1.不可解な侵入者
「へぇ……図書局に入るなんて珍しいね」
大地は近くに置いてあるパイプ椅子に腰掛けた。
「そうなんですか?ちなみに、今図書局って何人いるんですか?」
「ゼロ」
雪音がそう言うと、大地は驚いたようだった。
「一昨年までは、2、3人いたけど、辞めちゃって今はいない」
「辞めた?」
「そう。図書局入ったって好きな本を好きな時に読める訳じゃないし、仕事地味だし、受験勉強もあるしね」
「じゃあ去年は先生一人でやってたんですか?」
「うん。でもほら、うちは貸し出しも、パソコンに名前を入力すれば勝手に持って行っていいシステムだし、一人いれば充分なんだ」
そう、充分だったのだ。
生徒も教師も来ず、自分一人の空間。
雪音は人と付き合うのが苦手だった。面倒だった。
だから、この図書準備室は雪音の城のようなものだった。 誰も来ない自分だけの城。
誰かを気にすることも、誰かに気にされることもなく、のびのびと過ごせる場所。
決して広くは無い。事務机とオフィスチェア、パイプ椅子一脚と一人掛けソファ。そして小さなテーブル。いくつかの棚。それしか無い。
けれど、むしろその狭さが安心感を与えた。紛れもなく自分だけの場所だ。
それなのに、今目の前にいる生徒は図書局に入ったという。
雪音にとって、それは残念なことだった。
大地は何か考えているようだった。
「だから、図書局に何かを期待しない方がいい。辞めたくなったらいつでも辞めていいよ」
むしろ遠慮しないで辞めてくれ。そう思った。
雪音がそこまで言うと、大地は真顔で言った。
「俺、辞めませんよ」
思わず大地の顔をまじまじと見る。
雪音はこの時、初めてきちんと大地の顔を見た。
色が白い子だな、と思った。座っていても足が長いのがわかる。くせ毛だろうか。髪は少しうねっていて、柔らかそうだった。
「そう」
それだけ言って雪音は、手元にある本に視線を戻した。
たぶん、今はそう言ってもすぐ辞めるだろう。今までもそうだった。
「ところで、さっきも聞いたんですけど、それ何ていう本ですか?」
「あぁごめん。忘れてたね」
雪音はそう言って本の表紙を見せた。
「おもしろいですか?」
「さぁ。さわりしか読んでない。でも本屋大賞受賞したし、時代物のエンターテイメントだし、高校生にぴったりかな、と」
「図書の購入は立花先生が決めるんですか?」
「そう。だから生徒の仕事はほとんどないんだ」
暗に『やることはないよ』とほのめかしてみる。
「立花先生って、正直というか…ストレートですよね」
大地は「ふっ」と笑った。
「その本だって、読んでなくても『面白い』って言っておけば生徒は読むかもしれないのに。それに本当は、俺に早く帰ってほしいんでしょう?」
雪音は返す言葉がなかった。
いつも適当に会話し、あしらっていた。しかしそれで上手くいってたのだ。
こんな風に、正直に言葉を返された事はなかった。
「今日は帰ります」
そう言って大地は立ち上がった。
身長は高く、スラッとしていた。
私は、この生徒を傷つけてしまったかもしれない。
そう思ったのも束の間、
「でも明日また来ます」
そして大地は柔らかく笑って見せたのだった。
雪音はただ見送ることしか出来なかった。