プロローグ
「ナルミ、暑いと思うけどすぐ戻るから、ちょっと待っててね!」
「ワン!」
西暦2XXX年7月
19歳の少女アカリは、額の汗を拭いながら、新しい野菜の種を収集すべく、愛犬の柴犬である、ナルミを廃墟となった高層ビルの屋上にお留守番させ、中にあるホームセンターに忍び込んだ。
屋上の通気口から忍び込んだアカリは、天井に取り付けられた格子口を慣れた手つきで取り外すと、音も無く棚の上に着地した。
「うわっ、暗い」とおどけつつ、背中に背負っていた黄色いリュックサックの中をガサゴソと漁りはじめると、軽快に鼻唄を歌いながら懐中電灯をおもむろに取り出し、電源を付け、辺りを見渡した。
辺り一面は棚の30cm程下まで浸水していた。
「あれ〜?ここってこんなに水来てたっけ?」
アカリは首を傾げながら辺りを見回し『栽培』と書かれた標識を見つけると、目を輝かせ、棚と棚とを飛び繋ぎその場所まで向かった。
栽培標識の下に着くと、リュックから、今度は『初心者用 やさしい初めての野菜栽培』という本を取り出した。そして、春夏秋冬に色分けされた目印を頼りに、夏のページを開くとふんふんと頷きながらページをめくり始めた。
「へぇ〜、夏ってキュウリとかオクラとかが栽培できるんだ。ん〜でも、緑系は結構もうやっちゃったもんな〜。あっ!ミニトマトいいじゃん!初心者でも栽培しやすいらしいし!」
よしっと本を閉じ、棚を覗き込むと、ちょうど水と空気の境目に陳列されてあるミニトマトの種を見つけ、足と左手で上手にバランスを取りながら右手を伸ばし種の袋を回収した。
満足気にミニトマトの種と栽培本をリュックにしまうと、また来た棚々を軽々しく渡りながら通気口へと向かう。
最後の棚まで来た時、蹴り上げた右足が棚に掲げられていたセールの看板につまづいてしまった。まだ棚に付いている左足で踏ん張ろうとするも虚しく、水にザバーンっと頭から突っ込んでしまった。
水の中は夏の暑さを感じさせないほどに、異様に冷たくて、透き通っており20m先まで余裕で見える程だった。
『もう少しこのままでいいかも』
泳ぎに自信のあるアカリは、少しの間水の中に留まることにした。
そう思ったのも束の間、視線を感じたアカリは懐中電灯を消し、急いで棚へと泳ぎ進めた。
ぷはぁっと水面上へ出ると、涼しかった水中から一転、生暖かい夏の空気に晒され寒暖差に身体がびっくりして震えながらも、ずぶ濡れになった体を重々しそうに這い上がった。
「念の為…見とこ」
アカリは懐中電灯の電源を入れる。懐中電灯は防水加工が施されていた。
水の中を覗き込むと、2mを超える魚影がゆらりと下を通過して行った。
それが通過していくのを確認するとはぁっと息を吐き、体の力が抜け落ちたように仰向けに倒れ込んだ。
そして大きく息を吸い込み安堵した表情になると、ぷはっと吹き出し
「あははっ!」と笑い飛ばした。
しばらく笑ったあと、息を切らしながら肩を上下に揺らして深く呼吸をした。
そしてアカリはどこか寂しげに笑って、リュックにつけてある鍵のキーホルダーを眺めた。
そのままぼーっとしていると、アカリはハッとしたように、首を振り体を思いっきり逸らすと勢いよく反動で立ち上がり、通気口に上がり、ナルミの待つ屋上に戻っていった。
屋上に出ると、ナルミが待ちかねていたかのようにアカリに飛びつき、顔をぺろぺろと舐めまわし始めた。
「もぉーくすぐったいってぇー!」とか言いながらも、アカリも嬉しそうにナルミの頭を撫で回す。
お互い気の済むまでスキンシップした後、アカリは立ち上がり、べたべたになった顔を拭いながら辺りを見渡した。
そこには、水に覆われたかつての「東京」の景色が広がっていた。
「さぁ、帰ろっか。」
アカリとナルミは最近新調したゴムボートに飛び乗ると、自宅に向かって漕ぎ進み始めた。
アカリ達の住む世界は、数年前の大災害によって水没した。
人が行き交っていたスクランブル交差点には巨大なサンゴ礁が、新たな生態系を守る家としてそこに鎮座していた。
かつては交通渋滞を起こしていたビル街も、今や水生生物の通り道となっていた。
誰にも邪魔されない水面上を、アカリはボートを進めながら下の様子を覗き込む。
怖いくらいに澄んだ水面下には、人間が暮らしていた形跡が、いまだにはっきりと残っていた。
「あー!あのバッグ私が欲しかったやつー!もぉー、もったいなーい」
アカリが欲しがっているブランド物のバッグや、多種多様な形をした車、服や電子機器まで、人間の生活を支えていた全ては過去のもののように、水の中を漂っていた。
人間が暮らしていた都市は、今や水生生物たちが暮らす水中の楽園となっていた。
アカリは顔を上げ、何かを思い出すとオールをボートの縁に置きリュックを漁り始める。
そして、双眼鏡を取り出し、目的の方向に向くと両目をレンズに押し当てピントを合わせ始めた。
「今日も綺麗だなー」
アカリは遠くに見える東京スカイツリーに見とれていた。
日本一の高さを誇っていた東京スカイツリーも半分程が浸水していた。
銀色に輝く鉄骨タワーは、青々しいツタが這い巡り、色鮮やかな花々が彩り、まるでこの地を守る巨木のようにそびえ立っていた。
アカリはこの東京スカイツリーに、「グリーンツリー」と、なんの捻りもない名前をつけ、ツタの伸び具合や花々を眺めることが、アカリの日々の日課になっていた。
やがてアカリは双眼鏡を覗くのをやめ、ぐぐーっと背伸びした。
「うんうん、今日もお綺麗なこと!」
アカリは、またオールを手に取ると今度こそ自分の家へ目指し漕ぎ始めた。
この時のアカリはまだ知らなかった。
この世界の終焉がもうすぐそこまで迫っていることを。
自分の夢を叶えるため、迫りくる残酷な運命に立ち向かう、どこか切なく暖かい少女の物語。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
次回は、2026/7/15日に投稿予定です。
お楽しみに




