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赤い記憶  作者: 久元
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第3話 生まれ変わりを信じるか?

 ——汝、この場に集いし民よ。悪魔にたましいを売りし魔女の最期をしかと見よ——


 刑吏の叫び声が響き渡る。広場に詰めかけた群衆が、いっせいに歓声と怒号とで応じた。獣の咆哮のような貪欲で太い群衆の叫び声は、これから始まる血なまぐさい見世物への期待に満ち満ちている。興奮の熱気と湿っぽい人いきれがあたりに濃く立ち込めている。


 息苦しい、その黒山の人だかりの中心に、彼は立っていた。

 いつ、どうやって、なぜここに来たのだろう。覚えていない。

 彼は目の前の女を見上げた。女はぼんやりとした表情で高い場所から彼を見下ろしている。山と積まれた薪の真ん中に、太く長い棒が一本、高くそびえ立っていた。女はその棒に、荒縄で縛りつけられている。


 (はりつけ)の女。


 大量の薪は女の膝あたりまでを覆いかくしている。しばらく牢に囚われ、衰弱したところを引きずり出されたのだろう、女の髪はぐちゃぐちゃに乱れ、衣服も薄汚れている。きつく歯を立てて傷がついたのか、唇には茶色い血がこびりついていた。乱れた衣服からのぞく腕や胸元のそこかしこに赤黒い痣が走る。

 後ろの人間たちが、ひっきりなしにざわざわ、ざわざわと動く。磔の女の姿を少しでも見ようと、歩き回り、各所で背伸びし、首を突き出しているのだ。

 あちこちでささやき声が聞こえる。


——あれが……千里眼の秘蹟の聖女様……

——大僧正様さえ騙されて……おそれ多い……

——密告があったと……故郷から……

——毎夜牡山羊の頭の悪魔と交わって……脚の間に一物を突っこまれ……よがり狂って……

——わからないものだ……あんな取り澄ました顔で……


 ぱちぱちと音がする。焦げ臭い匂いとともに、もわっと灰色の煙が立ちのぼった。薪に火がつけられたのだ。空気はいっそう息苦しくなる。目の前でくすぶり出した炎のために顔の表面が熱い。彼は後じさろうとしたが、すぐ後ろまでぎゅうぎゅうに押し寄せた群衆のために、思うように動けない。

 女が身じろぎした。炎が立ちのぼらせる風に、乱れた後れ毛がふわりと舞い上がる。眉を寄せて、女は何かを呟く。


 祈り?

 呪詛?

 謝罪?


 そのとき炎が荒々しく立ち上がり、女を包み込んだ。どうっ、と地響きのような荒々しさで群衆が沸く。騒がしく踏みしめられる地面、祭りのように打ち鳴らされる楽器や道具、悲鳴——歓声——金切り声——。

 女はその細い首を、のたうつように一、二度揺らした。それから口を開いて喘ぎ、白い喉を(さら)し、上を向いて背中を弓なりに反り返らせる。

 と、その腹がみるみるうちに妊婦のようにふくれあがり――


 ぱちんと内部から()ぜた。

 同時に、熱に溶けた臓物が女の内奥から大量に飛び散った。べしゃりと重く濡れた感触が顔を、目を覆い尽くし、ツァランの視界をすべて奪い去り――



 * * *



 激しく戸を叩く音がして、ツァランは寝床の中で目を開けた。白地に黒く梁が走る天井の、見慣れた視界。窓から差し込む光の明るさからして、すでに(ひる)も近い時刻と思われた。

 唸って寝返りを打つ。気分は冴えなかった。眉間から喉の奥にかけて妙にだるく、まともに寝た気がしない。目覚める直前まで見ていたグロテスクな夢のためだろうか。


 女が火刑に処される夢……


 おそらく昨晩、夜遅くまで——否、朝方までだ——、読みふけっていた本の内容のせいだ。それに昔、見たことのある火刑の情景記憶が重なったのか——

 やけに生々しい夢だった。臨場感のある……

 臨場感? いや、ばかばかしい、と彼は思う。火刑で内臓が弾け飛んだりはしない。


 どんどんどんと、先ほどより乱暴に扉が叩かれた。女の夢からツァランをむりやり現実世界に引き戻した音である。

 ――しぶといな。

 ツァランはのろのろと起き上がった。こうした時間に訪ねてくる人間にさして心当たりはない。この間かなりの量の紙とインクをつけで買ったから、その代金の催促だろうか。王立図書館のすぐ近くにある文房具屋を行きつけにする学士のなかで、こんな品の悪い界隈に住まう者はめったにいない。わざわざ代金を取り立てには来るまいと思っていたが……、


 立ち上がり、椅子の背にかけていたガウンに袖を通す。

 どんどんどんと、三度目の扉を叩く音。


「今行く。そうせかすな」


 口の中でぼやくと、ツァランは階下に向かった。


 ツァランが住むこの小さな家は、ヘプタルク王国の都を囲む堅牢な市壁の中にある。とはいえ、大理石の彫刻に飾られた噴水や、意匠の凝った造りの大建築が立ち並ぶ中心街ではない。それよりずっと南側、細く入り組んだ路地沿いに無数の家々が壁を接して並ぶ下町の一角だ。一つの路地にできるだけ多くの建物を並べるべくして設計された住居は、作りが奇妙に細長い。ツァランは暗く狭い階段を降り、廊下を歩きながら大きなあくびをした。

 突き当たりの戸口に顔を寄せ、扉越しに尋ねる。


「どちらで?」

「イザクだ」


 そう答えたのは、ツァランのよく知る、ぶっきらぼうな声だった。


 ――イザク?


 意外な応答だった。イザクは確かにつるみ仲間のうち一人の名だが、彼とツァランはとりたてて親しいわけではない。気難しく無口なその木こりは、ツァランやその同居人の友人・ダグラスとは異なる空気を持っている。だが、ツァランの問いかけに答えたのは確かに聞き慣れた飲み仲間の声だった。

 錠を外して扉を開くと、見覚えのある仏頂面がこちらを睨みつけていた。


「これは、イザク。……ダグラスは今いないぜ。仕事に出てる」


 イザクはツァランの全身をじろりと見た。小柄なほうであるにもかかわらず、いつも独特の威圧感を帯びた男だ。それはがっしりした骨格のせいもあったが、鋭く抉るように人を見る視線のためでもあったろう。


「用があるのはおまえだ」

「ぼくに?」

「そうだ。……入るぞ」


 ツァランは肩をすくめてイザクを扉の中に入れた。共同で使っている居間に彼を通す。衣類、毛布、巻物、書物、ペン、なんだかよくわからない瓶等々、ありとあらゆるものが雑然と散らばった小汚い部屋のなかで、かろうじて腰を下ろすスペースの残っていた長椅子をイザクにすすめる。


「まあ、かけたまえよ」


 ツァランは向かいの肘かけ椅子に腰を下ろしながら、むっつりと眉を寄せて黙っている目の前の男がこうして訪ねてきた用件に思考を巡らせた。

 最初に思いついたのは、何か自分のやったことで面倒が起こり、とばっちりを食らったイザクが文句をつけにきたという線だった。少なくとも面倒が起こりかねない事柄には星の数ほど心当たりがある。一昨日、貴族文士の変装をしたさいに「つけ」と称して高級ぶどう酒をいただいてきた酒蔵か、一月ほど前に下町で飲みくらべの賭けにインチキで勝った件か? 

 が、一緒に行動することも多いダグラスならともかく、イザクにとばっちりが行くとは考えにくい。


 しばらく待ってもイザクが何も話し出さないので、ツァランは間を埋めるために仕方なく口を開いた。


「しかしきみがこの家を訪ねてくるとは珍しい。……いやいや、もちろん歓迎なのだぜ、こんな寝間着姿で接客する失礼を許したまえ。昨夜遅くまで仕事をしていたものだから、ああ仕事の合間に酒も多少は飲んだな。【女王陛下の太腿】とかいう珍妙な名のどぶろくで、若干発酵乳(ヨーグルト)のような風味があって、まったりとした舌ざわり、確かに女の太腿か、そのもう少し上の部分かもしれないと思わせる味だった。まあまあおすすめ……」

「あのな」


 適当にべらべらと口から流れ出るままにしていた台詞をさえぎられ、ツァランはいったん口をつぐんでイザクの次の言葉を待った。


「おまえ、生まれかわりを信じるか」

「は?」

「生まれ変わりだ」

「……生まれ変わりというと、……あの、死んだ人間の魂が別の人間の体に入って新しく生を受けるという、まさかあの生まれ変わりか?」

「たぶん、そうだ。たとえばおれが何かの生まれ変わりだと言ったら、どうする」


 突拍子もない質問である。ツァランは木こりの見慣れた顔をまじまじと眺め直した。糞まじめなその表情は、冗談を言っているようにもうかがえない。


「……何から生まれ変わったと?」

 

 イザクは躊躇するように片目を少し歪ませた。


「……お姫さんらしい」

「まさか。きみが、か」


 驚きが思わず声に出た。彼の知るかぎり、イザクはとにもかくにも、不必要だったり品行不方正だったりうさんくさかったりすること——つまりツァランが大好きなことである——はしない、喋らない、興味もない、という男だったはずである。しかし、どうも面白味に欠けると思っていたこの男が、自分がどこぞの姫君の生まれ変わりだとのたまい始めたとすれば、それはそれで興味深い(ドラマ)の幕開けかもしれな——


「おれの話じゃない。さっきのはたとえだ」

「……ああ」


 ツァランは息をついた。椅子の背もたれに体を預けつつ、イザクの顔を再度見返し、


「……しかし、いったいぜんたいどこからわき上がった話だ。酒のつまみの与太話ならともかく、その表情を見るとずいぶん深刻そうだ」


 イザクは一度むっつりと口を閉じ、それからしぶしぶと言った口調で喋り出した。


 その話は要約すれば次のようなものだった。――いわく、彼の隣人の少女が自分のものではない記憶を持っている、というのである。三年前に突然目覚めたその「もうひとりの」記憶は、どうやらお姫様か貴族の令嬢か、いずれやんごとなき女性のもので、その女性はヘプタルクの都から少し離れた丘の上の古城に住んでいたらしい。だが、その記憶が目覚めて以来、娘は不可思議な悪夢に悩まされ続けるようになった、という……。


 ぼそぼそと話すイザクを、ツァランは興味深く眺めた。イザクとは知り合って二年ほどになるが、この男につきまとう女の影や色事の噂話を、ツァランはついぞ知ることがなかった。

 それだけに、この話題のためにわざわざイザクがツァランを訪ねてきたことそのものが、いささかの驚きであった。イザクの台詞に甘さは感じられなかったが、それでも彼がその娘のことを気にかけているのはよく伝わった。


「生まれ変わりなんてばかげた話だというのは、十分わかってる。だが、おれはものを知らない。もしかしたらそんなこともあるのかと思ってな。それに、アマリエの怯えようはひどくてな」

「なるほど。しかし、エーリーンの話はいつもとるにたらない法螺だと一蹴しているきみが、そうした話に耳を傾けるとは意外だな」


 エーリーンは彼ら共通の知り合いで、自分は妖精だの幽霊の足音を聞いただの、いつでも空想話ばかり口にしている女だ。イザクは太い眉のあいだにしわを寄せた。


「とるにたらない空想なんだ、おそらくな。だが、ところどころ引っかかる。たとえば、着るものの模様だとか召使いの数だとか、そんなことだけじゃない。母親がいい家の出身で両親の仲がぎこちないとか、裸足で踏んだ毛足の長い絨毯の感触だとか、そんなことまでしゃべる」

「若い娘がおとぎ話と想像だけで作り上げた話にしては、こまかなところで現実味がありすぎる、と?」

「ああ。それに……」

「それに?」

「丘の上の城の窓から、王都の向こうの湖に夕日が映るさまをいつも窓から見ていたと、そう言うんだ」


 そう言って、イザクはひとつ息を吸った。


「……おれはあの城の遺跡に行ったことがある。あの丘の上からはたしかに王城を超えて市壁の向こうにある森と、その中にある湖が見通せる。そして夕方には日が湖の中に沈んでいくさまが見えるんだ。……その娘の住んでるカリャンスクからは見えない光景だ。

 丘の上に自分が行ったことはないとあの娘は言う。たしかに、男の足でもカリャンスクから行って帰って優に丸一日かかる道のりだ。小さなときから肺病もちで寝台からろくに離れられないあの娘が、1日中休まず歩き通せるわけがない。あの娘はこの壁の中の市街にだって、年に一回、来るか来ないかなんだ」


 ツァランは顎を撫でた。いずれ、ゆたかに広がる少女の空想が作り出したものと簡単に切って捨てられる程度の話である。だが奇妙なもっともらしさが細部に漂っていると言えないこともない。


「なぜぼくのところに?」

「アマリエの言ってることが根も葉もないでたらめなのかどうかが気になってな。おまえは昔のこともよく知ってるだろう」

「一連の話が彼女のまったくの空想の産物なのか、それとも史実なのかが知りたいと?」


 イザクは頷く。


「ばかげた質問なのはわかってる。だが……あの娘の言ってる姫さんは、本当にいたのか」


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