護衛騎士を脅して旅に出た公爵令嬢は、まだ知らない
短編19作目になります。
今回は、少し不器用で真っ直ぐな彼と彼女が、婚約破棄から新たな一歩を踏み出す物語です。
傷つきながらも、心が少しずつ変わっていく過程を、どうか最後まで見守っていただけたら幸いです(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
ここは王城の大広間である。
「──よって、ローラ=オールドリッチ公爵令嬢との婚約を、ここに破棄する」
吹き抜けの天井に、実によく声が響き渡った。
(いつも清廉でお優しいスチュアート様が……まさか、こんな言葉を口にするなんて)
信じられない気持ちで王子を見る。
「なんと言われましたの……?」
茫然として問う。
「レイラ・エイマーズ嬢に聖なる力が発現した。聖女となる彼女は、国にとって重要不可欠な存在だ。よって、私はレイラ嬢を我が妃として迎えることを決定した」
聞き間違いではなかったようだ。だが、聖なる力を持った令嬢が現れたという話は、今の今まで知らなかった。
(……これは裏切りだわ)
目の前のスチュアート王子は、そんなローラの気持ちを気にする様子はない。いつもなら、優しく微笑んで手を差し出してくれる人が別人のように見えた。
王子はローラの目の前でレイラの手を取ると、そのまま彼女と共に大広間を後にした。
去り際にレイラがほんの一瞬、こちらに視線をよこしながらニヤリと口元を歪めていた。
(あの、レイラという娘……私に勝ったつもりね。あの見下した顔を絶対に忘れないわ)
大広間には大勢の貴族たちが集まっていた。
彼らの好奇に満ちた視線と、陰口をそこら中から感じて気持ち悪くなる。
こうして大広間に取り残されさらし者となっていると、ようやくさっきのことが夢ではないのだと思えてきた。
「この場をお離れになった方がよろしいかと」
低い声で話しかけてきたのは護衛のウォレスだった。
ウォレスに従って大広間を出ると、彼は自分を王宮の一角に与えられている自室へ連れていくつもりらしい。
「……ウォレス卿、私はどうなるのかしら」
「近々、あなた様は城を去ることになるでしょう」
淡々と答える彼は、ローラの実家であるオールドリッチ公爵家の護衛騎士ではない。
彼は王家から未来の皇太子妃のために付けられていた騎士である。
「ずいぶん、アッサリ言うのね。あなたは私の側に3年間もいたというのに」
「私は命じられた仕事を全うしているだけですから」
「……」
ウォレスは、スチュアート王子の幼馴染だった。だから、王家に対する忠誠心も非常に高い。
自分だって懸命に王家に忠誠心を捧げてきたのに、とむなしく暗い気持ちで自室に入る。
「この3年間は、一体何だったの……」
ローラは多くの婚約者候補から選ばれて王宮に自室まで与えられていた。
そして、毎日、厳しい妃教育に耐えてきた。
「私の存在意義は……?」
胸が激しくしめつけられた。ベッドに飛び込む。突っ伏して嗚咽の声が漏れないように泣いた。
泣きながら、これから自分はどうすればいいかを必死に考えた。
(これしかないわ……)
ある考えが浮かぶと、ベッドからのそりと立ち上がる。
鏡の前で泣いて崩れたメイクを簡単に直す。そうして深呼吸をしてから自室の扉を開けた。
待機していたウォレスと目が合った。
「どうされましたか?」
「あなたに話があるの。部屋に入って」
「私は部屋には入れません。話であればあちらで……」
「いいから。人に聞かれたくないし、あなたの名誉にも関わってくる話よ。早くして」
ウォレスを急き立てて部屋へと招き入れたのは良いが、彼は扉の1歩内側に入っただけでそこから動かなかった。
「……手短にお願いします。一体、どんなお話なのでしょうか?」
仕方がないので、ローラもそのまま立ったまま話すことにした。
「私、直ちに旅に出ると決めたわ。だから、あなたも付いて来て」
「はい?それはどういうことですか?」
想像した通り、ワケが分からないというような顔をされた。
「あのレイラ様という方が殿下の婚約者になったでしょう?……だから、私は殿下の目となり耳となってさしあげようと思ったの。私が直接、国民と触れて問題点をご報告するのよ。ただ、私一人では心もとない。でも、実力のあるあなたならば一騎当千。ちょうどいい」
「本気で言われていますか?」
(お嬢様が何を言い出すんだ、という顔をしているわね)
「本気よ。ちなみに、あなたはこの提案を断ることはないわ」
「それはなぜです?ローラ様の考えは、実に突飛だと思われます」
忠実な王家のしもべである彼の答えは真っ当だ。実のところ、自分だってこんなのはどうかしていると思っている。
でも、婚約破棄されて、ただの笑い者にされるなら、正当な理由を付けて王都から去りたいのである。
目となり耳となる、というのは建前だった。
「あなたが来ないというならば、私は行く先々であなたがいかに職務怠慢で薄情なのか人々に伝えるだけよ。あなたが私の護衛として付いているのは有名ですし」
「何ですって?私はいつだって真面目に職務を遂行しています」
「真面目だというならば、あなたは私に付いてくるべきよ。あなたの任務は解かれていない。ということは、私の側にいなくてはいけないということだわ。ただでさえ、私は妃教育を受けていた人物ですしね」
王家についてかなり詳細まで教育されている存在を、そのまま野放しにするわけにいかないのは道理である。
「そういうことならば、まずは殿下に相談されて許可をとったうえで行くべきです」
「……それでは遅いのよ。結果に繋がれば、途中の過程は大目に見てもらえるのが常でしょう?」
ここタレイヤ王国では、異国との争いも長く続いた歴史もあって自己判断で動くことも許される風潮があった。あくまで結果が伴えばの話ではあるが。
ローラは時間が惜しいとばかりに、自分のジュエリーボックスを掴むと鞄に放り込んだ。そして、ローブを被る。
「さあ、行くわよ」
スタスタと部屋を出て行くと、さすがにウォレスが慌てて付いて来た。
「お待ちください!」
「待たないわ。私は臆病者には用はないの」
「……それは──脅しですか?」
「脅しよ」
ローラがまっすぐにウォレスを見据えた。
瞳に揺るがぬ意思が宿っていると思えたウォレスは口を開いた。
「私を脅すのはおやめください。……仕方ない。付き合ってさしあげましょう。あなた様が問題に巻き込まれては大事になりますからね」
こうして彼との2人旅が突然、始まったのだった。
……城下を出て、街で動きやすい洋服を買い求めて着替えたり食料を調達したりしながら隣街まで移動しただけでその日は終わった。
今は、コップ同士が響き合い、人の声で溢れる宿屋の食堂にいた。
「ずいぶんと賑やかなのね……」
人々が、大きな声で笑いながら、実に楽しそうに食べたいように食べる姿を見て驚いていた。
「あなたは初めてみる光景でしょうね」
目の前に座っているウォレスは、ビールを飲みながら言う。
「そうね。あなたが職務中にお酒を飲むのも初めて見たわ」
「……郷に入っては郷に従えです。ここでは、こうするのが普通ですから」
ウォレスは静かにゴクリと喉を鳴らす。この男はビールが好きだったのか、と思った。
「ならば、私も飲むわ」
丁度通りかかった女性店員にビールを注文する。
「無理なさらなくていいのですよ」
「私もビールというものを飲んでみたいのよ。いつもはワインばかりだから」
ビールは大衆的な飲み物とされており、普段、飲む機会がない。
注文したビールが届くと、さっそく飲む。喉ごしがいい。一気に飲み干した。
「ふうっ」
「一気に飲んで大丈夫ですか?」
「だって、周りの人もこうやって飲んでいるわ。これがここでの礼儀なのではなくて?」
もう1杯、ビールを注文する。
ウォレスが眉を寄せていたが無視して飲んだ。
……揺れていた。暖かくてなんだか安心できる空間である。
「弱いところなんて誰にも見せないんだからぁ……」
ウォレスは、酔って眠ってしまったローラを抱えて部屋まで運んでいた。
「寝言か。弱いところを見せたくない人が、無防備に眠るなんてしないだろう……」
ローラをベッドに入れると毛布をかけた。
普段は舞踏会でワインの種類を楽しむほど酒に強いはずのローラが、簡単に酔いつぶれていた。
そのままウォレスは部屋の隅にイスを持って行くと座る。
ウォレスもローラが冷静ではないのは分かっていた。
(無理もない……。突然、婚約破棄されたのだ。ショックが大きかったのだろう。……殿下も、少しは彼女に真意を話すべきだった)
城を出る時に、荷物を取って来ると言って、急いでスチュアートに伝言を残してきていた。
宿屋に着いてからも密かに報告を送っている。先ほど、影の者もやって来て宿屋の外で待機していた。
(殿下も人が悪い。影を付けるほどならば、もう少し説明するべきだったであろうに)
スチュアート王子は非常に真面目で、自分の気持ちよりも王としての理想像を優先する人だ。
大広間での婚約破棄は、セイラの立場を正当なものと貴族たちに示すための芝居だったのだ。
だが、何も知らされていないローラは、ショックのあまり理由をつけて城を飛び出してしまった。
(彼女は、目となり耳となると言っていたが、無理しているに違いない)
ローラの目元には涙が浮かんでいた。
ウォレスは複雑な思いを抱きつつも、“今の自分がやれるのは、彼女に付き合ってやることだけだ”と思うと、翌日に備えて目を閉じた。
「……いたた。昨日はビールを飲んだのだったわね」
どうもビールとの相性は良くないらしいと、ローラはベッドの中で伸びをする。すると、ウォレスと目がバチッと合った。
「おはようございます」
「ウォレス卿……!お、おはよう」
昨日、疲れて宿屋に着いたところで部屋が1つしか空いてない、と言われていたのを今さら思い出した。
「……あなたはイスに座ったまま眠ったの?」
「はい」
「それは、悪いことをしたわ。しっかり休んでもらわなきゃいけないのに。だって、あなたは私を守る役割があるのだし……」
寝顔を見られたのもあって、しどろもどろで言う。
「私を気にして下さっているのですか?大丈夫です。私は野営の経験もありますから」
「あなたは殿下の幼馴染で侯爵令息なのに、そんな経験もあるの?」
「はい。だから、気になさらなくても平気です」
ウォレスは立ち上がると、身体を伸ばしていた。
(私、意外とウォレスのことを知らなかったのね)
すぐ近くにいたというのに、彼のことを知ろうとしていなかったことに気付いたのだった。
……朝食を摂ると、さっそく旅立つことにした。
「ウォレス卿、私はこの国の一番遠い所に行こうと思っているの。国境あたりは大抵、どこも問題があるでしょう?」
「かしこまりました。ただし、王都を離れるほど、宿屋もなくなり、野営もすることになりますが」
「分かっているわ。何でも経験よ。……経験したくないことも世の中にはあるけど」
思わず本音が出てマズイと焦ったが、幸いにしてウォレスは気付いてはいないようである。
ウォレスの提案で馬を購入すると、日が暮れるまで休みながら移動を続けた。
「やはり、この近辺には宿はありませんね。仕方ありませんが、今夜は野宿になるかと」
「ええ、構わないわ。むしろ、楽しみよ」
ウォレスがテキパキと火をおこすと、野営に必要なテントもどんどん組み立てていった。
簡単ながら食事も済んで、することがなくなると、揺らぐ炎を見つめていた。
城にも暖炉があるが、こうして夜風の中で炎が揺らぐのを見ているのは新鮮だった。草木の匂いもいつもとは違うのだと感じさせた。
だからだろうか、自然と心に思うことが口から出てきた。
「……あなたがいて良かったわ。私が知らないことをあなたは知っている。何より一人じゃないのは寂しくない」
「ローラ様……」
自分をなんとも言えない表情で見るウォレスは慌てた。
「あ、変な意味じゃないわ。その、感謝していると言いたかっただけ」
「分かっています」
「それにしても、私、意外とどこに行っても馴染んでいたでしょう?妃教育の中に、国民の意見を上手に聴くという教育があったの」
なんとなく気まずくなって、どうでもいいことを話す。ただ、彼はうなずいて聞いてくれた。
「私ばかりが話しているわね。あなたも話してくれない?今や、あなたと私は相棒同士なのよ?」
「相棒ですか?」
「違うの?」
真面目な顔で言ったのに、ウォレスが可笑しい、といった顔をした。
「あ、笑ったわね?失礼だわ」
「すみません、ずいぶんと可愛らしい相棒ができたと思いまして」
「ひどいわ。私だって少しは役立っているでしょう?」
自分だって旅の中で人々に話しかけて情報を得たりしているのに、と悔しくて涙声になると、ウォレスが慌てた。
「すみません。からかうつもりはなかったのです。……その、私にも少しはあなたの気持ちが分かります」
「どうして、泣きたい時にそんな思いやるような言葉を言うのよ。タイミングが悪いわ」
揺らめく炎のせいもあって感傷的な気持ちになっていたローラはワァっと泣いた。
ウォレスはしばらく戸惑っていたが、立ち上がるとローラの側に行き、背中をさすった。
「泣かないでください。すみません……その」
「慰めるならしっかり慰めてよ!」
ローラはウォレスの胸倉を掴むと、そのまま彼の胸元に顔を埋めた。
「ローラ様……!」
ウォレスが慌てていると音もなく、人影が現れた。
「何をしているんだ……?」
よく聞き覚えのある声がしたので、ローラもハッとして顔を上げた。
「殿下……どうしてここに?」
「ウォレスから報告を受けていた。心配になって来てみれば、どうしてウォレスに抱きついている?」
「殿下、申し訳ございません。私がローラ様を泣かしてしまいそれでその……」
跪いて首を垂れながら言う。
「影もいたから、お前が不埒な思いでローラを抱きしめていたのではないのは分かっている。だが、面白くない」
2人の会話を聞いていたローラは、王子の言うことがよく分からなかった。
「面白くない?……殿下は私を捨て、レイラ様を選んだのです。どうして、そんなことを言われるのです?しかもこんな場所は、殿下の来るところではありませんわ」
「心配になった、と言っただろう?」
王子はローラに近寄ると、腕を取って立ち上がらせた。
「泣くほど、ショックだったか?」
「……この涙は、人の優しさに触れたからですわ」
「強がるのはローラのお得意のワザだ」
王子はローラの頭を撫でる。
「帰ろう。“目となり耳となる”つもりらしいが、そんなことはほかの者にやらせる。ローラは引き続き、僕の側にいればいい」
「……真面目な殿下のお言葉とは思えません。そんなことをすればレイラ様が不快に思うでしょう」
自分に勝ったと思ってほくそ笑んだ女がいる場所になんて戻りたくなかった。
「聖女の役目と僕の信頼を得る者は違う。僕の側にいて支えてくれ」
「私に側室になれとおっしゃいますの?」
そんな気持ちにはサラサラなれない。王子と以前、約束していたのだ。
“結婚するならばただ一人の存在でいたい”と。
「その話は帰ってからよく話し合おう」
「私、帰りませんわ」
その場がシンとした。
「私は人々の暮らしをもっと知りたいのです。ここ数日だけでも、彼らの困っていることを聞いて問題はたくさんあるのだと知りましたわ」
「王宮に戻るのが嫌ならば、別荘に向かわせる」
王子はローラがレイラのいる元に帰りたくないと思っているようだ。それもあるが、人々に触れるのは楽しい、というのも本音であった。
「そういうことでは、ないのです!」
なんと言えばいいか分からず、ローラが言い淀む。
「……失礼ながら殿下、ローラ様は大変、混乱している様子です。今しばらく様子を見てはいかがでしょうか?」
驚いたことに、王子に忠実であるウォレスが口を挟んだ。
「お前なりの考えがあってか?」
「はい……昨晩は庶民の食事の様子さえ興味深く感じられていた様子。きっと、今のローラ様にとって、知らぬことを知るのは楽しいのでしょう。大きな気分転換になるかと」
王子は泣き顔のローラを見て、しばし考えていた。
「ならば、見なくていいことは見せるな。ローラの気が晴れたら帰還せよ。報告は引き続きするように。ローラ、今しばらく好きに過ごすがよい」
そのまま王子は去って行った。
「……ウォレス卿、ありがとう。私の味方をしてくれて」
「味方をしたわけではありません。納得したうえで、戻られて欲しかったのです」
「私が戻ることはないわ。だって、レイラ嬢は勝ち誇った顔をしていたもの。お互いに平和でいるためには離れているのがいいのよ」
小さな声で言うと、テントに入って横になる。
(正直、ウォレス卿が私の味方をしてくるとは思わなかったわ。本人は否定していたけれど)
それにしてもまさか、スチュアート王子が現れるとは思ってもみなかった。先ほどの会話から、彼は自分を必要としているようだ。
国益になると思って、レイラを選んだのは理解できなくはない。とてもショックだったけれど。裏切られたとも思ったが、今思えば彼はいずれ国のトップに立つ人間として正しい判断をしたのだと分かる。
(自分の気持ちよりも国のことを考える人だからこそ、私を側に置こうなどと言われると思わなかった……)
完全に自分を見捨てたわけでなかったと知ったのに、どうしても嬉しいとも思えなかった。
……一方、ウォレスは炎を見つめながら考えていた。
(今のスチュアートの考えに従うのは正しい。でも……)
ここ数日、ローラと過ごして彼女の知らない面を知る機会が増えて、迷いが生じてきていた。
重い荷物を一人で持とうとして顔を赤くしながら荷物を引きずるように持ってきたり、ドレスを売った金で恵まれない子どもに寄付したりと、城にいる時よりも生き生きした彼女が印象深い。
(このままスチュアートの元に彼女を戻すのが正しいのか?)
そんな気持ちがしてきていた。
その晩はローラもウォレスもまんじりともしない夜を過ごしたのだった。
……翌日、ローラが目を醒ましてテントから出ると、消えかかった薪の側で膝を抱えるようにウォレスが眠っている姿が見えた。
数歩、歩いたところですぐにウォレスがこちらに気付いた。
「おはようございます……」
寝起きの彼は寝ぐせが付いていてなんだか微笑ましい。
「おはよう。あなた、寝ぐせがついているわ」
「え?どこでしょうか?」
ウォレスが頭を触る。
「ここよ。私が直すわ」
水を手のひらに垂らすと彼の髪の毛に触れた。
「ローラ様にそんなことをさせるのは……」
ウォレスが慌てていた。
「鏡もないのにどうやって直すの?大人しくしていて」
「……ありがたいことですが、我々の行動は影の者も見ておりますので」
低くボソリと彼は言う。
「影まで付けるなんて何をお考えなのかしらね。私はもはや殿下のものではないのに」
同じくボソリとウォレスにだけ聞こえる声で言った。
「それは……」
“それは殿下があなたを好きだからだ”、と言いかけたが声にならなかった。
「いえ、何でもありません。髪を直して頂き、ありがとうございました」
旅立つ用意を整えると、再び馬に跨る。
いくつかの地方都市に辿りながら、とある小さな町に着くと宿屋を訪れた。
「今日は、私が手続きをするわ」
宿屋に泊まる方法を覚えたローラは、得意気に受け付けに走って行った。
「部屋は1つでいいわ。ベッドは2つにしてね」
なんだか不穏なことを言っているローラの言葉に、慌ててウォレスが受付に駆け寄る。
「部屋は2つで!」
「あなた、ここでは私たちは自由よ?部屋は1つでいいでしょ?」
ウィンクしながら言うと、宿屋の主人はほほう、とうなずく。
「ああ、駆け落ちでもされたんですか?ならばいい部屋をサービスっと」
宿屋の中でも広い部屋を用意してもらえた。
「さあ、あなた、荷物を運びましょ!」
ローラが重い荷物を持とうとするので、ウォレスは急いで彼女の手から荷物を奪うと部屋に運んだ。
「さすが、あなたは力持ちね」
ウォレスが部屋に全ての荷物を運び終わると、にこやかにローラが言う。
「その、“あなた”という呼び方はいけません」
「どうして?私はそう呼びたいわ」
分からない、とウォレスは混乱する。
「あなたは私に心を許して下さっているようだが、そういうのは困ります」
「……どうして?」
ローラが悲しそうな顔をすると、ウォレスはギュッと胸がつかまれるような気持ちになった。
「殿下はローラ様を大事に思っているからこそお迎えに来られました。誤解を招くような呼び方はいけません」
「それはあなたの本心?建前でしょう?」
ローラの頬に涙が流れた。
「そんな顔をなさらないでください。私にはどうすることも……」
「臆病者。やはりあなたは臆病者だったわ」
ローラはベッドに飛び込むとそのまま泣いている。ウォレスは困惑していた。
「私がローラ様を傷つけてしまったのならば、すみません。だから、どうか泣かないでください……」
どうしたら良いか分からず、さすがのウォレスもオロオロしながら言った。
「……あなたは意識していないようだけど、寝言を言うの。寝言ではあなたは心の内を素直に話すわ。――あなたは私を好きだと言っていたのよ」
思ってもみない言葉にウォレスは硬直した。
「私が寝言を……確かに自分の気持ちは間違ってはおりません」
本来ならば否定しないといけないのに、泣き顔のローラを見たら、自分の気持ちを偽ることができずにウォレスは正直に答えた。
「私もあなたが好きよ。この旅の間、あなたは口に出さなくても私をいつも気遣ってくれていたわ」
微笑みながら話すローラのあまりの美しさに、ウォレスは気付いた時にはローラを自分の胸の中に抱きしめていた。
「すみません、自分の行動を抑制できず」
「……そんなことを言わないで。私は嬉しいのだから」
本心を知った2人は、そっとキスをした。そして、その晩は手をつないで一緒のベッドで眠ったのだった。
……互いの想いを知っても、自分たちを見張る者がいるから淡々と過ごしている。
以前よりは気安い会話をするが、必要以上に近寄らなかったし気を付けていた。
そんな折、久しぶりにスチュアート王子に対面することになった。
とある別荘が集まる港町に寄った時に、領主の屋敷に招かれたのだ。
どうして自分たちの存在を知られたのだろうと思っていると、王子から手を回されていたのだと後から知った。
「久しぶりだな。ずいぶんと日に焼けたようだ。すぐに用意をしてくるといい」
王子は簡単にそう言うと、ローラが口を開く前にサッサとメイドたちに連れて行かせた。
メイドに連れて行かれると、入浴だのドレスだの王宮にいた時のように世話をされた。
髪を美しく結われ、ドレスを着たローラは王子の前に連れて行かれた。
「ローラは、やはりドレス姿の方が似合う」
「殿下、これは一体……」
突然、現れたスチュアート王子に理由を聞こうとすると、王子がやつれて見えることに気付いた。
「ああ。ローラに話したいことがある」
示されたソファに座ると、王子もすぐ隣に座った。
「レイラは聖女ではなかった。権力を欲するあまり、魔道具を使って偽っていた。魔道具が爆発して露呈したんだ。しかも、レイラはシリルという護衛騎士と密通していた」
王子の話では、レイラは自分の虜となっていたシリルという護衛騎士にいろいろと自分の妨げになる者を始末させたり、陰での工作や策略もさせていたらしいと聞いた。
「僕はひどく傷つけられた」
そう言うと、ローラの肩に王子が顔を埋める。
いつものローラならば、腕を背に回して労わるところであるが、静かに王子を突き放した。
「傷ついたのは殿下だけではありませんわ。私も相当、傷つきました」
「それは、レイラの存在を迅速に強烈に知らしめるためだった。聖女の存在は他国にも脅威になるからだ。だから、分かってくれ。僕の気持ちは以前から変わらない」
勝手なことを言っている、と思えた。レイラがまともな聖女だったら、こうして自分を追いかけてくることなど無かっただろう。
「殿下はご自分の失敗を無かったことされたいだけですわ」
「なぜ、そんなことを言う?ローラはいつも僕の支えとなってくれたではないか?」
「それは私が殿下の唯一の存在になると信じていたからですわ。でも、もうこうなった今は元には戻れないことです」
すると、王子はローラの腕をギュッと掴んだ。
「痛いですわ」
「なぜ、心変わりした?ウォレスと一緒にいたからか?」
いつになく、王子が強い口調で言う。
「ウォレス卿は関係ありません。……手をお離しくださいませ。今の殿下は冷静ではありません!」
「僕にこうさせているのはローラだ!」
今の王子は感情を抑えることができないらしい。
「帰ろう。ローラがなんと言おうと連れて帰る」
「……分かりましたわ」
仕方なくローラは了解した。
その晩は領主の館で眠れぬ夜を過ごし、夜が明けて準備が整うとすぐに王城に向けて出発となった。
乗せられた馬車からウォレスの姿を探した。領主の屋敷に着いてから彼を見ていない。
「何を見ている?」
「風景を見ているのですわ」
「もし、ウォレスを探しているならば、ローラの目の入らないところにやっているから探してもムダだ」
まだ、ウォレスとの仲を疑っているようだった。
(疑っているのね。……ならば仕方ないわ)
「私、昨晩はいろいろとあったせいで眠れませんでしたの。殿下の肩を貸して頂けますかしら?」
首をかしげながら言うと、隣に座っていた王子の手が伸びて来て、肩を引き寄せられた。
「君が歩み寄ろうとするならば、僕もきちんと受け入れる。もう心配などしなくていい」
(もう心配しなくていい?勝手ね)
国のために最善の判断をしたのは上に立つ者としては正しいだろう。だが、傷つけられたのは事実で、旅をするうちに人々の優しさにもたくさん触れたのも事実だ。
(自分は狭い中で暮らしていて世間知らずだったのだ)
そう気づいてからは、王宮での疲れる暮らしはしたくなかった。
暗く沈んだ気持ちになりながら王宮に戻ると、以前と同じような暮らしが再開する。顔には笑顔は貼り付けていても、心は楽しくなかった。
(ここにいたらおかしくなってしまいそう……)
息苦しくなって部屋のバルコニーに出た。一人で物思いにふけりたい時はバルコニーから夜空を眺めるのが日課になっていた。
ふと、自分の名を呼ばれた気がした。気のせいかと思うが、再び声が聞こえた。
注意深く周りを伺うと、なんとウォレスがバルコニー下の暗がりにいた。
(どうしてそこに……!)
驚いたが、声が響くのを恐れて黙っていると、ウォレスが手を広げて見せた。
(まさか、ここから飛び降りろというの?)
指で自分を指してからウォレスを指さして確認すると、彼はうなずいた。
(怖い!……だけど、彼なら私を受け止めてくれるはず)
ローラは夜着の裾を持ち上げると、ウォレスめがけて飛んだ。
ヒュッと胃が浮くような感覚の後、すぐにガッチリとした腕に抱き留められた。
「ウォレス……!」
「あなたを迎えに来ました。オレと共に逃げてもらえますか?」
「ええ!」
短く小声で答えると、ウォレスがマントをローラに被せて走り出した。
城壁まで来るとドキドキする胸を抑えて小声で言った。
「見つからないで来られたなんて奇跡だわ」
「急ぎましょう」
ウォレスはローラを担ぐと城壁をあっと言う間に飛び越えた。
(すごい!私を軽々と背負って城壁を飛び越えるなんて)
なんて男らしい人なのかしら、と緊迫した状況にも関わらず思った。
「ここからは馬車です。こちらに」
黒っぽい馬車に素早く乗り込むと、ようやく一息ついた。
「ひとまずこのまま、国境まで向かいます」
「国境まで?」
「はい。……突然、攫ってきてしまいましたが、後悔はありませんか?」
先ほどまでの凛々しい顔をしていたウォレスとは違って、不安気な顔をしている。
「ええ。王子様に連れ出されたお姫様の気持ちだわ。ステキ」
「これからは、王宮にいた時のような暮らしはできなくなりますよ」
「分かっているわ。夢見る乙女なだけじゃないわ。一緒に旅をしたのだから知っているでしょう?」
「ええ」
お互いに目を見つめ合うと、自然と唇が合わさった。
「あなたも、後悔をしないの?私もだけど、あなたの家も無事では済まないわ」
「それならば、大丈夫です。伊達にオレは王子の幼馴染ではありません。彼のした悪さの尻拭いをしてきたのはオレですから」
「……どういうこと?」
驚いてどういうことかと尋ねると、なんと清廉潔白だと思っていた王子はかつて裏で悪さをいろいろとやらかしていたのだ。
「でも、ローラ嬢が婚約者に選ばれてからは心を入れ替えたように、真面目一辺倒になったのです。だから、オレも安心していました。あんなことが起きるまでは」
ローラが知らぬところで、両家の家門は王子が起こした問題をもみ消していたらしく、今回のローラの失踪もうまく処理される手はずになっているという。
「迎えに来るのが遅くなって申し訳ありません」
「いえ、そこまで手配をしていたのですもの、仕方ないわ。これから国境へと向かってどうするの?」
「殿下はあなたを手放したくなくて一度は旅を許すという、寛大な振る舞いをして見せました。だが、今度は強引にでもあなたを側に置こうとするでしょう。だから、亡命します。覚悟はできていますか?」
亡命、と聞いて少し迷いが生じる。
(……でも、自分らしく生きるためにはそれしかないわ)
「ええ、あなたについて行くわ」
手を握りしめて凛々しく決断してみせたローラを見て、ウォレスが微笑んだ。
「そこまで気合いを入れなくとも大丈夫かと。実は、オレの叔母が隣国に住んでいます。王宮ほどではないですが、悪い暮らしにはならないはずです」
ウォレスはローラを連れ出すために、いろいろと用意をしていたようだ。
「あなたがいる場所ならば、いつだって安心できるわ。心配なんて不要よ」
強気に言うローラにまたウォレスが微笑む。
希望に満ちた2人を乗せた馬車は、明るい未来に向かって走って行ったのだった。
いかがでしたでしょうか?
もし作品を「いいな」と思っていただけましたら、
本文下の【ブックマーク】と【☆評価ボタン】をぜひポチッとお願いいたします(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
そっと寄せていただける感想も、執筆の大きな励みになります( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
現在、『婚約者の王子より、冴えないチェリストに恋をした公爵令嬢の話』を連載中です。
音楽に興味がある方もない方も楽しめる、とある公爵令嬢とややぽっちゃり男爵令息のチェリストの物語です。
よろしければぜひお読みくださいませ(o_ _)o
◆連載『婚約者の王子より、冴えないチェリストに恋をした公爵令嬢の話』毎日19時過ぎ更新中!
https://ncode.syosetu.com/n1927jx/