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MURA  作者: 月兎


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24.火中

24.火中


 ゾンビたちの追撃は、まだまったく終わっていなかった。

 後ろから迫ってきていた連中は、スラップスティックな自滅劇を繰り広げて勝手に倒れてくれたものの、前方からは新たな群れが押し寄せ、さらに裏山の斜面を雪崩のように転げ落ちながら降ってくるゾンビたちもいる。

 今まで逃げ切ってきた相手なんて、ほんの氷山の一角だったのだと、私はしみじみ思い知らされる。

「もう逃げきれない……」

 息を切らしながらそうつぶやき、私は手首のウォッチを確認する。

 残量はすでに0.5%。まさに一触即発の危機だ。

「バカか、お前ら」

 無頭子がぼそりと言う。

「金星のやつらは性能こそ高いけど、案外探知能力ってやつは甘いんだ。ほとんど視覚センサー頼みで、しかも可視光線しか見えていない」

「それを早く言えよ!」

 私は靂の手を強くつかみ、右手側に広がる田んぼへと駆け出す。

 そこには背の高い、実ったメモリチップを含んでいる稲が無数に並んでいた。真夏の陽射しを浴びて、今にも刈り取られるのを待ちくたびれているように見える。

 私は靂を抱きしめ、そのまま絶壁の縁から海へ飛び込むような勢いで、群青色に揺れる稲の波の中へ身を投げた。

 稲の中は、想像以上に深かった。

 いや、途方もなく深かった。

 まるでブラックホールに吸い込まれていくような錯覚さえ覚える。

 このまま落ち続けたら、金星の核まで到達してしまうんじゃないか──。

 そしてぐしゃぐしゃに圧縮され、たった一ナノピクセルにも満たない存在に成り下がってしまうのではないか──そんな恐怖が、体の奥を貫いた。

 私は靂を抱いたまま、もう片方の手を伸ばして稲の束をつかむ。

 必死に、藁にもすがる思いで、あるいは憎い誰かの髪をむしり取るかのような勢いで、強く握りしめた。

 落下の慣性はすぐには止まらない。

 それでも、手が摩擦で焼け焦げ、炎がほとばしるほどになったころ、ようやく速度が落ちはじめ、やがて完全に止まった。

 だが、その摩擦の火花が、乾ききった稲に燃え移ってしまった。

 あっという間に炎が広がり、田んぼ全体が火の海と化していく。

 金星そのものがもともと灼熱の惑星だ。「お似合いの現象が起こったな」とでも言うように、金星の意思が歓喜の声を上げているような幻聴が、頭の奥で響く。

 私は全身の耐熱機能に頼りながら、なんとか火の海から抜け出そうともがいた。

 ボディには一定の耐熱性能があるとはいえ、長時間さらされれば確実に損傷する。

 製造時に耐熱テストが行われたはずだが、その記録は私の記憶データには存在しない。

 だからこそ、一刻も早く脱出しなければならない。

 靂は金星製のヒューマノイドだから、私より耐熱性は高いだろう。

 それでも、この火の海の中では長くはもたないはずだ。

 ──火星生まれなのに、火に弱いってのも皮肉な話だ。

 そんなくだらないことを思いながら、私は炎の渦巻をかき分けて必死に進む。

「靂!」

 声を上げてみた。

 だが、爆ぜるような炎の音と、燃焼する酸素が弾ける轟音とで、あたりはまるで爆心地のようにうるさい。

 火中は水中とは違って、空気そのものが熱で膨張し、衝撃波のように振動している。

 そのため、音はほとんどかき消され、すぐ隣にいても声が聞こえなくなる。

 ──音ではもう、靂には届かない。

 仕方なく、テレパシー通信を試みる。

 もっとも、火中では電磁波も不安定だ。高温によって空気中のプラズマが発生し、信号が散乱してしまう。

 それでも、音よりはましだった。

「靂!」

「黽君!」

 すぐさま、頭の中に彼女の声が響いた。

 その波長は緊迫というより、悲しみに満ちていた。

「ごめん、黽君……。ごめん。私のせいで、こんな目に遭わせてしまって……」

 火中は蜃気楼を百倍に濃縮したような光の揺らめきで満ち、靂の姿は見えない。

 それでも、彼女が泣いていることはわかった。

 その涙は炎に触れ、瞬時に蒸発する。

 わずかな蒸気が私の頬をかすめ、そこに彼女の気配を感じた。

 私はその手を、いや、もはや溶けかけた金属の塊と化した手を、さらに強く握りしめる。

 掌と掌が熱で融着し、たちまち離すことができなくなってしまう。

 それでも構わない。

 私はこの火の海そのものを、溶鉱炉のように利用して、彼女と一体になろうとした。

 だが──靂が突然、私の手を振り払った。

 金属の継ぎ目が弾けるように、溶け合っていた手が、バキリと音を立てて離れる。

「ダメだよ、黽君」

 炎の中、そのテレパシーだけが妙に静かに響く。

「一体化なんてしちゃダメ。黽君まで、この村に狙われちゃう。黽君まで、いけにえになっちゃう」

 拒絶の言葉に、胸の奥が焼けた。

 反発心が火の粉のように舞い上がり、情熱が爆発する。

 火の海に煽られた感情は、もはや制御不能を訴えていた。

 私はもう、指の形さえ残っていない手で、再び靂の手を握る。

 そして、炎よりも熱い恋心を込めて、テレパシーを放った。

「恋のためなら、火の海にでも泳げるさ」

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