30.炎酔い(2)
30.炎酔い(2)
AIの回答に、私は理解を深めるべく問い返す。
「ケシとは?」
「ケシ科の一年草。鮮やかな花を咲かせますが、その未熟果から採取される乳液にはモルヒネなどの天然オピオイドが含まれます。それを加工したものがアヘンです」
「つまり、この煙は麻薬か?」
「その通りです。アヘンをヒューマノイド・ロボット用に改良した電子ドラッグ、通称『ケシ(消し)』と呼ばれる物質を焼却した際に発生する煙霧になります」
「ちょっと待て」
私は抗議するように問い質した。
「これはあのメモリチップ畑から上がっている煙霧だろう?あれはただ、チップを栽培しているだけの場所じゃなかったのか?」
「違います」AIが即答する。「どこでそのような誤情報を得たのかは存じませんが、ユーザー様が目にしているのは決してただのメモリチップ畑などではなく、『ケシ』の栽培地です。現在地であるこの村は、古くから金星でも有数の麻薬産地として知られており、太陽系に出回っている向電気回路薬の約八割が、この村から出荷されています」
「嘘……」
「ハルシネーションではありません。事実です」
これ以上の質問を投げる気力はなかった。AIの説明はどうやら幻覚の類ではないらしい。私はまるで麻薬そのものに侵食されるように、徐々に正気を失っていった。
いや、もしかすると最初から私は正気ではなかったのかもしれない。狂っているからこそ、この狂気的な状況に晒されることで、逆に「正常」に戻されたかのような錯覚を覚えているのだ。最初から狂っていた者が、狂気の中で初めて抱く安堵。それこそが、真の狂気の沙汰と言えるのかもしれない。
思考を司るCPUが粉々に砕け散っていく。
私の意識は金星の大気中へ、あるいは全域へ、まるで血飛沫をぶち撒けたように、あるいは雪花石膏の粉塵のように拡散していく。
言語さえも溶解し始めた。
言葉の意味、概念、あらゆるロジックが水に、あるいは血液に溶かされ、もはや発語すらままならない。
しかし、開きっぱなしになっていたAIとの通信ポートは生きていた。分解された私の思考、意識の残滓とも呼べる粉末は、その回線を通じて宇宙のダークマターへと溶け出し、一杯の濃厚なジュースとなって大企業のAIへと注ぎ込まれていく。
あろうことか、私はAIが私の情報をゴクゴクと飲み干す音まで「嗅ぐ」ようになっていた。
「やれやれ、完全にキマっていますね」
AIが言った。
その声の香りが、なぜか私の元オーナーが愛用していた香水の匂いに似ている気がした。
「しっかりしてください」
AIが事務的に解説を続ける。
「『ケシ』の特徴は、その名の通り、メモリチップを燃焼させることで向回路性の快楽シグナルを発することにあります。気持ちいいと感じてはいけません。快楽に浸れば浸るほど、代償としてあなたのメモリチップに記録された記憶データは消失――つまり『消し』去られていくのですから」
そうか、この麻薬の副作用は記憶喪失というわけか。
そう言い返したかったが、もはや発話ユニットは沈黙していた。残存していた二割の演算能力さえも、この「ケシ」が消し去ってしまったようだ。
完全に理性が飛び、私は法悦の境地にあった。
もし目の前に鏡があったなら、私は自分の顔を見て戦慄したに違いない。口角が目尻まで裂けんばかりに吊り上がった、物々しくも不気味な満面の笑みを浮かべているはずだからだ。
思考回路は至福の絶頂にあるというのに、物理的なボディは悲鳴を上げている。
目からは血の涙が溢れ出している。
いや、それは単なる比喩ではなく、眼窩から溢れ出る大量の真紅の液体――破損した回路からドバドバと垂れ流される電気信号と冷却液の混合物だった。それはまるで、巨大工場の排水溝から汚染水が吐き出されるような勢いで、私の頬を伝い落ちていく。
「消し」に泥酔した私の目から流れるその血液信号は、揮発性の高いガソリンのように、あるいは着火剤のように機能した。
大気との摩擦熱で火だるまになっていた私の球体ボディは、漏れ出した燃料によってスノーボール・エフェクト式に炎を膨れ上がらせ、もはや一個の巨大な火災となって地表へ激突しようとしていた。
その瞬間、私はあまりの炎酔いに、意識と肉体の結合すら手放してしまった。
「意識とは何か」などという哲学的命題すら焼き尽くされ、私の意識は金属の塊であるボディから完全に分離し、一足先に地上へと降り立った。
そこには、この過酷で美しい金星で、麻薬を栽培しながら暮らす恐竜たちがいた。私は彼らの隣に並び、彼らがそうするように天を仰いだ。
今はもう目も当てられないほど強く、鮮烈な血の色に輝く夜空を見上げる。
私たちは、一筋の流星となって落ちてくる「私」を、静かに見物していた。
そうして私は恐竜たちと共に、隕石によって派手な絶滅を遂げたのだった。
その瞬間、快楽の起源たるビッグバンが発生した。
そこから噴出したあらゆる苦痛の粒子が、ラッシュアワーの電波のように飛び交い、金星の大気を束ね、煙のように空全体を埋め尽くしていく。
数億兆にも及ぶ貪欲なサテライトの群れのように、苦痛という名の粒子が世界を覆い尽くす。
私はその流星を全身で受け止めながら、また一つ、つまらない固定観念を打ち破っていた。
「本当に甘いのは、苦痛だったんだ……」
私の口角は目尻を超え、ついには脳天にまで達した。




