疑問
- お互いを強く抱きしめ、死を覚悟する母と娘。彼らの頬を伝う涙が顎からこぼれ落ち、地に触れる前に私は彼らの眉間を貫き、重力に引き落とされる二つの雫を観察しながら私は初めて「疑問を抱く」という行為を体験した。-
「メインテナンス終了。再起動します。」
ボイスサンプルの解析完了。過去に687回認識した記録あり。
視覚機能がオンになり周辺情報を分析する。先ほど認識したボイスサンプルからの予想と一致し研究所のメインテナンスルームと断定。
「フルシステムチェック開始」
音声解析。透木坂上博士の音声情報と一致。視覚情報解析。身長153cm、推定体重【管理者権限により公開禁止】、健全な思考に最適とされる体調管理が行き届いた身体ステータス。必要最低限のビジュアルコーディネートとミニマルな無地のグレーに統一された服装。本人と断定。指示に同意。
フルシステムチェック。全機能異常なし。リスク確認。全てにおいて最小限。「正常に起動している」と結論づける。
「正常。」
私は彼女に伝える。彼女は軽く微笑む。表情分析。「安心」状態と断定。
「君。解散。感謝。」
彼女は私に伝える。
博士は何事にも簡潔さを求める。故に会話方法も「意味が伝わる最小限に抑える」と設定されている。そのため「誰、いつ、どこ、何」のみの会話が基本となっている。何千通りの会話方法がラーニングプログラムに入っているのだが、博士はわざわざこの会話方法を新たにプログラミングした。
「博士。質問申請。」
私は彼女に伝える。博士の動きが止まり私を数秒見つめる。目の散瞳を確認。と同時に心拍数の上昇も確認。許容範囲内。危険性なし。
「是。何?」
「アコネクト許可」
「是。」
アコネクトはコミュニケーション手段として博士が開発した技術だ。「会話」という手段をコミュニケーション手段として使う限り、伝達情報量は常に「言葉」という制限を受ける。同じ言葉を使うにしても、その受け取り方は各々の経験から異なる。たとえば「青」という言葉にしても具体的にどのような深さの「青」を思い浮かべるかは人によって違う。深い海の色も、高い空の色も「青」なのだから。
アコネクトはその人の思想を一度文章として作り、それを音声として発し、相手の聴覚に伝え、相手の分析に委ねる不確かなプロセスを丸ごと飛ばし、思想を思想のまま相手に伝える技術だ。
だから「青」を伝えるにしても、言語を使う限りカラーコードに頼るしかなかった正確さを、全くその知識を持たない人間同士でも全くの誤差なく意図したとおりに理解することができる。
アコネクトという名前は予想できるだろうが、博士が命名しろと命令を受けたとき、「接続するから『コネクト』」と言うと「既存の言葉では困る」と学会から文句を言われたため、あいうえお順で一番最初の「あ」をつけて「アコネクト」となった。
アコネクトはその情報量の多さからかなりの負担を体にかけるため、特にマシンと人間との接続時はとてもデリケートなヘルスチェックマシンと併用しないと危険性が高い。そのため人間が常用できる技術ではなく、先ほどの会話方法で妥協していることを博士は常に残念がっている。
ヘルスチェックマシンは大きな卵型で人が寝そべられるようになっている。博士がいうに「形はどうでも良かったから、好きだったSF映画に出てくるマシンに似せた」らしい。普通のベッドのように設計しても特に問題はないらしい。
全てに簡潔性を求める博士がなぜこうしたのか私には理解しかねるが、理解不能で問題になる項目ではなかったため放置した。
センサーを額につけ博士がアコネクトを開始した。私もアコネクトを開始する。
アコネクトの接続状態は「夢を見ているときに近い」らしい。「現実をベースにした擬似世界だが、物理的制限が一切存在しない5感を共有できる世界」との説明が適切とマニュアルには記されている。コミュニケーションは会話をしているという形で擬似的に再現されるが、実際言葉によって伝わる情報はアコネクトによりはるかに正確で、共通の認識となっている。
「さて、『完璧な人間のコピー』として作られ、全くなんの異常も感知されなかったのに、今まで一度も質問をすることがなかった君からの生まれて初めての『疑問』とは何だい?」
博士は問う。彼女の興奮、困惑、不安が感じ取れる。
「博士、なぜ人間には『感情』があるのですか?」
私は問う。
「素晴らしい…!私にもわからない!」
感情の高揚により涙腺から水分が分泌され、それが光の反射を補助し、彼女の目は今までの記録にないほど「輝いた」。