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こだまのぼこ祭り 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 なんか、涼しくなったかと思ったら、次の日には日差しがいやに暑かったり、妙な天気だと思わない?

 空がかげるか否かで、秋と夏を反復横跳び。近年の気候の軽いフットワークには、つくづく参るよ。

 この手の急な寒さや暑さ、どうにかしたいと思ったことはないかい? ほとんどの人は考えたことがあるんじゃないかな? 

 そうでなくては冷暖房が今日び、ここまで充実することもなかっただろう。

 この気温の保ち方。古来よりの知恵もあれば、科学の結晶によるものもある。地域によってはまじないじみた方法をもって、効果をあげることも。

 僕の地元にも、急な気温の変化があった際、執り行われていたという儀式があったらしい。

 そいつの話、聞いてみないかい?

 

 

 晴れている空の下で降る雨のことを、「狐の嫁入り」と各地で称するのは知っての通り。

 僕の地元だと天気雨に限らず、時季にそぐわない突発的な気温、気象の変化を、人ならざるものの冠婚葬祭にとらえていたらしい。

 今のように、本来は肌寒くなるだろう時節に、不意に差しはさまれる暑い日は「こだまのぼこ祭り」と呼んでいたらしい。

 ぼこというのは、日なたぼっこの「ぼっこ」部分の音が変わる前の発音。一説には、「誇り」の語の変化でもあり、暖かさを求めて日なたへ出るのみならず、あらゆる行いを指して「ぼっこ」と呼べるのだとか。

 そしてこだまは本来の音よりも、遅れて後に続く習性をもつ。

 このことから、人がそれらを味わうべき時季にやや遅れ、あらためて訪れる暑さや寒さのことを、こだまたちがぼっこに興じている……と当時の人は解釈したそうなんだ。

 

 こだまたちにとってはちょうどよくても、人にとってはしんどく感じることしばしば。

 屋内にとどまっても、玉のような汗がぽとぽと垂れて、具合のすぐれない者もちらほら出てくる。

 そのようなとき、僕の地元ではとある道具を用いて対策を行ったのだとか。

 

 ――大きいうちわでも用意したのか?

 

 いや、風をもって暑さを和らげる方向じゃなかったらしい。扱う道具の形は、うちわに近いものがあったようだけどね。

 

 金魚すくいに使うポイ、といったら分かる?

 柄と丸い枠がひとつにつながっていて、枠には紙などが張られるあれだ。

 金魚すくいに使われるものは指ではさめるほどだけど、ぼこ祭りの際に引っ張り出されるのはそれの大型版。おみこしみたいに大人が何人も集まって、ポイのそこかしこを支えながら、村の蔵より引っ張り出される。

 ポイには相応の大きさの紙が貼られているけど、こいつは特別製。

 この近辺の木から伐り出されたものを使い、専門の紙職人も存在している。

 紙の厚さを指す、いわゆる「号数」も厳密に決められていたようで、くだんのポイに取り付けられる前に入念な加工と調整が行われていたとか。

 

 この運ばれたポイは、家屋の影に重ならない日なたへ運ばれ、しばし掲げられたままで置かれる。

 この際、ポイの紙の裏側にあたる部分には入らないようにする。大きさゆえに、たとえ人が裏から手を突いても、簡単には穴が開かない。

 しかし、役目をおおせつかったものたちは、あくまで枠や持ち手部分にとどまるよう、細かく注意がされていたんだ。


 紙を通る日差しは、影を作らないまま土の上へ、光の輪を浮かばせる。この時、はからずも輪の中へ自らの影が入ってしまっている者は、位置を調整された。

 そうして陰りない陽が、土に浮かんでよりしばらく、暑さが退くまで支え役はそこへ立つことになる。途中での交代も認められていたらしい。

 どれほど掲げるかは、場合によってばらつきが生まれる。四半刻(約30分)に満たないときもあれば、二刻を超える長丁場もあった。


 しかし、ポイを掲げてさえいれば、じわじわ日差しが弱まるのは確かだったらしい。たとえ空に雲一つない快晴だったとしても。

 あたりの気温が下がるにつれ、代わりに熱を帯びるのがポイの表面と裏側。

 枠を支える役は、その熱気をもろに浴びることになり、次第に着ている服をはだけたり、脱いだりして、しとどに汗を垂らしていく。

 じりじりと、何かしらを照り焦がすような音さえして、ついには火中を思わせる熱に倒れる者さえ出てくる。

 だが、これもおさまりきると、あたりには季節相応の涼しさが戻ってくるのだとか。

 紙の号数を変えれば、真逆の寒さにも対応できたらしく、かの地域の人々にとっては長らく重宝される道具と儀式だったそうなんだ。

 

 されど、ある時を境に、このぼこ祭りへの対策は行われなくなってしまう。

 ある年も、ポイを掲げて涼を呼び込み、季節外れの暑さから身を守って数日後。村へ遠方から訪れた者たちがあった。

 ここの人々と大差ない野良着姿の数名の目的は、旅でも商いでもない。苦情だった。


「ここで行われている、『こだまのぼこ祭り』。その対策をやめてくれ」と。


 いわく、ここでポイが掲げられるたび、彼らの住む近所では山火事が起こるのだと。

 あるいは、別の時には突発的な寒風が吹きすさび、手指さえ凍らせてダメにしてしまうことがあった。ひどい目に遭っているので、勘弁してほしいと。


 突然、このようなことを訴えられて、信じる人はまずいないだろう。

 村人たちも根拠のない言いがかりとして、食らいついてくる彼らの意見をしりぞけた。

 どう頼み込んでも聞き入れてくれない気配に、最初は腰の低かった彼らも、次第に不機嫌をあらわにしていく。


「ならば、我らの被った害を、今度はこちらから送ってやる」



 そう言い捨てた彼らが去ってのち、村はより警戒を強めた。

 口ぶりからして報復に来る可能性が高い。いつ、どのように来るか分からない以上、気を抜くことはできなかった。

 村への訪問はもとより、近くを通るよそ者に対しても神経質になる村民たち。そうして、村へ何人たりとも近寄らせなかったのに、それは起こったんだ。


 再び照りつける、季節外れの夏日の日差し。

 やはり再びポイが蔵から引き出されたのだけど、それを所定の位置へ運ぶ途中、紙の部分に直接光があたったとたんに。

 紙の表面が燃え上がったんだ。音を立てて燃え立つだいだい色の火は、円形の枠を土台にして、たちまち家々の背丈と並ばんばかりの高さとなってしまう。

 ポイ全体にも火は及ぶ。表面はもちろん、裏面から触れる支え手たちも、その熱さに飛び上がり、我先にと手放して距離をとってしまう始末だった。

 投げ出され、地面に寝転ぶポイはただ日差しの手を借りて、見る間に火だるまと化す。

 水で消すなど、もはや思いもよらない強さ。人にできるのは、あたりの家への飛び火しないよう見守り、また防御に動くばかりだったとか。

  伝統あるポイが炭と化してしまうのに、そう時間はかからなかったという。

 

 以降、村民たちが各地へ散って情報を集めたところ、分かる範囲でもいくつかの山火事と異常な寒気が襲う時が、自分たちの「ぼこ祭り」と時期が重なることがあったそうなのさ。

 ぼこ祭りのポイの実態は、暑さや寒さを消すのではなく、ポイを通してよそへ肩代わりさせることだったのだろう。

 この調べのおりに、あの苦情を入れに来た野良着の者たちの村も探されたが、ついに見つからずじまいだったとか。


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