5 これが痴情のもつれというやつですか
うっかり勢いで毒薬を作ってしまった三日後。
オティーリエとオリーブがにこやかな笑顔で私を外出に誘ってきた。
「エマお嬢様。お父上が忘れ物をなさったそうです。お届けに行きましょう」
「私が?」
頷く二人に、私は首を傾げる。
「それは私ではなく、使用人がするべきことのはずよ?」
「実は大切な書類のようで、めったな人の手に持たせられないようで」
「執事長のエドワード様は今は領地視察へ出かけてらっしゃいますし、お嬢様しかおられないようですわ」
「まぁそうなのね? 分かったわ」
そういうわけで城へ着いたのだけど、なんだか騒がしい。
しかもお父様のいる城の奥の方へ歩いて行くにつれ、騒ぎの元が近づいていくようで人も増えて行った。
「ねぇ、回り道した方がいいんじゃない?」
「平気ですよ」
騒動に巻き込まれるよりかは遠回りをと提案したけれど、オリーブに却下され道を先導されてしまった。
彼の後について行くにつれ、人の波は大きくなっていく。
おそらくこの何かの騒動の野次馬だろう。
「一体何があったのかしら?」
不思議に思って首をひねった時。
「どういうことだ! アリシア!!」
ここまで響いた大きな怒鳴り声は、アリシア様を怒鳴るアレッサンドロ殿下の声だった。
思わず立ち止まると、人が遠巻きに集まっている場がすぐそこにあった。
「……どうしたのかしら」
「行ってみましょう」
「え?」
ぐいっと、オリーブに手を引かれてしまう。
「あ、エマ様?」
「エマ様だ……」
「殿下の婚約者の?」
私がオリーブに連れられて騒ぎへと近づいていくと、野次馬と化していた人たちが気づいて道を開いてくれた。
みんなとても気まずそうな顔をしている。
一体何があったのだろう。
「お嬢様」
手を引いていたオリーブが立ち止まったので、私も釣られて立ち止まる。
そこは殿下がよく使う客間の一つ。
騒動を止めようと入ったらしい侍従によってか、扉は開いたままになっていた。
部屋の中ではさっきの大声の通り、何やらアレッサンドロ殿下とアリシア様が喧嘩をしている。
止めようとする侍従の話なんて一切聞いていない様子で。
「アレッサンドロ殿下ったら、愛してるのは私だけとか言っておきながら、エマ様以外にも仲良くしてらっしゃる女性がたくさんいるらしいですわね! 密告書が私のもとに届きました!」
「はぁ? 王太子である私が女にもてるのなんて当たり前だろ! そっちこそ! 他に何人も男がいるそうだな! こちらにも密告があったぞ! お前が騎士団長の子息や、宰相の子息へ書いた手紙もそのまま添えられてな!」
密告書?
話の筋からすると、どうやらお互いの浮気を告発する密告書がお互いに届いたらしい。
私の背後に集う野次馬たちが、アレッサンドロ殿下とアリシア様の台詞にざわざわしている。
たぶん二人は興奮しすぎていて、こんなに野次馬が集まっていることに気づいてない。
しかしアレッサンドロ殿下は第二妃、第三妃をとっても責められる立場ではない。
ここでの問題はアリシア様だろう。産んだ子が殿下の子か他の男の子か分からないような事態が今後起これば国としてはたいへん困るはず。
それを分かっているのか、アリシア様はひときわ大きな声を張り上げた。
「私が浮気なんてでまかせです! 密告書だって偽物に決まってます!!」
「私が贈ったこの便箋の紙は、アリシアのためにと特別つくらせた仕様で、アリシア以外は所有していないものだが?」
「えぇ!! なにそれ! そんなの聞いてないわ! 変わった紙だから話題作りにとてもよくて色んな人に送っちゃったのに」
「認めたな!?」
「あっ……」
アリシア様、盗まれたとか言ってしまえばよかったのに。
突然のことに嘘が思いつかなったみたい。というか本当に浮気なさってたのね。
それにしても密告って……。
私が目を細めつつ後ろをふりむくと、オリーブとオティーリエがとてもとてもいい笑顔を返してきた。
「やっぱりやったの、貴方たちなのね」
「何のことでしょう」
「ふふふ。存じませんわ」
私たちの密かな会話を他所に、アレッサンドロ殿下とアリシア様のケンカはますますヒートアップしていく。
なんだか聞いたことがないような、ものすごい罵詈雑言が部屋をとびかっている。
アリシア様は興奮のあまり、ついには自分が他の人に興味をもってしまうのは、アレッサンドロ殿下のあそこが小さいのが悪いとか言いだした。
え、つまり二人ってそこまでの関係だった!?
婚姻前の体の関係はあまり良く思われないのに。
アリシア様はあのプレイは最悪だったとか、あの人の方が上手かったとかまで言い出した。だから浮気されても仕方が無いのよということらしい。とんでもない言い分だ。
しかもなんてこと。対抗してアレッサンドロ殿下が勢い余って教会でものりのりで誘って来たくせにとか言い返してる。
この国、敬虔な信者がかなり多い。教会の大神官長が国王の弟君で、王家とも強い絆があり国で推奨している。
教会でそんな行為したのがばれたら、教徒から排斥されるだろう。
侍女や侍従ばかりの野次馬だけでなく、続々と騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた人が増えていく。
見たことがある大貴族に、さらに大臣、宰相まで。
あら、国王陛下までいらっしゃってしまってる。
「お嬢様、そこまでです。興味津々にこんなの聞かないでください」
後ろからオリーブに耳を押さえられてしまった。
自分で企ててここに連れてきたくせに、さすがにここまで赤裸々なセリフが王太子の口から出るとは想定していなかったらしい。
「私たちはお邪魔なようですし、早く書類を旦那様に届けて失礼しましょう」
オティーリエが背を押して、オリーブが手を引いて野次馬を抜けようとうながしてくる。
「も、もうちょっとだけ聞きたいわ」
うっかり好奇心が口から出てしまった。
しかし双子はそろって大きく首を振る。
「ダメです。っていうか嫌です」
「これ以上お嬢様の耳を汚したくありませんわ」
結局、さらに増していく様子のアレッサンドロ殿下とアリシア様の罵詈雑言合戦の場から、私は強制的に退散させられてしまった。
臣下も兵もあまりの内容におろおろしっぱなしで手を出せないらしい。
今頃になって、開け放たれていた扉が国王陛下の指示によって閉じられようとしている。
それにしても……人の醜聞ってどうしてこう興味をそそるのかしら。
野次馬の気持ちがわかりすぎる。
手をひかれてどんどん騒ぎから遠ざかりつつ、私は唇をつきだした。
「もっと聞きたかったわ。あんな観劇や小説でみるような愛憎劇が目の前で繰り広げられるなんて、なかなかないもの」
「いけません!!」
「早く書類をわたして帰りましょう」
過保護な私の従者たちは、私の好奇心を応援してはくれなかった。