第二話 《誤解だ》
昼食の終わりを告げるチャイムが、校内に鳴り響く。
胃に十分な有機物が蓄えられたところで、千穂理は弁当を片付けるかどうか迷った。
一度、箸を弁当の上に、適当な位置に置く。すでに昼食を済ませたミーちゃんは隣の席から話題を提示してきた。
「ねぇ、知ってる? かがりちゃんの話!」
千穂理は首を振った。ミーちゃんは「そっかぁ~」と力が抜けていくようだった。
「誰かと付き合い始めたとか?」
適当に言ってみる。すると、ミーちゃんは眉を少しひそめた。
「知ってるじゃん」
「なんとなく、そうじゃないかなって。知らなかったのは本当だよ」
すげー、とミーちゃんは小さな声を漏らす。
どうでもよかったので、視線を弁当に向け、胃袋と相談した。おいしいけど食べられない。食べたいんだけれども食べられない。困ったなぁ。
また、ミーちゃんが何か話はじめた。
「相手はさぁ、陸くんなんだってー。羨ましいなぁ、あんなイケメンとだなんて……」
知らない。
よし、決めた。ハンバーグだけ一口食べよう。ハンバーグだけ。そして大事に味わおう。
千穂理はもう一度、箸を持つ。
「陸くん女の子に興味なさそうだったから、誰にも取られないと思ってたんだけどなー。でも、かがりちゃん可愛いからなー」
千穂理は残ったハンバーグを二等分、さらにもう一回二等分する。箸でつまんで、丁寧に口へと運んだ。
「私も青春したいよぉ。イケメンをそばにおきたいよぉ」
一口でまるごと含んでやった。ゆっくり噛み砕いて、じっくり舌で味わう。
「おいしい~」
「…………ねぇ、千穂理、聞いてる?」
訊ねられ、きょとんとする。どうしていいか分からなく、首を傾げた。
「かがりちゃんの話だよー!私も青春したいなぁー、って言ってたんだよ?」
「あ、そうなんだ」
はぁー、とミーちゃんは長い溜め息をついた。
「ごめん、話を聞いてあげられなくて」千穂理はえへへと、からかうように言う。
「……? そっちじゃなくて、なんで千穂理はそんなに、青春に対して関心的じゃないの?」
話を無視してたことはどうでもいいんだ……、千穂理は苦笑いした。
別に、青春に対して無関心なわけじゃない。誰かと誰かが付き合ったとか、そういう甘い話にはそこそこ食いつく。まぁ、人にもよるかもしれないが。
けれど、それを自分が体験すると思えば、何だか心が沈んでしまう。それは正しい選択なのだろうかと、考えてしまう。可哀想だなって、可笑しなことすら思い遣るときがある。
「なんか、むやみやたらというか。無謀だな、なんて」
暗くなってきた気持ちを、あはは、と笑って取り繕う。
ミーちゃんは「ふーん」と、温度のない声で言った。そっちこそ、無関心じゃん。
「無謀って、何で?」
「いやー、だって、どうせいつか別れるんでしょ? 最後に嫌な思いするくらいなら、そんなことで時間を浪費しないほうがいいんじゃないかなー、って」
変だと思われたかな?
千穂理は憂慮に堪えなく、彼女の目を伺った。だが、ミーちゃんは特に変わった様子もなく、余裕そうに頷いていた。
「まぁ……うん、確かに、一利あるよね。どうせ別れちゃうもんね、アイツら」
確かに確かに、と何度も頷く。よかった、ミーちゃんが寛容な人で。
口の中から、濃い味が去り始めたところで、千穂理は今度こそ弁当を片付ける。
「それでも千穂理さん、あなたは夢が無さすぎなのです!」
口調を弁護士っぽくして、何故か誇らしげに千穂理を指差した。変なの。
「そうかな?」
「そうだよ。千穂理、お家の手伝いばっかりで、部活にも入ってないし」
身を預けるように、だらーん、と腕を枕にして机に寝る姿勢になる。そのまま千穂理は顔を横に向かせて返事した。
「……それ、今日お母さんにも言われた」
横を向いているので、千穂理の長い髪が顔の半分を満たないくらいに、主に口元を覆う。どうせなら何もかもを覆って、誰にも見られないようにして欲しいと所望した。
「そりゃ言われるよー? 私が親だったら、自分の手伝いばっかりする娘なんて可哀想だと思うもん」
「可哀想かぁ……」
それは誤解だ、と千穂理は断言した。
好きだという単純な想いでお店を手伝っているだけなのに、どうしてこれほど、私を憐れむのだろうか。
我が家が和菓子屋を経営し始めて約18年。両親のそばでずっと、あの甘い匂いを嗅いで育ってきた。物心がついたときには、その匂いの正体に触れてみたいと思っていた。今でも私は、和菓子をつくりたいと思っている。けれど、千穂理の和菓子を店に出すのはまだはやい、ってお母さんに言われているから、それまでに色んな経験がしたいだけなのだ。
そのことを、一番じゃなくても、よく知っているアナタには理解してもらえていると思っていたのに。
きっと、好きで頑張ることと、無理して頑張ることは、客観的に等しく見えてしまうのだろう。
それとも、あまり真剣に私のことを見てくれていないのかもしれない。なら、納得だ。
「部活体験、行ってみたら?」
千穂理はとうとう顔を上げた。
「うん、そうするつもりだったよ。お母さんにも言ってる」
まだまだ昼休みは終わりそうにない。今日一日、どの部活へ体験に行くかなんて、アナタはまるで訊ねてこなかった。