃなくて良かったと胸をなで下ろす一方で、懐疑心が色濃くなる。私の人生に関わることって、なんぞや?

「聞けば、必ずおぬしは悩むじゃろうな。時には心を痛め、葛藤や懊悩に苦しむかも分からん」

 ポチは私を心配してくれているのだ。

 コトの中核を聞いた私が心を砕かないか、煩悶を重ねないかと。私をよく知るポチが断言するくらいだから、告げられるものはきっと悩むような内容なのだろう。

(──でも)

 少し考え、私はアイスブルーの双眸を見据える。

「ありがと、心配してくれて。でも、やっぱり自分に関係する事だから知っておきたい。それが大事なものなら尚更。たとえ辛くなっても、ちゃんと悩んで考える。自分のことだもん」

 他者の祈念によって私の帰還は妨げられた。けれど、誰が何のために祈ったのかは分からない。物事の中心人物であるにもかかわらず、蚊帳の外にいるようだ。

 日本に帰るかどうかはさておき、何も知らないままのうのうと過ごすのは嫌である。先が見えないし、状況も把握できない。

 ポチから話を聞くことで重大な悩みが待ち受けていようとも、知らないよりはずっと良い。自分自身に関することだし。

「……そうか」

 ポチはふっと笑みを漏らし、「おぬしらしいのう」と呟いた。

「不安にさせるような事を言うてすまなんだ。撫子なら大丈夫じゃろう」

 ニーっと唇を捲り上げ、満足げに頷くポチ。その笑い方、ちょっと怖いんだよね。もう慣れたけど。

「ううん。逆に踏ん切りがついたよ。大丈夫かどうか分かんないけど、一人で悩むのがしんどくなったら相談に乗ってね」

「うむうむ。容易いご用じゃ。わらわも気になる事柄ゆえ、いつでも声をかけるがよい」

「ありがとう。じゃあ、教えてポチ」

 和やかな雰囲気になったところで居住まいを正し、私はポチに話をせがむ。

 にこやかだったポチの表情がスッと消え、緊張感が走った。

 私の人生を左右する程の理由とは、一体なんなのか。見当がつかず、茫洋とした心持ちだった。

「おぬしを帰したくないと願った者の動機は──」

 ハスキーな女声が静かな室内に響く。

 ……いよいよだ。

 何せ、神様が心変わりするほどの「祈り」である。どんなに重いことを言われても受け止められるように、神経を張り詰め待ち構えた。

 が。

「色恋じゃ」

 ……。

 ……。

「はあ?」

「じゃから、色恋じゃて」

 ポチの口から放たれたのは、思わず拍子抜けするようなものだった。


 *


「色恋って、え、何?」

 色恋。色恋。

 心の中で反芻しながら、頭をひねる。パパパパパ、と思考が組み上がってゆき、私の鼓動がドクリと跳ねた。

「……もしかして、私のことが好きだから?」 

 私を日本へ帰したくないと祈った理由が「色恋」ならば、必然的にそうなるのではないだろうか。

(ええーっ嘘お!? こっちに来て半年の間ロマンスの欠片の「か」の字もなかったのに、ここでこんな展開が起こるの!? や、や、ちょっと待って。思い違いかもしれないじゃない。まだポチからその人が私の事を好きって聞いたわけじゃな)

「うむ」

 冷静なポチの声に、忙しない脳の動きがピタッと止まった。

「……マジで?」

 心臓がバクバクしている。なんだか顔が熱くなってきた。そんな、トキメキに頬を染めるような純な歳じゃないのに。うわなんか恥ずかしっ。

「……う、うむ。『まぢ』じゃ」

 私の動揺に影響されたのか、ポチがたじろいだ。

「それは、なんというか、アレだね。照れるね」

「はあ。おぬし、呑気じゃのう」

 若干もじもじしている私を見て、溜息をつくポチ。しょうがないじゃん。恥ずかしいものは恥ずかしいんだから。

 こほん、と、気を取り直し、ポチは話を進めていく。

「神へ祈りを捧げた者は、相当おぬしを好いておってな。撫子を日本に帰さないでくれと、一心に願ったのじゃ。……当人に『祈った』という自覚はないかもしれんがの」

 一度言葉を区切り、ポチはじっと私を見つめた。

「主神の末娘、愛の女神アルディナ様は、そやつの真摯で純粋な撫子への思いにいたく感銘を受けた。そやつの願いを叶えてやろうとしたのじゃが、撫子の送還は我が主神によって既に取り決められていた。そこで、父たる主神へ頼み込んだのじゃ。……主神はアルディナ様にめっぽう弱くての、願いは聞き届けられることとなった」

「神様」って堅くてとっつきにくそうなイメージがあったが、娘に弱いと聞いて少し親近感が沸く。神様にもちゃんと感情はあるんだね。

 へえ、と呆けた声をあげた私へ、ポチはジト目を向けてくる。な、何よ。

「……おぬし、まだ分かっておらぬようじゃの。主神が撫子を帰さぬと決めた今、下手をすればおぬしは一生こちらで暮らさねばならぬのかもしれんのじゃぞ」

「うっ」

 ハッと、脳がクリアになる。そうだ、照れたり感心したりしている場合ではない。確かに一生こっちで生活しないといけないとなると、私の人生はだいぶ変わるだろう。

「日本に帰るとしたら、その祈った人をなんとかしないといけないよね」

「うむ。おぬしが本気で帰郷したいのであれば、祈った者を諦めさせるなり説得するなりせねばならんな」 

 ポチの言葉に潜考する。

 両親の墓や自宅、預金口座など、気になるものは幾つかある。けれど、何が何でも日本へ戻らないといけない事情はなかった。職もないし、私を待つ人もいないし。

 だが、故郷を捨ててこっちに骨を埋めてもよいのかとなると抵抗がある。二十六年過ごした日本ふるさとを切り離すのにはやはり勇気がいった。

 まあ、帰るか帰らないかは置いといて。

 ──その前に、聞くべきことがあるではないか。

「で、誰なの?」

 私を帰したくないと祈った理由は把握した。私も女の端くれだ。愛の女神様に届くような熱っぽい好意を向けられているということに、悪い気はしない。

 問題は、それが誰なのか、である。

 ずずいとにじり寄れば、ポチは気まずそうに目を逸らした。

「……名は明かせぬ」

「えーっ! 何それー!」

 んもう、超肝心なトコなのに!

 どういうことかと問い詰めてみれば、「愛の女神の意向で、祈った人物を特定するような情報は教えられぬ」という答えが返ってきた。ポチの仕える主神は口止めをするつもりはなかったらしい。

 愛の女神アルディナ様曰く、「気持ちは自分で伝えるもの」とだそうで。人づて、いや、ポチづてで私に思いが伝わるようなことは避けたいんだとさ。だから、本当は個人情報だけでなく、祈りの理由も私には教えたくなかったとか。

 まあ、確かにそれはそう思う。自分の知らないところで好きな人に自分の思いをバラされていたとなれば、不本意だろう。もし私がそんなことをされたら……やっぱり嫌だ。

 ものすーっごく知りたかったけれど、私は渋々納得し、名前を聞き出すのは諦めた。

 その代わり。

「ヒント! ヒントちょうだい!」

 どうしても気になるので、ヒントを求めてみた。往生際が悪いかもしれないけどさあ、やっぱり気になるじゃん! ここ数年、愛やら恋やらとは無縁だったから、こういうの久しぶりなのよ!

 ポチは「しぶとい奴じゃのう」と呆れつつ、片手で数えられるくらいの手がかりをくれた。もちろん、愛の女神様の言いつけは破らず、私に教えても差し支えない範囲で、だ。ちなみに、ポチは祈った人が誰なのか知っているらしい。

 以下、得られたヒント。

 一、性別は男。(これは当たり前か)

 二、私の見たことある人。(神殿で働く人となら大抵一度は顔を合わせてるよね。半年もお世話になってるし)

 三、私しか見えていない人。(何これ私にゾッコンってこと? 嬉しいような恥ずかしいような……そんな人いたっけ?)

 誰が私に好意を寄せているのかなんて、この三つのヒントだけで特定できる訳がなかった。


 *


 その後、日本に帰れなくなった事をこの国の人にどう説明するか、また説明するべきなのかをポチと話し合った。

 結果、公にはせず、まずは大神官と王様にだけ知らせることになった。私と誰かさんの恋物語(や、向こうの片思いなんだけど)が一人歩きするような事態を回避するためである。

 一人の女を好きになった男。しかし女は故郷に帰る宿命にあった。

 異界に帰るべき女を、ある男が恋の祈りによってこの地に引き止めたとなれば、国は数奇なロマンスに沸き返るだろう。あらゆる所で犯人探しにも似た捜索がされ、きっと祈った人は嫌な思いをする。また、私に飛んでくる火の粉も多いはずだ。

 これは私と祈った人との問題なので、他人に口出しされたり、妙な指図を受けたり、周りに流されたりしたくない。それに、静かで平和な日常が崩れるのも嫌だ。

 相談できる人がかなり限定されてしまうのは痛かったが、とりあえず、今回の件は王様と大神官以外の人には一切告げない。六日後に送還の儀を行うフリをして、「ポチの力が足りなかったので失敗に終わった」とひと芝居うつのだ。

 そこには私のこんな思惑もあった。

 件の人物は自分の願いを神が叶えた事を知らないらしいので、向こうは六日後に私と永久の別離を迎えてしまうという認識のままだ。そこを利用し、私は祈った人を突き止めようと企んでいる。

 神様に祈るほど、またその祈りを神様が聞き届けるほどに私への思いが強いというのなら。そこまで私のことが好きで、別れたくないのなら。

 きっと、祈った人は何らかの行動に出るに違いない。私の帰還が近付けば近付くほどに焦り、焦って焦って、私に接触してくるはずである。告白とか告白とか告白とか。もしくは、別れを綴った手紙を送ってくるとか。

 そして、例の人物と対峙する時、何らかの原因で話がこじれたなら、その人へも全てを明かす。私が帰れなくなったことと、その理由を。

 ……もしも、その人に告白をされたり、引き止められたりしたらどうするのか。

 ポチの「必ずおぬしは悩む」という言葉は見事に当たった。私は脳みそが沸騰するんじゃないかっていうくらい、夜が更けていくのも構わず考えた。相手が誰なのかも分からないのに。

 窓の外が白み、ひどく瞼が重くなった頃、「その時に考えよう」という結論が出た。あれだけ悩み考えて行き着いた先がこれだよ。でもだってどうしようもないじゃない。誰か分かんないし、告白された訳でもないし。

 朝方になって眠気に急襲された私は思いっきり寝過ごしてしまい、昼食を運んできたエメリアに苦笑いされて起こされた。その日の護衛担当だったヒューズくんは、私が起きるまで部屋の前でずっと待機してくれてたとか。申し訳ない。

 借りた絵本の感想を伝え、再度お礼を言ったのだが、ヒューズくんはどことなく浮かない顔をしていた。……これはもしや、まさか! と、件の人物に結びつけ、「どうしたの」とさり気なく探りを入れてみたが、彼は職場の先輩の態度について考え込んでいただけだった。

「とてもひねくれている方で、扱いに困っています」と、珍しく仕事中に溜息を漏らしたヒューズくんを見て、彼は人が善いから損するだろうな、なんて失礼な事を思ってしまった。

 この日は寝坊したせいで時間が潰れてしまい、午後からヒューズくんと庭の散策をした。ヒューズくんは緑を愛でる会の仲間である。花や草の名前や特徴を教えてくれるので、楽しい半日を過ごすことができた。

 ……楽しい半日だったけど、件の人物についての収穫は何もなかった。


ガゼボ:ヨーロッパ式の風景式庭園。庭につくられる装飾的な建物。

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