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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

投稿小説作品【神衣舞】

愚者の嘆き

作者: 神衣舞

 その日、彼は帰らぬ人となった。




 誰かがこう言った。


「軍人は死ぬから高い金をもらえるんだ」


 つまり日々貰っているのは命の代価だと。


「彼は立派に戦った。

 それは素晴らしい事だ」


 本当にそうなのだろうか?

 騎馬に潰され泥に塗れ、おぞましくも醜悪な肉の塊に成り果てた彼がどれほど立派なのか。

 その末路がどれだけ素晴らしいと言うのか。

 褒め称える声は泣き叫ぶ声を安易に否定し、全の達成が1つの悲劇をもみ潰す。

 あの戦に英雄が居た。

 攻め上る軍団を疾風の騎馬が貫き、食い殺した。

 大陸最強の名を欲しいままにする青き疾風を誰もが褒め称えた。

 頑強なる守りを以って多くの敵軍と相対し続けた将に敬服した。

 その影で、どれほどの人が死んだかなど誰の口にも昇らない。

 きっとあれが酷い負け戦ならそれもありえたのだろうか。


 ─────果たして、あの人の死にどれだけの価値があったのだろうか?


 その回答は数ヵ月後に私の元に一つの形として届いた。


 弔問金───金貨30枚。


 契約に従い送られてきたそれが、『あの人の死』の代価。




「そろそろ立ち直っちゃくれないかねぇ」

 母の声が外から聞こえた。

 彼の死から数ヶ月。

 私は日々を陰鬱に暮らすことしかできなかった。

 もしも、という言葉が滲み寄り、夢で彼の死に様が繰り返される。

 この目で見たはずはないのに、何度も何度も彼が殺される姿を見て、何度も何度も真夜中に目を醒ました。

 だから眠るのが怖くなった。

 人間の体は理不尽で、起き続ければ眠くなる。

 けれども眠れば滲み寄る悪夢が私を決して眠らせない。

 日に日に世界が重くなる。

 暗くなる。

 命を絶とうと思っても、あの無残で痛々しい死に様は最後の救いである場所からも遠ざける。

 怖い。

 怖い。

 怖い。

 怖い。

 私の恐怖は空想の産物でしかないのに、現実に死んだ彼はどれほど恐ろしい目に遭ったのか。

 私はそこに行けない。

 そんな勇気はもう萎え果てていた。

 だから緩慢な死を感じながら、私は最後の一線で死ぬ事を選べないでいた。

 生きていない。

 死んでもいない。

 私は一体何なのだろう?




 弔問金の金30は大金だ。

 けれども遊んで暮らせば一月も持たない。

 貧しいとは言わないが働かなくても暮らせるほど甘くは無いこの村で漫然と日々を過ごすだけの私は蔑まれる存在になっていた。

 同じく愛する人を無くした人がいる。

 その人たちはすでに新しい生活を始めている。

 母が嫌味を言うのは当然だ。

 きっと私が他人なら私の姿を情けないと思うだろう。

 だけど、どうにもならない。

 心の大切な部分は修復不可能なまでに壊れてしまったのだから。

 動かさない体は痩せ細り、まともに働くことさえできないだろう。

 もしも仕事に精を出し、全てを忘れようとしていれば、もっと違う自分が居たのだろうか?

 くだらない。過去には戻れない。

 あの人も帰ってこないのと同じように。


「いい加減になさい!」


 母が怒りを込めて叫ぶ。

 その目に浮かぶ涙は決して彼の死を悼む物ではなく、私への誹謗中傷に耐えかねて爆発した感情だった。


「あの人のことを忘れなさい!

 もう何ヶ月経ったと思ってるの!」


 萎えかけた炎がぶすりと醜悪な煙を上げる。


「悲しむなとは言わないつもりだったよ。

 あたしだって悲しいさ。

 あの人はあんたに勿体無いくらいいい人だったよ。

 けれどもあんたはなんだい!

 あの人が必死に戦って守ってくれたってのに、あんたは!」


 膿を火で炙るような、溜まりに溜まった埃に火を灯すような。

 吐き気がするくらい醜悪な煙が、真っ黒な炎を伴うのを確かに見た。


「わ゛だじわ゛!」


 長い間使われなかった喉があっさりと切れて血の味を思い出させる。


「………!」


 おぞましく醜悪な、自分をようやく感じる。

 乾ききった目にもはや失ったとばかりに思っていた涙が溢れた。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」


 鉄さびの味が咥内を埋め、激痛が喉を苛む。

 けれども溢れた怒りと悲しみはそこ以外の逃げ道を見つけられない。

 弱った手足が動かない。

 倒れるように俯いて、ただただ醜悪な嘆きを上げ続けた。




 よどんだ煙が私を包み込んでから、おぞましい炎が胸中を燻り始めてから。

 私はあることを思い始めていた。

 このままではいけないことは分かっている。

 だから、全てに決着をつけたいと思った。

 あの叫びの後。

 倒れてから一月後。

 私は母にあの人が死んだ場所へ行くことを告げた。

 これを最後にすることを約束して。




 隣国へと伸びる街道を私は一人歩く。

 昨年大規模な野盗狩りが行なわれたため、比較的治安は良くなっている。

 違和感の残る足を引きずるように私は街道を歩く。

 途中馬車が追い抜き、親切にも乗っていくかと声を掛けてくれたが、私はその全てを断った。

 歩きたい。そうしなければ意味が無いと思った。

 正直、普通の精神状態ならそんなことは絶対にしないだろう。

 けれどもこれはある意味緩慢な自殺。

 化け物が現れて殺されるのも、盗賊に殺されるのも多分私は受け入れてしまう。

 何日何夜過ぎた事か。

 私は街道の真ん中に立っていた。

 この辺りと、漠然としかわからない。

 もしかすると数百メートルも数キロ以上も離れているかもしれない。

 あまりにも曖昧な、そんな場所に私は立っていた。

 立ち尽くしていた。

 そこは道だった。

 どう見ても道。

 矢の一本も血の一滴ない。

 足跡と轍とが積み重なるだけの場所。

 今まで歩いてきた道と変わらない。何一つ痕跡のない道。

 もしかしたらと思い、先へ進む。この先にはあの人が勤めていた要塞がある。

 ここではないかもしれない。

 きっとまだ先。まだずっと先。

 道、道、道

 どうしても、どこまで行っても道。

 途中私を追い越す馬車の人が問い掛けてくる。

 私は尋ねる言葉を飲み込んだ。正しい場所を知ることが怖かった。

 あの人の価値は金貨30枚。

 本当にそれ以外の一切が残っていないと言う事実が怖かった。

 昼も夜も、必死に地面を見つめ、痕跡を探し、歩いた。

 やがて、私は地面に倒れている自分に気付く。

 もう、手も足も瞼すらも動かなかった。


  ……

 …………




 ぱちりと、木が爆ぜる音を聞いた。

 莫大な闇へオレンジの光が弱々しく反乱する。

 うすらぼんやりとそんな光景を見て、私はゆっくりと思い出す。

 指先の一本たりとも動かす余力はない。

 空っぽの胃袋は吐き出すものも無く痙攣し、肺が僅かな空気にも耐え兼ねてきりきりと痛い。

 掛けられた毛布。

 それに気付いて私は残念に思う。

 あのまま眠るように死ねたなら、良かったのにと。


「目が……覚めたのかい?」


 しがれた声が私に向けられる。


「びっくりしたよ。

 まさか街道で行き倒れを見るとはねぇ」

 覗き込んできた顔は四十路にさしかかろうかと思う髭面の男だった。


「水、飲めるかい?」

 乾ききった喉が、唇が僅かな動きにも鈍い痛みを反してくる。

 気遣わしげに注ぎ込まれたそれを私はなんとか嚥下した。


「もう暫く寝てるといい」


 問おうにも声は出ず、指先一つ動かない。

 やがて、炎の明かりに安堵してしまったのか。

 私は引きずり込まれるように眠りに落ちた。




 次に私が目覚めたのは日も高く昇った昼間のことだった。


「食べられるかい?」


 差し出されたパン粥に意地汚いことに体が反応した。

 男は柔和な笑みを浮かべると私の口元にそれを差し出した。

 それからいくらかの時間が経って、私は自分の体が動く事に気付いた。


「……あの……」

「ん?」


 男の顔が視界に入る。


「どうした? 水か?」

「……どうして、私を?」

「……」


 男は苦笑を浮かべる。


「助けられる命を助けたいと思っただけだ」


 枯れ果てた自虐的な目が僅かな温かみを憶えて細められる。


「知っているか? ここで最近酷い戦いがあったんだ」

「え……」


 その言葉に、響きに私は動きを止める。


「俺たちはあの日、任務を受けたんだ。

 ただひたすらまっすぐ逃げる。

 そうすれば助かるはずだった任務だ。

 ただそれは後で知ったことなんだが……」


 男が語るのはまさに私が追い求めここまで来た傷痕そのものだった。


「俺たちは客人の護衛のために首都を目指し、砦を出た。

 その直後だ。

 国境で燻っていた隣国の奴らが俺たちの後を追撃し始めたんだ」


 それは、まさしくあの人が死んだ戦の話。


「こちらは馬車で、あっちは騎馬。

 圧倒的なスピードで俺たちにやつらは喰らいつこうと迫っていた」


 僅かに動く首を巡らし、彼を見る。

 そこで私は初めて、彼に右腕が無い事に気付いた。


「何よりも、突然の来客に対する護衛なのに、あいつらはそれを知っていたかのように追いかけて来たんだ。

 ……いや、知っていたんだ」

「どういう、ことですか……」

「俺たちは囮だったんだ。

 隣の国に攻めさせるためのな」


 怒りと悲しみがぐちゃぐちゃになりすぎて自分でも理解できなくなった。

 私は彼の表情をそう、読み取った。

 私の傍に居座り続けた感情だから理解できた。


「結果から言えば大勝利だ。

 効率よく隣の国の急進派を一網打尽にした上で賠償請求をできたんだからな」


 忌々しく吐き捨てるように、言葉が紡がれる。


「……だが、俺たちは地獄に居た」


 気が付けば体に震えが走っていた。

 思い出す。あの忌々しい夢を。

 何度も、何度も、なんどもなんども殺された夢を。


「……悪い。

 あんたみたいな女性に言う話じゃ……」


 私の震えを見て取ったのか、我に帰った彼は無理やり笑みを作る。


「いえ、話してください……。

 私は……私は、それを知りたくて」


 喉が痺れる。

 それでも私は乞う。


「ここまで、来ました」


 何とか言い切ると、男はやりきれない顔をして、数秒間を置く。


「……あんた、遺族か?」


 気遣わしげな言葉に私はただ真っ直ぐに見返し、頷く。


「……はい」


 彼はそうかと声を伴わず、大きく息を吐くと、暫く黙り込んでしまった。

 ざわりざわりと草葉が鳴く音だけが静穏をかき乱して耳につく。


「話すのは構わない」


 彼は前置いて私の目を覗き込んできた。


「だが、話を聞けばあんたはより一層苦しむかもしれない。

 いや、そんなんになりながらここまで来るんだ。

 間違いなく聞けば更に不幸になる。

 そして俺は話したことを後悔するだろう。

 それでも聞くか?」


 それは純粋に気遣わしげな言葉。

 けれども最早私に引くべき場所などない。


「お願いします」


 そうか、と吐息と共に漏れる言葉。

 どれだけ時間が経ったのだろうか。

 やがて、彼は静かに語り出した。




「隊長」

 俺はその時、辺境警備隊の中隊長という立場だった。

「今は隊長って呼ぶな、紛らわしい」


 しかし、「隊長」と呼ばれた俺は不満を隠そうとはせずに応じる。


「今の指揮官はあいつらだ」

「……正直納得がいきません」


 本来であれば懲罰物の発言であるが、同意こそすれ意を唱える者は居ない。


「俺たちは国を守る軍です。

 公の私兵じゃない」

「言っても仕方ないがな」


 俺の階級は大尉。

 この隊は俺の指揮下にあるはずだった。

 しかし今その指揮権を握るのは先頭でなにやら意見を交わしている連中である。


「軍のことは軍に任せればいいじゃないですか。

 どうしてあんなシロウトに」

「それが命令だ。

 仕方ないだろ」


 言いつつも、胸の奥あたりが嫌な感じで疼くのを感じる。

 良くない事が起こる前触れ。

 思い込みだろうか?


「だいたい、お前は何故ついてきた?

 お前には砦で新兵教練の任務を与えただろう?」


 我らが司令官である公から今回の軍令が下ったとき、俺は咄嗟に小隊長全員を新兵教練の任務につかせたばかりだと言った。

 言い訳にすらならない、自分でも理解に苦しむ言葉に公は長い沈黙の後に「そうか」とだけ呟き、以外の者の出兵を命じた。

 横で俺に意見する男はそうして新兵の相手をしていなければならないはずの一人だった。


「隊長だってそうです。

 今回の任務なら隊長は必要ない」

「それでも俺の部下だ」

「俺も同じです」


 ハと鼻で笑う。

 こいつはそう言う男だ。

 だからこそ、今回一番連れて来たくはなかった。


「なぁ」

「なんですか?」

「……いざとなったら逃げろ」

「……」


 重い沈黙。

 責めるような視線を無視して俺は前を見つめる。


「お前は公をどういう人だと思う?」

「成り上がりの狸親父ですね」

「成り上がる前の風評は?」

「……知りません」


 数ヶ月前に突然無官の地方領主から少将に抜擢され、周囲一帯を封領した男はそのままこのあたりの国境を守る兵団長に任命された。

 突然の、しかも無茶な人事に誰もが呆れ、根拠の無い噂は悪評だけが増長して知れ渡っていた。


「娘をダシに今の地位を買ったとか、そういう噂なら山ほど聞きました」

「……そうか」


 そうでないことを知っている俺は、だからこそ具申をした時の公の顔を覚えている。

 痛みを堪えるような、ほんの僅かな表情。


「命令だ。お前を軍使に命じる。

 危機が迫ったらそれを伝えろ」

「逃げろ、の建前ですか?」

「そうだ。

 そして何よりも重要な仕事だ。

 人知れず全滅だなんて笑い話にもならん」

「……隊長。

 あなたはこの隊が全滅する、と言いたいのですか?」


 こいつの言いたいことは良く分かる。

 俺たちの錬度は最高とは言わないがおいそれ全滅するようなヤワでもない。

 それが全滅の知らせを今のうちに用意しておるなどと言う不吉きわまり無い事を俺は言ってのけたのだ。


「さぁな。

 そうならない事を祈りたいが」


 祈りたい、それ以上にそうならないようにしたいが、指揮権は今────俺には無い。

 そしてその晩。

 俺は一人敵前逃亡だろうが命令違反だろうが構わないから逃げたい気分にさせてくれる命令を、聞かされる羽目になった。




 私はその結果を聞いた。

 彼は失った右手を握るような、姿勢で語り続けた。震える声で、それでも


「あいつはいきなり死んだ。

 走り込んできた騎馬に体勢を崩し、頭を剣でカチ割られてな。

 あっけないものだ。

 たちまち乱戦になり、突撃の勢いのついた敵兵に次々と討ち取られていった。

 夢かと思ったよ。

 とびっきりの悪夢だ。

 ついこの前まで訓練が厳しいだの言って笑いあってた奴らが死んでいった。

 あれは戦場の音じゃねぇ……戦士同士が戦いあう世界じゃない。

 悲鳴と嘆き、それを蹂躙するだけの虐殺だった」


 一息に言い切った彼には驚くほどの脂汗が浮かび、引き攣った笑みは懇願するかのように表情を歪ませていた。


「もうがむしゃらだった。

 いつの間にか腕が無くて、探す暇もなく左腕で相手を叩き落とした。

 どんどん声が少なくなっていくんだよ。

 知ってる奴の声が。

 悲鳴を最後に」


 思い出す。

 私が夢想したあの光景を。

 その通りの地獄がここにはあったのだと、私は心臓を握りつぶされる思いで感じる。


「血を失った俺は、いつの間にか落馬していた。

 そして、ようやく救いの手が差し伸べられたんだ」


 そう、その地獄は『勝利』で終る。

 国民が知る輝かしい勝利の姿で。

 その背景を知らず、嘆きも苦しみも、暗い部分を何一つ伝える事無く。


「…… 俺はもう軍に居る事なんてできやしなかった。

 この右腕もそうだが、それ以上にもう俺は戦場に立つことなんて絶対にできない」


 呪詛のように、細く深く、重く重い言葉が滲み出す。


「俺はムダでも公に意見すべきだった。

 敵前逃亡になろうとも、あの『策』なんてのを聞いた時に見捨てて逃げ出すべきだった。

 俺が処刑されるなら大歓迎だ。

 俺はあいつらの未来まで背負えるほど強くなかった。

 けれどよ───────!!」


 彼は涙を流し、聞き取れないような濁った声で最後の呟きを漏らす。


「生き残っちまったんだ。

 俺が……俺なんかが……」


 後は嗚咽だけだった。

 男が泣くのは恥ずかしいと言う。

 けれども、どこにこの涙を彼の慟哭を諌められる人が居るだろうか。


「俺が兵隊になったのは何も無いからだ。

 親もとうにおっちんだし、家族もいやしない。

 そんな俺が生き残って何になる。

 何になるってんだ……!」


 気付くと私も涙を流していた。

 涙を流しながら、彼の姿をただ、見つめるしかなかった。




 その彼は今、物言わぬ死体と成り果ててそこに居る。

 赤に染まった剣へ私はゆっくり視線を移す。


「へ、こんなところに女がいるぜ?」


 野盗にしては着て居る物が立派だと、凍て付いた頭で思う。

 削り取られた紋章。

 その断片から私は気付いた。

 敵国の紋章。

 つまり彼らは敗残兵。

 事態は突然だった。

 なすべきことは為した。

 未だ心の迷いは消え去らないけど、私は帰ろうと想った。

 私も生き残ってしまった。

 この戦争に。

 けれども、生き残ってしまった以上、生きなければならないと想った。

 だから、日が明ければ帰ろうと想った。

 そして夜が深け、彼らは現れた。

 座り込んでいた男は立ち上がるのに手間取り、それが完全な命取りとなった。

 心臓を一突き。

 呆れるほど赤い鮮血が噴出し、男は死体となった。


「へ、こいつ結構金持ってるぜ。こりゃついてる」


 遺品となってしまった男の荷物を漁っていた兵士崩れが国の紋章の入った布袋を探り充てる。

 その袋に見覚えがあった。

 つまり国からの支給であり、退役金ということになるのだろう。


「……」

「へへ、儲かったぜ」

「今日はついてるな」


 野盗の数は4人。

 その瞳がぎらぎらと私に向けられる。


「本当についている」


 私は、声を挙げる気力すらも失い、ただただ恨んだ。




「それが切っ掛けね」


 今、私の前には一人の少女が居る。

 街道沿いとはいえ夜の荒野に全くそぐわない存在。

 今からパーティにでも行くのかと問うばかりのドレスを着て、私を────『私達』を恐れる事無く見上げる。


 『私達』と彼女の間には明確なラインが引かれていた。

 『私達』はそのラインから踏み込むことはできない。


「つまり、あなたは呼んでしまった。

 群れ寄る亡者……レギオンを」


 私が最後に見た光景。

 それは『私達』の姿だった。

 森の奥から疾風のように忍び寄る深淵。

 まるで通り雨のように私を包み、彼らを包んだ。

 私は、私の思いは彼らと共感し、私は『私達』になった。

 しかし彼らは明確に『敵』だった。

 呪いがあった。

 悪意の濁流に巻き込まれ千度殴られ、千度蹴られ、千度斬られ、千度突かれ、千度踏み砕かれた。

 死者は死なない。

 強制的に死者にされながらその魂を天に昇らせる事を阻害された彼らは、『死』となった体をあらん限りの『死』で蹂躙される。

 殴られ折れた歯の代わりに、別の死者の歯が埋め込まれる。

 斬られ跳んだ腕の代わりに腐敗した腕が組み付けられる。

 突かれつぶれた心臓を抉り出され、いくつもの歪んだ心臓を突き入れられる。

 目玉が抜き出され、噛み砕かれるまで痛みは続き、蛆が食んだ眼球を4つほど突き込まれる。

 狂えない。

 狂う事を許さない。

 ただひたすら狂気という執刀医の外科手術が続く。

 ひたすら、ひたすら。


「もう堕ちたのね」


 凛と声が私を呼び戻す。

 私はすでに『私達』の一部。気が付けば狂気の一つとして彼らの体を飽きる事無く弄り回していた。

 彼ら?

 今『私達』が遊んでいる体は誰の物だろう。

 彼らはこんなに太ってはいないし、もっと若かった。


「最早、自分達が何をしているか……わかっていないのね」


 それは如何なる感情も排して、ただ事実を語るのみ。

 美しい少女は観察者の瞳を『私達』に向ける。


「苦しむ心すら朽ちたら、ただ辛いだけでしょうね。

 ……こに祓う故、抗うな」


 少女の唇が歌を紡ぐ。

 それは『私達』と彼女との境界を造ったときの物と同じ。

 圧倒的な光が『私達』を崩していく。

 『私達』は────

 私は、

 涙を流した。




 そこには鎮魂碑がある。

 ただそれが魂を鎮めるための物であると記されただけの質素なものだ。 

 だが、その碑石の意味を見る者は忘れないだろう。

 忘れないために、そこにある。

 染み付いた悲しみが時の風化に晒されて消えてしまうまで。

 その碑石はあり続ける。

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