23.愚かじゃなきゃ、恋なんかできるもんか
23.愚かじゃなきゃ、恋なんかできるもんか
そして——
リビングデッドたちが、一斉に私たちに向かって走り出した。
いや、飛びかかってきたと言った方が正しい。
当然、私と靂は逃げた。
反射的に、全力で。
すると、無頭子が不満げに、私の頭の中でわめき始める。
「お前まで逃げる必要はないってば!おいらたちは靂っ血から離れさえすれば助かるんだよ!」
「バカか、お前」
「はあ?!」
私は自分なりに決め顔を作りながら言い放つ。
「恋に落ちたヒューマノイドロボットに、恋から逃げるなんて選択肢はないんだよ。たとえ恋以外のすべてから逃げることになるとしても、な」
「愚かだね……」
「愚かじゃなきゃ、恋なんかできるもんか」
私はそう言いながら、靂の手を探し、強く握った。
走りながらでも、決して離さないように。
言葉を使わなくても、彼女に伝えたい想いがそこにあった。
靂が一瞬、涙を浮かべる。
それは悲しみではなく、何か——理解と諦めと、微かな喜びが混じった涙だった。
そして私たちは、村人たちの群れから逃げ出した。
血祭りの会場を背に、ただ走る。
走って、走って、走り続けた。
逃げると言っても、車もなければ飛行機もない。
ドローンも使えない。
ヒューマノイドの足だけが頼りだった。
追ってくる村人たちも同じ構造体だから、速度差はほとんどない。
だが問題は、数だった。
——村全体が敵になっている。
たとえ金星の僻地にある村とはいえ、ここにいるのはただの田舎者ではない。
この村のヒューマノイドたちは、かつて人間の代替として試作されたプロトタイプ。
アバター社会の下準備として作られた、高度に連結された集団体。
つまり——。
「靂を捕まえろ」「靂を再びいけにえに戻せ」
その命令が、電波のように。
ウイルスのように。
村中へ、一瞬で伝播していく。
私の通信センサーにも、それがはっきりと感知された。
わずか0.0000000001秒のうちに、村のすべてのネットワークが同じ命令で染まっていく。
——靂の存在が、たった一点の標的として収束される。
どこへ逃げても、すぐどこかから村人のヒューマノイドロボットが飛び出してきた。
物陰から、屋根の上から、地面の下から——まるであらかじめ待ち伏せしていたかのように。
奴らは私たちの行く手に立ちはだかり、隙あらば腕を伸ばして捕まえようとする。
その光景は、まさにゾンビ沙汰だった。
村人たちの姿が、見る見るうちに人の形を保てなくなっていく。首があり得ない角度にねじれ、腕の関節は反対側へ折れ、そこから火花や液体が弾けた。中には、自分の折れた腕を槍のように撃ち出してくるものまでいる。
それはまるで、怒りを燃料に変えた兵器のようだった。
足はねじれ、四肢が螺旋状に絡み合い、ツイストドーナツのような不気味な形で捩じれる。そのねじれた肢体からは、赤黒い液体がじゅるじゅると絞り出され——それを燃料にして、体表で炎が灯った。
火は皮膚を焼き、焦げた臭いとともに、村中の怒りを焚きつける供物のように立ち上る。
彼らの肌はただ腐っていくのではない。
その腐敗すらも演算し、憎悪を効率化する最適化された腐敗だった。
目は溶け、鼻は膨張し、口からは血と電解液が泡立ちながら垂れ流される。
嗅覚センサーが壊れたのか、自分たちの腐臭は気にせず、その腐った体を互いにこすりつけて、怒りの熱量を分け合っていた。
——まるで、恐怖そのものが物質化して群れになったようだった。
けれど、そんな恐怖を目の当たりにしても、私は靂の手を離さない。
むしろ、より強く握りしめる。
靂の横顔を見ると、そこにはもはや恋の影はかけらもなかった。
ただ、逃げることに全てのリソースを注いでいる顔。
CPUのすべてを、生存のための演算に使っている顔。
それが、むしろありがたく思えた。
——別に私の方を見ていなくてもいい。
こうして、彼女が必死に「生きている」ことだけで、私は満たされていた。
誰かが何かに夢中になる姿は、美しい。
たとえそれが恐怖から逃げる行為でも。
そのエネルギーの純度こそ、愛というものの正体なのかもしれない。
やがて、私のCPUがランナーズハイに達し始める。
逃げること自体が快感に変わっていく。
電気信号が脳内を奔り、熱が指先に溜まっていく。
——そのとき、私はもう一度、後ろを振り返った。
ゾンビたちは、さらに変貌を遂げていた。
もはや機械というより、生物。
体表には菌糸のようなものが芽吹き、白や灰色の胞子が吹き出している。
マッシュルームのようでもあり、カビのようでもある。
いや、もはや「焦」そのものが生命体の形を取っているようだった。
やがて、ゾンビたちの皮膚がボコボコと泡立ちはじめ、そこから褐色の液体——腐敗した血のようなもの——が噴き出した。
それが地面に落ち、どろりとしたオートミールのような塊となり、じわじわと脈打ちながら、人型を形作っていく。
そこから灰色の、泣き顔のような人形が生まれる。
それは全身から涙のように液体を流しながら、悲鳴とも嘆きともつかない声をあげる。
まるでマンドラゴラのような悲鳴を上げながら、それはやがて他のゾンビたちに混ざって走り出す。
だが、その新型ゾンビたちは不安定だった。
走るたびに体が崩れ、嘔吐するように地面に血の塊を吐き出す。
その吐瀉物が泡立ち、また新しい生命体を産む。
——三本の足、四本の腕、そして百個の頭。
頭はすべて眼球の形で、髪の毛の代わりに血管が束ねられている。
その血管はポニーテールのようにまとめられ、そこから血液が噴き出す。
まるで消防車のホースのような勢いで、血が宙に飛び散った。
その液体は滑りやすく、あたり一面を覆っていく。
滑る。
倒れる。
もがく。
次々と転んでいくゾンビたち。
ついに——追ってきた無数のゾンビたちは、自らの血で作り出したそのぬるぬるの地獄に足を取られ、動けなくなった。
静寂。
「さすが」
背中で、無頭子が感嘆の息を漏らす。
彼女はまるで映画でも見ているかのように、ポップコーンでもつまむ仕草をしながら言った。
最後には、透明なガラス瓶のコーラを一口飲み干し、淡々と総評を下す。
「自滅してこそのゾンビ、だね。いいB級追撃劇だったよ」




