第11話 元カレは超イケメン!?
「アキラ……。あんた、こんなとこで何してんの?」
不意をつかれた沙彩が動揺を孕んだ声で尋ねた。出会い頭にその問いかけは不躾だと眉を顰めたが、アキラと呼ばれた男性は笑って流してくれた。
「何って、これから友達と飯食うところ」
アキラが振り返りながら答える。そこでは順番待ちの客が列を成しており、友人と思しき男性達が愛想良く手を振っていた。
「久しぶりだな」
「えぇ、卒業式以来ね。あなた福岡に戻ってたの? 上京したって聞いたけど?」
「どこ情報だよ、それ。俺、福岡の会社に就職したぜ」
気っ風の良い態度で沙彩の誤解を笑い飛ばす。どこの誰か知らないが、絵に描いたような爽やかな青年だとこの時は好印象を抱いた。
「その人、彼氏?」
その人、とはもちろん自分のことだ。沙彩の陰で棒立ちになっていた幸春を、アキラは不細工な珍獣でも見るような訝しげな目で観察し、沙彩に意識を戻したのだった。
「ち、違うわよ。友達よ、友達」
沙彩は戸惑いながらもキッパリと否定し、さらに付け加える。
「ずっと同級生だった男子がいたって話したでしょ? 彼がそうよ。今は同じ会社で働いてる同僚なの」
「ふーん、付き合ってるわけじゃないんだ」
アキラは不敵な微笑みを浮かべる。その表情は優越感のようなものを窺わせ、一人で勝手に満足していることが察せられた。幸春はなぜか馬鹿にされている気がして唇を強く引き結んだ。
「挨拶が遅れましたね、同僚さん。遠藤アキラです。沙彩とは同じ大学の学部で一学年下の後輩にあたります」
「加賀幸春です。彼女とは幼馴染と言いますか腐れ縁と言いますか……。とにかく今は同僚です」
突然差し出された彼の手を条件反射で握り返し自己紹介に応じた。間近で見上げるとアキラはやはり長身だ。一六八センチの幸春よりずっと高く、思わず圧倒された。握っている手も筋肉質でゴツゴツしている。沙彩の後輩ということは彼もスポーツ科学部の出身で、十代の頃はスポーツに相当打ち込んでいたに違いない。
「沙彩の後輩さん……なんですよね?」
その割には随分先輩に対して馴れ馴れしいなと訝った。口調といい呼び捨てといい、体育会系の縦社会を感じさせないフランクさがモヤモヤする。
「はい。あと元カレです」
「あ、元カレなんですねぇ……って、元カレ!?」
緊張して危うく流してしまうところだった。
元カレとはあの元カレ?
幸春は握手したまま言葉の意味を考え込み、呆然と立ち尽くしてしまった。見上げるアキラのスマイルはやはりどこか勝ち誇った心境を臭わせる。
前言撤回。アキラはきっと嫌な奴だ。
自己紹介を済ませるとアキラは幸春から興味を無くし、沙彩に向き直った。沙彩は口をへの字に曲げたまま男二人の様子を見守っていて、その顔のままアキラと対峙した。
「沙彩、怪我して仕事辞めたって聞いたけど本当?」
「まぁね。怪我が直接の原因ってわけじゃないけど。誰から聞いたの?」
「大学ん時の友達から。拓実先輩とも別れたんだってな」
『拓実』という名が出て沙彩は目を見張って閉口した。傍らの幸春も、アキラの無神経さに驚き横顔をまじまじと見遣った。
アキラは一体どう言うつもりでそんな話を口にしたのか。
どんな形で知ったか定かでないが、前職の話も拓実の話も沙彩にとって苦い思い出であることは察しがつくはず。
天然なのか、分かってて揶揄しているのか、いずれにせよ無神経過ぎて腹が立ってきた。
「えぇ……まぁ、色々あってね」
沙彩は苦虫を噛み潰したような表情で取り繕おうとしていた。忌まわしい過去を思い出し、動揺していることが窺える。そんな彼女を見ているのが辛くて何か声を掛けようとしたが、気の利いた言葉が見つからずただ立ち尽くすのみであった。
「沙彩、辛かったろ?」
「そうね……辛い思いをしたわ」
「……なぁ、沙彩。俺達また付き合わないか?」
「は?」
「ふぁ!?」
またしても突拍子もない発言。今の流れからどうしてそんな提案が出てくるのか全く理解出来ない。
アキラの風貌と言動からは所謂『オラオラ系』な人物像が見て取れる。沙彩のトラウマを刺激する話題のチョイスと自分勝手な脈絡の作り方はガラの悪い印象を浮き彫りにし、幸春はアキラへの嫌悪感を一層自覚した。
沙彩も急な展開に開いた口が塞がらない。そして一瞬の後に眉間に皺を寄せ、アキラにキッパリ言い返したのだった。
「あんた、そういうとこ相変わらずね。悪いけど、私しばらく恋愛する気ないし、あんたとやり直すつもりもありません」
「どうしてさ? 今、誰とも付き合ってないんだろ? それともそっちの比嘉さんといい感じなん?」
「加賀です」
そんな沖縄っぽい名前じゃない。
「ユキは関係無い。今は恋愛に興味が向かないだけ」
「蘇我さんとデートするのに?」「加賀です」
「ユキはそんなんじゃないっての。ユキは昔からの友達なの!」
「じゃあ、恋愛感情ないんだ」
「今更中学生みたいな問答するつもりないわ。大体ねぇ、私あんたのこと許したつもりないからヨリ戻すとか考えらんない」
「まだ怒ってんのかよ……」
「怒ってるわけじゃないの。ただあんたのことを許せないし、信用もしてないってだけ」
プイッとそっぽを向く。沙彩は言葉通り、怒るというより、近づくなと冷淡さを孕ませ言い放った。対するアキラは好意を袖にされただけでなく過去を蒸し返され渋面を浮かべる。どうやら脛に傷を持つ身らしい。
その二人が軽い言い合いを始めたおかげで他の客の視線を集めていた。こちらを見ながら小声で話したり笑ったりしており、明らかに好奇の的になっている。二人はそのことに気づいておらず、放っておけば第二ラウンドが始まりかねない様子である。
それはまずいと危惧したその時だ。ガコン、と音を立てエレベーターの扉が開いたのだ。
好機とばかりに沙彩の背中を押しエレベーターへ誘う。幸い、彼女は抵抗する素振りも見せず大人しく従ってくれた。それに続いて自分も乗り込むが、なぜかアキラも一緒に乗り込もうとした。
「ストップストップ! なんでアキラさんまで乗るの!? お友達は良いの?」
「いや、自分まだ沙彩と話済んでないんで。沙彩が表に出るなら自分もそこまでついていきます」
なんたる自分勝手!
傍若無人というか猪突猛進というか。
沙彩への未練を剥き出しにしたアキラを見兼ね、ついに幸春は攻勢に出た。
ふぅ、と深呼吸をし、脳の中にある冷静になるスイッチを入れて言い放った。
「ついてくるのは勝手ですが、降りてくるなら階段か次のエレベーターにしてもらえます?」
「は?」
アキラが俄かに苛立ちを浮かべる。だが構わず続けた。
「沙彩が相乗りを遠慮してほしいと言ってますので」
「言ってないでしょ、そんなこと」
「いやいや、言ってますよ。ね、沙彩」
背後を振り返る。エレベーターの奥で沙彩は壁にもたれかかり、無関心そうに髪の毛を指で弄んでいた。そして一瞥をくれると
「ユキがそう言うなら、きっとそうよ」
と淡白にアキラを突き放したのだった。
「そういう訳なので」
してやったり。思わず笑みが溢れるのを抑えきれない。
とんだところからパンチを食らったアキラは歯を剥き出してこちらを睨みつける。そんな彼に恭しく会釈をした瞬間、一団は扉によって分たれたのだった。
*
焼肉屋が入居しているビルを後にし、バス停を目指す道すがら、沙彩は不機嫌にごちた。
「はぁ……せっかくの休日にあいつに会うなんて……不幸だわ」
過去に例を見ないくらいしょげた顔はブサカワなキャラクターみたいで面白いが、やはり可哀想である。
友人の前で元カレと痴話喧嘩を演じてしまえばそんな顔にもなる。
バスの到着を待つ間、沙彩は相変わらず沈んだ顔のままである。
このまま一日が終わるのはさすがに哀れだ。
「なぁ、沙彩。もう少し歩かないか?」
せめて笑顔で休日を終わらせて上げたい。そんな粋な計らいが脳裏を過り、酔った勢いからか無意識の内に沙彩の手を取ったのであった。