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「旦那、こんなところにおいしそうな焼き肉があるよ。僕、食べたいなあ」
レフスキー一行のあとについてきた、二足歩行の大黒猫マーロウが黄色い目を輝かせて、街の屋台街を見回している。
その口当たりには、透明なよだれがあふれ、なかなかに品がなく見える。欲望のままに突き動く猫マーロウは、その屋台から離れずにじっと串についた焼肉を眺めていた。
焼肉は、豚肉のバラ肉部分でスパイシーな胡椒の香りが香ばしく辺りに香っていた。炭火にあぶられ、ジュウっといういい音がしている。
すると、
「おい!!商売の邪魔すんじゃねーよ
猫はあっちいった!」
店主が威勢のいい声で、迷惑なマーロウを追い払おうと手をはらってきた。
「だんなあ…、ぼくお腹減って歩けないよぉ。
これ買ってくれよお、なにかあったとき助けるか ら」
マーロウが店主の手を避けながら、指をさして肉を指すと、レフスキーはため息をつきながらも店主に声をかけた。
「すみません。私の連れなのです。このこに一本うまいやつを」
「やったあ!旦那はやっぱり優しいお方だ」
会計を済ませて、マーロウに焼肉の串が手渡された。
店主はもぞもぞとこのへんてこな一行をジロジロと見ていたが、外国人だと思い、金を2倍もらうと明るい声で感謝を述べるのだった。
「旦那、あの人間金を2倍にふんだくりやがった。
いいのかい?あんなふざけたやつをのさばらせて」
リャブスキーが舌打ちしながら言った。
「いいよ。今はロングバケーションなんだ。
長い長い勤労の義務のおかげで金は貯まってるし、僕は何時でも奴らにバチを当てることができる。そんなことにいちいち目くじら立てていたら、楽しいはずの休暇も悪いものになるだろう?君も食べるかい?」
「俺は人間なんかが作った食べ物なんか食いたかねぇからな。旦那が金を使ってまで、あんな変なもの食べようとしてるなんて俺にはおかしく見えるね」
「おいしいものは正義だよ。楽しみがなきゃ、長い人生色褪せたものになりかねない。人間はいいことを教えてくれるよ。おいしい食べ物、美しいもの、それらが僕の長い人生を色鮮やかに映し出してくれるんだ。不運も幸運もあるから人生は飽きないものなんだ」
「お説教は勘弁してくれよな。俺は節約志向なんで同意しかねる」
マーロウが焼肉に頬張りながら、言った。
「僕は旦那の考えに賛成だよ。おいしいものを食べれたら世の中がバラ色に見えるし、お腹も満たされて幸せだからね」
「だからそんなにでかくなったんだろう
化け猫じゃねーか」
リャブスキーが皮肉を口にした。マーロウはムッとして、しかめ面になった。
「まあまあ、喧嘩はやめるんだ。楽しくいこうじゃないか」
レフスキーは彼らをなだめ、街道をすすんでいった。
リャブスキーは目の前にいるレフスキーの後ろ姿を眺めながら思った。
レフスキーは悪魔だが、悪魔にも階級があった。地獄の悪魔、煉獄の悪魔、天国の悪魔…。彼は煉獄の悪魔であり、地獄で幾度も苦しめられ、そこから自らの罪に悔やみ続ける罪人だけが行くことのできる煉獄は地獄と階層が違う場所だった。地獄の罪人と煉獄の罪人の罪の意識が違うように、悪魔もかなり異なる。地獄の悪魔は罪人をいたぶることを主体とした一団でもあり、彼らは罪人に責苛めることを仕事としていた。例であげれば、剣でなんども罪人の体を突き刺したり、業火の上で焼けただれていくところを眺めて楽しんだり、体をバラバラにねじれさせたりと色々な破壊行為をする。物理的なものもあれば、精神的なものもあり、裏切り、騙し罪人をてんてこ舞いにさせてうんざりさせるのは朝飯前だった。レフスキーは最初から煉獄の悪魔の役割をしている特別な存在だった。彼の性格は、悪魔にしては善性が強く、なぜ悪魔になってしまったのかわからないくらいであった。彼は、人間と契約することもなければ、誘惑して人間を惑わすこともなかった。それは、彼が何よりも人が苦しむ姿を嫌がる性格をしているからだった。彼の善性の強さが、彼を特異な悪魔に進化させていった。いつしか、レフスキーは色彩の悪魔と称されるようになる。それは、悪魔の象徴色が少ないのにも関わらず、さまざまな色を表現できる力を持った悪魔の誕生でもあった。
「いらっしゃいませ!お花をお探しですか?」
レフスキー一行は、スミイレ地区の中央街にやってきた。そこでこじんまりとはしているが、色鮮やかな花々を店頭に飾っている花屋を見つけて、レフスキーはうっとりとした様子で誘われるように入っていった。リャブツキーとマーロウもあとに続くが、心底嫌そうな顔をして彼が入っていくのを店先で見つめている。
「ったく、なんでああも人間の女が好きそうなものばっかり好きなんだろうな?花なんて枯れるだけの物に金を使うなんて考えられねぇよ」
リャブツキーが横にいるマーロウに主の悪態をついた。マーロウはやっと、肉の串をしゃぶるのをやめて言った。
「僕も分からないけど、僕にとっての肉が旦那にとっての花とかになるんだろうね。僕は花より団子のほうがずっといいけど」
二人は主であるレフスキーと店主である女性を眺める。二人は和気あいあいと花の話をはじめていた。
「もしかしたら、旦那は女好きなのか?
この前、女の描かれた絵画をじっと見てたのをたまたまみたぜ。女を誑かすために、花が好きだと見せかけて出会いを探ってるのか?」
リャブツキーがため息をつくと、マーロウは首を振った。
「それはないと思うけどね。僕たち悪魔は自分のことが一番すきだし、異性が好きというより、その異性が好きな自分が好きなんだもん」
「まあな。快楽はいいもんだが、飽きも早い。
ほんと旦那の趣味には理解が追いつかないな」
「どなたかに渡すためのお求めですか?」
店主はレフスキーを見るなり、うっとりと顔を輝かせた。彼女には彼の漂うオーラが光って見えたのだ。
「いえ、色鮮やかなお花なので見とれてきてしまいました」
「あら、そうなのですね!お召し物がご立派だったので、愛する方にプレゼントするものだとばかり思いましたわ」
「私は悪魔なので、そのような想い人はいないのです。私も来世で人間に生まれてきたなら、ぜひ儚い恋に身を授けたいものですね…」
「?失恋中でしたのね…。それは悲しいこと…。
でも、お客さんは身なりがおきれいだし、お顔もとても整ってる方だからよい方が必ず現れますわ。私でもよかったら、すぐその誘い受けるのに」
「なんと!?この私に付き合ってくれると仰るのですね!なんと麗しいお方なんだろう。お世辞でもとても嬉しく思いますよ」
「うふふ。楽しいお方ね。
こんな調子のいい方、久しぶりだわ」
レフスキーはニッコリと笑うと、1輪のオレンジ色をしたマリーゴールドをとって、女店主に差し出した。
「これをあなたに。貴女を守る花になるでしょう」
そういって、マリーゴールドの花びらに人さし指でタッチすると、その指先から金色の光が一瞬輝いては消えた。
女店主は、不思議なものを見たような表情で呆然としていたが、代金とマリーゴールドを受け取ると笑顔で感謝を述べた。
「人間の女に気でもあるんですかい?
あんな楽しそうに話してるの、久しぶりに見ましたよ」
リャブツキーが後ろからからかうように言うと、マーロウもひゅーひゅーと囃し立ててくる。くるりと身を翻らせたレフスキーは彼らの眼を見据えて言った。
「僕は女性も愛するし、男性だって愛してる。
この世の美しいものはすべて、美の性質を持つものたちだろう?美しいものは心を浄化させて、一段高いところに僕をいざなってくれる」
「それじゃあ、醜いものは?
そう言うなら醜いものは悪じゃないか」
リャブツキーがニヤリと口を曲げて、皮肉を言う。
「俺たち悪魔は醜いものって思われてんだぜ?
俺だって、小男で黒ずんだ肌をしてる。これを醜いと言わず、美しいというのは偽善だろう」
「たしかに醜いものは見にくい。美しいものよりも心をざわつかせるものがある。でも、本物の美しさは美しさと醜さで出来上がっている。醜いものの美しさはある。それは真に迫った事実に基づいている。醜さには幾重にも重なって出来上がった事実でできてると僕は考える。僕はそれを美しいと言うよ」
リャブツキーは舌打ちをした。マーロウはにやにやして、「リャブツキー、一本とられてやんの」と笑った。