麻酔と花
次の日、花は脊髄検査を受けた。
この日の面会時間中に意識は戻らないから来ても無駄だと言われたが、おれは来ずにはいられなかった。
花も忘れず買ってきた。
今日は竜胆だ。
真美さんと花のお父さん…慎一さんが病室で待っていてくれた。
花はもう手術室のようなところにいておれはその姿を見ることはできなかったし、声を聞くことも出来なかった。
「舜くん…わざわざありがとう…」
やつれた顔の真美さんがお礼を言った。
頬がずいぶんこけていた。
慎一さんも心なしか顔色が悪くクマが濃いようだ。
みんな、花のことで心をすり減らしていた。
そう思って我が身を振り返るとつい苦笑してしまう。
自分ではいつも通りのつもりなのだが、うっかりミスがあからさまに増えたし、あばらも出てきた。
体重も減っているだろう。
意外と身体に出るもんなんだな…。
花にバレないようにしっかり食べよう、と思った。
結局おれは花に会えなかった。
というか、会えはしたけれど話せなかったというべきだろうか。
検査が終わって出てきた花は見た。
特別青ざめているようなこともなく、ただ眠っているように見えた。
おれは面会時間終了の9時ギリギリまで粘ったけれど、花は起きなかった。
明日は月曜日。
学校が始まるから朝からは来れない。
くそったれ。
こんな時に学校なんか行ってどうする…。
おれは休みたい。
でも花は嫌がるだろう。
その思いだけでおれは学校に行っているから、ここで無駄にすることはなかった。
「花…これ置いとくからな」
竜胆を枕元に置いて、おれは病室を出た。
次の日、おれは授業終了の合図が鳴るとともに学校を飛び出した。
すぐ近くのバス停でイライラとバスを待つ。
…と、携帯が鳴った。
「…はいもしもし」
知らない電話からで訝しがりがら出た。
「もしもし! 舜くん!? 花の母の真美です!」
おれは慌てて声をあげた。
「はい、おれです! ど、どうしました?」
携帯を握る手に自然と力がこもる。
「もう学校終わったよね? この時間まで待ったんだけど我慢出来なくなって…花が、花が、起きないの!」
「え?」
「先生の話ではもう起きててもおかしくない…っていうか起きてなきゃおかしいぐらいの時間なの。それなのに起きないの…舜くん!」
落ち着こうとして落ち着けていない真美さんの声に、嫌でも焦燥感が掻き立てられた。
「お、起きないってそれは…」
「寝てる間に発作が起きた可能性もあるって先生が…ど、どうしよう!」
真美さんが叫ぶと同時にゴトっと音がして、何も聞こえなくなった。
少し遠くで誰かが駆け寄ってきた音がした。
「真美さん、大丈夫ですよ。落ち着いてくださーい」
看護師さんの声だろう。
やがて、携帯がまたザワザワとした音を拾い、はっきりした声が聞こえてきた。
「舜くん? こちら南野です」
南野さんは前、花の検査のことを教えてくれた看護師さんだ。
「はい、舜です」
「お母さん、お父さんにも連絡したんだけど繋がらなくてだいぶ動揺してるの。でも、花ちゃんは大丈夫よ。まだギリギリ誤差の範囲と言えなくもないし、発作が起きていたとしてもまだ目覚める可能性の方が高いから」
ふぅ、とため息をつく。
それを聞いて安心できた部分も多いが、ひやっと氷を当てられたかのように心は冷えていた。
「まだ目覚める可能性の方が高いから」
つまり、いつかは目覚めなくなるのだ。
それも遠くないうちに。
叫びたくなる衝動を堪えておれは唇を噛み締めた。
ちょうど曲がってくるバスを睨みつけ、その先にある運命を睨みつけた。