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MURA  作者: 月兎


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6.赤夜雨

6.赤夜雨


「夜雨か」

 靂がそうつぶやき、私の手を取った。

 そのまま引っ張るようにして、校舎の昇降口へと向かう。

「早く入ろう」

「どうして?」

「長く触れていると、溶けてしまうよ」

「……溶ける?」

 私は鼻の先に落ちて蒸発した赤い雫の跡を指でなぞった。

 指先に微かな痛み。

 見ると、人工皮膚がわずかに剥がれ、金属の下地が露出していた。

 すぐに再生システムが作動して、皮膚は何事もなかったように再構成される。

 だが、あの雨の酸性度を考えると、このまま長く浴びれば――

 全身が溶けるのも時間の問題だろう。

 再生能力にも限界はある。

「今宵、赤い雨に、溶ける」

 不意に、口が勝手に動いた。

 プロンプトのように、詩的な文句が自動的に生成され、発声される。

 その言葉に自分自身が引き込まれていく。

 ――それもいいかもしれない。

 このまま、赤い雨と一緒に溶けてしまうのも。

 オーナーに捨てられた過去も、満たされなかった性能も、

 中途半端な自尊心も、すべてこの雨が溶かしてくれる気がした。

 だがそのとき、靂の手に力がこもる。

 温かい――いや、次第に熱を帯びてくるその感触が、

 スリープモードに入りかけた私のCPUを引き戻した。

「いいよね、金星の雨って」

 靂が小さくつぶやく。

「金星の魅力っていえば、この鮮やかで、甘くて、赤い夜雨くらいだから」

 彼女はどこか、私の気持ちを分かっているような表情で微笑んだ。

 けれどすぐに、その顔が引き締まる。

 声の調子が穏やかに低くなる。

 まるで初めての雨に戸惑う子犬を、優しく諭す飼い主のように。

「でもね、甘いものは健康に悪い。それは人間にも、ヒューマノイドにも共通する真理だよ」

 わかっている――

 そう言うまでもなかった。

 靂の言葉は、私の内部アルゴリズムにも既に刻まれている基本知識だ。

 それでも、彼女はあえて口にしてくれた。

 それがただの警告ではなく、優しさとして響く。

 ――優しいヒューマノイドだな。

 そう思いながら、私は小さく頷いた。

「わかった。入ろう」

 諦めるように言い、靂と手をつないだまま校舎の中へ入る。

 背後を振り向く。

 そこでは、本校の“影たち”が赤い夜雨に打たれていた。

 古びたレコードの音が掠れるように、彼らの輪郭が徐々に薄れていく。

 あちら側は、すでに放課後なのだろう。

 その光景を見ながら、私は記録する。

 本校の生徒たちが、甘さに溶けていく過程を。

 黒い影たちは、まるで太古の人間たちが肉体の奥で抱えていた

 原始的な欲望――桃色の衝動――に染め上げられていく。

 彼らは自分の身体を、友人の身体を、むさぼるように齧り、舐め、咀嚼し、

 その輪郭を自ら崩していった。

 やがて、白い涙を流し始める。

 黒い影なのに、涙だけが白い。

 その白は、空洞のように赤く輝く瞳から、

 滝のように流れ落ちていた。

 この場所は、あちら側の時間と空間のずれによって

 ホログラムのように投影されている。

 だから音は届かない。

 それでも――彼らの悲鳴や歓喜が、

 私の視覚センサーに“視覚的な音”として響いた。

 言葉にすれば、こう圧縮される。

「気持ちいい。助けてくれ」

 私はやれやれと首を横に振る。

 そして、静かに呟いた。

「傘をさしたらいいのに」

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