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第12話 ロマンスと友情、夜桜とともに

 福岡市の中心部である天神には『アクロス福岡』という施設がある。

 コンサートホールや大型の会議室が備わった文化センターであるが、その最大の特徴は『山』と形容される外観である。

 建物は段々畑のような形状をしており、建設時に各階の天井に植樹がされた。時を経て樹木は順調に成長し、現在では屋根を覆い尽くす森となり、正面から見るとまさに山である。


 二人は今、アクロス福岡の真正面に広がる天神中央公園にいた。公園といっても遊具の類は無く、そこは芝生の広場といった具合だ。連休中はこの広場でイベントが催されるが今夜は閑散としている。


「はい、水」

「ん、ありがとう」


 ベンチに座っている彼女の隣に腰掛け、ペットボトルの水を差し出す。そこから一口水を飲むとつっかえが取れたようなため息をついて口を開いた。


「なんかごめんね。気晴らしの最後に空気悪くしちゃって。ユキ、今は恋愛の話なんかしたくないはずだし……」


 ハの字の眉と沈んだ声。言葉だけでなくその顔にも彼女の謝罪の気持ちが表れていた。


「沙彩が詫びることじゃないだろ。アキラさんのあの行動は誰にも予想出来ないし」


 苦笑しつつ先刻会った男性のことを思い出した。


 沙彩の元カレ――遠藤アキラ。爽やかな美丈夫然とした顔と、気の向くままな行動力。馬鹿がつくほどの正直さが彼の性格ならば自分とは真逆の人間か。


「なんかすごい人だったね。勇気があるというか素直というか」

「いつもそうよ。周りのことお構いなしに言いたいこと言う。明るくて面白い所もあるけどデリカシーに欠けるというか……。なんであんなの好きだったのかしら?」


 先ほどのアキラへの態度といい今の愚痴といい、彼に対する気持ちはけんもほろろなくらいに拒絶感で溢れている。流石にアキラが可哀想になり少し同情するが、だがなぜか安堵している自分がいた。


 一方の沙彩は水をもう一口飲むと、唇を尖らせ組んだ足の爪先辺りを所在なさげに見つめていた。その顔からは、アキラの愚痴を言いたくて仕方が無いが、必死に堪えていることが窺えた。


「彼の愚痴、イっとく?」

「……やめとく。あんなのと付き合ってたなんて一刻も早く忘れたいわ」

「そんなにか……。まぁ、沙彩の恋人の中では一番派手というか陽気というか遊んでそうというか……」

「だぁぁ! 忘れろ!」


 紅潮の引いた顔をまた赤らめて両手をブンブン振る。どうやら彼女の中でアキラは人生の汚点として記憶されているらしい。


「あぁ、もう! せっかくの楽しい休日があいつのせいで台無し! 今日はユキを楽しませて元気出してもらうはずだったのに! キーー!」

「そこまでこき下ろすことないって。ちょっと驚いたけどトータル楽しかったから百点満点な休日だったぞ」

「なら良いけど……」


 それは幸春の本心だ。元カレの登場は想定外であったがなんら減点は無い。インド映画もスカッシュも焼肉も、全てにおいて満足しており、この春一番の休日と言っても良いほどの充実さであった。

 だが沙彩は納得がいかないらしい。最後は良いシーンで幕を下ろさなければ気が済まないのだろう。


「なぇ、あっちの川の方を歩こうか」


 ならばと奮起して立ち上がり、手を差し出す。沙彩は訝しみつつもその手を取って立ち上がり、二人は薬院新川に向かって芝生を突っ切る。


「あ、桜だ。綺麗……」


 小さくて滑らかな手を引いてやってきたのは川沿いに植えられた桜並木であった。この時期は花見客が多いため電気提灯でライトアップされている。いくつもの提灯から橙色の光が漏れ出て並木道を照らし、見事な夜桜を演出していた。


「もう全部散ったと思ってたけどまだ咲いてたのね」


 時期は四月の中下旬。花見の時期には遅いため、沙彩はなお嬉しそうに呟いた。


「サトザクラだよ。四月から五月に咲く品種なんだって」

「へぇ、ユキって昔から物知りよね」


 握る手に力が込められる。

 先日たまたま見たローカル番組で紹介されていた知識が役に立った。もっともそのサトザクラも散り始め、若葉をつけていた。

 それでも沙彩は十分楽しんでいた。整った見目良い顔がほころびて俄かに幼さを帯びる。表情豊かな横顔は昔のままだ。


「沙彩。今日は俺のために色々考えてくれてありがとう。おかげですっごく楽しかったし、元気が出てきたよ」


 今日の締めに真心を込めた感謝の気持ちを伝える。

 凛と別れて以来、幸春の気持ちはあてどなく彷徨う亡霊のようであった。それが多少マシになったのが先日励まされた時。そして今日は久々に憂いのない清々しい時間を過ごせたのだった。

 それもこれも全ては彼女のおかげである。


「だからさ、もしこの先沙彩が悩んだり落ち込んだりした時は俺に相談してくれ。仕事のことでも、昔の愚痴でもなんでもいい。俺で良ければ力になるから」


 鼻の頭を掻きながらそう付け加える。

 それもまた素直な気持ちであった。今しがた、アキラに出くわした時に見せた苦々しい顔、抑えきれず苛立ちを表に出してしまい気に病んだ顔を見てそう感じたのだ。


 彼女の心が揺らいだり明るさを失うことがあれば自分が支えてやりたい。

 それがきっと友情だから……。


「ユキ……」


 沙彩は目をまん丸に見開き呆然とこちらを見つめていた。顔が赤く見えるが、提灯の灯りのせいだろう、きっと。


「ま、俺達長い付き合いだし、持ちつ持たれつが自然だろ? だから愚痴も悩みもいくらでも聞くぞ」


 臭いセリフに自分でも恥ずかしくなり、照れ隠しに砕けた口調で繰り返す。しかしこれもまたセリフ臭いなと内心自嘲した。

 だが沙彩はそれを笑い飛ばしたりしなかった。代わりにくしゃっと子供のように破顔した。


「持ちつ持たれつ……。言ったわね? じゃあ私を持て!」


 かと思えば繋いでいた手を放して幸春の背後に回り込むと突然飛びつきおぶさってきた。足腰に突然圧力が掛かり身体がぐらつくがなんとか踏み留まる。


「持ちつってそう言う意味!?」

「気にしない気にしない! 今日は私が持ってばっかりだから最後は持たれさせろー! バス停までゴー!」


 姿勢が安定すると沙彩は幸春の肩越しに指差して針路を示した。苦笑しつつ、彼女が指差した方角へ歩みを進める。さすがに大人の女性を担ぐのは骨だがそれは口にしない。


 それに彼女とこうしてラフな交流を持つのは楽しい。彼女の匂いや体躯の感触に女性を感じてドキドキしてしまうが、それ以上に子供じみた気安いコミュニケーションを取れるこの時間がただただ愉快でならなかった。


「桜、もうじき散っちゃいそう。ユキは今年お花見した?」

「うん。凛と二人で舞鶴公園を歩きながら」

「そっか。私も舞鶴公園の桜見たよ。一人だったけど」


 ひらひらと散っていく花びらを思わせる儚い声で沙彩は自慢する。


「来年の桜は誰と見るのかしら」


 その呟きもまた寂寥の滲むものだった。その心情は水が土にみ込んでいくように幸春の胸に伝播する。


 二年前の桜は一人で見た。

 昨年は最愛の女性と。

 今年もその人と見たが、もう彼女は隣にいない。

 その代わりに腐れ縁で結ばれた友人をおんぶして夜桜の下を歩いている。


 では来年はどうなるか。

 一人寂しく夜桜の下を歩くか、まだ見ぬ新たな恋人と桜を愛でるか。

 あるいは別の未来か。


 どんな未来がこちらを覗いているか皆目見当もつかないが、願うことなら出来る。そしてその願いは無意識に口からこぼれていた。


「来年お互いフリーだったら、また焼肉食べて夜桜見に来るか?」


 ある意味悲惨な一年を送った先の将来。考えたくもない展開なはずなのに何故かそんな将来を強く願っていた。


「お、約束よ? ワンカップ買って乾杯ね」

「おっさんか!」


 一方の沙彩も俄然乗り気である。よほど愉快だったのか、彼女はしがみつく腕に力を込め身体をより密着させてくる。

 幸春は背中に当たる慎ましやかな膨らみの感触に一層ドギマギしながらしっかりとした足取りで家路に着くのだった。

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