【一】
二つの通りを繋ぐ横道に入れば、人の行き来はまばらだった。それをいいことに足を止めれば、少女はビルの側壁に列をなす看板を見上げる。その視線の先あるのは、シンプルなつくりの看板だった。黒字でレタリングされた文字が、その店の存在を主張している。
「ここが浮雲……」
「正確にはこっちだよ」
上にばかり向いた少女の視線を、桃が低い位置に導く。昼間だというのに薄暗い階段は、オレンジ色の暖色灯で照らし出されている。
横で少女の挙動を見ていた僕は、彼女の喉がごくりっと上下したのがわかった。
「緊張してるの?」
僕の問い掛けに、少女は頷く。
「拓に直接会うのは久しぶりだから」
「だからこそ、あいつはきっと喜ぶよ」
「そう思いますか?」
「だって君も同じ気持ちだろ?」
後ろで桃の笑い声が聞こえる。その笑い声は決して不快なものではなかったけれど、自分で口にした言葉に少し恥ずかしくなって、僕は答えを待たずに階段に足を掛けた。
「ほら、行くよ」
言って、僕は階段を進んだ。後ろに続く足音は、まるで少女の鼓動を表すようにだんだんと早くなった。終いに僕の隣に立った彼女は、店の扉の前で、大きく深呼吸をした。
それを確認して僕は、その扉に手をかけた。店のドアを開くと、こちらに背を向けてカウンターに座る小さな後ろ姿が目に入る。その背中の主はこちらの気配に気づいて振り返った。僕の姿を真っ先に捉えたのだろう。その口からは不満そうな言葉が発せられる。
「遅いよ、亮兄ちゃん」
そして、その声に誰よりも早く反応したのは、少女だった。
彼女は僕を押しのけて前に出る。
「拓君!」
「え? 芽衣がなんでここに?」
答えを返すより早く、少女は拓の胸に飛び込んでいた。