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レフスキーは再起不能になって、頭が抉れたままそこに立ち尽くしているヴェルホーヴェンスキーを一瞥してから、解かれた肉塊の枷を避けた。肉塊はその場でぼたぼたと落ち、黒い砂となって風に吹かれながら消えていく。
「大丈夫かよ、旦那」
離れていたリャブツキーが近くに寄ってきて、彼の様子を確かめた。口からは血が滴り落ちた跡が残っていたが、ぐいっと袖でレフスキーが拭うと言った。
「大丈夫だよ。悪魔と戦うなんて久しぶりだけど、体が鈍って思うようにいかないや。彼が自分のことにしか気を取られていなかったせいで、反撃をすることができたよ」
ぴしっと撫でつけられたレフスキーの髪が、ところどころほつれていた。その顔には疲労が見えてはいたが、目立って見えるものではなかった。
「何考えてやがるんだが。人を殺して利用する分だけ自分の体にもダメージがかかるのに、あいつそんなこと気にせずにどんどん増やしやがった。頭が狂ってるのか」
「人間を使って殺したかったんだろう。彼なりのやり方があるようだ」
「バカだと思うけどな、寿命も縮むんだぜ」
「それを気にしない、むちゃが好きな悪魔ってことさ」
ヴェルホーヴェンスキーの顔面は断面を溶かしたようにドロドロとしていて、ポタポタと血液が地面に滴り落ちていた。じわじわとその中から音を出しながら少しずつ再生を繰り広げているところらしい。
「あと何十分かで全快するよ、ここまで回復が早い悪魔も珍しい。
上位者たちが彼に特別な力を授けたんだ。彼も気に入られた悪魔の一人のようだ」
上位者とは悪魔の中でも特別な存在の悪魔たちをいう。彼らは、悪魔たちの中でもトップクラスで強く、自分の地位を持っている。異質な存在で、下位の悪魔たちはその姿を見たことがない。上位者に特別気に入られた悪魔たちはそれぞれ特有の力を授かっていた。レフスキーの場合は色彩の力。ヴェルホーヴェンスキーの場合は高速回復なのだろう。
「早くこの場から離れたほうがいいよ、またこんな一悶着あったら、ルシフェル様に何言われるかわかんないよ」
巨大化したマーロウが猫の姿になってピューッと風のように小さい足動かして駆けてきた。
「再起不能にまでさせないとだめだ。この悪魔はすぐ僕を追ってくるだろうからね。力を溜めて一気に動けないほどのダメージを与えないと」
レフスキーが翳りのある表情で言った。2人の従者は、苦い顔をして顔をみあった。
「そんなことしたら、旦那の力がまたなくなっちゃうよ。旦那のあの力は、簡単にたまるものじゃないんだから、それに疲労が尋常じゃないくらい溜まるよ」
マーロウが眉を歪めながら言う。レフスキーの色彩の力は時間をかけるたびに強くなる。彼が善意でした行いが力となって彼の能力を何倍にも高めてくれる。しかし、一度放出してしまうと一気に力を失ってしまい、弱体化してしまう。この事知った悪魔は彼を襲わないとも限らない。リスクが高くなる状態だった。
「離れていてくれ、食らうと再生できないかもしれない」
レフスキーの周りに黄金の輝きが放出する。彼がヴェルホーヴェンスキーの身体に手をかざす。耳をつんざく音がなったと思うと、強力な波動が一気にヴェルホーヴェンスキーを直撃した。何分かしたあと、その波動が少しずつ弱まって消えるとヴェルホーヴェンスキーの身体は完全に消えてしまった。レフスキーは大粒の汗を全身に滴らせながら、苦痛の表情を浮かべていた。すぐさまリャブツキーが傍らによって、体を支える。
「これで何日かは追ってこられないだろうよ。彼の高速再生が僕の予想する速度じゃない場合だけど。物凄く体が怠い。どんどん肉体が蝕まれるようだよ」
「こんな戦闘がなければ、楽しい旅行だったはずなのに、とんだ邪魔が入ったせいで旦那の魔力も失う羽目になって災難すぎるぜ」
「君たちが死ぬような状態にならなくてよかった。今後、あいつが僕に対して何かしてくるかもしれないけど、君たちには手を出させないように離れてたほうが良さそうだ」
マーロウが声を上げる。
「そうしたら、旦那が殺されてしまうよ。僕たち弱いけど、少しは旦那の身代わりになれるよ。僕たちはそのためにいるんだから」
「この旅行で最後だよ。君たちが死んで消えてしまうほうが僕は悲しいんだ」
「旦那の意見を聞いてたほうがよさそうだ。でも、今回のことをルシフェル様に報告しておいたほうがよさそうだ。何か裏がありそうだからな」
リャブツキーが固い顔で呟く。
「最後は楽しく行こうじゃないか。
3人の最後の晩餐だ。今日は何でも好きなものを食べていいよ」
レフスキーが微笑んでいうと、左右を支える2人は頷いて、スミイレ地区の高級レストランに足を進めた。
〜
リーザはスミイレ地区の総合病院に来た。
シュルコフのいる個室へと向かう。すると、気づいた看護師が彼女に話しかけて、今日突然意識を取り戻したことを語った。
彼女は泣き出して、すぐに部屋に向かう。
そこには上半身を起こしているシュルコフの姿があった。彼女のことに気づくと、優しい笑みを浮かべて微笑んだ。
「神様…」
彼女は一言そう言うと、シュルコフの胸へ飛び込んだ。
〜
数日後、夜中スミイレ区の中央広場で完全回復したヴェルホーヴェンスキーは苛立ちを隠しきれず、通りかかった浮浪者を自分の手で首を絞め殺していた。
「こんな腹立たしいことはないよ。絶対に潰さないと気がすまない。今回は見逃したが、あいつは今弱っているからすぐに叩き潰せば殺せるはずだ。うっとおしいハエのような奴は捻り潰してやらないとわからないらしいからな」
死体を噴水の縁の部分に投げる。
人を殺す感覚を手の感触で味わいながら、考える。どの様な殺し方なら一番ふさわしいのかを。善意が好きで人間が好きならその好きなものが真っ二つにちぎれて血まみれの現場になるくらいの惨状がふさわしい。ヴェルホーヴェンスキーは次のターゲットを決めた。