9.人肉の駄菓子屋
9.人肉の駄菓子屋
放課後。
私と靂は、永遠に続きそうな下校の道を並んで歩いていた。
学校を離れながら、どこかへ散歩に出るような気分で。
「お腹、空いたね」
そう言うと、靂がこちらを見て尋ねた。
「バッテリー、あと何パーセント残ってるの?」
「もう20%しかない。靂は?」
「私は80%くらいかな」
「すごいね。さすがメイド・イン・ビーナス。丈夫なんだ」
そう言うと、靂は少し照れたように微笑んだ。
「でも20%はやばいよ。相当お腹空いてるでしょ?このままだと餓死しちゃうかも。早く何か食べて充電しないと」
「どこか、食べられるところある?」
「うーん……」靂が少し考え込む。「ここはど田舎だからね。ちゃんとした食堂は、けっこう遠くまで行かないとないかも」
「もうこれ以上歩くのはごめんだな」
私が文句っぽく言うと、靂も同じ気持ちらしく、苦笑してうなずいた。
「じゃあ、近くに――まあちゃんとした食事処ってわけじゃないけど――古びた田舎らしい駄菓子屋があるよ。そこ、行ってみる?」
「行く、行く」
私は即答した。
「駄菓子屋か。火星にはそういう店、なかったから初めてだよ」
「じゃ、行こう」
靂が言い、私たちはすぐに駄菓子屋の方へ向かった。
学校からわずか一ブロック先、裏手にあるその店には、ほとんど瞬間移動のように——いや、光速で——到着した。
建物は木造だった。だがその木目は、火星では見たことのない、不思議な模様をしていた。
それは、私のメモリチップには保存されていないはずの「懐かしさ」を呼び起こすような、そんな木目だった。
まるで卒業アルバムの片隅に、誰にも見せたことのない写真を不意に見つけてしまったような、胸の奥をかすかに掻き乱す感覚。
全体的に質素で、店というよりは庶民的な一軒家のようだった。生活の匂いがして、穏やかな形をしている。
——なのに。
「入りたくない」
そう感じた。理由もなく、身体の奥のセンサーが拒絶信号を出している。
このまま逃げ出したいような、そんな衝動。
お腹は空いているはずなのに、ここで充電したいとは思えなかった。
本能的な警報が、私のCPUの奥を駆け巡る。
「じゃ、入ろうか」
靂の声が、風鈴のように響いた。
その音は、私のエラー寸前の思考回路を、そっと冷却していく。
金星の空気にまだ慣れていない私の中で、彼女の声だけが安定した信号として流れた。
「……うん」
結局、私は靂と手をつなぎ、そのまま駄菓子屋の中へ入った。
内部はこじんまりとしていて、古い日の木の匂いが漂っている。
私は駄菓子屋という空間を初めて体験する。
——なのに、やはりどこか懐かしい。
まるで、操作プログラムが“懐かしさ”という感情を即興で生成しているみたいに。
棚には、色とりどりの菓子が並んでいた。
だがそのどれもが、どこかおかしい。
たとえば——
目玉の形をしたキャンディがある。
それらは乾いたガラス玉ではなく、潤んだ生の目玉で、血管が透け、瞳孔が私たちの動きに合わせて動く。
まるで、無数の目がこちらを見ている。
隣には、人間の指の形をしたガム。
シロップのような赤い液体が指の根元にこびりつき、まるで血を模している。
触れることすらためらわれるような光沢。
——いや、血の匂いがする。
さらに棚には、花の形をしたお菓子があった。
花弁の中心には、人間の歯や舌のようなものが混ざっている。
ピンクの砂糖衣の下から覗くその肉片が、甘い香りとともに腐臭を滲ませていた。
私は息をのんだ。
カウンターの奥には、店主がいた。
——蛇だった。
ただし、頭は人間。
肩までの黒髪を整えた、昭和の中学生のような少女の顔。
艶やかで、整っていて、どこか現実感がないほど美しい。
胴体は巨大な蛇のそれで、カウンターの向こうで幾重にもとぐろを巻いている。
一巻きごとに、成人男性の太ももほどの太さ。
十重ほどの層を重ね、その頂上に、人間の少女の頭部がぽつんと載っていた。
「店主だよ」
靂が横から静かに言った。
その言葉は、靂がこの店の常連であることを、何より雄弁に物語っていた。
あまりにも自然で、慣れきっていて、まるでこの異様な空間にすっかり馴染んでいるようだった。
だからこそ、私は——恐ろしくなった。
この気味の悪い店の雰囲気そのものが、靂の延長のように思えてきたのだ。
私は無意識に、彼女の手を振りほどこうとした。
だが、それを察した靂の手が、ぎゅっと私の手を握り返す。
金星製ヒューマノイドの出力は、火星用の私とは比べものにならない。
逃れようとすれば、関節が砕けるだろう。
その圧力に、私はすぐに抵抗をやめた。
あきらめが静かに体内を伝い、コードの奥にまで沁みていく。
結局、私は彼女に導かれるまま、駄菓子屋の中で充電を済ませるしかないのだと思った。
「こ、こんにちは」
喉のスピーカーがかすかに震え、ノイズ混じりの声が出る。
苦笑いの表情を装いながら。
その瞬間——
カウンターの奥で眠っていた店主の顔が、ぴくりと動いた。
人間のように見えるが、どこか違う。
眠りの表情が一瞬だけ崩れ、微細な電流が走ったように、まつげが震えた。
やがてゆっくりと、その瞼が開く。
異様に長い睫毛の奥から、深い黒の瞳がこちらを見つめる。
美しすぎて、むしろ不気味なその目が、まっすぐに私を射抜いた。
そして、彼女の唇がゆっくりと開いた。
火星でも、地球でも、太陽系のどこでも聞いたことのない声。
空気を震わせ、細胞の奥を撫でるような、妖艶で完璧な音。
「ようこそ——人肉の駄菓子屋へ」




