結果と花
病院に入ると真美さんが椅子に座って花を見ていた。
その肩には南野さんがそっと手を添えている。
ゆっくりと振り返った真美さんの目は心なしか少し赤くなっていた。
「舜くん…もうちょっとで花、起きるみたい…」
「えっ?」
悪い知らせかと覚悟していたおれは拍子抜けたとともに笑顔になっていた。
真美さんも少し気まずそうに頬を緩ませる。
「騒いじゃってごめんなさいね。発作は出たのかもしれないけどもうちょっとで起きる脳波だってお医者さんが」
「はぁぁ〜〜」
ここまで緊張して走ってきただけに膝から力が抜けてしまう。
「良かった〜〜」
「ほんとにごめんなさい。私が…」
真美さんが少し赤くなって俯いた。
その姿は花にとても似ていて、花が大人になったらよく似た女性になるだろうなぁと思った。
そして不意に鼻の奥がツンとした。
…その姿は見れないだろう。
「…ん…」
花が微かに声をあげた。
おれと真美さんは花の側に駆け寄って顔を覗き込む。
「花? 起きたの?」
何度か睫毛が震え、ゆっくりとまぶたが開いた。
「…お母さん。舜」
「良かった…!」
真美さんがそっと指で目頭を拭った。
脊髄検査の結果は出るまでしばらくかかるらしい。
おれは心のどこかでそれを気にかけつつも、出来るだけ気にしないように振る舞っていた。
花に、真美さんが起きなくてパニックになっていた、という話をすると花は手を叩いて笑った。
「お母さんったら心配性だなぁ!」
本人に、発作が出たという話はしていない。
それどころか脳神経性突発梗塞という病気だということも教えていない。
この脊髄検査で病名がわかるかもしれない、という説明で納得しているはずだ。
花はただ、麻酔が切れるのが遅くて真美さんがパニックになったんだと思っている。
「にしてもあたし、なんの病気なんだろうねぇ…」
花が呟くように言った。
「いや知らねぇけど…この検査の結果でわかるんじゃねぇの?」
「だけど、何が怪しいとかも聞いてないんだよ〜? ほんとにわかるのかなぁ」
そりゃあ気になるだろうなとおれも思う。
だけどおれから言うわけにはいかんしな…。
「まあ最新の技術に期待しようぜ」
花はそうだね、と、少し寂しそうに笑った。
脊髄検査の結果が出たのは早かった。
やっぱり珍しい病気ってことで優先されてるんだろうか。
真美さんから電話がかかってきたのは検査から5日後だった。
おれはその時、家でだらだらしていた。
病院から帰ってきて夕食を食べ、何をするでもない時間だ。
「はい、舜です」
「こんな時間にごめんなさい、舜くん。今時間大丈夫かしら?」
真美さんの声に自然と体が緊張する。
「全然大丈夫です。どうしました?」
ベッドの上で正座になって、おれは尋ねた。
「脊髄検査の結果が出たの」
心なしか、真美さんの声は硬かった。
おれも携帯を握る手に力がこもる。
「診断は合っていたということがはっきりして…まあそれはわかってたんだけど…。どれぐらい進行しているか、っていうのがかなり正確にわかって…」
いつもは知的な真美さんの話も今はどのか覚束ない。
「ステージで分けれるほど前例があるわけじゃないんだけど…その少ない前例から考えるに…」
ごくり、と唾を飲んだ。
真美さんも携帯の向こうで、はぁ、と息を吐く。
「…余命3ヶ月だって」
「…は?」
思わず声が漏れてしまった。
かき消さねば、と思うが、それは自分の中の一部しか思っておらず、行動出来ない。
「ちょ、え。あ、、ん。え、」
何言ってんだ。
余命ってなんだよ。
余命って、余命って、余命って。
「舜くん…」
真美さんも泣きそうな声だった。
でもおれは、泣きそうですらなかった。
脳が理解を拒んでいる。
確かに、前に病気を調べた時、平均余命が4ヶ月というのは見た。
ショックだった。
泣いた。
だが、そんな比じゃなかった。
あの衝撃は、悲しみは、偽物だったんだ。
すぐ泣ける時点でおかしい。
おれは認めない。
3ヶ月後に、花が、いない。
花がいない世界なんて、あるのか?
何も考えたくないのに頭は意志に関係なくフル回転していく。
どんどん想像が広がる。
病院に行かない日々。
学校にも花はいない。
朝起きて学校へ行って帰ってくる。
その行動のどこにも花はいない。
自分がどれだけ花の存在に生かされているかを知った。
一瞬だと思った時間は我に返ると意外と長くて、秒針は何回回ったかすらわからない。
真美さんはそれでも、携帯の向こうで待っていてくれた。
「すみません、おれ…」
ようやく謝ると、かさかさかさ、と何かが擦れる音がして、真美さんが鼻をすすった。
「ううん、いいのよ。…ありがとう」
「電話、ありがとうございました。…花には、内緒ですか?」
「…まだ悩んでるけど…そうしようと思ってるの。この病気なら、花は痛みもなく逝けるから」
心臓がずきん、と痛んだ。
花に隠すのは何か、良心がうずくものがあった。
それでもご両親が決めたことならばおれにとやかくいう資格はない。
わかりました、と言って電話を切った。
電話を切ってから、おれはしばらく呆然としていた。
何を考えたらいいかわからない。
それなのに頭はぐるぐるぐるぐるとどうでもいいことや花のこと、これからのことなどについて考えていた。
どうしたらいいかわからないとき、人間は無駄にたくさん考えるのだと思った。