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全失皇女の亡命譚  作者: しらさわ
第1部 全失皇女の亡命譚
7/48

アインシュタインの遺言

 雨に打たれながら銃を構え続ける梓に、ピスケは非難の視線を送った。


「日本には、異国の皇族を迎えるのに武器を向けるしきたりでもあるのか?」

「皇族……?」


 梓は少し驚いた様子だったが、銃は下ろさない。

 隣の未唯が目を見開く。


「綺麗な身なりだと思ってたけど、フィーコってお姫様なんだ!? これ国際問題にならない? いやもはや世界際問題?」


 落ち着いた声で喋る梓に比べ、未唯は声が高く大きい。

 呆然としていたフィーコが、その声に気づいて未唯の方を見やる。


「ミユ……?」


 その時、パスから新たな人影が出現した。

 ガルドを背負ったカリラだった。

 カリラはガルドを地面にゴロンと下ろす。


「ハァッ……! ハァッ……!」

「カリラ! ワレーシャはどうなった!?」ピスケがすかさず問う。

「アタシの心配より先にそっち……? おっちゃん奪い返すだけでいっぱいいっぱいだったからもうよく分かんない。あいつもガタガタだし逃げたんじゃないの」


 二人のやりとりを眺めながら、梓が未唯に問う。


「緑髪の少女はSNSにショート動画が上がってましたが、もう一方の男性は?」

「うーん、あんなガタイのいいおじさんはいなかったよ」


 ぼうっとしていたフィーコは、仰向けになって横たわるガルドに気づくとその傍にしゃがみ込んだ。


「お父様……?」


 ガルドの胸には巨大な氷柱が刺さったままだ。

 衣装は胸を中心に真っ赤に染まり、口からも大量に吐血した跡が見える。

 雨はその血を洗い流していく。

 フィーコは、ガルドの首元に指を添えて脈を確かめる。

 全く反応はない。


「……」


 フィーコはしばらくガルドの遺体を眺めていたが、「お父様……」と呻くように呟くと、ガルドの腹の上に上体を被せる。

 そして、そのまま静かに嗚咽した。


「フィーコのお父さんってことは……皇帝……ってこと? この子達、もしかして亡命者?」


 未唯が困惑する。

 銃を静かに下ろした梓は、フィーコ達に呼ばわる。


「あなた方の仲間はもう一人いると聞いています。その方を待ってからパスを閉じた方がよろしいですか?」


 問われてカリラがキッと睨み返す。


「またアンタら? こっちにも敵がいるなんて聞いてないんだけど」


 カリラがカマイタチを顕現するが、ピスケはカリラを手で制する。


「こちらにもパスを閉じる術があるのか。ではとっとと閉じてくれ」

「金髪の子は待たなくていいの?」未唯が問う。

「奴は皇位簒奪を企て殺人者に堕ちた。帝国の内部をどこまで掌握しているかも分からん。追っ手が来ないうちに急いでくれ」

「情報量多いなあ……まあオッケー。パスクローザー、起動して!」


 未唯が呼びかけると、機動隊員の一人が、パスに向かって小走りに寄ってくる。

 隊員は大掛かりな機械を背負い、その両手には金属製の長い棒状のデバイスが握られている。

 隊員は背中の機械のスイッチを入れると、その棒をパスに向けた。

 パスの輝きがだんだんと小さくなり、数秒後に消失した。

 その様子を見届けた梓は、フィーコ達に向かって深く頭を下げた。


「先ほどのご無礼を謝罪いたします。改めて、対策本部へのご同行を願います。車を用意しております。お父様のお身体は、技術課の方で丁重にお預かりします」





「皇女様ぁ!? 赤坂は赤坂でもここは迎賓館じゃないわよ!?」


 肩まで伸びた栗色の髪の女性が、調子外れの声を広大なフロア全体に響かせた。

 赤坂センターシティARCと呼ばれる高層ビルの最上階は、間仕切りもなく全体が本部長の執務室兼会議室となっている。

 女性はスーツを身にまとい、立派な執務机の上に行儀悪く腰を下ろしている。

 彼女と対するように、梓は背筋正しく起立していた。


「外務省に正式な接待を依頼しましょうか、本部長代理?」

「異世界のゲストに儀典長なんて立ててもらえるわけないでしょ〜? 私達だけで誠心誠意歓待するしかないわ」


 本部長代理と呼ばれたその女性ーー宮坂奈津ーーは、その細い目をさらに細める。


「それで、皇女様ご一行は私たちの心を尽くさんばかりのおもてなしに満足してるかしら?」

「はい、救護室でカリラさんの傷の手当てを見守りつつ、瀬ノ川課長からのヒアリングに応じてくれています」

「未唯がその子達と面識あって助かったわ。国交樹立できたら親善大使に推薦しましょ」

「あと三十分程度でヒアリングが終わりますので、そのサマリを宮坂本部長代理にご報告した後、十七時から彼女たちに向けたオリエンテーションを開きます。本部長代理も御出席ください」


 有無を言わせぬ梓の口ぶりに、奈津は困り眉を作る。


「詰め込むわねー。一人は怪我人で、しかも一人は親御さんを亡くしたんでしょ? 今日くらいそっとしておいてあげられないの?」

「事情聴取と初動対応はスピードが命です」

「ここは桜田門じゃないわよ? せめておいしいご飯くらい食べさせてあげなさい」

「では会食ミーティングにしましょう。出前を取ります」


 梓はスマホを取り出して出前アプリを開く。

 奈津が子供っぽく手をあげる。


「はいはい、ローストビーフ丼お願い! トッピングは半熟卵とマッシュポテトね!」

「既にブロッコリーと鶏胸肉のカリフラワーライス弁当を人数分頼みました」

「それはさぞ喜ぶでしょうね……筋トレの国のお姫様ならね!」





 しばらく後、同じ会議室。


「この世界の食事は思ったより淡白だな……」ピスケがブロッコリーを齧りながら呟く。

「ねーラーメンは!? ギュードンは!? カツカレーは!?」


 とっくに弁当を食べ終わったカリラは、ブーブーと文句を言う。

 この調子であれば回復は早そうだ。


「私達の疲労を気遣って、もたれないものにしてくださったんですよね……。ご配慮ありがとうございます」


 フィーコはカリフラワーライスを少量ずつスプーンで口に運ぶ。

 未唯との会話を通じて落ち着いたのか、今はまともに受け答えができる状態になっている。


 三人は、最上階の広い執務室の中心にある、広い円卓に並んで座っていた。

 その向かいには、奈津、梓、未唯が座り、梓のオーダーした極めてストイックな弁当を同様に食べている。


「今度焼肉に連れてってあげるわ。今日はこれで我慢して」奈津が言うと、梓が不服そうな顔をする。

「我慢? ご褒美ですよ」

「私もそう思える体質なら、健康診断のたびに小言言われなくて済むんでしょうね」


 奈津と梓のやりとりを横目で見ながら、未唯が苦笑する。


「あのさ奈津、そろそろ自己紹介くらいしない?」

「いっけない! まだ見ぬ脂身を探しているうちに時間が経ってしまったわ。じゃあ私から」


 奈津はスプーンを片手でピュンピュン振りながら言う。


「宮坂奈津よ。この幻獣対策本部の本部長代理をやってるわ。元は企画総務課の課長だったはずなんだけど、本部長が発足から三日で逃げちゃってね、今はここの責任者。出身は内閣法制局……って言ってもわからないわよね。ま、よろしくね」

「機動課課長の黒崎梓です。機動部隊の指揮と、宮坂本部長代理のサポートを担当しています。警視庁の捜査第一課、機動隊、SATを経てこちらに配属となりました。よろしくお願いします」

「私はさっきも自己紹介したけど、改めて! 技術課課長の瀬ノ川未唯だよ。普段はアメリカ国防総省のDARPAってところで兵器の研究してるんだけど、今は対策本部に出向してきてるんだ。この辺りの経緯も含めて後で説明するから!」


 未唯がニコニコしながら言うと、フィーコも微笑んだ。

 異世界で最初の友人がここにいることは、異世界に放り出されて心細さしかないフィーコにとっては唯一と言っても良い心強い材料だった。


「ご丁寧にありがとうございます。では私たちも……」


 フィーコ達三人の簡単な自己紹介を聞いた後、未唯はプロジェクターでスライドを投影し始めた。


「じゃあ、オリエン始めるね」


 未唯が最初に映した写真は、芋虫の幻獣、サンドワームだった。

 だが、頭部から体の途中までだけが地面に横たわっている。

 場所もアスファルトの上で、明らかに日本の街中だ。


「これは神田……秋葉原のすぐ近くで撮られた写真なんだけどね。君らが秋葉原に来る数日前に撮られたんだ」


 フィーコは息を呑む。


「私が召喚の実験を繰り返していた時、既に部分的にパスは通じていたのですね……ただ、不完全だったから、幻獣の顕現も完全ではなかった」

「フィーコの推測は多分正しいよ。当時アメリカでこのニュースを見た私は、急遽来日したんだ。で、神田周辺でパスの痕跡探してたら君らに会ったってわけ。じゃあ、ここからもうちょっと昔の話」


 未唯は、次の写真を投影する。

 その写真はモノクロで、解像度も低い。

 ただ、そこに映っているものはよく見覚えがあるものであった。


「これもサンドワーム……?」


 サンドワームは何らかの施設の中におり、その周りには横たわる人間が散乱している。

 人間達の多くは体が溶け、床や机と一体化している。


「フィラデルフィア計画。世界史上最悪の戦争を背景に行われた、禁忌の実験。巷じゃステルスやテレポートの実験と噂されているけど、真の目的は、パスを開いて幻獣を米軍の兵器として使役すること」

「この世界にも、召喚術があったのですか……?」

「私たちの言葉では、これは量子力学っていう学問の応用なんだ。量子トンネル効果でエネルギーの膜を超えて、高次元空間で接する別の世界に干渉する技術。まあ、結局うまくいかなかったんだけどね」


 未唯が次に投影した写真には、顔まで爛れた実験の被害者のアップが写っている。


「未唯、食事中に見せる写真じゃないわよ。皇女様さっきからご飯に手をつけてないじゃない」奈津が注意する。

「あ、ごめん! もう私これ見慣れすぎちゃってさ!」


 未唯は一気にスライドを進める。

 フィーコは多少気まずそうに笑う。


「お気になさらないでください。元からあまり食欲がないだけですから」

「じゃあフィーコ、それもらっていい?」


 カリラは横から手を伸ばすと、フィーコが答えるより早く、フィーコの弁当をガツガツとかき込み始めた。


 スライドをめくっていた未唯は、口髭の男性の顔写真のところで止めた。


「甚大な被害を生んだこの実験は、最後の実験責任者だったアインシュタインの提言で打ち切られ、歴史の闇に葬られたんだ。アインシュタインは、三つの遺言を残した」言いながら、未唯は指を立てる。

「一つ目。パスを二度と開かないこと。二つ目。この記録は米国の高等研究機関にのみ残すこと。この役割は今は私が所属する国防総省のDARPAに引き継がれてる。そして三つ目。もし世界のどこかでパスが開いたら、この情報をその国の政府に速やかに開示し、現地で協力体制を築くこと」

「フィーコの開いたパスが、その遺言実行のトリガーになってしまったのか」ピスケが言う。

「そういうこと。そこから急ピッチで内閣府に対策本部が設立されて、私もそのまま出向することになったわけ」

「ああ……」


 フィーコが、手で顔を抑えて俯く。


「私が興味本位で始めた実験が、ワレーシャの凶行を促したばかりか、この世界にここまで影響を与えていたなんて……私は何ということを……」


 落ち込むフィーコの様子を見て、未唯が優しく微笑みかける。


「まあ、パスが開くのはこれが最初じゃないんだよ。バミューダトライアングルとか、ネッシーとか、神隠しとか、いわゆる都市伝説として語られるものの多くはパスの偶発的な発生が原因。ローマ時代のプリニウス誌に出てくるユニコーンやバジリスク、古代中国の山海経に描かれた九尾の狐、こういったモンスター達も、実際はパスから出てきた幻獣だと考えられてるんだ。ピタゴラスやニュートンやニコラ・テスラみたいに、パスの研究をしていた科学者兼神秘主義者も過去には少なからずいた。別に、フィーコだけが責任を感じることはないよ」


 未唯の言葉を聞いて、奈津が口を開く。


「ただ今回違うのは、SNSの発達によって、権力で真実を揉み消すのが難しくなってしまったということね。あなた達もだいぶ派手にヒーローショーを繰り広げてくれたし……。まあおかげで、こんな立派なビルを堂々と接収できたりもしてるわけだけど」


 窓ガラスから東京の雨景色を眺める奈津に、ピスケは鋭い視線を送る。


「事情はよくわかった。で、私たちにどうして欲しいんだ? お前達は立派な部隊を持っている。パスを閉じる技術もある。それでもう、十分じゃないか」


 答えたのは梓だった。


「偶発的な幻獣の出現についてであれば、何とかなるかもしれません。しかし我々が最も警戒しているのは、異世界からの意図的な侵略です。しかもそちらの世界には、あなた方を追う勢力がいる。明日にも幻獣使いが差し向けられるかもしれません。この世界の防衛に、知識面でも戦闘面でもどうか協力をお願いしたいのです」


 梓は真剣な面持ちで要望を伝える。

 真っ先に答えたのはカリラだった。


「要はワレーシャを皆で返り討ちにしてやろうってことでしょ? いいじゃん、やろう! ロボットいっぱい連れてきてよ!」

「おい、軽率なことを言うな」


 ピスケがカリラを嗜める。


「日本政府の立場はよく分かる。こうやって匿ってもらえた恩もある。だが伝えた通り、我々は国も拠り所も失ってボロボロだ。奉仕の精神で快く協力とはいかない」


 言いながら、ピスケはチラチラとフィーコの方を見る。

 フィーコは机を見つめたまま押し黙っていたが、やがて面を上げる。


「これは後先考えずにパスを開いてしまった私の責任です。できる限り協力させてください。その代わり……お力添えしてほしいことが二つあります」

「もとよりタダ働きさせるつもりはないわ。言ってみて」

「まず、父ガルドの遺体を祖国に埋葬すること」

「冷凍保存してあるご遺体を荼毘には付さないと約束するわ。二つ目は?」


 問われたフィーコは、即答せずにスッと息を吸い込む。


「ワレーシャに、報いを」


 フィーコが短く言い放つと、ピスケはギョッとした顔をする。

 カリラはウンウンと頷いている。


「この状況で当然の願いよね。最善を尽くしましょう」


 奈津があっさり承諾すると、今度は梓のポーカーフェイスに驚きの色が浮かぶ。


「ご冗談ですよね? 異国のお家騒動に肩入れするなんて、内政干渉……下手をすれば侵略ですよ」

「日本政府はヴァルハラントをまだ国家として認知していないわ。だから憲法も国際法も適用外。そもそも対策本部は警察組織の延長線であって軍事力ではないという建付けだし……。とにかく、法整備が追いついていない今がチャンスよ」

「ま、マジで言ってる……?」


 未唯も目をパチクリさせている。

 フィーコは立ち上がると、深くお辞儀をした。


「ご協力、感謝いたします」




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