宿屋の女将
モンスター退治のクエストをクリアして、街に戻ると、少し遅い時間になった。
辺りは、すっかり日が暮れていて、どっぷりと闇に包まれている。
そのお陰で。こちらの世界では夜空に無数の星が瞬いている、と改めて確認することが出来た。
頭上に広がる綺麗な濃い暗闇の中に、燦然と瞬く星の迫力は、圧巻だ。
俺は、そんな暗がりの中に沈む街道から、篝火が焚かれて暗闇の中から浮きだして、周囲を睥睨するかのように見える城壁の門へと、歩みを進める。
そして、顔馴染みとなっている門番に軽く目礼しながら、ギルドカードを見せて門をくぐった。
討伐完了の報告と収穫物の換金は後日として、俺は、馴染みの食事処の内の一軒へと向かうことにする。
宿屋の一階に店を構えて遅い時間まで営業している食事処は、この世界における居酒屋、みたいなものだ。
旨い料理を酒の肴に、軽く、祝杯を挙げるとしよう。ホント、今日も、よく働いた。
最近は、起業準備のための投資や増えた扶養対象の生活費などで支出が増え、少し手元資金が寂しくなってきた事もあり、楽しみというよりは寧ろ報酬目当てでの、クエストの請負が増えた。
折角のファンタジー世界なのに、胸躍る冒険ではなく、働きづめの過酷な重労働に明け暮れる、といった感じにさえなってきた感がある。
まあ、自分で始めた事業ではあるので、仕方が無いのだが...。
現在、俺の屋敷には、幼い子供たちも生活している。
ので、遅い時間に屋敷に帰った際には、寝ている幼子たちを起こさないように、静かな行動が推奨されている。
といった事情もあり、俺は、帰還が遅い時間になった日には、何軒かある馴染みの店の中から、その時の気分にあった料理を出してくれる食事処を選び、自分で自分を慰労する、といった行動パターンを取ることが増えた。
以前は、専ら、自分の屋敷で、お抱え料理人が作ってくれた軽食を肴に少しだけ酒を飲み、のんびり寛いでいた。のだが、人は変われば変わるもの、だ。
「いらっしゃいませ~」
「こんばんわ」
「アッシュさん、今日はお一人ですか?」
この宿の女将が、テキパキと仕事をこなしながら、のほほんとした声を掛けてくる。
確か、ラナさん、だったかな。
外見や言動は、ほんわかタイプの美人さん。なのだが、中身は太っ腹母さんで、気配りが出来るもの凄く賢い人、なのだ。
俺は、ここ暫く、この店には一人で来ている。のだが、以前は、たまに、パーティを組んだ冒険者との打合せを兼ねた会食にも使っていた事があるので、それとなく配慮してくれる。
見事な手際、だと思う。
「ああ。一人なので、カウンターが良いな」
「は~い、こちらにどうぞ」
何も言わなくても、一人で静かに寛げるカウンターの隅にある席へと、誘導される。
そして、こちらからあれこれ言う前に、席に着いた俺の顔をさり気無く見て、今日のお勧めメニューを教えてくれるのだった。
* * * * *
旨いつまみを食べながら、のんびりと、少し強めの蒸留酒の水割りをちびちびと飲む。
一日の疲れも癒される、至福のひと時、だ。
というのは大袈裟だが、まあ、疲れが癒されるのは確か、だな。
などと、ぼんやり考えながら店の中を眺めていると、何やら、飲食に来たのでは無さそうな若い女性が、店の入り口付近で、女将にしきりと頭を下げながら話しかけているのが見えた。
にこにこと笑いながら相手をしていた女将が、店の奥の方に向かって、何やら声を掛ける。
すると。
この店の子供でありマスコット的な存在でもある三姉妹の一番上のお姉ちゃんが、見慣れない幼い子供を連れて、店に出てきた。
「なあ、オヤジ。あれは、何してるんだ?」
「...。ああ、あれか」
目の前で黙々と食器を洗っていた、料理人でもあるこの店の主を、見る。
外見は、けっこう厳ついクマ男だが、中身は生真面目で、寡黙なオヤジ。
そんな店の主が、鍋の火加減を見たり料理の下拵えをしたりしながら、ぽつぽつと、話してくれた。
片親だけで子育てしていたり、病気で親が寝込んでしまったり、商売の都合で夫婦揃って出掛ける必要に迫られたり、といった様々な事情で、世話をできる大人が居なくて困っている幼い子供たちを、頼まれてこの宿で預かる事がある、という話だった。
ただ、店の主も女将も、宿と食事処の仕事で多忙なので、引き受けられない日もあるのだ、と辛そうな表情で言う、のだ。
娘たちも手伝ってくれるのだが、子供には出来ない事も多々あるし、彼女たちにも宿の仕事や朝昼の食事処の手伝いがあるので、人手が足りないこともある、のだと。
そんなオヤジの話に相槌をうちながら、聞いていると。
「あらあら。何を、辛気臭い顔して話してるんですか」
「あ、いや...」
「子守りの話、だ」
「まあ。さっきのお出迎え、見ておられたんですか?」
「ええ、まあ」
俺の横に、女将が来て、オヤジはお役御免とばかりに少し離れた場所へとスッと引っ込む。
女将は、ほんわか笑顔で、すんなりと話し相手を引き継いだ。
「アッシュさんは、子供がお好きなんですか?」
「う~ん、嫌いではない、かな。女の子が困っているのを見ると、ついつい手助けしてしまうくらいには」
「あら、そうなんですか」
「まあ、ね。女将さんは、子供が好きなんですよね?」
「ええ、大好きですよ。娘は何人いても、良いですよ。息子も、欲しいんですけどねぇ」
「ははは。であれば、子守りの請負は、趣味と実益を兼ねた良い仕事なんですね」
「いいえ」
「えっ?」
「残念ですけど、良い仕事ではない、ですね」
「そ、そうなんですか...」
「ええ。皆さん困っておられるので、何とか手助けしたいとは思うのですけど」
「...」
「利益だけを考えるなら、片手間な子守りに時間を割くよりも、食事処の仕込みや仕入れに集中した方が、儲かりますね」
「そ、そうなんですか?」
「ええ。外聞があるから、お預かりする際には条件を付けて多少の費用は頂いているけど、娘や私の手間や人件費を考えると、明らかに持ち出しですもの」
「成る程」
「まあ、一度に預かる人数を増やして、子供たちを遊ばせたり寝かせたりする場所を確保できるのなら、需要はあるので、そこそこは利益の出る商売になると思いますけど...」
ほんわか笑顔に思案気な表情を垣間見せる女将の様子を見て、俺は、腹をくくる。
女将に、三人娘の事業についての相談を持ち掛けよう、と。




