悲劇の出会い
医者というものは普段はどのような格好をしているのだろう。
医学生の男性の格好ならば私の普段の格好でいいのだが、それは医者の格好ではない。
白衣なのか、そうでないのか。小一時間ほど悩んで――せっかく早く起きたのに台無しだ――結局正装と思われる白衣で出ることを決めた。
そして今、その決断を激しく後悔している。
いくらイメージを大事にすると言っても、流石に白衣を着た青年、という格好は目立ちすぎた。すれ違う人ほとんど全員が振り返る。挙句の果てに、何かのコスプレに間違えられたのか、アニメキャラの格好をした女性話しかけられる始末。
男子医学部として六年を経て今日が研修医としての初めての日だ。しかし、どうも苦い思い出になりそうだ。
興味の視線を感じながら病院への道のりをたどっていた時だった。
名前を呼ばれた。そしてこちらに近づいてくる女性も。
パッと見見覚えはない。忘れているだけだろうか。足を止めてよく見ようと目を細めた瞬間だった。
目の前を猛スピードで車が通り過ぎた。それと同時に耳に届く何かよく知った柔らかいものに当たったような音。そして間を置いて聞こえる同じ何かが倒れた音。
音から大体その「もの」がある位置はわかった。しかし目を向けることが出来ない。何故かその場に行くこともできない。
周りに人が集まりが騒がしくなる。病院に連絡を、という声が聞こえてきた。携帯電話をポケットから取り出すも、手が震えてうまく持てずに落としてしまった。それを拾い上げようとして、先ほど動けなかった理由に気がつく。足も同じぐらいに震えているのだ。
周囲の人が忙しく動いている中、ただ一人、その場に座り込んで、全く動くことができなかった。
私はある病室にいた。
それは研修先の病院であり、そして目の前で轢かれた彼女が運ばれた病院でもある。
警察の事情聴取の後、私は勤務先となる病院に急いで向かった。院長室に呼ばれ今日の研修の中止とごく一般的な慰めの言葉、それに加えひとつの事実を知らされた。
彼女も私と同じ研修医で、今日ここに共に配属になる予定だった。いわば私の同僚になるはずだったのだ。今更ながらあの時の彼女の行動に納得がいった。どこかで私のことを知っていたのだろう。
病室は真っ白な部屋に窓が一つ、その近くにベッドが一つの一人用の病室だった。私が――おそらくこの部屋の主にとっても――慣れ親しんでいる病院特有の薬品に包まれている。
私はベッドの近くのパイプ椅子に腰を下している。ベッドの上に寝かされている彼女の顔が嫌でも目に入った。今は気を失っているのか、眠っているのか。残念ながらその判断はできない。
その顔を見る私に懺悔と安堵が襲いかかる。
私があの時足を止めなかったから彼女は轢かれたのだという罪悪感と同時に、ああ、私でなくでよかった、という安らぎの気持ちが同時にこみあがってくる。
同じ研修医なのだ。ここに今こうして立っているのが彼女でもそう大差はない。いや、私も同じように無傷で済んでいたという保証はない。今頃病室ではなく集中治療室で私が安らかな顔を浮かべていたかもしれない。
なら、私じゃなく、彼女で助かった……?
頭を振って余計な雑念を振り払う。仮にも医者の卵なら、他人の事故を喜んではいけない。たとえ自分の命が懸かっていたとしても、怪我人が誰だったとしても。
ベッド上の彼女の顔は、ほほ笑みを浮かべている慈愛の女神のように見えたし、静かな怒りを孕んだ破壊神のようにも見えた。祈って救われようとしても、彼女がどちらの神を宿しているのかを聞くことはかなわない。
結局私は、
「すみません、こんなことになって……」
ただ、こう保険を掛けるしかなかった。