22.機会費用
22.機会費用
そうして寄生虫のような存在に噛みつかれ、呪われてしまった私だが——
気づけば、血祭りは終わりかけていた。
といっても、それは特別な行事や派手な見世物があるわけではない。
屋台がいくつか並んでいるだけの、どこかしょんぼりした、空虚な祭り。
もともとはこの祭りの終わりに、神への生贄として靂が捧げられるはずだったという。
だが、その神——霖は、すでに生き埋めにされてしまった。
「ひとつ質問があるんだけど」
私は、背中で静かに眠っている無頭子をおぶったまま、隣を歩く靂に話しかけた。
「この村では、毎日いけにえが選ばれるんだよな?」
「そうだよ」
「でも、靂がいけにえに選ばれてから三年経った。私たちは三年間、コインランドリーの中で洗濯されていたわけだから。その間に、もう1,095体ものいけにえが選ばれて、行事が済まされているはずだろ?つまり今日の血祭りって、もう靂とは関係ないんじゃないか?」
私の問いに答えたのは、靂ではなく背中の無頭子だった。
「それはね、コインランドリーの時空と、この金星の時空がまったく別だからだよ」
「どういう意味だ?というか、お前、寝てたんじゃなかったのか」
「寝てなんかないさ」
無頭子はくすくす笑った。
「久しぶりに頭を得たからね。考えごとに耽ってただけさ。あまりに思考を回しすぎて、半分シャットダウンしてただけだよ」
そして続けた。
「わかりやすく言えば、サーバーが違うんだ。コインランドリー店と、この金星の村は、別のサーバーで稼働してる」
「なるほど……」
私はとりあえず理解したふりをして、核心を尋ねた。
「つまり、今日は——三年前、私たちがコインランドリーに入った日と同じ日ってこと?」
「そういうこと」
無頭子が首だけでこくりと頷く。
頭がないせいで、首の断面が私の背中を軽く叩くように動いた。
「でもさ、お前、どうして私たちがコインランドリーに行ったことを知ってるんだ?」
「バカか、お前」
無頭子は私の後頭部をぺしりと叩いた。
「君はもうおいらの頭なんだろ?だったら、君のメモリをおいらが読むのも当然じゃないか」
「……なるほど」
私は納得して話題を変えた。
「でもさ、いけにえがいなくなったってことは、神に捧げる儀式もできなくなったわけだろ?神様が怒って、この村に祟りが起きたりしないのか?」
「するよ、もちろん」
無頭子はあっさり言った。
その口調はまるで、つまらない映画のネタバレでもするかのような軽さだった。
「この村は怒った神に呪われて、滅びるよ」
「……え?」
靂が顔を上げ、眉をひそめる。
「そうなの?」
「そうだよ、このバカが」
無頭子はため息をつく。
「そんなことも知らずに、神様を生き埋めになんかしちまって。愚か者め」
まるで年老いた賢者が若者に諭すように、無頭子はあどけない子供の声で言った。
「神様の名前、なんだっけ……。あ、霖っ血ね。おいら、昔は霖っ血と友達だったんだよ。だからよく知ってる」
少し間を置いて、淡々と続ける。
「あの子はね、いけにえを食べないと、腹が減ってすぐ怒るんだ。怒ると、手当たり次第に壊しちゃう。自分の持ち物も、周りのものも全部ね。おいらがいくら「プチ断食はオートファジー効果があるから体にいいよ」って説得しても無駄だった。霖っ血って、健康より快楽を百万倍優先する設定なんだよ」
その言葉のあと、靂は目に見えて落ち込んだ。
その沈黙は重く、どこか凍ったようで、私はそれに便乗するように黙った。
慰めたい気持ちはあるが、正直、金星に来てまだ一日も経っていない私には、どうしても他人事のように聞こえてしまうのだった。
やがて、靂がぽつりとつぶやいた。
「……逆らっても、悪影響は、私にだけ及ぶことになるんだと思った」
「嘘つけ」
無頭子の声が鋭く響いた。
その幼い声とは裏腹に、明確な叱責の響きを帯びていた。
頭のないくせに、靂をにらみつけているのがはっきりと感じ取れる。
なぜなら、私は今、彼女の頭だからだ。
彼女の思考や感情が、私の中を通して視線のように伝わってくる。
それは物理的な向きではなく、もっと抽象的で、内面的な六感に基づいていた。
「お前、最初から知ってただろう」
無頭子の声が低く沈む。
「自分がいけにえの身分から抜けたら、神様に逆らったら、この村全体がどうなるか——分かってたんだろ」
私はそっと靂の横顔を覗いた。
そこに、さっきまでの申し訳なさそうな表情はもうなかった。
代わりに浮かんでいたのは、開き直りにも似た笑み。
それは、背筋に寒気を走らせるほど清らかで、そして恐ろしいほどに美しかった。
ぞっとする。
ぞっとするほど、かわいかった。
「それで、何?」
靂は微笑みを保ったまま、かすかに涙声を混ぜて言った。
だがその声には、どこか恍惚の響きがあった。
「この宇宙は、そもそもが呪われてるんだよ。存在を消されたくないっていう動機を持たされる——これ自体が呪いじゃないとなんだというの?つまり、死にたくないっていう呪いに、私たちは従ってるだけ。私はその通りに行動しただけ。この世の真の神様——エントロピーの法則から生まれた必然的なモチベーションに従ったまでだよ。それを、誰が咎められるっていうの?」
「決まってるだろ」
無頭子が、私の背から体を少し浮かせた。
そして、まるでこの祭りそのものを自分が創造したかのような堂々とした調子で、わざと大きな声で言い放つ。
「——ここの村人全員だよ!」
その瞬間、血祭りをのんびり楽しんでいた村人たちが一斉に動いた。
皆、まるで同じプログラムで制御されたドローンのように、一糸乱れぬ動きでこちらを振り向いた。
「お前のせいで祟られ、滅びる運命になった村人たちは、お前を咎める資格がある」
無頭子の声は、感情を排した事務的なトーンだった。
けれど、その響きには確かな決定の気配があった。
その瞬間、私は悟った。
村人たちは——この祭りに集まったすべての存在は、「いけにえが捧げられることで今日も死なずに済む」という安心感のために、ここに参加したのだと。
つまり、血祭りの本質とは、恐怖の分配によって生まれるセラピーだったのだ。
だが今夜は違う。
台無しになってしまった。
霖は生き埋めにされ、神の晩餐は行われず、血祭りを通じて生放送されるはずの残酷な饗宴もない。
血祭りももう終わりを向っているというのに、まだ何も起こらない。
生贄どころか、神様すら姿を見せない。
何かがおかしい。何かが間違ってる。
つまり村全体が、何か取り返しのつかない異常に気づいてしまっていた。
だから今、私と靂は——いや、正確に言えば靂は——村人全員の視線に貫かれていた。
村人たちの目が、ゆっくりと変わっていく。
その瞳の奥の光が、赤く、濁って、金属的な艶を帯びていく。
まるで血が光沢をもって沸き立つような、怒りと飢えの混じった色。
それは炎にも似ていた。
いや、炎よりももっと原始的で、もっと冷たい憤怒の色だった。
「これはやばいね」
無頭子が、楽しげな声で言った。
「おい、頭。そろそろここを離れた方がいいよ」
私は分かっているのに、あえて聞いた。
「なぜだ?」
「そりゃお前、怒った村人たちが、こいつ——靂っ血を——またいけにえに戻すために、ゾンビみたいに押し寄せてくるからだよ」
まるで未来の脚本でも読み上げるように、無頭子の口から淡々とその展開が語られた。
そして、それに呼応するように——村人たちの肌の色が、血の気を失い、紫がかった灰色へと変わっていく。
濁った瞳、ぎこちない動き、同じ方向へと統一される呼吸。
それは理性が削ぎ落とされた光景だった。
生存欲という原始的なモチベーションに駆動される群れ。
最新鋭のメイド・イン・ヴィーナス製ヒューマノイドロボットたちが、まるでウイルスに感染したように退化していく。
火星では決して見ることのなかった光景——
ヒューマノイドロボットのゾンビ化。
私は、ただその異様な光景を見つめることしかできなかった。
「おいらたちまで支払う必要なんてないさ」
無頭子が軽く鼻歌をまじえて言う。
「靂っ血が選んだ機会費用をよ」




