2 どうやら本命がいたようです
私の目の前のテーブルに飾ってあるのは、薔薇の花。
昨日の婚約誓約書を交わした時にアレッサンドロ殿下からいただいた贈り物だ。
「彼はこういう気遣いのできる人なのよ? 素敵じゃない」
そう、なに一つ心配はない。
そうして――――薔薇をながめながら飲んでいた紅茶の入っていたカップが空になった頃。
私達のいたバルコニーへ屋敷の使用人が現れた。
「失礼いたします、エマお嬢様。王太子殿下より便りが届いております」
「まぁ殿下から?」
「はい。こちらに」
「すぐに読みたいわ。オティーリエ、早く受け取ってちょうだい」
「かしこまりました」
オティーリエが受け取って運んできてくれた銀トレイにのせられていた手紙に、私は目を輝かせた。
「何が書いてあるのかしら」
楽しみでならない。
トレイに一緒にのっていたペーパーナイフで急いで封を切る。
中に入っている便箋を慎重に開いて、読み進めていくとしだいに笑いが零れてしまう。
「その様子だと、いい知らせみたいですね。殿下はなんと?」
「時間ができたから話をしたい。都合がつくなら今から会えないかですって」
殿下に会える。今日の予定になかった事だから余計に嬉しい。
なのに横からオリーブが口をだしてきた。
「昨日行ったばっかなのに、また行くんですか?」
「オリーブ。恋をしたことのない貴方には分からないでしょうけど、愛し合う二人は何時だって一緒にいたいものなのよ」
「はぁそーですか。めんどくさいですね」
「もう! オリーブはいつも私のすることを馬鹿にした態度とるのね!」
「顔と地位につられてあっさり惚れるなんて、単純すぎるお馬鹿だなとは確かに思ってます」
「なんですって!?」
妹のオティーリエはおっとりとしていていつもニコニコしているのに、兄のオリーブはツンとすました雰囲気だ。
しかもチクチクチクチク嫌みを言ってくるから、喧嘩っぽくなることがままあった。
普段は大人しい印象をまわりに感じさせるらしい私でも、家族同然の彼には何でも言いたい放題。
そしていつも、私達の間をフォローしてくれるのは彼の妹のオティーリエなのだ。
「まぁまぁお嬢様。オリーブはお嬢様を取られて拗ねているだけですわ」
「あーら、貴方そんなに私のことが好きだったの?」
「……ふん」
「あら」
意外にも、否定の言葉は返ってこなかった。
どうやら好かれてはいるらしい。
まぁそれは十年の付き合いだから分かってる。
大切に思ってもらえて、護衛として本気で守ってくれてるって。
意地悪な言葉もあるけれど、本気で傷つくことは絶対に言われない。
でもそれにしてはまったく主らしく扱ってくれず、今もぷいっと拗ねたみたいに横を向かれてるけれど。
大きい図体で拗ねられても可愛くないのに。
私のことを主と呼ぶのなら、もっと一緒に喜んでほしいものだわ。
「お嬢様、お喋りはそれくらいにして早く城へ行くためのお支度をいたしましょう」
「そうね。このあいだ新しく作って貰ったばかりの若草色のドレスにしましょう。爽やかでいいと思うわ」
「かしこまりました」
「色を合わせたリボンも用意してちょうだい。――というわけでオリーブ」
「はいはい。男の俺はでてますよ」
大きく溜息をついたオリーブは、茶色い髪の頭を乱雑に掻きながら出て行ったのだった。
* * * *
――どうしてこんなことになっているのだろう。
アレッサンドロ殿下に王城へ呼び出しを受け、大急ぎで彼の元にきた私は、ひどく冷えた手を膝の上できゅっと握り込んだ。
私の座るソファの正面には、アレッサンドロ殿下が腰かけている。
そしてなぜか、彼の隣にふわふわな桃色の髪をした女の子が寄り添っているのだ。
どうして私が正面の席で、桃色の髪の女の子は隣なのか。
どうして彼らはぴったりと寄り添い合い、手を握り合っているのか。
頭の中が不安と疑問でいっぱいになる私に、桃色の髪の女の子はぺこりと小さく頭を下げてきた。
「お初におめにかかります。エマ様」
「……貴方は、どこのどなた?」
つい、冷たい声になってしまったような気はする。
でもそこまで怯えなくてもいいじゃないと思う程、桃色の髪の女の子はびくっと身体を跳ねさせた。
「わ、わ、私……私は……」
だんだん泣きそうに同色の瞳がうるんできて、さらに震え出した。
自己紹介もきちんとできないのだろうか。
「エマ。アリシアは繊細なんだ。そのような言い方をするな」
「すみません」
アレッサンドロ殿下に責められてとりあえず謝ったけれど、どこの誰なのかを聞いただけなのに。
私の冷えた視線の先、アレッサンドロ殿下はごほんと咳払いして話はじめた。
「エマ。君は私の正妃となる」
「えぇ、そうですわ。昨日、正式な誓約書をかわしましたもの。私たちは半年後には結婚式を挙げて、夫婦になります」
「そうだ。そしてこちらのアリシア――グローシー男爵家の令嬢である彼女は、側室……つまり第二妃として迎え入れる令嬢だ」
「は?」
第二妃? 私と結婚もしていない、婚約したばかりの段階で、もう二人目の妃?
ぽかんとする私に気付いているのかいないのか、アレッサンドロ殿下はアリシア様と見つめ合いながら話してくれる。
「私とアリシアは以前から恋仲だったのだが、正妃として迎え入れるのはむずかしくてな」
「……そうでしょうね」
本人と会ったことは無かったけれど、姓を聞いて理解した。
彼女の父であるグローシー男爵は、権力も富もほぼ無い、ぎりぎり貴族と言った感じの立ち位置にいる。
たしか先代が領地の開拓に度のすぎた投資をしてしまって失敗したせいで、現在もずいぶん困窮しているのだとか。
とても王太子の相手としてはなりたたない家柄だ。
「だからアリシアは側室としてむかえることにしたんだ。君は正妃として、存分にその手腕をふるってくれればいい。学生時代、勉学の成績だけは良かったようだからな。だが私の愛しているのはアリシアだからな……その……子供は諦めてくれ」
この人は、何を言っているのだろう。
結婚する前から、愛しているのは別の人だから子供は諦めてくれなんて。
政略結婚が当たり前な貴族社会では、まま聞く話ではある。
でもまさか自分にふりかかるとは思わなかったのだ。
だって私はアレッサンドロ殿下に望まれて……好かれて、求婚されたのだと思いこんでいたから。