従者とスタンガン
「チェストー!!!」
突如、場違いな底抜けに明るい声が、霧の中に響き渡った。
オンボノヤスの悲鳴が聞こえ、霧が少しずつ晴れ渡り始める。
フィーコが目にしたのは、オンボノヤスの長い横っ腹に漆黒の槍を突き刺す緑髪の少女の姿だった。
「クリュア!?!?」
槍を深く突き刺されたオンボノヤスは強烈な痛みの叫びを上げる。
緑髪の少女はその黒い槍を引き抜くと、見せびらかすようにクルクルと手元で回転させた。
彼女は水色のブラウスに、薄いグレーのショートパンツを身に着けている。
「何このヒョロガリ。アタシのタイプじゃないな」
「カリラ! パスをくぐって!? でもこの霧の中でどう攻撃を……」
カリラと呼ばれた少女がくぐってきたであろうパスのある方向を見ると、もう一人別の青髪の少女がいる。
彼女の隣には、高さ五メートルはあろう巨大な風車がある。
彼女はフィーコに気づくと、こちらに走り寄ってくる。
「フィーコ、無事か!」
「ピスケ! 二人とも助けに来てくれたのですか!」
「本を返すと約束してたのに、書斎に魔法陣だけが残されてるからまた妙な実験をしているのかと思ってな。もはや妙で片付く次元じゃなさそうだが……」
「あの風車で霧を晴らしたのですか?」
「ああ、カリラにガンガン回してもらった」
ピスケと呼ばれた深い青の短髪の少女は、いずれも白いブレザーとスラックスを身に着けている。
この二人は、フィーコの従者であった。
一方のオンボノヤスは、牙を向きながらカリラを威嚇している。
しかしカリラは臆するでもなく、右側だけ結んだ髪をこともなげに指で弄んでいる。
「こりゃ二級討伐クラスは固いかなー? フィーコ、後で報酬出してもらえるようにガルドのおっちゃんにかけあってよね!」
カリラが軽口を叩きながら黒い槍を頭上にかざすと、彼女の指輪が光るのに合わせ、その形状がみるみる変化し始める。
数秒と経たず、それは黒い大鎌へと姿を変える。
「カマイタチのフォーム、こいつで何個試せるかな?」
カリラは大鎌ーー幻獣カマイタチーーを構えると、一気に距離を詰めてオンボノヤスの胴体めがけて横薙ぎにする。
しかしオンボノヤスは胴体を霧に変えて、斬撃をやり過ごす。
空振りしたカリラは口元に笑みを浮かべる。
「ああ、そういう?」
オンボノヤスはカリラの頭上からその鋭い爪を振り下ろす。
カリラはカマイタチを瞬時に巨大なハサミに変形させると、両手で大きく開いてその爪を受け止める。
「レディーと会うなら爪くらい切っときな!」
カリラが思い切りハサミを閉じると、オンボノヤスの爪が何本も切り落とされる。
驚いたオンボノヤスは大きく後退すると、霧をカリラに向けて吹きかけた。
みるみる二人の周囲を霧と沈黙が包む
「おっらあ!」
「クリュアア!?」
カリラの掛け声の直後にオンボノヤスの狼狽した声が聞こえたと思うと、ドシンという鈍い音がする。
霧が晴れるにつれ、尻餅をついているオンボノヤスと、巨大な棍棒を構えたカリラの姿が見える。
「霧になろうと隠れようとさ、最後はてめえ自身で攻撃するわけじゃん。リーチ長い武器で待ち構えてりゃ何も怖くないね。ほら、立った立った!」
フィーコはカリラの自由自在な戦い方に思わず見とれていた。
「カリラ、ますます動きが冴え渡っていますね……」
「おい、ここは武芸大会の観客席じゃないぞ。私達にできることはあるか?」ピスケが言うと、フィーコはハッとする。
「パスから幻獣が横入りしてくるのが根本原因です! これ以上幻獣がこの世界に顕現しないよう、魔法陣を描いてパスを閉じなければ!」
「だが手頃な筆記用具なんて持ってないぞ」
「コンクリート……あの白い建物の材質を分解して、太いペンのような形状に固めてください。チョークと言うこの世界の道具で、カルシウム化合物の粉末で地面に絵を描くことができます」
「かるし……何だって? まあいい、今すぐやろう」
ピスケが右手をかざすと、指輪の発光とともに、腰の高さ程度の小人ーードワーフーーが出現する。
「あの白い壁を分解して、太いペンの形状に再構成しろ。微粉がこぼれる程度の硬さでな」
彼女の指示を受け、ドワーフは持っているハンマーをビルの壁に打ち付ける。
壁の一部が溶解したかと思うと、そこから何本ものチョークが生成される。
フィーコはその一本を拾う。
「ありがとうございます! これで……」
フィーコは、迅速ながらも精確に魔法陣を地面に描きつける。
あっという間に大作ができあがる。
「……できました! あとは詠唱を……」
フィーコは魔法陣に両手をつくと、詠唱を始める。
だがその時、フィーコの手の近くに黄色い液体が滴り、アスファルトから煙が上がった。
フィーコは頭上を見上げる。
空中のパスから、巨大な芋虫のような幻獣が顔を覗かせていた。
そのブヨブヨした頭部に目はなく、ギザギザとした歯を持つ口だけが先端についている。
口からは黄色い液体がダラダラと漏れている。
「サンドワーム!? 強酸を吐く一級討伐対象の幻獣です!」
「ドワーフ! フィーコを守るように覆いを作れ! ただし魔法陣には手を付けるな!」
ピスケの指示を受け、ドワーフは魔法陣の周囲のアスファルトをハンマーで叩く。
アスファルトが溶解したかと思うと、それは変形してフィーコの頭上を覆うドームになる。
サンドワームの酸がドームに落ちる。
ドームから煙が上がるが、フィーコにまで到達することはない。
「詠唱を再開しろ!」
「ωזפ ŋŭaйí тŏ кяагñή. Δтüлǽи……」
フィーコはピスケに言われるより早く、詠唱を既に開始していた。
魔法陣が白く発光し始める。
「お帰りはこちらです!」
フィーコが声を上げると、サンドワームが顔を出しているパスも発光し始める。
パスが一点に急激に収縮し、サンドワームも同時に消滅する。
「ふー……」
フィーコは息を吐いた。
「あ、そっちも終わった?」
背丈ほどもある大刀を担ぐカリラの声の方に振り返ると、彼女の後方には四肢をバラバラに切断されたオンボノヤスが転がっていた。
オンボノヤスの体も、スーッと消滅していく。
カリラは、傍らで気絶していたワレーシャを揺り起こした。
ワレーシャがうっすら目を開ける。
「わたくし、いきなり蹴り飛ばされて……。カリラ、あなたが片付けたんですの?」
「ナイスファイトだったよ! アンタが戦ってるとこ見てないけど!」
カリラはにこやかにワレーシャに手を差し伸べた。
ワレーシャは、躊躇いながらもその手を取って立ち上がる。
「助太刀感謝いたしますわ。しかしこれでまた一つあなたに遅れをとってしまいましたわね……」
「あいつの腹の傷はアンタがやったんでしょ? 今はそれでいいじゃん」
「私は皇帝にふさわしい実力を身につけなければならない身。いずれあなたを越えて……」
「あー、運動したら汗かいちゃった! ねー、いつもみたいに冷気出してよ!」
カリラが魔法の世界流の冷房を所望すると、ワレーシャは顔をしかめる。
「あなたは皇族を何だと思ってますの……フィーコの従者だからと言って厚かましいにも程がありますわよ」
ワレーシャは、渋々手の平をカリラに向ける。
しかし、冷気が出ない。
「おかしいですわ……ジャックフロストの指輪が反応しません」
「え、そんなことある? ……あれ、アタシのカマイタチも出ない!」
「ドワーフが顕現しないぞ! こんなどデカい風車をそのままにしては帰れん!」ピスケも焦りの声を上げる。
困惑する三人を見て、フィーコが自分の指輪をかざしながら語り出す。
「どうやら、パスを閉じるときの副作用で、周辺の召喚術のパスまで一斉に閉じてしまうようです。私のハクタクは詠唱したら再契約できましたので、後で皆さんも再契約して差し上げますね」
「こんな厄介な副作用が? はあ……」
ワレーシャはため息をつきながらフィーコに視線を向ける。
「あなたの探求への情熱は理解していますが、未知の危険に対して無防備に突っ走り過ぎじゃありませんこと? あの霧の化け物だって、あなたが捕獲したいなどと言い出さなければ、わたくしの手で屠れてましたのよ」
「ご、ごめんなさい……」
「まあいいですわ。それでわたくし達、帰れますの?」
「はい、パスを改めて開けば大丈夫です。魔法陣もありますし……」
フィーコが魔法陣に目をやると、そこには見覚えのある人物が立っていた。
「ミユ……?」
それは、先程スイカブックスへの道を教えてくれた金髪ツインテールの少女、未唯だった。
傍らには、スーツ姿のいかつい男が立っている。
フィーコは見知らぬ男性に少し緊張しながらも、笑顔を向ける。
「先程は道案内ありがとうございました。……何か御用でしょうか?」
「え、あれ……? なんで日本語喋って……?」未唯が困惑する。
「そうだ、ピスケとカリラは日本語を習得してませんね。二人とも、ちょっと頭を私の方へ」
二人は指示通りにフィーコに頭を向ける。
二人の頭にフィーコが手を置くと、指輪が光って膨大な情報量が二人の脳をみるみる満たしていく。
「痛い痛い、頭痛い!」カリラが涙目になる。
「普段勉強しないお前にはきつかろうな……」ピスケはカリラを皮肉るが、彼女もかなり苦しそうだ。
「ごめんなさい、もう終わりますから」
数秒ののち、指輪の輝きが収まる。
フィーコは二人から手を離す。
「今、日本語で話しかけています。聞き取れますか?」
「おー、分かる分かる! アニョハセヨ!」
「周囲の会話も聞き取れるようになったぞ」
二人が無事日本語を話せるようになったのを見て、未唯は目を丸くする。
「知識を移植できるの……? こんなチート能力あったら、私達研究職の仕事がなくなるよ……」
「ミユ、話を遮ってごめんなさい。それで、本題は何でしょうか」
「えっと……四人とも、異世界の人たちだよね。実は私達そういうのの専門家でさ、ちょっとヒアリングさせてほしいなって」
未唯を警戒するように見つめながら、ピスケがフィーコに耳打ちする。
「知り合いのようだが、長居はできないぞ。いつ衛兵が騒ぎ出して陛下の耳に入るかも分からん」
それを聞くと、カリラがツカツカと未唯に歩み寄る。
「はーい、解散解散! 蜘蛛の子散らしてさようなら!」
「おい、それ以上近づくな」
スーツ姿の男が、未唯をかばうようにカリラとの間に立ちはだかると、懐のスタンガンに手を伸ばす。
だがカリラはそれを見咎めると、素早く男の懐に潜り込んでスタンガンを奪い取る。
捉えようとした男の腕をすり抜けたカリラは、背後に回って男の腕を後ろ手に固め、そのまま地面にうつ伏せに倒す。
「ぐ……」
「これ武器だよね? いきなり攻撃とか酷くない? てか、どうやって使うんだろ?」
「カリラ、乱暴はやめてください!」
フィーコが声を上げると、見かねたワレーシャとピスケもカリラのもとに歩み寄る。
「あなた、考えなしにも程がありますわよ!」
「ここは帝国じゃないんだ! どんな警察機構があるかも分からんぞ!」
カリラは男を解放した。
男はカリラから逃げるようにして立ち上がる。
カリラはもはや男を気にかけておらず、スタンガンに夢中になっている。
「ああこれスイッチか。雷? ガルドのおっちゃんからよく出るやつと同じ色だ」
カリラはスイッチを入れたまま、ワレーシャの横っ腹にスタンガンを押し当てる。
「ミギャア!!!」
ワレーシャは飛び上がると、その場に崩れ落ちた。
「あ、ごめん! 思ったより威力あんだね! でもユピテルと契約してないのに雷出せちゃって凄い!」
感心するカリラの横で、フィーコはワレーシャに駆け寄る。
「もうカリラったら……。ワレーシャ、大丈夫ですか?」
「ぐぐ……今度の武芸大会では覚えてらっしゃい……」
ワレーシャはフィーコの手を掴んで立ち上がる。
フィーコは、未唯に深く頭を下げた。
「今回は迷惑をかけてしまい本当にごめんなさい。ただ、私達はどうしても帝国に帰らなければならないのです。長く留守にしていると騒ぎになってしまいますし、今後皆様との交流機会も制限されてしまうかもしれません」
フィーコの真摯な謝罪を受けて、未唯は困ったように笑う。
「まあ今回は私たちもちゃんと準備できてなかったし……一旦引き下がるよ。次はちゃんと対話の準備しとくね」
ピスケがカリラを肘で小突く。
「お前もちゃんと謝れ。見方によっては国境紛争だ」
「うーん、悪かったよ、黒いおじさん」
「わたくしにも丁重に謝罪してくださいます?」
「それは来週でいい?」
「延期する意味ありまして!?」
振り返ったフィーコは地面の魔法陣に手をつくと、詠唱を始めた。
魔法陣が発光し始め、中空にも同じ形の魔法陣が発生する。
その様子を横目に見つつ、未唯はメッセージアプリに文章を打ち込んでいく。
「アインシュタインの遺言、本当だったよ。パスクローザーの開発、もっと急ピッチで進めないとダメかも」