一章 その村の名としゃっくり
ちょうど降り立ったバス停の斜向かいの民家では、葬儀がしめやかに行われている所だった。
参列者は居ないに等しい密葬。
霊柩車が高らかにクラクションを響かせながら走り去り、俺の乗って来たバスを追い抜いて行った。
秋から冬に移り変わるこの季節は、温度すら葬儀を冷ややかに映し出す。
しかし、人の集まらない葬儀は尚、一段と寂しいものである。
本来行き先はまだ先にあるのだが、私ときたら停留所に書かれた名前が気になってついバスを降りてしまったのだ。
『憐れみ村』
そう書かれたバス停の看板。
編集社での仕事では、常日頃様々な地方の特集を組んで来た私だが、そんな村は聞いた事がない。
今日もそんな取材の帰り道である。
憐れみ……村が憐れなのだろうか。
憐れと名付けられる事情と云うのはおだやかではない。
それとも憐れな人が集う村なのか。
やむを得ず何か憐れな事情を持つ人々が……
古い村には由来と云う物がある。
私はどうしても、たまたま通りがかったこの村の名前の由来の一つでも聞いて帰らない事にはひっこみがつかなくなっていた。
それにしても山に囲まれた深い谷にある村である。
都会とはまるで違う空気を感じるが、自然がもたらす“旨い空気”と云うのも何かが違う。
不本意で足を運んでいるとはいえ、僅かな村の人間が居る。
わざわざ無視して足を使う事もあるまい。
そう思って関係者の誰かに村の事を尋ねる事にした。
霊柩車を見送った数名は、およそ寄り添うようになって帰路に着こうとしていた。
安っぽい小さなテントの下で、香典の整理に勤しむ初老の男性を見つけた。
恐らくは町会か何かの役員だろう。親族にはおよそ見えなかった。
古い人間であれば聞ける事も多かろうと、深く考えずその人物に村の話を聞く為、目掛けてゆっくりと歩みを進めた。
すれ違う数名の参列者の雰囲気の違いにはその時はまだ気が付かなかった。
「早かったねえ」
「最後ん気持ちはさぞ辛かったやろうね……私もいつかはなあ」
「考えたらあかんよ。無情な事やろう」
会話はごく自然な……、この場合内容が内容だけに自然と云うのもどうかと思うが、やはり葬儀の後のよく聞く会話だ。
聞き慣れない方言がまたしみじみとさせる。知らぬ人とは言え、私の胸も僅かながらに痛んだ。
直進する私と会話をしながら通り過ぎる参列者。
その時、すれ違う一人が
「ひっ」と小さく呼吸を止め、私を見て足を早めた。
不思議には感じたものの、詰め寄る程の事ではない。
テントの下まで辿り着こうとしていた私は、気になりながらも無視してテントまで行き着いた。
初老の男性は先に私を見つけたものの、再度頭を下げて作業に戻る。
「あの……」
声をかけようと切り出した瞬間、少し忙しない口調で私の言葉を遮った。
「あんた余所から来た人だね。都会の人だ」
ぶっきらぼうにそう言って、しかし顔は上げなかった。
「はい。たまたま通りがかったのですが、お葬式をされてるのが目に入って……」
「入って……?入ったからどした。葬式なんぞ珍しくなかろ?」
「いや、何だかついバスを降りてしまったのです」
その私のとってつけた口実を聞いて、男性は
「はあ……」と深い溜め息をついた。
「名前だろ……?」
「はっ?」
「この村の名前さ気になったんだろな?あんたも……」
あまりに見事に言い当てられた私はうっかり口をつぐんでしまった。
「うそは言わん方がええ。それと名前なんか気にせんとさっさと行き先へ急ぎなさいな」
ぶっきらぼうでいて、素っ気ない。
愛想もない物言いだったが、決して嫌みやいけずの様な“悪意”は感じられない。
しかしその目は既に自分から外れ、何もなかったかの様に作業に静かに戻っている。
わざわざ降り立った事と、職業柄の知りたい性分故、
「わかりました」と素直には帰れない。
「お忙しいかとは思いますが、少しだけ話を聞かせて頂けないでしょうか?」
出来るだけ低低姿勢に……、もう一度目線をこちらに向ける事を心がける。
田舎の……、しかもお年寄りは一度気を許して話し始めると、こちらが嫌になるまで話続けるだろう。
するとその男性は首を捻る様に右目で私を見上げ、じっと視線を外さずにまた
「ふう……」と溜め息をついた。
「この村はな……」
溜め息の後、ふいにそう話始めようとした時、タイミング悪く奥から葬儀社の誰かが声をかけて来た。
「誰か来たのかいね、とっさん?」
私は思わず心の中で舌打ちをした。
体格の良いその男は、葬儀社の人間でありながら“とっさん”と気安く呼ぶ。
やはり小さな山あいの村だけあって、皆が知り合いなのだろう。
「お話中やのに声かけてもうて、ひっ、えろうすんませんした」
男はわかってて出てきた割には慌ててそそくさと引っ込んで行った。
(舌打ちが聞こえたんじゃあるまいな……)
くだらない事を想像しながらも、話の続きを聞こうと私は表情で促した。
「やめていた方がええ……」
どうにも調子が狂う。
先々とこちらの意図をもぎ取るように忠告する様はさながらエスパーである。
「何故そんなに頑なに口ごもるのです?尚更引き下がれませんよ。これでも編集部で働いてるんです」
そう言うと少し戸惑った顔をした後、更に強い口調で話を咎めた。
「名前なんぞ、珍しいもんは色々ありますやろっ?帰りなさい。その方がええんじゃわ」
これは余程の頑固親父である。
これ以上詰め寄ると逆効果になってしまう。
何よりどう云う間柄かはわからないが、葬儀の直後というのも忘れていた。
ずけずけと身勝手な質問はこちらが悪い。そう思うと少し胸が痛んだ。
どちらにしろあきらめる事は出来ない私は、一旦出直すか、時間を開けようとバス停に戻る事にした。
こんな事なら、行きもこの路線を使えば良かった。しかし、葬式に気を取られたのも事実。やはりのんびりとバスでの帰路を選んだ偶然で見つけた村だ。
バス停までの距離は僅か。
初老の男性は何もなかったかのようにこちらを見向きもしない。
バス停に腰を降ろし、何気なく村の名前の由来をぼんやり考えていた。
冷たい風が妙に心地よく感じる。
「それにしても静かな村だ」
村には営みは感じるが、ガヤガヤとした鬱陶しさもなければ活気がない訳でもない。
例えるのなら村に何の雑音も感じないといったところである。必要な音が奏でるそれは、苛々する雑音とは程遠い。
「田舎ってのは素朴だからな……小さな村ってのはこんなに穏やかなもんか」
一人でふけっている時間が幾ら経ったのかは不明だが、バスは一向に来る気配がない。
田舎のバスは数本しか走らない事を甘く見ていた私は、念の為恐る恐る時刻表を確認した。
「お前さん。余所から来はったん?今日はもうバスは走らんよお」
ちょうど時刻表を見てその事実を知ったのと同時に、村の若い女が声をかけてきた。
「いやあ、まいりました。まさかこんなに早くバスがなくなってしまうとは……」
顔では平静を装ったものの、実はしまったとばかりにかなり困り果て動転していた。
興味本位が仇になったのは自業自得だが、仕事に差し支える。今から泊まる場所すら予定しなければいけないのだ。
気が重くなる事態に溜め息が出る。
すると目の前で私を気の毒げな顔をして見ていた女が、
「ひゅっ……」と息を吸い込んで胸を押さえた。
「どうかされましたか?」
問いながら私は、先程の葬儀帰りの女性を思い出した。妙なしゃっくりか何かだと思っていたが、彼女は胸を押さえている。
「お加減でも悪いの……」
私の言葉を遮るように女は手で制し、
「ひっひっ」と二度程息をした後大きく深呼吸をして冷静を取り戻した。
(喘息か何かだろうか?)
そんなに酷い発作には感じなかったので、一先ずは自分の心配である。
見るからにビジネスホテルなんかは見当たらない。当然だ。駅すらどこにあるかわからない場所だもの。
民宿くらいはあるだろうか?余所から来たと言う自分を寄せ付けようとしなかったさっきの年配者の事を考えると、それすら危うい。
すると女は
「ひっひっ」と喉を鳴らしながらも、
「ご心配は、ひっ、無用です。バスがなくてお困りなんでしょう?ひくっ、大丈夫ですから……ひっく」
何とも心苦しい姿だ。が、しかし私のようなものがよくへまをするのか、事情を心得、心配はいらないと言う。
抜かりのある旅人が止まる、そんな宿でも案内してくれるのだろう。そう思うと幾分かは気持ちが落ち着いた。
胸を撫でおろし、気付くと娘のしゃっくりは消えていた。
「助かります。しかし失礼ながらそんな都合の良い宿があるようには見えないのですが、ここからは遠いのでしょうか?」
娘は既に満面の笑顔だった。
「いえいえ、ここからすぐですわ。ふふ……安心なさって下さい。ええ、大丈夫ですから」
こうして見ると、先程の苦しそうな表情と違い、笑顔の可憐な美しい娘である。
年の頃は24〜5か……。
何故か田舎臭さもなく、稟としている。
こんな名前の……こんな奥地の田舎で、一生を終えるには惜しいが、それもあの何かの病のせいだろうか?
私は一人、女の歩く後ろ姿に見とれながらそんな事を考えていた。
「着きましたよ。ねっ、近かったでしょう?安心なさいましたか?」
驚いた。
まだ歩き出して5分と経っていない。
しかも、着いたと指さされたのは民宿の影もない、洗濯物がかかり、自転車が表に停めてある普通の民家である。
「……こ、ここは?」
「ふふ……私の実家ですのよ」
再び驚いた。
女はそそくさと玄関をカラカラと開き、中で誰かと話している。
あっけにとられた私にはまた僅かに不安がのし掛かる。
会って間もない、しかも余所から来た人間をこんなに簡単に招き入れるもんなのだろうか?
この不安には、中から女と一緒に出てきた女の母親が解決に導いた。
「なあんもなくて古い村ですので、お困りな事らしいですが。ひっ……何も気になさらず一晩夜を凌いで下さいな。よくある事ですに…ひっく」
女程ではないが、母親も喘息を患っているのか、僅かに息が乱れる風な話し方をしている。
しかし、確かによくあるのだろう。
あんなにバスが早ければ、知らない者はいかようにもし難い。
余計な心配をしていても始まらない。私は図々しいながら、意を決してお世話になる事に決めた。
母親は満面の笑顔で私を招き入れた。