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本編七 住人 3



私はあてがわれた部屋で一人思い返していた。


もしかしたらとんでもない思い違いをしているのかもわからないと言う気持ちが芽生えつつあったのだ。


ここへ来る道中、とっさんは私の顔をじっと眺めてこう言った。


「あんたも気の毒やったのう。こんな村の名前になんぞ興味持ったりせなけりゃ」


確かにとっさんの言う通りだ。初めてとっさんに声をかけた時、

「気にせず帰れ」とそう言われたのだ。


無論バスはもう無かった訳だが、あの時少しでも病の事を聞かせてくれていれば、また事態は変わったろう。






「あんさん……待雪に惚れなさったんかい?」


とっさんは唐突に話題を変えて私を驚かせた。

しかしとっさんの顔は冷やかしのそれではなかった。

そして紛れもなく、私は待雪に惚れているのだ。


「この歳でおかしなものです。会ってまだ間もないと言うのに……」


とっさんの顔色から私も真面目に答えを返した。何となく、誰かに聞いて貰いたかったのかもわからない。






「あんさん、あの娘を抱いたんじゃろう?いい女じゃからなあ、こ……待雪は……」


いい女だから抱いた……とはまた飛躍した考え方だ。しかし当たらずも遠からずである。


「いい女ですね」


素直にそう言った私は“抱いた”に対しては答えを濁した。しかしとっさんは続けてこう言ったのだ。


「惚れちゃいかんよ。あの女はお前さんが思うとる女じゃねえからなあ」





「私が思う女と違うとは……、それはどう言う意味ですか?」


意味ありげに“惚れるな”と言ったとっさんの顔はさっきにも増して真面目な顔であった。


「まあその内わかる事じゃで、今はなあ、早く慣れる事だ。村にも憑モンにもなあ」


この時とっさんは無意識に口にしたのであろう。いや、病の事を単純にそう表現しただけかもしれない。


しかしとっさんの口にした“憑きモン”と言う言葉が妙にひっかかったのだ。






そもそも私がこの村を訪れた理由。

“憐れみ”と云う名の由来と、私が患ったらしいこの“憑きモン”


そしてあの夜の待雪とその変貌とが頭で絡まり始めた。これは私達の職業病の類である。


この数日後、同じくこの“職業病”と云う“憑きモン”にやられた男が私を追って村を訪れる。


私はその“設楽”と云う男を知っている。

一度目に訪れた時、彼は運良く帰りのバスに間に合い、その際に私の姿を見たはずである。


私も彼を見付けていた事は、恐らく彼は知らない。





設楽が一度目に村を訪れる前日、仮設の住宅での暮らしにも落ち着きを得ていた。


仮設とは言え、あたかも時折人が出入りする事が前提に作られており、急な生活に困る事等なかった。


寧ろ、半強制的にこの場に居なければならないと云うあきらめが、かえって気持ちをリラックスさせ、景色の美しさを感じる余裕すらあった。


窓からはあの火葬場の建つ山が広々と伺え、もはや日課のように煙突からは黒い煙が舞い上がっている。


山に残る雪の白さと煙の黒さが妙にアンマッチで白の輝きが増しているように見えた。






あの白い雪を見ていて思い出した事がある。待雪の祖母の葬儀の日、彼女が話した“雪が花に変わる”と云う話だ。


と同時に、私にはこの村で生活をする上であまりに知り合いが少なすぎる事も気になり始めた。


僅かな疑問……例えばその“雪が姿を変える花”の事を聞こうにも、待雪ととっさんしか相手が居ないではやはり困りものである。


村に来て五日目の夜。

とりあえず村の事や人を少しでも知ろうと、夜のバス停までの散歩に出掛けた。


「まったく本当に何もない村だな」


住居からほどなく歩くとなんなくバス停まで辿り着く事が出来る。


ちょうどそのすぐ側にある古い一軒家が待雪の住む家である。





私は思い出さずにはいられなかった。

乱れた待雪との淫猥な行為の一部始終を……


家の灯りを見つめながら、卑猥な妄想にふけっていると、一人の男性が待雪の家に向かったのが見えた。


玄関に出迎えに出てきたのは彼女であった。

玄関先で僅かな問答を交わしているが、何を話しているのかは聞こえない。


しかし間もなくして二人はそそくさと家の中へと入って行ってしまった。


中へ入った男の事も知っていた。


皆から“孝太郎”と呼ばれる葬儀社の男で、以前私ととっさんの会話の邪魔をした奴だ。


彼は同じ仮設に住み、もとはこの村の出ではないと聞いていた。






「こんな時間に一体何の用事があるって言うんだ」


街灯すら少ない山奥の村。

そこを夜中に徘徊し、挙げ句焦がれる女の家の様子を伺っている自分の不審振りは棚に上げ、くだらない嫉妬が湧き上がるのがわかった。


玄関先でひくひくと例のしゃっくりをしていた孝太郎だが、部屋の中からもその声が聞こえてくるような錯覚があった。


あるいは待雪のよがり声かと想像すると気が狂わんばかりである。





寒さの中、白い息を手に吹きかけながら待つ事小一時間。


自分でも何をしているのか……と物悲しい気持ちになった頃、孝太郎は玄関の戸を中から開けた。


待雪に見送られるその体からは、吐く息と一緒に白い湯気を纏い、体温が温まっているのを感じさせた。


何故か入る前とは雰囲気すら違う。

そのどこか満たされたような表情に更なる嫉妬が芽生えた。






この孝太郎、実は同じ仮設の同じ棟。

私の何軒か隣に住んでいる。


彼もまた地の者でないなら、何か詳しい事情を知っているのかも知れない。


荒ぶる嫉妬を抑えつつ、中で一体何をしていたのかは後でいくらでも問いただす事が出来ると、まずは近しい関係になる事を選んだ。


孝太郎の後を追い、声をかけようとした時、カラカラと玄関の戸を開ける音が耳に入った。


振り返った待雪の自宅。


また一人、男の背中が玄関に消えて行くのが見えた。


待雪の美しい白い手が、戸を閉めると同時に中からは

「ひくっ……」と低いしゃっくりが聞こえ、私は孝太郎を見失っていた。




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