他人の痛みが分かるってどういうこと?
頭もそっとしゃわしゃわと指先でくすぐるようにして洗います。まだまだ髪の毛が細くて柔らかいし頭皮も繊細なので乱暴には洗いません。
そして洗い終えると、やっぱりそっとお湯で流します。それも雑にはしません。ミコナにとって雑で乱暴な接し方がどれほど怖いことかハカセは想像するからです。
『他人の痛みが分かる人になりなさい』
親が子供にそう言うのなら親がまず子供の苦痛や恐怖について分かる人でないとおかしいですよね? そうやって手本を示してくれないと子供だって、
『他人の痛みが分かるってどういうこと?』
って思ってしまうんじゃないですか? そういう手本もちゃんと示さないで『他人の痛みが分かる人になりなさい』とか言われたって困ってしまいます。一番身近な手本である親が<自分じゃない人>という意味では<他の人>であるはずの子供の苦痛や恐怖を分かろうとしないんですから。
<他人の痛みが分かる人>
というのはどういうことなのか、ハカセもルリアも、ミコナへの態度で実際に示します。<他人の痛みが分かる人>なんてそんな抽象的なこと、言葉をいくら並べたってなかなか理解できないんじゃないですか? 理解できてない人が多くないですか?
ましてや親が<自分じゃない他の人>である子供の痛みを分かろうともしてないのに子供にそれを分かれとか普通に無茶言ってませんか?
怒鳴ったり叩いたり脅迫したり。
それをされた方の<心の痛み>とか<体の痛み>とか考えたことがないんですか? 考えたことのない人が言う、
『他人の痛みが分かる人になりなさい』
なんて空虚だとは思いませんか?
だけどそこまで考えてるルリアでもお風呂に入れる時にはミコナを泣かせてしまいます。でもハカセがお風呂に入れると泣かない。
だから『そこまで考えてても完璧にできるわけじゃない』ってことですよね。
ルリアはミコナに怖い思いとかさせたくなくて丁寧にお風呂に入れるように心掛けていました。だけど何かが違うのかハカセがお風呂に入れると泣かないのにルリアが入れると泣くんです。
だからそこで、
『このくらい我慢しろ!』
って言うんじゃなくてハカセがお風呂に入れるようにしました。まだ言葉も分からないミコナにそれを言ってもただ理不尽なだけですよね?
『そうやって我慢を覚えるんだ!』
みたいに言う人もいるかもしれませんけど、よく考えてみてください。大人ってそんなに我慢強いですか? タバコのマナーを守ることも、ゴミをポイ捨てせずに持ち帰ったりすることも、たった何十秒か信号を守ることも、ちゃんと駐車場を探すことも、駐車場から百メートルとか歩く程度のことも、何百円かの駐車場料金を払うことも、我慢できない人って多くないですか?
それが赤ん坊の頃から我慢を教えられてきた人のすることですか?




