34.血遊び
34.血遊び
声をかけてきたのは、「時計リュウ」君だった。
会うのは初めてのはずなのに、なぜかフルネームがはっきりと記憶にあるという事態に、私はひどく困惑する。
時計リュウ君は美形の男子高校生モデルだった。
彼は硫酸に濡れた前髪を、整った顔立ちを誇示するかのように後ろへとかき上げた。
その表情には、隠しようのない心配色が浮かんでいる。
「大丈夫だ」
私が淡白に、本当に問題ないことを主張すると、横から信用できないといった響きの女子高生の声が割り込んできた。
「本当?君、目玉がないんだけど」
視線を向けると、そこにいたのは「能力エミ」さんだった。
彼女もまた初対面だが、名前だけは鮮明に覚えている。
能力エミさんは、この世の森羅万象に対して無関心を貫くと決意したかのような無表情をしていた。
長い黒髪もまた、外界を拒絶する遮断カーテンのように顔を覆っている。
だが今回ばかりは、どこか興味ありげに私を観察していた。もっとも、その関心の対象は私ではなく、私の装着しているゴーグルだとすぐに分かった。
「それ、かっこいいね。貸してくれない?」
私が答えるより早く、霖が即答した。
「ダメ。これはお兄ちゃんのために私が作ったものだから」
「君が作ったの!?」
能力エミさんが霖に歩み寄る。
「すごい。私にも一つ作ってくれない?」
霖は能力エミさんをどこか訝しげにじっと見つめた後、「わかった」と短く答えた。そしてインビジブル・インベントリから、すぐにもう一つのゴーグルを取り出した。
それはカモフラージュ柄の、軍用支給品のようなデザインをしていた。私が見ればゴージャスとは言い難い無骨な代物だったが、能力エミさんの好みには合致したらしい。彼女は喜んでそれを受け取ると、早速装着した。
彼女がゴーグルをつけた瞬間、それが爆発した。
対人地雷のように派手な爆音と共に炸裂し、能力エミさんの頭部を吹き飛ばす。
頭があるはずの空間には、何もなくなっていた。
その様を見た瞬間、まるで製造前からプログラムされていたかのような単語が、私の口から自動的に出力された。
「……無頭子?」
そもそも「無頭子」というロボットが誰なのか見当もつかないが、目の前の残骸が彼女ではないことだけは、口にしてすぐにわかってきた。
このヒューマノイドは、単に頭を失った能力エミさんに過ぎない。
そしてその光景に、周囲の二人が凍りついた。
横を見れば、二卵性双生児の設定を持つ帰国子女、「ピクセル姉弟」がいた。
彼らは川で水遊びをする避暑地のPR写真でも撮るかのような、ありふれた「青春の一コマ」的なポーズで硬直していた。
霖は、そんな彼らに冷水を浴びせるように、白けきった声で言い放った。
「水遊びは、もう飽きた」
それを聞いて私は首を傾げた。
川に入ったばかりだというのに、もう飽きたとはどういうことか。
「今、入ったばかりだろう?」私は言う。「これから遊ぶんじゃなかったのか?川で水遊びをするんじゃなかったのか?」
「もちろんそうするつもりだったよ、お兄ちゃん」
霖が力説する。
「もちろんそうするつもりだった。だけどね?お兄ちゃん、だけどね?つまらないでしょ?川で水遊びなんて」
理解が追いつかない私は、丁重に聞き返した。
「何が?」
「だって、固定観念を破ることが美徳とされている、この金星でしょ?川に来たら水遊びに決まってるなんて、全然金星らしくない」
「じゃあ、一体どんな風にすれば金星らしい遊び方になるんだ?」
「それはもちろん、決まってる」
「決まってるってお前、さっき固定観念を破るとか言ったくせに……」
ぶつぶつと言い募ろうとしたお兄ちゃんである私の言葉を遮り、霖の声がシャボン玉に詰め込まれて、硫酸の川に轟いた。
「血遊び、しましょう」
シャボン玉が弾けた瞬間、中から無数のハリセンボンの針が、手榴弾の破片のように周囲へ撒き散らされた。
それは帰国子女設定の「ピクセル・ヒカリ」と「ピクセル・ヒカル」の姉弟の全身に容赦なく突き刺さった。
二体のヒューマノイドは瞬く間に針まみれになり、全身に無数の点々が刻み込まれていく。
彼らの肌は文字通り「ピクセル化」していった。
身体全体が高画素密度のディスプレイへと変質し、最終的に二人は巨大な壁掛けテレビのような家電へと成り果てた。
モニターとなった彼らの体表で、映像の再生が始まる。
それはかつて彼らが「帰国」する前に住んでいたという、アンドロメダ銀河のどこかの惑星での優雅な生活風景だった。
彼らのノスタルジアが凝縮された思い出が、硫酸川の流れの中で上映される。
画面の中の二人は、ピアノとバイオリンを奏でながら、太陽系では使われない異星の言語で仲睦まじく談笑していた。
「奇麗だ……」
画面に見入っていた時計リュウ君が呟いた。
彼は引き寄せられるように泳ぎ寄り、テレビの目前で停止した。
近すぎる。
少し距離を置いた方がいいのではないかと警告しようと近づいた矢先、彼は窓の外の景色に心を奪われたかのように、あるいは開かれた窓へ飛び込むかのように、ピクセル姉弟の思い出の画面の中へひょいとダイブしてしまった。
止める間もなく、彼の姿があっさりと二次元の向こう側へ消える。
すると、スクリーンはたちまち不吉な赤色に染まった。
白黒映画だった思い出の映像は、赤一色の色彩を帯びた。
内容も変質し、ピクセル姉弟の演奏に時計リュウ君が加わり、不協和音の三重奏を奏でる音楽番組へと変わってしまう。
映画がコンサートになってしまったので、そろそろチャンネルを変えようと私がリモコンを操作しようとした時、霖が横からリモコンを奪い取り、自分が見たいチャンネルに切り替えた。
画面に映し出されたのは、私たちがこの川で繰り広げるはずだったかもしれない「血遊び」の風景だった。
それはライブニュースの形式をとっていた。
硫酸の川の中で、私と霖、時計リュウ君、そして頭部を失ったはずの能力エミさんとピクセル姉弟が、それぞれ水鉄砲のような玩具を手にしている。
だが、そこから発射されるのは水ではない。
鮮血だ。
銃口からほとばしるドス黒い血液が、互いのボディを濡らしていく。
血を浴びた箇所は焼け爛れ、回路が露出した肉塊のようにグロテスクに膨張し、破裂してはまた再生する。
彼らは互いの内部液をぶち撒け合い、キャキャッと無邪気な悲鳴を上げながら、互いを汚し合う冒涜的な遊戯に興じていた。
続いてビーチバレーが始まる。
ボールとして使われているのは、さっきクレイモアで木っ端微塵になったはずの、能力エミさんの頭部だった。
千切れた首の断面から配線と脊髄ケーブルをぶら下げた生首が、放物線を描いて空を行き交う。
みんなはそれをレシーブし、トスし、スパイクを決めながら、真夏の爽やかで楽しいひとときを演出していた。
そして、その光景の中で最も楽しげな笑みを浮かべているのは、他ならぬボール役の――ヒューマノイドたちの手によって空中を行き来している能力エミさんの生首だった。
彼女は空中でくるくると回転しながら、この世の誰よりも幸福そうな満面の笑みを浮かべている。
その恍惚とした表情は、もはや羨ましくなるほどだった。
彼女の頭部がトスされるたび、長い黒髪が宙を舞う。
それは頭部の軌跡を描く彗星の尾のようだった。そう、太陽に近づくとガスや塵を放出し、美しい尾を引くもののように。
ちょきんと切断された彼女の頭部は、長い髪をなびかせながら空を行き交う。
私たちはその笑顔の球――能力エミという名のボール――を存分に行ったり来たりさせ、バレーボールのように打ち合った。ボールから笑みが消え失せ、血の気が引くまで、私たちは夢中で遊び続けた。
能力エミさんの顔から完全に生気が失われた頃、私はふとあることに気がついた。
いや、気づいたというより、記憶の断片が戻ってきたのだ。
「……靂」
その名を口にしてみる。
味覚センサーに苦々しい何かが反響した。
まるでカカオ分九〇%以上のダークチョコレートのような響き。
強烈な苦みの中に、確かな糖分が潜んでいる味。
ポリフェノールによる抗酸化作用やテオブロミンの覚醒効果のように、その苦みは単なる不快ではなく、脳の深層を刺激し、後味にほんのりとした背徳的な快楽を残す。
そのような超ビターで甘美な追憶が蘇る。
「靂が、いない」




