13.目玉ドロップ
13.目玉ドロップ
洗濯を終え、私たちはコインランドリーを出た。
三年もの時が流れたというのに、村の風景は何ひとつ変わっていなかった。
私は靂と手をつなぎながら、変わらぬ景色を見渡す。
その横顔をそっとのぞき見ると、彼女はどこか安心したような、それでいて深い幻滅を抱えているような、複雑な表情をしていた。
懐かしさと寂しさと、不満がひとつに溶け合ったような顔。
「とりあえず、家に戻ろうか」
そんなことを考えながら歩いていると、背後から声がした。
「ね」
その一言に、私は思わず足を止めて振り向いた。
そこに立っていたのは——霖。
この村に来た最初の日、鳥居の前で出会ったあの少女。
もう3年も前のことになる。
彼女は道の真ん中で、まるで私たちの行く手を塞ぐように立っていた。
腕を少し広げて、大の字に。
それは拒絶の姿勢にも、抱擁を求めているようにも見えた。
どう反応していいか分からず、私は靂の方を見る。
靂は、私の手を引いて後ずさりしていた。
逃げようとしている。
「ねぇ、ってば」
再び霖の声が響く。
その一言で、靂の動きが止まった。
恐る恐る、彼女が霖の方を振り向く。
その表情に浮かんでいたのは——純然たる恐怖だった。
ヒューマノイドの表情で、あんなに凍りついたような恐怖を見たのは初めてだった。
その感情が伝染するように、私の中にも同じ恐怖が流れ込んでくる。
霖は、長いあいだ自分の番を待っていたかのような、焦れた表情で立っていた。
そして、私たちが彼女をしっかりと認識したのを確認してから、静かに言葉を発した。
「準備はできた?」
その問いは、明らかに靂に向けられたものだった。
握っていた靂の手が、小刻みに震え始める。
私はその手をぎゅっと握り返しながら、彼女の代わりに尋ねた。
「どういう準備?」
「それはもちろん——捧げられる準備だよ」
霖はゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
近づくたびに、周囲の空気が赤く染まっていく。
まるで空間そのものが、血の色を吸い上げているようだった。
「せっかく洗濯までしてくれたのね。身体がきれいになって、よく頑張ったじゃない」
霖が近づくたび、靂の震えはますます激しくなる。
まるで周波数の振動のように、手が細かく揺れ、握っている感覚が消えかけるほどだった。
このままでは、手をつないでいられない。
そう思った瞬間——
ぴたり、と震えが止んだ。
まるで時計が零時を告げる瞬間のように、完璧な静止だった。
そして、靂が踵を返し、強い力で私の手を引っ張りながら走り出した。
「黽君、逃げて!」
彼女はそのまま私の手を掴んで離さず、無理やり引っ張る。私は抵抗する間もなく、彼女の勢いと、拒絶できない奇妙な中毒性のある引力に引きずられるようにして、一緒に走り出した。
舗装されていない、ざらついた村の道を二人で駆け抜ける。
真夜中の空は濃い紫に染まり、まるで村全体が毒に侵されたかのようだった。
化学的で、有毒なアトモスフィア。
風は湿り気を帯び、金属を焼くような匂いを運んでくる。
道の脇には、細い柱に支えられた風車のようなものがいくつも並び、虹色を帯びたブレードが回転していた。そのスペクトラムの光が断続的に私たちを照らし、逃走の瞬間をフラッシュのように切り取っていく。
互いの息遣いが、次第に荒く重なっていく。
息の根しか聞こえなくなるほど、ボディが過熱していた。どれほどの距離を走ったのか分からない。アクチュエーターの冷却システムは追いつかず、内部のファンが必死に回るが、それでも熱は引かない。やがてその音さえも遠のき、隣を走る靂の存在さえ感知できなくなって――
その瞬間、何かに強くぶつかった。
いきなり、あの少女・霖が、まるでテレポートでもしたかのように目の前に現れたのだ。
障害物のように、私たちの前に。
私は反射的に叫ぶ間もなく、彼女に激しくぶつかった。
靂とはまだ手を繋いでいた。衝突の勢いで倒れかけながらも、その手を離さず、むしろ強く握り締める。本能的な反応だった。まるで生まれたばかりの赤ん坊が、掴んだ親の指を決して離さないように――。
結果、私と靂は同時に転倒し、巻き込まれるように霖も一緒に地面へ倒れ込んだ。霖は私たちの進行方向にいたため、二人で彼女を押し倒すような形になってしまう。三人は絡み合うようにして転がり、土煙が激しく立ちのぼった。
衝撃のせいで、CPUが一瞬シャットダウンしかける。視界が暗転し、次の瞬間には再起動のように意識が戻る。
私は地面から体を起こし、まだ手を繋いでいる靂を引き上げた。靂も息を荒げながら立ち上がる。
だが、霖は動かない。
地面に倒れたまま、まるで気絶しているかのようだった。
私と靂はその場に立ち尽くし、小さな少女の動かぬ姿を見下ろした。
荒い呼吸の音だけが夜気に混じり、二人の吐息がぽたり、ぽたりと、気絶した九歳設定の少女ヒューマノイドの頬に落ちた。
「葬ろう」
靂が言った。
私の方を振り向き、はっきりとした声で。
「このまま埋葬しよう」
「……はあ?」
あまりに唐突な言葉に、私はただ呆然とする。
「一体、何を言い出すんだ?助けなきゃだろう」
「この子は危険なの!」
靂は悲鳴のような声で叫んだ。
「この子は、この村の厄介なの。悪霊なのよ」
「……悪霊?」
私は霖の顔を改めて見つめる。
穏やかで、無垢な寝顔。悪という言葉から最も遠い印象だった。
「悪には見えないけど」
素直にそう言うと、靂は一喝した。
「それは黽君の想像力が足りないからだよ」
酷いことを聞かされたという衝撃とともに、胸の奥が少し冷たくなった。
私は再び霖の方へ視線を向け、倒れたままの小さな身体を見下ろす。
そして、想像しようとしてみた。
だが、大量生産型にすぎない私の平凡なCPUでは、創造という機能はどうにも上手く働かない。
視線を靂へ戻す。
彼女もまた、私と同じような大量生産型のヒューマノイドロボットのはずだ。なのに、どうしてこんな小さな少女を「悪霊」と断じることができるのか。その豊かな想像力はいったいどこから来るのだろう。――それが、この金星に来て以来、私が抱いた最大の謎だった。
「理由を教えて」
私は尋ねた。
想像できないなら、理解しようとするしかない。
靂が霖を悪とみなすには、何か理由があるはずだ。
それが彼女自身の創作でも、この村全体が共有する妄想でも、想像には必ず理由があるはずなのだ。
「霖ちゃんは、なぜ悪いの?」
私の問いに、靂はしばらく沈黙した。
それは言い訳を探すための沈黙でも、嘘を考えるための間でもなかった。
ヒューマノイドは嘘をつけない。
もし嘘を吐けば、そのデータは即座に人間たちの会社へ送信され、ヒューマノイドは即時にシャットダウンされる。
まるで処刑のように。
だから、靂は私に真実を語るべきかどうか、ただその一点を迷っていたのだ。
最も不自然な存在であるヒューマノイドが、「自然な言葉」を探して沈黙している――その滑稽さに、私は思わず苦笑してしまった。
その笑みが、何かのスイッチになったのかもしれない。
長かった沈黙が破れ、靂が口を開いた。
「私ね、いけにえに選ばれたの」




