第125話 老人の手紙 ⑥
70年以上も大切に使っていたハーモニカでした。
私は自分の人生を呪うような気持ちで立ちすくんでいました。
その時です!
私の唇がハーモニカを吹いている時と同じように振動し始めたのです。
何が起きたのかとびっくりしました!
その振動はいつものように私の脳の中で私にしかわからない音に変換され、故郷が聞こえてきたのです。
頭を振っても、聞こえない耳を塞いでも故郷が聴こえてくるのです。
故郷の次は紅葉です。
紅葉の場合は、歌詞はもちろんですが、紅葉が目に染みるような色鮮やかに山一面を覆っている様子やその上に広がる真っ青な空が本当に目で見ている様にはっきり見えてきたのです。
秋の夕日に 照る山 紅葉
濃いも薄いも 数ある中に
松をいろどる 楓や蔦は
山のふもとの 裾模様
私は怒りのあまり、頭がおかしくなったのではないかと思うほどでした。
それくらいはっきり見えたのです。
そしてゆっくり唇の振動は止んでいきました。
山の景色も真っ青な空も消えてゆき、この海岸の現実の景色に切り替わっていったのです。
ハーモニカを海に投げ捨てたのは、八重子に対する気持ちが大きかったように思います。
アメリカを憎んで死んでいったあの可愛かった八重子が不憫で仕方なかったのです。
八重子が憎み、呪う対象を兄の私も一緒になって憎み呪ってやりたかったのだと思います。
八重子をひとりにしたくない思いが、ハーモニカを投げ捨てさせたのだと感じていました。
ハーモニカを捨てても故郷と紅葉の曲だけは消えてくれません。
海に投げ捨てることは出来ませんでした。
その時でした。
潮風ではなく真水の匂いがしたのです。
そしてあなたと同じ様に、あの休ませてあげますと言う声を、聞こえないはずの私の耳が聞いたのです...
耳で聞こえたというのが正確な表現かどうかわかりませんが、はっきりと確かに聞こえたのです。
私以外誰もいない海岸でのことです。
あの海岸で真水の匂いがしたのも事実です。
そして、確かに休ませてあげますと聞こえたのです。
心に響くような透明感のある声でした。
耳の聞こえない私が、聞こえるはずのない声を聞いたのです。




