爆発
大きな満月がパカリと穴を開けるように暗い夜空に浮かんでいた。冷え冷えとした光が照らすのは街ではなく、浮遊島。その影が街に落ち、明暗をはっきりさせている。
深夜。もうすっかり街は眠りに入っている。静寂が包む世界。石畳を歩くかつり、かつり。という二人の人間が歩いている音だけが響いていた。
アルコールが入っているためかなんなのか、火照る頬。そこに触れる冷たい風が心地いい。私は軽く息を付いて、隣を歩いている先輩を恨めしく見つめる。
「ほんっとに毎回毎回。いいかげんその容姿何とかならないんですかね?」
「うん。ごめんね。どうしていいのかは分からなくて」
――ほんっとにそう思っているんだろうか。いや、無茶を言っているのは分かっている。分かってるんだけど、性格がどうにもならないなら容姿をどうにかするしかないよね。という愚痴を。
……って。
儚く笑わないで欲しい。なんだか罪悪感が溜まっていく気がするから。
「でも、エリアルが助けてくれるでしょう?」
えっと。
なぜ助けてもらう前提なんだろう。
自助努力。
まずは、自助努力からでしょう? 私は怒りに満ちた薄笑いを浮かべるしか無い。よくわからないという整った顔を引っ張ってやろうか。と思った。
「あの。私の精神が削られるんですが?」
なぜ付き合っているわけでもないのに『泥棒猫』とか『女狐』とか『阿婆擦れ』とか言われなければならないんだよ。毎回毎回。大体そっちも付き合ってないのに罵詈雑言を学生の頃から並べられる私の気持ち。
阿婆擦れっていうけどさぁ今まで私は誰とも付き合ったことは――じゃなく。
ま、それはいい。それはいいんだ。いつもの事だから。学生の頃とはちがって『いじめ』が無いだけマシだ。それでもゴリゴリ精神は削られるけども。
問題は不思議そうにしている先輩が『僕の彼女』とか言い出すからだ。
え。ちがうけど?
うん。今回は空気を読んで助けようとしてくれたんだよね。分かるよ。分かる。付き合ってもないくせに出てくんなと言われたのが嫌だったんだよね。でも肩を掴んで『付き合ってます』とか言う? 普通。
……え。子供かなぁ。
ともかく、そのまま恋人同士の振りをしなければならなかった私の気持ち。皆に見守れながら店を出なければならなかった私の気持ち。
しかも頬にっ。頬にキスまで。どんな羞恥プレイだと思うの。挨拶だと言われても納得できない。
とにもかくにも。もう職場に行きたくないです。どう考えても揶揄われるのは目に見えていたし誤解を解くのも一苦労しそうで頭が痛い。
うん。朝熱が出ますように。私が。
「エリアル?」
「え?」
考え込んでいたせいでパッと顔を上げると整った顔がそこにあった。暗くても水色の双眸がよくわかる。吸い込まれるような。
――ふぁ?
弾けるようにして私は上半身をのけぞらせていた。その様子を不思議そうに先輩は眺めている。
いや。いきなり目の前に顔があれば誰だって驚く。驚く上に、その美貌ではね。一拍おいて心臓がバクバクと強く跳ねるのを押さえながら先輩を見た。
すー。はー。と息を吸う。平常心。平常心。
「び、びっくりするじゃないですか。ったく。大体先輩は基本人の心を考えた方が良いと思います。振り回される私の身にもなって欲しいので」
「――だって、他に方法が見当たらないんだもの。エリアルが僕に――」
どこか不貞腐れる様な声は小さく、聞きにくい。おまけに最後まで紡がれることはなかった。ずんと低い振動。その直後だったか、身体を鷲掴みするような低い爆発音が響いたからだった。反射的に身を屈めながら空を仰ぐ。
朱色に西の空が染まっている。ゆらりと辺りを見回せば、少し行った区画がまるで昼のように明るく見えた。
(――テロ?)
酒場の会話を思い出し、初めて『そのこと』が現実のように感じられた。チリチリと空気に混じる焦げ臭いもの。人々の混乱した声と、警備兵が吹く甲高い音。それが恐怖を煽る。
こ、こちとら平和に生きてきたのに。
震える手を止めることは出来なかった。その手を大きな手がぐっと握りこむ。ゆるりと顔を上げると先輩の水色と目が合った。
柔らかい、氷が解けたような、色。それは何処もでも優しい。にこりと宥めるように笑うと、表情を硬くしてから音が、光が漏れ出す方向に目を向けた。その方向から微かに熱も伝わってくる気すらして軽くもう一度震えた。くっと我知らず口元を真一文字に結ぶ。
「少し先の区画みたいだね。早く戻ろう」
きゅうと抱きしめられた肩の体温が心地い。その効果なのだろうか平常心が戻ってくるようだった。まぁ、戻ってきたら、きたでこの状況は恥ずかしいので身動ぎしたが存外力が強いので動けなかった。
それもあるが。
「――でも」
「うん。ごめんね。でも僕らには何もできないよ」
先輩は私が割って入るとでも思ったのだろう。困ったように眉尻を下げた。
「いや。あの。そうではなくて」
確かに何もできないので私はそこに行くという選択肢は毛頭持っていない。ただの相談員なのだから。ここは消防団や医療班に任せるしかないだろうと思う。明日になれば応援の要請などがあるかもしれないし。
何より、怖いからね。
足が竦むとはこのこと……。このことなのだけれども。
恥ずかしくてジワリと頬が染まる。出来れば穴があったら入りたい気分再びだ。今日はなんて……。
私だって帰りたい。けども――。視線をずらしてから再び意を決して先輩を見た。
ええい。ままよ。『あしが』という言葉に先輩は『あしが?』と私の言葉を辿る。本当に分かっているのかいないのか。きょとんとした顔が憎い。分かっていたら悔しすぎる。思わずくぐぐと喉を鳴らしてしまう。
「その……足が震えて立てないです。腰が――」
抜けてしまって。
薄く消え入るように『助けて』と言えば、先輩は少し目を丸くした後で大きく笑ってた見せたのは恥ずかしいやら悔しい思い出だった。




