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色彩ハ唄‐いろはうた‐  作者: 黒崎メグ
共にあるのは緑
12/23

【三】

 その姿を目にした途端、僕は胸の奥から湧き上がってきた熱を感じた。

 これが嫉妬なのだろうか。拓と手を繋いでいたのを目にした時抱いた感情とは違う。僕は半ば八つ当たりに近いかたちで、その熱を彼女の名にのせた。

「桃!」

 彼女は高く結った髪を揺らし、その黒い瞳で僕を捉える。ふわりと風が起こったような気がしたと思った瞬間、その顔に浮かんだのは微笑みだった。

 ああ、いつもの桃だ。

 そこにあるのは紛れもなく、僕がよく知る彼女の姿である。その春風を思わせる微笑みは、僕と彼女を繋ぐ証だった。それにほっとして、胸に帯びた熱は霧散する。

「亮はいつも早いね」

 独り言のように呟いて、静の手を離し、こちらにやってくる彼女の歩みに迷いはない。彼女の纏った水色のシャツワンピースの裾が、その歩みに合わせて揺れている。彼女が僕の隣で足を止めると、その動きもぴたりと止まった。

 桃はテーブルにつく老人を視界に捉え、彼にも笑顔を向ける。

「大野さん、こんにちは」

 老人は有希さんに向ける笑顔と同じように、目を細め目尻の皺を深くした。

「はい、こんにちは」

「桃、大野さんはお前のことをお待ちだったんだぞ」

「えっ、それホント、司兄さん」

 呆れたように肩を竦めて、司さんは老人を見やる。一瞬司さんに顔を向けた桃も、釣られるようにして老人の顔をとらえた。横に立つ僕からは、彼女が申し訳なさそうに背を丸めたのがよくわかった。

「ごめんなさい。でもこちらでお待ちになるより、家にいらしてくださればよかったのに」

「今日は連れがいたものだからね。それに待ち時間も案外楽しく過ごさせてもらったよ」

 僕と静に交互に視線を向けて、老人は朗らかに言う。一瞬互いに視線を合わせてしまった僕らは、どちらともなく顔を背けた。桃はその様子に目を瞬かせている。桃はどこか訝しそうに僕らに視線を向けたが、僕らが何も言わないのがわかると、彼女の興味はすぐに老人へと戻ってしまった。

 きっと自分が事の発端を作ったなんて、考えもしないんだろうな。

「それで大野さんは、今日は私になんのご用だったんですか」

「うん、実は君に紹介したい人がいてね」

「私に?」

「そう。私の孫なんだがね……」

 そこで言葉を区切って、老人はテーブルの向かいに座る有希さんに言葉を投げる。

「有希、御挨拶を」

「はじめまして、強く優しい気を纏う赤鬼さん。大野有希です。よろしくね」

 有希さんの言葉に、桃の気が瞬時に緊張を帯びたのがわかった。いったいどうしたというのだろうか。確かに、有希さんが鬼のことを知っていることに驚きはするだろうが、それでもこの老人の孫だと考えれば納得もできるだろうに。しかし彼女の帯びた緊張は、一向に解かれる気配がない。

 なんだか様子がおかしい、と思ったのはすぐのことだった。いつもの桃ではないような、どこか悲しい感情さえ生むような、そんな気配を彼女は纏っている。

「何も知らない、鬼を見るはずもない人に、私のことを話したんですね」

 長いまつげを伏して、彼女は懸命に感情の波を抑えようとしている。僕はそれを感じとることができたけれど、彼女が何に対して心を揺らしたのかまではわからない。だから僕は掛ける言葉を持ち合わせていなかった。それがひどく残念であり、悔しくもある。

 代わりに彼女の心を落ち着かせるように諭したのは、他ならぬ老人の言葉だった。

「私はね、常々、君達はもっと理解者を持つべきだと思っているんだよ」

「それは大きなお世話ってやつだろ?」

 横から入った静の野次を、老人はきれいに受け流す。

「私は、あなたではなく、桃さんに考えて欲しいんですよ。だからあなたが何と言おうが、私が酌むべきは、彼女の気持ちです。桃さん、あなたはどうお考えですか?」

「私は……」

 桃は言葉に詰まり、押し黙った。

 初めて鬼の姿を目にした時、彼女の目を通した僕の姿がどんなふうに見えているのか気になったことがある。結局それは、事実を知ることが恐ろしくて聞けずじまいだった。

 けれど今回老人が口にした問い掛けは、僕がそうすることができなかった彼女の本心に、触れようとする行為だ。

 彼女はとても繊細で、だからこそ、そこは踏み込んではいけない領域だと、僕は暗に思っている。彼女を傷つけてしまうのが怖いし、それ以上に彼女に拒絶される可能性を考えると踏み切れない。彼女が相手を傷つけることを好まないと知っていてもだ。だからこそ、僕は言葉にするのを戸惑ってしまう。

「なぜ、私が連れて来たのが有希だか、わかりますか」

 桃が言葉を発しないのを確認して、老人は言葉を続ける。桃はその言葉に顔をあげた。しかし答えは持ち合わせていないようで、瞬きを返す。老人はそんな彼女と、向かいに座る有希さんに愛おしそうに視線をやった。

「私がね、この子を連れて来たのは、この子が君に一番近いからなんですよ」

「近い?」

 思わず僕が漏らした呟きは、桃の呟きと重なって店内に響いた。その様子に、老人は苦笑をもらし、言葉を重ねる。

「そう、近いんです。この子は目が見えない。その意味するところを、敏い君なら察してくれるはずだ」

 桃は有希さんを見た。桃が有希さんを見つめる瞳には驚きと憂いの色がうかがえる。

「人は自分と違うものを怖いと思うものです……」

 桃の唇からもれた言葉に老人は頷く。

「ええ、存じ上げていますよ」

「だから、その恐怖から逃れるために、排除しようとする」

 それを耳にした瞬間、僕の脳裏を「私が怖くないの?」と尋ねた彼女の姿が過った。あの時僕が否定を示すと、彼女はとても嬉しそうだった。あの時は容姿のことを気にしていたと思っていたが、今の会話を聞く限り、どうやらそう単純な話ではないらしい。桃は自分が人と違うということを知られることに、そして恐怖の対象になることに酷く怯えているようだ。

 僕は怖いなんて思わない。排除しようだなんて思わない。

 この思いを伝えなければ――。

 言葉にしなくちゃ伝わらないものがあると、そう言ったのは桃だから。

 思いと決意は一瞬だった。



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