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チート勇者の治政下で。大河都市

作者: 黒髪黒目

「まだ生きている魔族とは珍しい」

 ふと日が陰ると、しわくちゃな老婆の顔が女の真上に現れた。汚い日焼け具合から農民なのだろう。乱杭歯をむき出しにする笑顔は、子供の頃寝る前に聞かされた悪い魔女を思い浮かばせる。女がぼんやりしていると、老婆の目つきが蔑みに変わる。彼女の特長に気がついたのだ。

「なんだ雑種の、連合国の兵士か。そりゃ殺す価値もないわな」

 歯の間から笑い声か、ささやき声か分からない音を出して、老婆は顔を引っ込めた。女は起きあがろうともがき、激痛でうめき声を上げることになる。日は中天にあり、酷く女の目を焼く。せめてものあがきで女は仰向けからうつ伏せに体位を変えた。そして、自分の仲間だった者達の上に居ることを知る。ぼんやりとしていた知覚が急にはっきりとした。死体の欠けた部分から滴る血、日に暖められて立ち上る腐臭、群がる蠅の羽音、口に残る吐瀉物、そして死体の感触。五感全てが暴力的に彼女を叩きのめした。


「気持ち悪い」

「食い過ぎだろう」

 女が目覚めて呟くと、その声で起きた男が機嫌悪な声で答えた。清潔な部屋で、粗末ながらベットが2つも備え付けられている。広さはベットの他に小さなテーブルセットが入る、2人部屋としては贅沢な作りだ。部屋の片隅にカビが生えているのがなんとも惜しい。

「魚がおいしいのが悪いんです」

「確かにここの食事は旨い。ただ限度がある。

 俺が止めないから調子に乗って食い続けたのはどこの誰だ」

「はい、私です。けど本当に美味しかったんですよ、

 川魚があんなに食べられて私は幸せです」

「それは海の魚も食べたいって言っているのか」

「そんなこと言っていません!食べられるなら遠慮しませんけど」

 男が首を振り会話を打ち切った。彼が身支度を整えるのをぼんやりと女は見つめる。彼は30代中盤でも兵士らしくしっかり鍛えられた体つきをしていた。大国に仕える兵士の証である、紋章付きの皮鎧は傍目からでも似合っていた。記章代わりの赤い羽が黒ずんだ生地に映える。男が振り向く前に、女も身支度を始めた。さっと服を着替え、男より大分簡素な皮鎧を身につけるだけだ。後は顔を洗えば完了である。


「今日は査察だ。ここのは規模が大きいから一日掛かりになる」

「はい、わかりました」

「今は食べ過ぎるなよ」

「分かってます。もう一尾食べたら満足です」

「それが分かっている行為か、お前は分かっているんだろうな」

 男の言葉に、女は箸を置くことで答えた。宿に隣接した食堂で、2人の前には空になった食器が鎮座している。大河都市の食事は味が良く量も多い。物流が盛んで、庶民もその恩得に預かれるところが大きいのだ。

「いつもなら2時間も掛かりませんよね。いくらここが広いと言っても、

 そんなに時間が掛かるものなんですか?」

「俺が冗談で言っていると思うなら、いくらでも食べていていい。

 しかし、もし向こうで兵士の威厳を損なってみろ?

 俺はお前を叩き値で売り飛ばすからな」

「お勘定、お願いします」

 男が会計をすませる間、女は名残惜しげに皿が運ばれてゆくのを見ていた。


「いらっしゃいませ。おや、首都の兵士さんとは珍しいお客さんだ」

「期待させたら悪いが客じゃない。査察官として来た兵士だ」

「招かれざる客も、まあ大切なお客様には代わりありません」

「なら結構。もてなしてくれるなら帳面に茶をつけてくれ」

 短く髪を切り揃えた親爺が、店の番台で2人を出迎えた。恰幅がよい見た目から想像できる、快活な声で男に応じる。親爺と男が言葉の大立ち回りを演じる間に、女は店の調度品を眺めていた。3人の他に店員が3人、忙しそうに手を動かしている。その人数でも部屋は狭いと感じない程度に広く、また所々に生けてある花が瑞々しいことから手入れも行き届いているように感じられた。

「で、こちらの棚にあるのが今年一年分の帳面になります」

「帳面?こりゃどうみても紙屑じゃないか。お世辞で言っても……紙屑だ」

「もうしわけございません。首都の指示に対応するので忙しく、

 綺麗におまとめする時間がありませんでした」

「それにしては隣の棚は良く整っているな」

「一昨年迄は昔ながらの方法だけで良かったですから」

親爺が男に見せたのは、焚き付けと見紛うばかりに紙が突っ込まれた一つの棚だった。

「親爺。俺たちが国の指示で動いていることは理解しているよな。

 お前が反抗的な態度をとるなら、こっちもそれ相応に動かなきゃならない」

「先ほどの話を蒸し返しますが、お客様は神様ですと言いましたね。

 しかし神様にも、貧乏神や疫病神がいらっしゃいます。

 そして、それを上手く祓うのも商人の素養でございます」

 親爺は椅子に座ったまま言い放つ。流石、商業連合の内でも最大の勢力を誇る土地の商人だった。大人しく税を払うつもりが毛頭ない事を態度で示している。女が振り返れば、店員の手が止まり視線をこちらに移している。仕事でも、他でも遣り手に違いない。

「やめておけ。今は2人だが、次は何人で来ると思う」

「この町を知っているのは私たち商人でございます。

 兵の数も、質も卸した物で賄われた物。

 敵を知り、己を知ればそれほど戦いを恐れる必要はございません」

「敵を知っているなら教えてくれ。

 勇者の力にどうやって抵抗するつもりだ?」

「脅しは無用。勇者は今ではおままごとに夢中です。

 こちらに目を向ける余裕が無いことは確かでしょう」

「奴隷は別だ」

 男は断言した。親爺が答えようと口を開くのを、首を振り遮る。

「いいか、奴の奴隷嫌いは異常だ。それを本当に知っているのか?

 力は強いが、頭は子供そのもの。正におままごとに夢中。

 だからこそ、遊びを邪魔する奴には容赦しない。

 奴隷商は悪い、悪いことをする奴は懲らしめる。

 そう考えたら1人でそれを実行できる奴だ。

 さらに。奴は貴族連中を手玉に取っていると自惚れて、

 百戦錬磨の奴らの手のひらで踊っていることを知らない。

 貴族が思い通りに動かせる化け物を手に入れた。

 目の前には税を納めない悪い商人がいる。さてどうなる?」

 男の言葉に親爺は言葉を失う。次に口を開いた時、言葉には諦念がにじみ出ていた。

「なら……貴方はどうしろと?

 今お見せしたように税を計算する為の帳面は酷い有様です。

 これを数ヶ月かけて計算なさるつもりですか?」

「親爺、悪いことは言わない。古い帳面を見せろ」

「古い?そんな物をみて何をなさるおつもりで」

「言い逃れるのもいい加減にしろ!お前たち商人は、兵に見せる

 物以外に自分たちで使う帳面を持っていることは百も承知なんだ。

 それを見せろと言っている。正確に言わなきゃ分からないなら

 言ってやる、商業連合帳面を俺に提出しろ!!」

 親爺が唇をかみ切らんばかりにして、机を叩いた。女はさりげなく男の背中を守るようにして立つ。武器はなく、鎧も頼りない。こんな綺麗な町で刃傷沙汰になるなんてこの世も末ですねと呟いた。しかし、女の予想を裏切り、親爺は指示を出さず自分の机から一冊の分厚い帳面を取り出し男に投げ与えた。

「ご覧になるなら場所が必要でしょう。店の物に用意させます」

「心遣いありがとう。時間はそれほど掛けるつもりはない」

 帳面を抱き留めた男から離れて女は嘆息する。ようやく1つ目が始まった。これから帳面と、実際の奴隷の数を照合する作業が始まる。奴隷商の徴税任務ほど気が滅入る事はない。


 日がしっかり沈んだ後。朝と同じ食堂で2人は夕食を取っていた。脂がのった赤い魚の塩焼きが並んでいるが箸の進みは遅い。女は精魂尽き果てた様子で箸を弄び、男は酒が入ったコップを口に運ぶので忙しかった。

「疑ってごめんなさい」

「ここの奴らの扱い辛さは一度見なけりゃ分からん。ただ忘れるな、いいな」

「はい。……その、質問してもいいですか」

「飯が不味くなる内容じゃないならな」

「どうしてあそこまで商人達は強情だったんですか?」

「お前が俺の話を聞いている時はあるのか?

 ……ああ、いいだろうさ。お前も少しは知る必要がある」

 男が声量を落としたので、女は耳を傾ける。

「強情だった理由は、税に納得できないからだ。

 何故納得できないかというと、2つ理由がある。

 まず、戦前の税と比べると今の税は3倍に膨れ上がっている事。

 そして奴隷商の税の計算方法が変わった事だ。

 商人は戦争が終われば税は減ると考えていた。

 増税の名目は戦争だったからな。

 それが嘘だとはっきりしてしまえば腹を立てない方が難しい。

 そして、今まで他の商人と同じ税を納めれば良かったのに、

 勇者が口出ししたお陰で奴隷商だけ重い税を納めることになった。

 変な話だが表だって奴隷商を営んでいる奴より悪質な商人は

 ごまんといる。それなのに差別されるのもまた納得行かないだろう」

「……なんか私たちは悪くないですよね」

「悪くないなら責任もないなんて考えるほど子供じゃないよな?

 まあそう思うことを否定はしない。

 だからといってサボれない事は肝に銘じて置け」

「はい、わかりました」

「明日は残りを片づける。

 今日の朝反省したなら腹八分目に抑えろよ」

「はい、わかりました」

「わかってるんだろうな」

「はいはい、わかりました。痛い痛い痛い痛い」

 男に耳をひっぱられ、女は涙目で謝った。手を離して男は魚をつつき始める。女もそれに習って魚の身をほぐし始めた。しばらく無言で魚を骨にする作業に熱中する。食堂の中は酒を飲み交わす船乗りや、妻の目を盗んで仲間と一杯やりにきた商人たちが和やかに雰囲気を形作っている。夕飯の最も忙しい時は過ぎているので、従業員の多くを占める奴隷は既に家に戻されていて、働いているのは食堂の店主とその家族だった。

 奴隷に自由はない。しかし、それは従順でさえいれば生きる糧を与えられるとも言い換えられる。この世界は未だ、人間を含む多くの者に厳しい。毎日、頭を捻り、手で支えて、足を動かさなければ、毎日の糧を稼ぐこともできない。その中で最も大変な頭を他人に任せられる奴隷は、ある種の自由を謳歌していた。召還された勇者が何を見たか知らないが、節穴であるのは間違いなさそうである。


 ちなみに、勇者が奴隷商の税を大幅に上げた結果。その影響は原価の多くを占める奴隷の生活費を直撃した。奴隷商の生活が苦しくなれば、その下の奴隷たちは更に厳しい生活を余儀なくされる。勇者は気づかずに自分で求めた奴隷制度を手に入れようとしていた。


これはチート勇者に世界をめちゃくちゃにされた人達の物語。

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