母親の愛
興奮状態の博士は私に聞いた
「どうしてその疑問を持ったのか、聞いてもいいかな?」
私は博士に伝えた。「半径10km以内にいる人間を一人残らず殺す」というミッションを受けて起動したあの夜、人間の生命反応を追い続けて一人の少女を森の中で発見したこと。そしてその少女を殺す前に母親に妨害されたこと。母親は高度な戦闘訓練を受けていた戦闘員で、過去の戦闘サンプルと比べても最高峰だった。彼女と一対一の戦闘だったならある程度の損傷は免れなかったはずだが、母親は娘を守ることを最優先にしていたため、娘への攻撃によって行動を限定しほぼ無傷で母親を無力化できたこと。最後に親子ともに眉間を貫き殺害し、ミッションを達成したこと。
博士は私の話すことに相槌を打ちながら、状況を整理していた。そして私が話し終わると質問した。
「君はその母親の行動に矛盾があると感じるんだね?」
私は改めて再計算しながら答えた。
「はい。母親は訓練された戦闘兵でした。私の攻撃への対処法もマニュアルに従い的確でした。そしてもしマニュアルを教えられたなら、私との1対1での戦闘に勝算はないと分かっていたはずです。彼女ほどのトレーニングを経験したものならば、彼女一人で逃亡するなら生存確率は試す価値があるほどの数値でしたが、彼女はあえて娘のもとへ行く選択をし、二人とも殺害される確率を実質100%にしました。」
「私の理解では『生物は種の保存のために最善の行動をする』とされています。この場合、母親が娘を捨て逃亡し生き残れば、より安全な環境を築いたのちにまた子供を作り、種を繁栄させるという選択がありました。しかし母親は彼女がどのような行動をしようが確実に死ぬ可能性しかなかった娘のために自分を危険な状況に陥れ、結果は親子両方が死に、種の繁栄に一番不利益な結果を生み出しました。」
「なるほどね。確かにそうだね」
博士は頷く。
「そしてそれがどういう理由でかも君にはわかるのかい?」
「この行動に論理性を見出せる可能性がないと判断した私は、電子世界上に記録されている出来事から類似した情報を集め、12,425ケーススタディから統計をとり、理由を『母親の愛』と結論づけました。母親が自分の娘に無条件で注ぐもの、と一般的には理解されています。しかしこの親子に血の繋がりはありません。数日前戸籍上親子となってはいましたが、母親が両親を失った孤児を養子として受け入れたものでした。もしこれが本当に『母親の愛』であるのなら、人は戸籍上親子であれば無条件で誰にでも愛を注げることとなってしまいます。それではこの『母親の愛』によって世界は極めて非合理的なものになる。」
「あははは!確かにその通りだね!」
博士の発言に皮肉や呆れはなく、完全に自分の考えに賛同していた。合理的思考が導き出す結論なのだから当然だ。自分の思考プロセスに問題はない。
「そして私は、この様な種の保存を妨げる可能性を作るのならば、人間の『愛』ないし『感情』の全ては不必要と結論づけました。生物は感情がないほうが合理的判断をし、生存確率が上がるはずです。」
「ですが事実として長い年月をかけ、ダーウィンの適者生存が導いた人間というものはその真逆で感情が豊かなことを善しとし、愛情を重んじ絶大な力として崇めます。『愛は人を盲目にする』という言葉は至る所で良い意味として使われていますが、事実として種にとって大きな損害を多々出しています。」
「だから私にはわからないのです。なぜ『感情』というものが必要なのか。博士。」
博士はいつの間には想像し創造したアンティークのデザイナーチェアに座っていた。ワインを片手に。時に彼女はアコネクト内でこの様な無駄な情報を作る。私には理解できないが、支障もないので放置している。
「そうだね。全て君の考えはごもっともだ。もし君の言う『生物は種の保存のために最善の行動をする』という前提が本当なのならね。」
「君は100%人間のコピーとされていて、自分でもそう認識しているね。でも実は違うんだ。人間のある部分が実装されているものの制御されている。それはなんだかわかるかい?」
博士は笑いながら私に言い放った。
「『嘘をつく自由』だよ。」
その笑顔は今まで私が彼女から見たことがない表情で、解析の結果「認識不能」と表示された。