涙と花
花がぱっと顔をあげた。
それを尻目におれは自分の荷物を手に取った。
「待って、舜…」
「そんなことも、いえない存在ならおれはいらないだろ」
握り締めた拳に力を入れた。
爪が掌に食い込む。
もういい。
病室を出ようとドアに手をかけたところで花が叫んだ。
「舜!」
そして背中にほわっと何かがあたる感触がして…温もりが広がった。
「ちょ、おまえ…」
飛びついた勢いに負けて倒れ込みそうになる花を慌てて抱える。
髪の毛をかき分けて顔を覗くと、涙に濡れていた。
「え、な、」
戸惑うおれに花はさらに抱きついた。
「ふぁっふぁっふぁーん」
くぐもった泣き声。
それを聞いて慌てていたおれの心が何故だか落ち着いた。
よしよし、と髪を撫でる。
闘病で栄養が行き渡っていないのだろうか、その髪は少し元気を失っているように感じた。
「…な、どうしたよ」
落ち着くのを待っておれは花の顔を覗き込んだ。
涙で濡れた顔がおれをちょっと見て、目を逸らした。
「…ったから」
「え?」
「……帰っちゃうと思って…」
ちょっと気まずくなっておれも目を逸らした。
落ち着いた今となっては激昂した自分が恥ずかしい。
確かに、花の中でのおれの存在の小ささに腹がたったし悲しくなったけど、病人にあんな風に言うもんじゃなかった。
何より、おれは自分がいたいからここにいるのに。
見返りを求めてしまった自分が恥ずかしい。
「…悪かったよ」
謝ると、花の頭がふるふるふる、と横に振られた。
「あたしこそ、ごめんなさい」
それから慌てたように顔をあげた。
「で、でもねあのね! 言わなかったのは舜のせいじゃないよ! …っていうかその、舜に気使ったからとかそういうんじゃなくて…」
ん?
どういうことだ?
何を言っているのかイマイチ掴めなくて首を傾げてしまう。
何かを言おうとして止まった花は、ふううううう、と力を抜いて、また俯いた。
「…言おうと思ってたんだよ。だけど…」
だいぶ躊躇ったのち、花はぽつりと呟いた。
「…怖くて」
「…え?」
顔をあげて、泣きそうな顔で花は笑った。
そんな顔しないでくれ。
そう言いたかった。
「だって麻酔だよ? あたしはそうでなくても突然意識を失うのに…もしそれで二度と起きなかったら?」
花の体が震えていた。
それを今更ながら感じ取って、おれは花の手を握った。
それを感じて花がちょっと笑う。
「舜に言ったら…怖いって言っちゃいそうで…」
強がりたかったんだ、と花は言った。
おれは抑えきれず、花を強く強く抱きしめた。
花も抱きしめ返してくれる。
しばらくそうしていて、気持ちが落ち着いてきたところで、おれは花の頭を軽く抱え込んだ。
「…泣いてもいーよ」
花の力がふっと抜けた。
「ふ、ふぁっふぁ」
おれの胸に顔をおしつけて、花が泣き出した。
とんとんとん、と背中を軽く叩いてあやす。
「…怖いの、怖いぃぃ…」
泣き声の合間から花が言った。
「大丈夫、おれは絶対いるから。おれは絶対いるから」
慰めにはなっていないと思う。
花が怖がっているのは明日の全身麻酔のことだろうし、ひいては今の自分の状況だろう。
おれがいたからって何がどうなるわけではない。
でもそれしか言えなかった。
おれの胸に顔をうずめた花の頭が上下に動く。
「…撫でて…」
…可愛すぎる。
不謹慎ながらにやけそうになった口元を押さえて、おれは花の頭を撫でた。
しばらくそうしておれは花の頭を撫でていた。